(番外編1-2)憩いのひととき

 花嫁修業をしてもらう、という家令の発言の翌日、カロのもとに早速先生がやってきた。なんとも仕事が早い。
 以降、朝から晩まで授業漬けの日々なのだが、これがスーイと自分の未来のためになるのだと思うと疲れなど感じない。仕事はさせてもらえなくなったものの、カロの毎日はそれなりに充実していた。
 修行開始から半月ほど経ったある日、午前中の授業を走りきり、ランチ後の休憩時間。カロは気分転換に外へ出る。
 庭園を散歩しながら、先程まで教わっていたリリガランズ語の呪文のような響きを頭の中で繰り返す。発音の再現が難しくて苦戦中だ。
 さして周りも見ずに歩いていると、いつの間にか使用人棟近辺に来ていた。慣れ親しんでいる場所だから、自然と足が向いたのだろう。
「……あ、いる」
 木陰のベンチでは、テオがぼんやりと一人腰掛けていた。これはチャンスだ。すかさず寄っていって隣に座る。彼はぎょっとして顔を上げた。
「え、なに」
「グレンさん、さっき用事で出てったよ。あの人が見てないところでは喋ってくれるんでしょ」
「……まあ、そうなんだけど」
 どうせテオからは来てくれないだろうから、話したいなら自分から行くしかない。
 彼はちらっと周囲を確認したあと、少しだけ距離を詰めてくる。
「そっちがその気なら、聞きたいことが山ほどあるぞ」
「なに」
「まず、ほんとのこと? 結婚のこととか」
「うん、もちろん」
「いつから? なんで? どうやって?」
「簡潔すぎ。意味はわかるけども」
「皆知りたがってて、予想合戦が繰り広げられてるんだ。答え合わせがしたい」
 お喋り好きの皆のこと、多分そういう状況になっているだろうとは思っていた。話せることは話そう。
「僕がスーイ様の弟王子のお邸にいたのは知ってるよね? スーイ様はたびたびお邸に来られていたから、そこで接する機会があったんだよ」
「いやいや、それは大体わかるよ。そっからどうやって発展したのかが知りたいわけ」
「まあ、いろいろあって」
「えー、結局話せないのかよ。せめて教えてくれ。どっちから?」
「うーん……、僕がスーイ様大好き!っていうのを、あの方が受け止めてくれた感じかなあ。でも、それより前から僕のことは気にかけてくださっていたみたいだし」
「たしかお前がここに来たのって十五くらいだろ? 最低でもそれより前ってことは、……うわあ」
「うわあって」
「スーイ様がどんな美女にも靡かなかったのって、あれか……。やっぱあれなのか……。ちょっとなあ、それはなあ……。俺の尊敬するスーイ様像が」
「あれ?」
「だから、ちっちゃい男の子が好きなんだろ? こう、可愛い感じの」
「は? 違うよ! スーイ様を変態みたいに言わないで! たまたま年が離れていただけで、僕が小さくても大きくても関係ないからね!」
「愛されてる自信に満ちあふれてるな」
 自信なんてない。だから頑張って勉強するのだ。いつか胸を張ってあの人の隣に並ぶために。
 先輩はちゃんと弟分の心配もしてくれる。
「で、うまくいってんの? グレンさんにいじめられてない?」
「んー、全然そんなことは。この間褒められたよ。甘ったれだと思ってたけど根性あるって」
「あの人、他人を褒めることあるんだ」
「ときどきね」
「マリさんは? どうするか決まってる?」
「まあ、うん」
「やっぱ辞めちゃうの。奥方様の母が使用人してるって、ちょっと考えられないよな」
「母さん、働きにくい感じになっちゃってるよね……。それはほんと申し訳ないって思ってる。母さんの労働環境のことまで、考えが及んでなかったんだ。退職して、家族としてここで暮らしてもいいし、居心地が悪ければ、近くに母さん用の新居を建てて、そこに移り住んでもいいしって、スーイ様は仰ってくださってるんだけど、母さんには母さんのプライドがあるみたいでさ。自分が働いて得たお金で、自分の生活を支えていくっていう」
「かっこいい。あの人らしいな。俺なら全部面倒見てもらうけどなー」
「で、うちの遠い親戚の家に、ちょうど使用人を探しているところがあるから、そこで雇ってもらう方向で話を進めてるみたい。雇い主もいい人たちみたいで」
「そっか。それも仕方ないかもな。新しい職場は王都内なのか?」
「うん」
「なら、すぐ会いに行くこともできるじゃん」
「そう。だから、僕も反対はしなかった。ほんとは少し寂しいけどね」
「結婚するんだから、親離れしろよ」
「はは。そうだねえ」
 まるきりがらりと変わる環境。これを乗り越えてこそ開ける未来があるというもの。
「僕もさ、母さんと同じで、ただただ養われているだけっていうのにはなりたくないんだ。自分のことは自分でしたいし、与えられるもの以上のものをスーイ様に返したい。それができるようになるために今頑張っているところだから、どうか温かい目で見守ってもらえたらって思っています」
「おうよ。いい子いい子」
 年はそう違わないというのに、子供にするように頭を撫でてくる。
「いい子だなあ、うん。そうか……、あの小さかったお前が結婚なんて」
「三年の付き合いで、生まれたときから見てきたみたいなことを」
「三年でも充分だろ。情が生まれるには長すぎるくらいだ」
「うん……、そうだね」
「皆さ、鼻持ちならないお嬢様が来るより、お前のほうが良かったって言ってるよ。お前がいいやつだって皆知ってるからさ。だから、こっちにどう思われてるかとか心配しないで、お前はお前のことをやれよ」
 いいやつはテオのことだろうと思う。
「……やっぱ友達でいたいなあ」
「お前がずっとそう思ってたら、大丈夫なんじゃね」
「ありがと」
 彼に友達でいてもいいと思ってもらえるような人であり続けたい。
 両者の休憩時間終了まであと十五分くらい。もう少々ゆっくりできる。

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