(番外編)こんな夜には

 今夜も月夜猫亭は騒がしい。
「うるせえぞ! 静かにしろ」
 喧嘩寸前で挑発し合う若者二人とそれを囃し立てる周囲の客を一声で黙らせ、ナジは店の片隅でグラスを傾ける。減ったところへ注ぎに来る者がいたが、追い払って手酌した。おべっかは使われる方も疲れる。たまには一人で飲みたい。
 また隣に座ってきた者があって、鬱陶しげに視線をめぐらせる。手を上げて陽気に挨拶してきた男は、自警団の中心メンバーであるダンだった。
「よう。めずらしい。一人?」
「ナンパか」
「あはは。女の子に声かけるときはもっとスマートにやるよ」
 親しげにナジの肩を叩いてくる。レレシーにはこんなことをしてくる男はほとんどいないし、ナジも許さないが、彼は別だ。幼い頃からの知り合いだから。
 母が亡くなって孤児院に行く前、隣の家に住んでいたのがこの男とその家族だ。当時は家と家をしょっちゅう行き来していたし、院に入った後は、無断外出したナジに同行して共によく街を探索していた。院を出てからも変わらず付き合いがあり、気の置けない仲間といったところだ。
 ダンはナジのボトルから自分のグラスへ勝手に酒を注ぐ。それをいちいち咎めることはしない。ナジもよく同じことをするから、お互い様だ。
「今日はおうちの猫ちゃんと食べなくていいの? あの灰色猫ちゃん」
「ああ、いいんだ、今日は」
 最近は、帰れるときは早めに帰って、なるべくゼノと夕飯を取れるようにしていた。彼は大勢でわいわい過ごすのが好きらしく、家に一人でいる時間が長いのは寂しいようだから。
 だが、毎日一緒に食べるというわけにはなかなかいかない。どちらかに予定が入ることはある。
 おべっかとは無縁のダンが酌をするのは断らず、グラスを持ち上げる。
「お仲間の誕生日会をやるんだと。前日からパーティーの準備だって言って忙しそうにしてたぞ」
「孤児院出身の子たちはほんと仲良しだねえ。だいたいいつも二人以上で行動してない?」
「あいつらなりの自衛策なんだよ。平和に育てられたせいで気弱そうに見えるのが多いから、お前みたいな柄の悪いやつによく絡まれるんだ」
「えー、俺、柄悪い?」
「悪い」
 王都で軍にスカウトされそうなくらい体格が良く、おまけに常に怒っているような強面なので、本人は子供好きなのだが、子供に寄って行くと九割方泣かれるらしい。警戒心の強い者が多い孤児院出身者にも、「絡んできそうな柄の悪い奴」として危険人物認定されがちだ。
「そうね。悪いわね」
 突然会話に割り込んできた女。聞き慣れた声なので、見ずとも誰かわかる。彼女はダンの強面に怯まず、ずけずけと言う。
「威圧感がすごい。逆らったら問答無用で殴ってきそう」
「お前も来てたのか」
「ナジさん、こっちでは久しぶり」
 椅子を持ってこちらへやってきたのは、行商会本部事務所の事務員で、マナカという。
 顔は似ていないが、マナカはダンの従妹で、ナジは彼女とも幼い頃から交流があった。そのため、ダンと同じく、彼女もナジに対して遠慮がない。引っ張ってきた椅子を置き、許可も得ずに左隣に腰掛けてくる。
 従妹のあまりの言い様に、ダンは子供のように口を尖らせる。
「俺、そんなことしたこと一回もないんですけどー。マナカちゃん、ひどーい」
 おまけに口調まで子供っぽい。少しでも可愛く見せようとしているのか。わざとだろうが、似合わないことこの上ない。
 眉をひそめつつ、フォローにならないフォローを入れる。
「安心しろ。お前のその見た目は結構役に立ってる。悪さをしようとしている奴に向かって凄んだだけで白旗上げさせることも多いからな。自警団にはぴったりだ」
「そりゃどうも」
「ところで、ナジさん、これ、なに?」
 マナカはこちらに椅子ごと近づいて、ぴたりと引っつき、テーブルに置かれたナジの手を掴む。それを肘で押して離れさせる。
「寄るな。匂いがつく」
「なによ。私が臭い物みたいに」
「女の匂いをつけて帰ったら、うちの猫が嫌がるんだ」
「ああ、あの彼氏? 事務所で何回か顔合わせたけど、初心っぽくて可愛い子よね」
「そうだ。だからもうべたべたしてくんなよ」
「この指輪ってその子とお揃い? 左手の小指に、なんて意味深ねえ」
「へえ、指輪なんかしてたんだ。気づかなかった」
 ダンも手元を覗き込んでくる。従兄妹同士、こういう好奇心旺盛なところはよく似ている。
「男ってそういうとこ鈍いわよね。で、どうなのよ?」
「デザインは違うが、お揃いみたいなもんだ」
「んー、でもこれ……。せっかくプレゼントするんなら、もっといいの買ってあげなさいよ。なんか古いし、石だってこれ何の石? 宝石じゃないわよね?」
「仕方ないだろ。貧乏だったんだから」
「何言ってんのよ。儲けてんじゃないのよ。私がどこで働いてるか忘れたのかしら」
 彼女は行商会の経理担当で、行商に絡む金の出入りはほぼ把握している。信用しているからこそ任せられる役目だった。
 指輪にまつわる事情は特に隠すほどのことではないし、言い渋るとかえってしつこく詮索されることになるので、もったいをつけずに喋っておくことにした。
「俺じゃなくて父親が。これは父が母に贈った物で、母の形見」
「お母さんの形見を彼氏につけさせてるわけ?」
「ああ。それが何だ」
「重い」
「あ?」
「重すぎる。ねえ、ダン」
「俺もそう思いまーす」
「よく嫌がられなかったわね」
「何が嫌なんだよ」
「単純にお古が嫌っていうのもあるし、指輪に色んな気持ちがこもりすぎてて重い。絶対に逃がさないぞっていう執念を感じる。おまけに家にまで囲ってさあ」
「そうそう。我ら獣人は自由を愛する民だぞ。特にあの年の子はそんなに束縛されたくないと思うな。遊びたい盛りじゃん。ナジさんかっこいいから何となく付き合ってるけど、こんなのもらってどうしよう、困っちゃう、みたいな」
「お前ら言いたい放題だな。そんなことはない。あいつは喜んでいたぞ。髪の毛を小指に巻いたときだって」
「え、それって新婚初夜の時のやつ? 今時あんなのやる人いるのね。てか、やったの?」
「意外とロマンチストなんだな」
 二人してニヤニヤと見つめてくる。どちらも睨みつけてガタッと席を立つ。
「そのうち摘まみ出してやる」
「あら、帰るの?」
「お前らのせいで飲む気分じゃなくなった」
「気をつけて。彼氏によろしくねー」
「じゃあなー」
 呑気に手を振る二人に見送られ、店を後にした。
 この指輪のことも自分たちの関係も、自分たちがわかってさえいればいいのだ。彼らにあれ以上説明してやる気はなかった。
 
 
 帰宅すると、ゼノはすでに帰ってきていた。また居間のソファで寝こけている。待っているうちに眠ってしまったのだろう。先に休んでいていいのに。
 あどけなさの残る寝顔をしばらくじっと眺めていると、気配を察したのか目が開く。寝ぼけ眼がナジを映す。
「あ、お帰りなさい……」
「早かったんだな」
「ナジさんが帰るまでには家にいたくて」
「ゆっくりしてこいと言っただろう」
「俺がそうしたくてしただけです。あー、ナジさーん」
 立ち上がって抱きついてくる。彼の吐息からは酒の匂いがした。
「結構飲んでんな」
「はい。なんかすごく楽しくって……。でも、途中から、ここにナジさんがいればいいのにって思って、寂しくなってきてー」
「お友達といるのに寂しかったのか?」
「やっぱり楽しいのはナジさんも一緒がいいなあ」
 首元に頭を擦りつけてくるゼノの、毛艶のよい柔らかな髪を撫でてやると、こちらに向けられた満面の笑み。幸せ、嬉しい、と顔に書いてある。
 彼はいつも自分の感情のまま動くことに消極的で、我慢しがちなのだが、酒のせいか今日は素直だ。甘えたい気分らしい。
「ナジさんが帰ってきたらしたいと思ってたことがあるんです」
「なんだ」
「ちゅー。ちゅーいっぱいしたい」
「そんなのいくらでも」
 唇をあわせると、ゼノの方から舌を差し入れてきた。
 欲しいものはキス、か。なんて可愛いおねだりなんだろう。これをくれ、あれを買え、などという要求には飽き飽きしていたが、こんな風に言われると何でも与えたくなってしまう。
 初っ端からこんなに求められるのは珍しく、キスに応えながら様子を観察していると、密着した腹から股ぐらにかけてを擦りつけ始めた。これまた直接的でわかりやすいおねだり。
 情欲をはらんだ声が熱っぽく響く。
「ナジさん……」
「上に行くか」
「はい」
 べったりくっついてきて歩きづらかったので、肩に担ぎ上げて寝室まで運んだ。
 今日は任せてほしい、と言い出したため、やりたいようにさせてみたが、あまりに焦れったい。シャツのボタンを外すのはもたもたするし、ぺろぺろと舐めてくる姿は愛らしいものの、小動物にじゃれつかれているようで、性感が高まるようなやり方ではないし、上に乗っかってきたっていちいち手間取るし。そのくせナジが手伝おうとすると怒る。
 元々気の長い方ではない。痺れを切らし、結局主導権を取り上げた。尻尾を引っ張って上からどかせて組み敷き、いつものように彼の中へ潜り込む。柔らかくてすんなり入った。さきほど自分で大して弄ってもいないようだったし、事前に慣らしていたのか。
「しっかり準備してたんだな」
「今日は俺がしたくて、気合いを入れて……。なのに」
「あんなにちんたらやってたら、朝になるぞ。生憎そこまで付き合う忍耐力はないもんでね」
 不満そうだが知ったことではない。充分待ってやったつもりだ。
 ゆるゆると腰を動かして、内側からもぎゅうぎゅうと抱きしめてくるような締め付けと熱を味わう。腰に絡んだ足を持って引き寄せ、日頃の農作業で適度に引きしまった脹ら脛をべろりと舐めた。
 本人は全く意識していないようだが、健康的にすらりと伸びた美しいラインをしている。いつもだぼだぼしたズボンばかり穿いているため、普段は人目に晒されることがない。自分が暴いた秘密のようで、興奮を煽られる。
 紅潮した彼の頬が、ランタンの明かりが放つ熱でさらに火照る。
「お礼……、俺にはこれくらいしかできないから」
「お礼って指輪のか? いらないって言ったろ」
「それだけじゃなくて、もっといろいろ……。はあっ……あ、ねえ、そこ……」
「好き勝手させてもらえた方が俺は嬉しい」
「……それじゃいつもと変わらない」
「お互い気持ちよけりゃそれでいいだろ」
「ん、そうなの……?」
「そうだ」
「そっかぁ……。ね、ちゅー」
 伸びてきた手を握って顔を近寄せ、キスを交わす。今にも蕩けそうという表情。全てをこちらに委ねきっていて、きっと今ナジが何をしたって受け入れるはず。「任される」より「任す」方が合っているのだ、ゼノには。
 どこを触られたって敏感に反応を返してきて、こちらとしては実に楽しい。荒くなっていく彼の息遣いをさらに乱す方法は、いくらでもある。さてどうしてやろうかと考えるのは、とてもわくわくさせられる時間だ。
 彼の肌を滑る汗はナジのものか彼のものか。額を拭ってやると、その手に頬ずりしてきた。
「うー、好きぃー」
「ああ」
「この指輪、もう俺のだから、絶対返さないから、ずーっと一緒にいてくれなきゃだめ……」
「わかってる」
 贈った指輪は、マナカやダンの言うように「重い」のかもしれないが、その重さはゼノが求めたものだ。彼の不安を取り除くために必要な重さ。まだ完全に取り払えてはいないのかもしれないけれど。
 焦らして遊んでやることも出来たが、酔っていて疲れてもいそうなので、意地悪せず早めにいかせてやることにする。奥を重点的に攻めてやると、すぐ限界が来るのは知っている。
「んあっ……」
 彼が達したのを確認してから、ナジも中へ精を放つ。
 さもそれが当然の流れであるかのように、繋がったままキスを繰り返す。終わった後の触れ合いなんて好きじゃなかったはずなのに。胸を満たす感情の名前はわかっているが、口にはしない。気恥ずかしいのもあるし、急にこれまでのスタンスを崩したくないのもある。
 中から出ていこうとすると、腕を掴まれる。
「まだやだ」
「酔っぱらいが無理すんな」
「もっとくっついてたい」
 ゼノは手足を絡ませ、しがみつく。滅多にしない気遣いをしてやったというのに。
「また犯すぞ」
「どうぞ。したいだけしてくれなきゃお礼にならない」
「途中で寝るなよ」
「もちろん」
 自信満々にそう言いはしたものの——、やはり途中で寝てしまった。酔って甘えたがりになるのは可愛かったが、長く楽しめないのはいただけない。
「満足そうな顔で寝こけやがって……」
 こっちは中途半端だ。額や頬にキスを落として紛らわせる。身体の関係を持つようになってすぐの頃であれば無理矢理叩き起こしていたと思うが、今はそんな気も起きない。
 引き抜くと、穴から溢れて足を伝ったもの。またむらむらしてくる、じゃない、早く掻き出さないと。きっとこのまま朝までぐっすりだろうから、事後の世話は誰がやるのかと言えば、ナジしかいないだろう。まあ、自分の出したものの始末は自分でするのが筋か。
 冷えないよう腹にだけ布団を掛けてやり、裸のままベッドを降りた。