(番外編)繁忙期明け、君と

 息が苦しくて目を覚ます。久長の安眠を邪魔したのは、胸の上に乗っかった丸太のように太い腕だった。
「この阿呆が……」
 まったくいい年をして寝相が悪い。隣でぐっすり眠る真裸の男の腕を乱暴にどかして、キングサイズのベッドから起き上がる。仕返しに大きな尾で間抜け面をはたいてやったが、起きない。寝汚いやつだ。
 ここはこの阿呆、もとい雅彦が下界の拠点にしているマンションの一室。藤に命じられ、大繁忙期明けの後処理雑務までこなし、くたくたになって雅彦とここに来たのが金曜日の明け方だ。
 何かと世話が焼ける弟分、稔実から相談事が来ていたのに気づき、グループチャットで回答した後、二人で酒盛りを開始。途中、また稔実とメッセージのやり取りもありつつ、ほろ酔いで良い気分になったところでベッドイン。一週間以上何も出来ずに溜まった性欲を思う存分発散し、すっかり満足して深い眠りに落ちた。
 繁忙期中は禁酒、禁欲を強いられるため、解放された後は毎年同じような流れになる。酒を飲んでまぐわってから寝る。稲荷神の眷属として迎え入れられてからというもの、このお決まりのパターンは長いこと変わらない。
 壁の時計は六時を指している。いったい朝なんだか夜なんだか。時間に縛られる生き方はしていないので、別にどちらでも構わない。
「さて、と……」
 気分はすっきり爽快。寝室のハンガーポールに引っ掛けてある襦袢を取ると、素肌に羽織る。部屋着として愛用している、シンプルな絹の長襦袢。女物だが、女装が趣味というわけではない。部屋着がこれなのは、単純に自分に似合うからということもあるし、これを着ていると喜ぶ男へのちょっとしたサービスというのもある。
 目の前の窓ガラスに目がいく。そこに映った自分はいつにも増して婀娜で美しかった。結っていないと尻を覆うくらい長い純白の髪は、暗い室内だと光でも放っているようだし、側頭部の獣の耳は頭の大きさに対してちょうどいいサイズで、左右のバランスもいい。襦袢に覆われた肢体はほっそりとして見えるが、肉付きが足りぬことはなく。艶やかな毛並みのふっさりとした尾は気品があって。——ナルシストと言われようが、美しいものは美しいのだ。
 さて、何をしよう。SNS用の写真撮影は明日やるとして……。今からでも借りられるスタジオを探そうか。
 元々、自分に似合う服を探して着飾るのが好きだ。その姿を他者に賞賛されるのはもっと好きだ。そんな欲求を都合よく満たしてくれるものが下界——人の世にはある。最近はすっかりSNSに自撮り写真を上げるのが趣味になっている。
 どんどんこだわりが強くなり、自宅や街中で撮影するだけでは飽き足らず、スタジオを借りて衣装と小道具を大量に持ち込み、ヘアメイクもカメラも照明も全部一人でやるようにまでなった。
 ベッドの端に座り、サイドテーブルからスマホを取って、借りられるところはあるか調べる。ネット検索というものは実に便利だ。
 妖たちの住まう隠れ街は、人からは見えぬ場所に数多く存在しており、その中の一つには久長の父母の住まう『実家』もある。そちらに帰ると上げ膳据え膳のもてなしで楽ができるが、頃年は立ち寄るくらいしかしていない。
 仕事場である稲荷神社の『裏側』と同じく、隠れ街も人の世とは隔絶されているため、通信機器が使えないのがつらすぎる。ネット検索もそうだが、SNSができないなんて。仕事となればある程度の我慢はできるが、それ以外はネット環境の整っている場所にいたい。
 お気に入りのスタジオに空きがなく、苛々と貧乏揺すりをしていたところ、雅彦が身じろぐ。
「んー……。サナ」
 彼しか使わない愛称。うっすらと目が開き、金の瞳が覗く。
「なに、起きるのか……?」
「ああ。目が覚めてしまったからな。お前のせいで」
「まだいいだろう」
 ごそごそと動いてこちらに来ると、ベッドの端に腰掛けた久長の背中に抱きついてくる。子供が母親におんぶをせがむときのようだ。あれは子供だから許されるのであって、自分より図体の大きい男にやられたらたまったものではない。
「重い」
「そうだ。俺の愛は重いのだ」
「この馬鹿、寝惚けているな」
「サナ、サナ」
 身を乗り出してきた彼の口づけ。
 軽々と抱き上げられ、ベッドの真ん中に戻されてしまった。自分は痩せ型の部類に入るが上背はあるので、そこそこ目方はあるはずなのだが。この馬鹿力め。
 彼も再び寝転び、片腕を差し出す。
「もう少し寝ていよう。腕枕をしてやるから。さあ」
「いらん。寝づらい」
「まあそう言わず」
 久長を引き寄せ、ゆるく結んだ腰紐の端をつまむ。
「やっぱりいいな、襦袢。エロい」
「仕事中は袴がエロいと言うだろう。何年前だったか、繁忙期中に隠れて事に及ぼうとして、私まで藤に大目玉を食らったことがあった」
「本体がエロいから何を着てもエロい、みたいなところはあるな。けど、うーん、どっちがよりエロさを引き立てるかで言ったら、襦袢かな」
 ふしだらな手が腰紐の下の合わせ目から侵入し、滑らかな太腿を撫で上げる。つい先刻までの情事の記憶をなぞるような仕草。その手に自分の手を添え指を絡める。
「女装が好きか?」
「そういうわけでもないけど。サナにはすごく合ってる。あー、駄目だ」
「またしたくなってきた?」
「我慢のしすぎで繁忙期明けはちんこが馬鹿になる」
「いつものことだろ」
「そうかも」
 開き直って、太腿にあった手は尻をまさぐり始めた。
「仕方のないやつめ」
 起き上がり、一糸も纏わない雅彦の上に跨る。スカートのように襦袢の裾を持ち上げて、股ぐらを彼のそれにぐりぐりと擦りつける。
 敏感な粘膜同士の接触。案の定、面白いくらいすぐに反応を示した。
「はは。これだけで上反りになっているじゃないか。ちょろいもんだな」
「だから、馬鹿になってるんだって」
 馬鹿になっているのはこちらも同じ。久長好みの鍛えられた逞しい肉体に逞しい肉棒に。涎が出そうで、舌舐めずりをする。またこの身の内でしゃぶり尽くしてやりたい。
 自分の尻の穴に手を伸ばして確認する。まだ緩いし、さきほどした時のものが中に残っている。すぐに受け入れられそうだ。
 硬い性器を掴んで穴にあてがう。彼の腹に片手をつき、ゆっくりと腰を落とす。徐々に開かれていくこの感じがたまらない。
「あっ……ん」
「中とろとろ……、熱くて……、吸い付いてくる。やればやるほど馬鹿になりそう」
「……私も」
 奥に届いたのが感覚でわかり、ゆるゆると腰を動かし始める。それに合わせて下からも突き上げが来る。長さも太さも雁首の高さも、久長の中の形に合うように特別に誂えたみたい。一突き一突きが腹の奥に響く。
「すごい……」
「さっきだって散々やったのにな。まだ気持ちいいってどういうことなんだろう」
 そんなこと知らない。こっちが聞きたい。
 雅彦が身体を起こすと、久長を膝の上に置いて向かい合う体勢になる。ちょうどやりやすい位置に顔が来て、こちらから口づけた。上でも下でも繋がって。蕩けてぐちゃぐちゃになりそう。もっともっとしゃぶりたい。
 腰紐が解かれ、前がはだける。彼の舌が首筋を這い、胸までたどり着く。生娘のように慎ましやかな乳首を荒っぽく吸い上げられて、媚びるような甘ったるい声が漏れる。
「ああっ……」
「……締まった」
「だって気持ちいい……。もっと」
 ねえ、もっと、——もっと。
 乳首を指で可愛がりつつ、下から腰を使いつつ、荒れた息と共に彼は囁く。
「我々も一緒になろうか」
「……?」
 何を言っているのだろう。なっているではないか、まさしく今。
「なあ、いいだろう?」
「一緒に……?」
「一緒に」
「ん……、うん」
「うんと言ったか? だよな。よかった……」
 痛いくらいの抱擁。思考がままならず、適当に頷いてしまったが。まあ、終わってから改めて尋ねればよかろう。今はこの交わりに集中したい。
「雅彦……」
「サナ」
 唇をあわせる。彼は久長を抱きすくめると、後方へ倒し、上下の位置を逆転させる。上になって自由に動きたいらしい。
 激しさを増す抽挿。長い付き合いの中でお互いの身体のことは知り尽くしているため、憎たらしくなるくらい的確に絶頂へと導かれる。
 彼の方も近いということは様子を見て察せられたので、そのまま身を任せて達した。中の痙攣に誘われて、彼もそれに続く。身の内で大きな脈動を感じる満足感と恍惚感と。
 乱れた息を整えるため、意識的に深呼吸をする。雅彦は終わるなりさっさと中から出ていき、隣に横たわる。大の字になったため、また胸に腕が被さってきて圧迫され、苦しい思いをした。
「……やめろ、こら。尾を引っこ抜いて襟巻きにするぞ」
「え、終わった途端に怖いこと言う」
「これからの季節にちょうどいいな……。写真映えしそうだ」
「ごめん。ごめんなさい」
 さっと腕がどく。
 徐々に熱が引いて頭がクリアになっていく。終わってから尋ねたかったことって何だったっけ。確か変なことを言っていたな。
「一緒になる……」
「ん?」
「一緒になると言ったか」
「ああ」
「……それは何だ。夫婦(めおと)にという意味か?」
「もちろんそうだ」
 何を唐突に。これまでそんなことを言ったことはなく、お互い気軽な関係を満喫していたではないか。理由として思い浮かぶのは一つある。
「まさかとは思うが……、稔実の話を聞いて羨ましくなったとは言うまいな?」
「まさしく」
「呆れた。単純すぎる……」
「おい。お前はうんと言ったぞ。確かに言った。取り消すつもりか?」
「私の気持ちがどうであれ、難しいとは言っておく」
「何故だ」
「うちの父上と母上がお前のことを嫌っているからだ」
 オブラートに包んで『嫌っている』だ。嫌いも嫌い、大嫌い。名前を聞くのもおぞましいと言うレベルで毛嫌いしている。
 雅彦は眉をひそめる。当然の反応だろう。初耳だろうから。
「……え、そうなのか? 一度も会ったことがないと思うが」
「私が人の世に入り浸って実家に寄りつかないのは、お前の影響だと思っているからな。品行方正な息子を誑かした不良少年のようなイメージを持たれている」
「いや、違うだろう」
「ああ、違う。人の世に入り浸っているのは私の意思だ。でも、面倒で訂正せずにいたら、もう何を言っても駄目という感じに」
「おい」
「すまんすまん」
「どうするんだよ……。サナの親は確か元同業の」
「そう。私と入れ替わりで引退したが、元は神の眷属だった」
「それもかなり高位なのだろう。人の世育ちの俺など息子の相手としてふさわしくないということか」
 雅彦の親は、今では妖たちの隠れ街に越してきているが、元は人の世の片隅に巣を作っていた妖狐。雅彦も幼い頃は人の世で暮らしていたという。
 隠れ街生まれの妖たちの中には、人の世住まいの妖を下に見ている者もいる。狐は特にその傾向が強い。長生きで力の強い者はほとんどが隠れ街で暮らしていて、人と神を繋ぐのが役目の神使を除けば、人の世にいるのは人間に小さな悪戯をするのがせいぜいという小物ばかり、という認識が持たれているから。
 だが、久長の両親はそういう価値観が薄いように思う。
「いや、父母の生まれた大昔には、まだ隠れ街自体が存在していなかったからな。二人とも人の世生まれ人の世育ちだし、どっちがどうとはあまり思っていないだろう。単純にお前が気に入らないだけかと」
「それはそれでどうなんだろうな……」
「別にいいではないか。無理して夫婦にならずとも、今のままで。何か不都合があるのか?」
「ないけども」
「稔実のことが羨ましいと言うが、あいつらの場合は、夫婦になって嫁に妖化の儀式を受けさせないと長く共に生きられぬ、という事情がある。我々とは抱えているものが違うのだ」
「……それでも俺は」
 珍しく真摯な声音。ぎゅっと手を握ってくる。
 代わりに言葉を継ぐ。
「夫婦になりたい?」
「ああ。このままずるずるいくのではなくて、一度どこかでけじめをつけたい。まだ早いと先延ばしにばかりしていたが」
 先延ばしに、ということは、以前からそういう考えはあったということか。そういう素振りを見せたことがなかったから気づかなかった。まあ、悪くはない。そんな風に想われるのは。
「では父上と母上を説得するほかあるまい」
「どうやって?」
「それはこれから考える。なに、時間はたっぷりある。ゆっくり作戦を練ればいい」
「そうだな……」
「ほら、腕枕をされてやるから元気を出せ」
 彼の左手を取って横にまっすぐ伸ばす。二の腕辺りに頭を置き、軽く、だが愛情はたっぷり込めて口づける。
 彼は久長の顔にかかった髪を後ろに流し、獣の耳をくすぐった。
「……本当によく俺の扱いを心得ている」
「そうだろうとも」
「お前は自分の写真を撮っては悦に入っているが、俺の腕の中でこうしている時が一番綺麗だし可愛い」
「それはいいことを聞いた。今撮ってくれ」
「それを公開するつもりか?」
「無論だ」
「断る。他のやつには見せやしないさ。もったいない」
「お前も存外可愛い男だな」
 笑いながらキスを交わす。撮影スタジオを探すのは、もう少し後でもいいだろう。

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