(番外編)風邪の日のシロップ

 季節の変わり目、悠宇が風邪を引いた。
 感染元は明白で、朝陽である。一週間前、先に朝陽が熱を出して寝込み、悠宇は食料品の買い出しやら洗濯やら着替えの手伝いやら、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。病人を前にしても何をしたらいいのかわからず、結局何もしないようなタイプだと思っていたので、少々意外だった。
 おそらく看病する中でうつってしまったのだろう、朝陽の風邪が治ってきた頃、入れ替わりで悠宇が調子を崩してしまった。さて、今度は自分の出番だと張り切り、朝陽は昨夜から彼の部屋に来て、細々とした用事をこなしているのだった。
 ベッドの上で横になった悠宇は、コロコロクリーナーでカーペットの埃を取っていた朝陽に、ぼんやりとした視線を向ける。
「ずっとおらんかったって大丈夫やで。あーちゃん、また熱出てきたら……」
「一回引いて治ったら免疫ついてるやろ。自分のとき看病してもろて、ゆーくんのとき放っとくとかでけへんよ」
「はよ治すから。気合で治すから。あーちゃんが復活したらエッチできると思てたのにー。悔しい。悔しいー」
「はいはい、治ったらな、治ったら」
「ドクターとナースコスでお注射エッチ……」
「患者は? 注射て患者さんにするもんちゃうの」
「ドクターと患者さんでもええんやけど、俺がやりたいんはな、『先生、身体が熱い、お熱があるみたいなんです。先生のお注射してほしいな』っていう破廉恥なナースさんから乗っかられるシチュエーションで」
「熱出ててもよう喋るな。わかった、わかったから、もうその辺にして寝えよ。無駄に体力消耗しいな」
「まだやだあ、あーちゃーん」
 お喋りで甘えたなのは相変わらずだが、彼の声にいつものような張りはない。
 体調が悪いときは不安になるものだが、話すことでそれを解消しようとしているのか。それなら、少しくらい相手をしてやるべきかな。喋り疲れたら自然と眠くなるだろうし。
 クリーナーを置いて、ベッドのすぐ側に寄る。
「はいはい」
「もう少し……、もう少しあーちゃんパワーをください。あーちゃんから大好きって言われたら元気出る気ぃする」
「はーい、大好き大好き」
「もうー、そういうんやなくてー。じゃあさあ、教えてや。いつから俺のこと好きやった?」
「いつからって、別に……、気づいたら?」
「気づいたのはいつ?」
「そんなん覚えてへんよ。逆にゆーくんは? 覚えてんの?」
「俺はー、初めてエレベーターで一緒になったときから、可愛いなって思て気になってたよ。だからナンパしたんやし」
「……ナンパ? あれ、ナンパやったん」
「え、そうやろ。このあと俺の部屋で一緒に飲みませんかって、ナンパ以外の何物でもないやん。で、慣れてないっぽい子やから、まずは何度かお食事に誘って仲良うなって、じんわーりじわじわ口説いていって。俺が押して粘り勝ちー、イエーイ」
「うーん……。なんか俺の見てた世界と違う」
 誘われて一緒に夕飯を食べていたのは、ご近所付き合いのうちだと思っていたし、酔ってやたらと絡んでくるのは、単に酒癖が悪くてだらしないからだと思っていた。
 流れで一回セックスしてから、なんとなくずるずる続いてた関係……。ではなく、悠宇としては、最初から落とそうとアタックしていて、やっと射止めたという感覚だったわけだ。なるほど。……なるほど?
「やっぱりわからんわ。いっつもここで引っかかんねん。俺の何がそんなによかったん。頑張って口説くほどのもん?」
「それは前に言うたし、いつでも言うてるやん。俺だけに言わしてずるい。俺も知りたい。あーちゃんが俺の何を好きなんか。気になりすぎて、熱が上がりそうな気がする!」
「えー、もう……」
 またさらに面倒なことを言い出したぞ。
 悠宇はわざとらしく額を抑える。
「あー、苦しい、頭が割れそうー。だいたい十個くらい教えてくれたら治りそうやのにー」
「十個て」
「エッチの相性とかやなくて、純愛的なやつでお願いします」
「うーん……」
「まさかほんまに、ちんちんだけとか言うんやないやろね!」
「そんなわけないやろ。しゃあないなあ。じゃあ、そうやな……、喋っててすっごい楽しいとことか、俺の調子が悪かったら看病しに来てくれる優しいとことか……」
「うんうん」
「それから……。えー、美味しいものよう知ってる、お洒落なものよう知ってる、買い物のとき暗算早い、地図読み得意、テレビの好きな番組が似てる、あとは、んー、うーん……、ママチャリライダーでエコ!」
「エコ……」
「大事やん、大事やで。これからの時代!」
「まあええわ。で? あと三つ」
「あと二つちゃうん」
「似たようなのあったからあと三つ!」
「我儘やなあ」
「はよ、はよ」
 期待で輝く二つの眼が朝陽に向けられている。子どものように純粋な瞳でプレッシャーを掛けてくるのはやめてほしい。
「そんなに見やんといてや。言いにくいわ」
「恥ずかしいんやったら隠れといたげる」
 彼が頭から布団を被ると、ベッドにはなだらかな山ができる。
「どうぞ!」
「別にそこまでは……。けど、たしかに言いやすいかも。んー、せやなあ、甘え上手で可愛い……? 可愛いときあるな、うん。あとは……、いっぱい褒めてくれて、最近自分を好きになってきた気ぃするし、落ち込んでても、阿呆なこといっぱい言うて元気にしてくれるとこもいいなって思う」
「……」
「これで十個、正確には十一個やんね」
「……」
「もっとってこと?」
 なかなか布団から出てこない。無言の催促だろうか。
 風邪のときの我儘くらい、ケチケチせずに聞いてあげてもいいのかなと思い、ベッドの端っこに座り、彼の腰のあたりをぽんぽん叩く。
「……最初の質問のことでもええ? ゆーくんは初めてエレベーターで一緒になったときから気になってたって言うてたけど、俺はもっと前からゆーくんのこと知ってたし、見てたよ。同じマンションにかっこいい人おるなーって。でも、なんか不良っぽくて怖かったし、毎回違う人連れ込んでたし、相手は女の人が多かったからノンケっぽい感じしたし。仲良うなりたいとか、あわよくば付き合いたいとか、そのときは全然思てなかった。せやから、エレベーターで声かけてもらえたときは、ほんとはめっちゃ嬉しくて……」
「……」
「なあ、聞いとる?」
 いつまでも反応がないので、心配になって布団の中をのぞく。悠宇は目を瞑っていた。
「……寝とんのかい」
 安らかな顔なので、苦しいわけではなさそう。突然充電切れしたのだろう。
 でも、まあ、よかったのかも。普段は絶対に言わないような恥ずかしいことを言ってしまったので。
 ——寝顔、かわいい……。
「大好きやで、ゆーくん。はよ治して、また一緒に出かけよな」
 こめかみにキスをする。その瞬間、ぱっちりと彼の目が開く。びっくりして飛び上がった。
「お、お前、寝たふりか!」
「やー、なんか、すっごい可愛いこと言い始めるから、興奮しすぎて気絶してたわ。俺もー、あーちゃんとお出かけしたーい。今から行っちゃう?」
「行くか、阿呆! おとなし寝とけ!」
「あーちゃんてさあ、俺のことめーっちゃくちゃ大好きなんやね」
「そりゃあ……、そうやなかったら付き合えへんし、これまでかってそう言うてるやん」
「ああああー、今こんなにちゅーしたいのに、なんででけへんのやろ。大好きすぎる」
 彼は枕を引き寄せ、腕の中で四分の一くらいにに圧縮する。自分があそこにいたらと思うと少し怖い。
「風邪引いてるからや。ええから寝えって」
「晩は卵のおじやがいいです」
「はいはい、作っとく」
「ふふ、なんかすごい、家族みたい。俺、小さい頃から高校生まで、長いことじいちゃんと二人暮らしやったんやけどな。じいちゃんおらんくなった後はずっと一人やったから、あーちゃんと今こんなふうにできてて、めっちゃうれしい」
「……そうやったん」
「うん」
「ほら、目ぇ閉じ。ここにちゃんとおるから」
 いつか誰かにしてもらったように、彼の触り心地の良い髪を撫でる。やがて聞こえてくる穏やかな寝息。
 もう一度こめかみに口づけてから、材料を確認しにキッチンへ向かった。