1-(5)諦めと執着

【——航】

 城に身を置いて時間が経つにつれ、異常が普通となり、当たり前の感覚が壊れていく。それが怖いと思わなくなってきたことが、多分一番怖いのだろう。
 とある昼下がり。食堂で双子とおやつタイム。航は固めのプリンを食べ、双子はジャーキーのような物をかじっている。人間と魔物では味覚が違い、人の子供が好む甘いお菓子を、彼らは一切口にしないらしい。
 双子は上司の言うことはよく聞いて、見境なく航を襲ってこようとはしないから、こういう時間は気を抜いて過ごせる。喋っている内容も、他愛ないもののことが多い。よくあるのが、というか、半分以上が彼らの上司の話題。
「殿下さあ、最近機嫌悪いこと多くない?」
「わかるー。ピリピリしてるよね」
「お前らにもなんだな」
「うん。皆怖がってて、そういう時はなるべく関わらないようにしてそーっとしてる」
「へえ」
 航にもそれができればいいのだが。向こうから関わりに来るから避けようがない。
 赤いリボンタイの——おそらくミヤの方が、航の手元を指す。
「もうプリン食べ終わった? じゃあ貸して、スプーン」
「いいけど」
 使用済みのスプーンを渡すと、彼はそれを口に咥える。
「ちょっと味がする」
「プリン食べたかったのか?」
「違うよ。君の唾液の味」
「ずるい、ミヤ! 僕も」
「これは僕が全部舐めちゃったもんねー」
「もう一回ぺろぺろし直して」
 メヤからスプーンが返ってくる。他人が舐め回した物を再度口に入れたくはない。
「……やだよ。なんでそこまでして」
「だってさあ、最近、全然寝間に入れてもらえないんだもん。前は終わった後の身体舐めるくらいは、時々オッケー出てたのに、それも駄目だって」
「そういや、お前ら最近来ないな……」
「美味しいものは欠片も残さず独り占めしたいんだね、殿下は」
 行為を終えた後の敏感な身体を寄ってたかって舐め回されるのは、かなりつらいし疲れるから、彼らを閉め出してもらえるのはこちらとしては助かる。
 影で上司への悪口が囁かれるのは、魔物でも人間でも変わらないよう。
「けちんぼ殿下」
「怒りんぼ殿下」
「僕らだって人間が欲しい! あーあ、新しいのかからないかなあ」
 航が元いた世界の様々な場所に仕掛けられているという、人間を捕獲するための罠のことだろう。
「新しい人間が来たら、俺はどうなるんだ?」
「そのままじゃない? 次のは僕らにくれるって言ってたから、殿下のにするつもりはないんでしょ」
「でも、何回かは使うかもしれない。数日は暇になるかもね」
「それでそっちに興味が移ってくれたら……、俺は解放されないかなあ。いや、他人に不幸をなすりつけようとするのはどうかと思うんだけど」
「殿下が君に飽きたら僕らがもらうことになってるよ」
「お嫁さんにしてあげるね!」
「なんだよ、それ。やだ」
 お嫁さんという言い方がまずもって気持ち悪いし、上から物を言うのにも腹が立つ。
 双子は顔を見合わせて首を傾げる。
「なんで? 僕らは殿下より優しくするよ。苛々して君にあたったりしない。城に閉じ込めてないで、色んなとこ連れてってあげるし。君の友達のとこにも」
「……今どうしてんだろうな、志尾。何か聞いてる?」
「無事ではあるみたいだけど、あんまり喋っちゃ駄目だって、殿下が。気になるなら殿下に聞いた方がいいね」
「聞いたけど、教えてくんないの。志尾のこと口に出したら目に見えて不機嫌になるし、聞きづらい」
「君の友達に君を取られるのが嫌なのかなあ」
「すっかり殿下のお気に入りだね」
「全然嬉しくない」
 嫌われて、こいつらの嫁にさせられるのも避けたいところだが。
 結局、何がどう転んでも逃れられないのかもしれない。最近、諦め半分でそんなことを考えるようになった。
 おやつの後は何をしようか、カードゲームにしようか、と計画する双子の話を適当に聞き流していると、彼らは唐突に同じタイミングで立ち上がる。
「あ!」
「あ!」
「……なに」
「来た」
「だから何が?」
「罠にかかった人間が来た」
「離れのあの部屋の管理、僕たちが担当してるから、かかったら音が聞こえるんだよね」
「ちょっと行ってくるね。殿下に伝令を飛ばさないと」
 またか。罠にかかる人間は滅多にいないんじゃなかったのか?
 
 
 夜になって、与えられている自分の部屋で寝支度をする。「離れのあの部屋」に皆いるのか、今夜の城は一際静かだ。
 ゆっくり眠れたらいいな。ベッドで横になって、そう考えていたら、ドアが開く。ランプの明かりに照らし出されたのは殿下の姿だった。
 なんだ、来たのか。今日くらい休ませてくれたっていいのに。
 ベッドまでやって来た彼は、明らかに不機嫌な様子だった。もういい加減にしてほしい。
「なぜ私の部屋に来ない」
「新しいやつがかかったんだろ? 忙しいのかと思って」
「あれはあいつらにやった。来なくていいと言われていなければ来い」
「はいはい」
「適当に返事をするな」
 ベッドに乗り上がってきて、新しく取り替えたばかりのシーツへ航の両手を押さえつけると、荒っぽく唇を重ねる。
「……ん」
 長い舌が口内の唾液を全てしゃぶりつくそうとするように動く。
 ああ、そうだ、水分補給をしていない。また喉がカラカラになりそうだな。頭の隅で、妙に冷静にそんなことを考える。
 わずかに唇が離れた隙に尋ねる。
「……どんな人なの、新しい人」
「若い女だ、詳しくは知らん」
 細い首筋に吸い跡を残しながら、手際よく寝間着が剥ぎ取られていく。
「女の子か。かわいそうだな。大勢に今ごろ……」
「替わってやるか?」
「……即答できないのは、俺がこの城の邪悪な空気に染まったからかな。自分でなくてよかったって思ってる」
「至極当然の考えのように思うが」
「何が自分にとって正しいのか正しくないのか、何が自分にとっての普通なのか、だんだんわからなくなってきて……。抵抗し続けることを諦めるなって、心のどこかで自分が叫んでいるのに」
「置かれた場所に染まった方が、楽に生きられる。まともな反応だ」
 まともなのだろうか、航は。異常がまともな世界だから、まともじゃないのだろうか。考えれば考えるほどわからなくなるし、思考することさえ億劫になる。
 纏うものがなくなった身体を、唇が下っていく。何とはなしに、艶気のある夜色のその髪に指を潜らせる。
「あんたはいいの……?」
「何が」
「女の子の方が美味しそうじゃん」
「旨そうには見えなかったな。だからこっちに来た」
「俺は旨いの」
「ああ」
「ふうん。そう」
 選ばれたのが嬉しいわけじゃないけれど、ほんの少しの安堵があるのはなぜだろう。
「ん、は……ぁ」
 舌が乳首に留まり、舐めるのと吸うのを繰り返す。もう一方は指で挟んで捏ねくる。最近、多い気がする。ここを延々と弄っているの。
「そろそろ何か出そうな気がする……」
「出したいなら孕ませてやろうか」
「無理だろ。てか出したいわけじゃないし」
「身体に細工をすれば無理なことではないぞ」
「あんたなら本当にできそうなのがやだ」
「できる」
「あー、うん、遠慮しとく」
「それは残念」
 子供なんてこの男には似合わない。まだ歩けない赤子でも容赦なく引っぱたきそうだ。
 自身が赤子にでもなったかのように、左右を入れ替えてしつこくちゅうちゅうと吸われ。気持ちはいいが、もっと強い刺激がほしくて焦れてくる。
「なあ、いつまでやんの? ほんとになんか出てる?」
「こっちもか」
 尻に回る手。入れやすいように自分で腰を持ち上げると、指がアヌスへ潜り込んでくる。二本くらいは難なく飲み込める穴になってしまった。
「あ、あ……」
「嬉しそうにしゃぶりつく。そんなにここが寂しかったか」
「だって乳首だけじゃ足りない」
「ペニスには触らんから、これで射精してみろ」
「むり……」
「やれ」
 中のいいところをぐりぐりと押される。欲しい箇所ぴったりでわずかなズレもない。乳首舐めも継続され、それはいとも容易くかたくなり、上向きに勃ってくる。
 男の求めるままの媚びた反応を、こんなにも自然に返してしまうなんて。麻痺した心では悲しいなどとは感じず、涙も流れず、ただ鈴口から涎を垂らす。
「もう少しだ。ほら」
 中から追い立てられる。自分が立てるいやらしい水音に興奮して、夢中で快感を追うことにも躊躇いがない。
「いく、いく……」
「いけ」
 乳首をきつく吸い上げる。それが合図のように吐精した。
 撒き散らかされた白い精を、彼はすかさず舐め取る。ひどく丁寧に、舐めるものがなくなっても、ずっと。
「いったとこなのに、そんなにべろべろされたら、また……」
「噴いて見せろ。前みたいに」
 亀頭を舌で激しく撫で回され、同時に茎も扱かれる。否応なしに上ってくるそれは、尿意にも似た——。
「う、あっ……」
 透明の汁が勢いよく噴き上がる。水滴が舞うのが綺麗だな、なんて思えたのは一瞬で、シーツに広範囲に降り注いで、現実に戻された。ああ、もう、だから嫌なのに。
「……うわあ」
「すぐ噴くようになったな」
「ぼとぼとじゃん。寝らんない……」
「私の部屋に来ればいい」
 またも彼は濡れた肌を執拗に舐めていく。彼の気の済むまで、しばしぼんやりと休憩する。
 眠気が襲ってきたが、抱き起こされて、薄く目を開く。
「んー」
「終わっていないぞ」
 座った彼の膝にのせられ、そのまま挿入された。いい具合に力が抜けていて、すんなり道を通っていく。
 腰を掴んで揺さぶられ、奥を突かれてまた噴く。
「ふっ……ぁ」
「これは潮か精液か」
「わかんな……あんっ」
「コウ、こっちだ」
 天井に向けていた視線を下ろす。頭を引き寄せられ、口づけられた。深くねっとりと絡む舌と舌。
「気持ちいいか」
「うん、ヨマ……」
 急に彼の動きが止まる。
「……ん? もう?」
「いや、何でも」
「はやく」
「わかってる」
 しがみつき、縋りつき、きゅうきゅうと締めて催促する。
 変えられていく。変わっていく。こんなことに慣れてはいけないのに。ましてや溺れるなど、絶対に。
 しかし、腹の中に精を放たれるのを、身体は心底悦んでいるのだ。
 ぼそぼそと彼は何かを呟く。
「……ヨマ?」
「独り言だ」
 キスのあと、抱き上げられる。
「移動しよう。それからもう一回だ」
「一回で済む?」
「さあ」
「もう眠いのに」
「そこは頑張れ」
 壊れていった「普通」はもう完全には元に戻らないのだと、心のどこかでわかっていた。