2-(2)手紙

【——志尾】

 緑に埋もれた家の隣には、木を切り倒して開墾した土地があり、そこには野菜畑と果樹畑が広がっている。
 最初は自分が食べるための野菜を作り、余った分は売り、そのうち金に換えるための農作物を積極的に栽培するようになった。農地は年々拡大し、今では立派な農園である。
 自分の足で立ち、大地に根を張り、志尾はここで生きていた。
 この日も朝から忙しく作業に精を出す。明日街の市場へ持ち込む分を収穫せねばならない。一人では終わらないので、同居人にも手伝わせているが、インドア派の学者は体力がなく困ったものだ。段々ペースの落ちてきたラドトに檄を飛ばす。
「ねえ、何してるの。さっさとしないと終わんないよ!」
「僕は昨日論文の追い込みで徹夜だったんだよ? 太陽が目に痛い……」
「魔族のくせに軟弱すぎ。外でしっかり身体を動かすべき。ってことで、やれ。きりきり働け」
「はいはい。わかりました」
 怖い、怖いと呟きながら、蕪を引っこ抜いている。
 志尾には商売の才能があったのか、今や農家の収入は貧乏植物学者の収入を軽く超えていた。もともと家内の権力は志尾の方が強かったが、その差はみるみるうちに広がり、もはや志尾の圧倒的優位は揺るがない。
 現状維持に甘んじることなく、もっともっと儲けるつもりだ。そのための新しい案は常に考えている。
「次はあれにしようと思うんだよね。食べると肥満解消に効果があるっていう、あのブロッコリーっぽいやつ。味も悪くないし。ハゲに効くのってないかなあ。ハゲに悩んでるおっさんは多いから、絶対馬鹿売れするはず」
「柑橘系は人間の薄毛に効くんじゃなかったかな。また調べておくよ。それにしてもなあ。志尾は元々たくましかったけど、さらにたくましくなって……」
「僕は生きる。生き抜く」
「そうだね。生きようね」
 ラドトはにこにこと汗を拭く。完全に尻に敷かれていたが、彼も彼で毎日楽しそうではあった。
 汗水垂らして働いて、料理を作って食べて、しっかり眠って。日常を丁寧にこなし、積み重ねてきた日々の上に今の自分たちの生活がある。
 憧れていた華やかな異世界ライフには程遠いが、堅実に生きる方が自分には合っているのではないかと最近は思う。志尾も大人になったのだ。
 二人して黙々と収穫物の詰まった木箱を増やしていると、家の玄関の方から明るい声が響いてきた。
「ごめーんくださーい」
「シオ、ラドト、どこー?」
 訪問者は城の魔王の配下である双子だろう。ラドトが応じる。
「こっちだよ! 畑の方!」
「はーい!」
「行くー!」
 そっくりの双子が畦道を駆けてくる。四年前に初めて会ったが、その頃とずっと変わらない姿で子供のままだ。彼らの用件はわかっている。忙しいが、対応しないわけにはいくまい。
 中腰をやめ、背を反らせて伸びをする。
「んー、仕方ない。そろそろ休憩にする?」
「うん!」
 彼の顔には、やっと休める、嬉しい、とわかりやすく書いてあった。正直な奴め。
 
 
 家の中へ双子を招き入れる。居間にラドトと客を残し、麦わら帽子を脱いで壁のフックに掛け、志尾はキッチンへ。
 入れるお茶は二種類。人間用と魔族用は別なのだ。面倒だが、毎日やっているうちに慣れてしまった。
 トレイに乗せて持っていく。こちらの手間も知らず、双子は厚かましい。
「お茶だけ?」
「お茶請けは?」
 幼い見た目だが、もうとっくに成人している年だろうに、テーブルをドンドン叩いて騒ぐ。
 突然来ておいて何を言うか。いつもいつも用意があるわけはない。人間用の菓子なら自分用に常備してあるが、ラドトはあまり間食をしないので、魔族用を買うことは少ないのだ。
「うるさい。ないものはない」
「ジャーキーが食べたい!」
「ドラゴンジャーキー!」
 子供のよう、ではなくまるきり子供、駄々っ子だ。
 魔族のおやつの定番、ジャーキー。様々な種類があり、中でも双子はドラゴンジャーキーがお気に入りらしい。
 この世界には、何とも悲しいことにエルフはいないらしいが、ドラゴンは存在している。この森にもいる。初めて見たときは大興奮だったが、今ではもう大してテンションも上がらなくなった。それくらいありふれた存在だ。
「お前ら、めっちゃドラゴンジャーキー好きだよね。あれってほんとにドラゴンの肉使ってるの?」
 それにはラドトの解説が入る。
「使ってるよ。食用に飼育されているドラゴンがいるんだ。食用の他にも色々な種類がいて、陸上移動の騎乗用、飛行可能な騎乗用、軍隊が使役する戦闘用、大型荷物運搬用、小型荷物運搬用とか、あとは家畜に向かない野生種。野生種の方が種類が多くて、この森にいるのは北方原産の血を」
「ストップ」
 そこまで詳しく説明しろとは言っていない。しかも澱みのない早口。オタク気質なのだ。要するに志尾とは似た者同士であり、何年も同居生活が続くほど気が合う所以だ。
 双子は仕方なく出された茶をちびちび啜る。
「うちの城ではドラゴン肉は食べられないからさ」
「美味しいんだけど、皆殿下に気を使ってて」
「なに、あの魔王、他人の食べる物にまでケチつけてくるの」
「禁止されてるわけじゃないんだよ? でも、殿下、絶滅した野生大型竜種と一般魔族の混血だからさ」
「殿下のお仲間食べてるみたいで気が引ける、みたいな」
「え、何その中二心をくすぐる血筋。ずるい!」
 絶滅したドラゴンの末裔で古城に住んでいるとか、世界征服を企まないとおかしいやつだ。
「ずるい……? なんで? 君、いまだにちょくちょくよくわかんないこと言うよね」
 ラドトがぼそぼそと口を挟んできたのは聞き流しておく。
「城で食べられないからここで食べたいのにさ」
「また買っといてね!」
「やなこった。図々しいなあ」
「そんなこと言うんだ。これ、持ってきてあげたのに」
 瓜二つの双子のうち、青いタイをつけた方が、懐から空色の封筒を取り出す。航からの手紙だ。
「僕宛でしょ、それ。寄こせ」
「どうしよっかなー」
「人参とピーマン、口の中に突っ込むぞ」
「やめてー! 魔族は野菜を食べないんだよ!」
「ひどい!」
「寄こせって」
 身を乗り出し、テーブルの反対側に座っている双子の青タイから封筒を取り上げる。
 さっそく開封し、読んでいく。そこにはいつものように日常がつらつらと書き連ねられている。市場に行って買い物をしたとか、魔王の配下たちに交差二重跳びをレクチャーしたとか。本当に日常そのもの。
「毎回思うんだけど、これ、本当? 悪の軍団に囚われている感じが全然しないんだけど。僕を心配させまいとして、嘘書いてない?」
「悪の軍団じゃないやい!」
「コウ、結構皆と仲良くなってるよ。お城の補修とか掃除とか、下っ端連中と一緒にやってくれたりしてさ。冗談言い合ったりして楽しそうだよ」
「だよねー。僕たち、仕事が忙しくて、最近あんまり会えてないけど」
「……ええー、魔族とそんなわいわいやってて大丈夫なの? 気を抜いたらバクッといかれそう」
「皆殿下が怖いから、そんなことしないよー」
「そうそう。皆命は大事」
「殺されんの?」
「街でしつこくコウをナンパしてきた奴は、片腕無くなったらしいよ」
「マジかよ。狂ってんな」
「攫って娼館に売り飛ばそうとした奴は、もれなく行方不明」
「それは死刑でよし。……ていうか」
 ナンパ野郎は無視でいいし、娼館に売り飛ばすってどういう状況でそうなるんだ。そんな凶悪な治安の場所を連れ回されているのか。それとも航が特別魅力的なだけ? まあ、いずれにしろ——。
「やっぱりまともな環境じゃないと思うんだよな。早く助け出さなきゃいけないのに……。金の力で捻じ伏せようと思ってるんだけど、いくらぐらい積めばいい? お前ら、探り入れてこいよ」
 この作戦のために、この狭い家から引っ越さず、農業で得た収入をせっせと貯金しているのだ。
 魔王が飽きて手放すことを考えたタイミングで、金で交渉するのはどうか、と言い出したのはラドト。人を金で買うようで抵抗はあったが、腕尽くで救出することが不可能で、他に策が浮かばない以上、ラドトの案に賭けるしかなかった。
 そして、月日は流れ七年。未だ救出できず。情けない。
 双子も味方に取り込めないものかと思うのだが、本人たちに全くその気はない様子。
「無駄だと思うよ。殿下、お金には困ってないもん。稼業も順調だし」
「それに、コウ自身それを望んでいないんじゃないかな。あの子、殿下に捨てられたら死ぬって言ってるもん。殿下のこと大好きだよね」
「殿下が飽きたら、僕たちのお嫁さんにしてあげるって言ってんのにさ。完全に忘れられてる」
「うっそだあー。無理矢理囲われてんのに、大好き?」
「嘘じゃないよ。すっごくラブラブなんだから」
「よく一緒にお風呂入ってるし、毎日一緒に寝てるし、しょっちゅうキスしてる」
 やらされているだけだろう、かわいそうに。捨てられたら死ぬというのも、捨てられたら暮らしていけなくて野垂れ死ぬしかない、というような意味に違いない。
 好きじゃないのにキスなんて絶対に嫌だ。想像するだけで吐きそう。
 志尾の位置に座っていると、居間の窓からちょうど城が見えるのだが、恨みを込めて睨みつける。
 魔王の手先である双子は、志尾の険悪な表情から何も汲むことなく、揃って頬杖をついてニヤニヤとする。
「それより、君たちはどうなのさ」
「ラブラブなの。どうなの」
「は? そんなのお前らに関係あんのかクソ馬鹿が、死ね」
「わあ、すごい早口の悪口!」
「こわーい!」
 まったく、あの上司あってこの部下ありだな。
 そっぽを向いた志尾の代わりに、ラドトが答える。
「僕たちは楽しく平和に共同生活をしているだけなんだよ」
「人間を捕獲できたのに、食べない意味が本気でわからない」
「熟成させてるとか?」
「ふは、熟成!」
 双子は大笑いしているが、何が面白いんだ。笑いどころがさっぱりだ。同居人がまともで助かった。
「食べる食べないを超えた関係の築き方もあるってこと。志尾が教えてくれたんだ」
「わかんなーい」
 お前らにわかってもらおうなどとは思わない。躾のなっていないお子ちゃまどもには鉄拳制裁が必要かも。拳を振り上げて見せる。
「これ以上詮索すんな。牛蒡でぶん殴るぞ」
「きゃー!」
「別に君にぶん殴られたところでダメージないけど、匂いを嗅ぐのが嫌!」
「いいこと聞いた。細く切ったやつ鼻に突っ込む」
「やだー」
「想像するだけでぞわぞわするー」
 双子は抱きあい、なおもギャーギャーとうるさい。
 いつまでも相手にしていられるか。双子の相手はラドトに任せ、彼らが来たら託そうと思っていた手紙を寝室から取ってくる。
 ふと思い立って、新しい紙を出し、航の先にこれを読むであろう男へのメッセージも追加した。ムカつくから煽ってやる。意外とこういうのが効くかも。どうだろう。
 それを双子に渡すと、さっさと家から追い出した。次来るときまでにドラゴンジャーキー、とまた言っていたが、知らん。
 やかましいのが帰り、お茶を入れ直して一息つく。あいつらが来ると疲れる。農作業よりもっと。
 ラドトは隣で猫背をさらに丸くしている。
「賑やかな子たちだよねえ」
「あいつら、なんで成長しないの? ずっと子供じゃん」
 志尾もチビの童顔だが、それなりに年は重ねている。彼らは時が止まっているかのようだ。
「子供のままの方が都合がいいからだと思うよ。成長自体をストップさせているのか、成長しているけど人前で姿を変えているのか、それはわからないけど。ああ見えて、高い魔術スキルの持ち主ではあるんだ」
「でも、自分たちで異界から人間を召喚するまではいかないんだね」
「あれはまあ、向き不向きがある術だからさ」
「……あんたはまたしようって思うの」
 現在、ラドトが異界に張った人間捕獲用の罠は無効になっている。こちら側の扉に鍵を掛けた状態のため、誰か罠にかかっても、空間が繋がらず、術が発動しないらしい。
「いや、しないよ、もう」
「ならいいけど」
 過ちに気づいてくれてよかった。自分の快楽のために他人の人生を滅茶苦茶にするなんてこと、あってはならない。
 志尾はあちらでの生活につらさを感じていたから、こちらに呼んでもらえて助かったけれど、そんなのは特殊な事例だ。
 ある日突然幸せな日常をぶち壊された航は、今も理不尽な支配から逃れられずにいる。
「もう七年も経っちゃった。いつになったら……」
「ヨマはもっと早く飽きると思っていたから、その時に交渉できれば、と思っていたんだけど、なかなかそうもいかないみたいだね」
「助け出せたとしても、体液依存とかもあるんだっけ。もう一体どうすれば! あー!」
「ミヤくんメヤくんが言うように、コウくんが城で幸せに暮らしているのなら、それが一番いいんだけど」
「あんなことした相手と? 許せると思う? 僕だったら絶対無理」
「難しくはあるだろうね」
 悩んでも悩んでも解決の糸口は掴めないが、決して諦めてはならない。
 志尾は重い息を吐きつつ、カップに口をつける傍らの横顔を見つめる。
「ところで」
「はい」
「僕を体液依存にしたくないから? あんたがセックスしたがらないのって」
 漫画のようにラドトは茶を吹き出し、げほげほと咳き込む。
 手拭き布を差し出してやった。
「もう、なにやってんの」
「ありがとう……。え、それはどういう……、え」
「動揺しすぎ。何度か危ないとこまで行ったのに、絶対に最後までしようとしなかったでしょ」
「体液依存の問題は、思いとどまった要因の一つではある……。でも、君が嫌がることはしたくないっていうのが一番で」
「偉い」
「うん……」
「けど、バーカ」
「……は? なに、え」
 分からず屋の鈍感男には構わず、さて、と腰を上げる。
「作業に戻ろうか。今日の労働がいつか大金になって返ってくるんだ!」
「この話ここまで? どういうこと? ねえ」
「きりきり働く! きりきり!」
「はいはい。……僕はこのまま君と暮らしていければ、それで幸せだから」
 返事はしない。あんたはそういうやつだよな。それがいいんだけど。