2-(4)選択の末

【——志尾】

 志尾の暮らす緑の家に突撃訪問してきた魔王は、ドアを開けるなり謎の勝利宣言をした。
「残念だったな、私の勝ちだ」
 ふんぞり返る勢いで胸を張っている。何のことやらさっぱりだ。
「……は?」
「ごめん、志尾……。説明するから」
 魔王の背後から顔を出したのは——。
「航!」
「久しぶり、志尾」
 七年経ち、随分大人になった友人。元から顔はよかったが、背も伸びてサワヤカハンサムに成長していた。
「わあ、航、航だ。なんで……」
「もういいんだ。勝ったからな」
「だから何にだよ」
 喧嘩腰で魔王にツッコミを入れていると、後ろにいたラドトにやんわりと止められる。
「まあまあ、とりあえず入ってもらえばいい。いらっしゃい、どうぞ」
 魔王を住まいに招くのは不服だったが、航もいるので、渋々居間へと通す。
 キッチンでお茶を入れてきて、テーブルに並べる。お茶を飲みながら、航の説明を聞いた。
 三日前、志尾と航が生まれた、あちらの世界に行ってきたこと、トラブルがあって魔王も一緒だったこと、魔王と共にこちらに戻ってくるか留まるかを選択せねばならず、戻る方を取ったこと。
「……もったいない。なんで帰ってきちゃったの」
「私を選んだということだ」
「お前には聞いてねえよ」
 なんだこいつは。勝ち誇ってんじゃねえよ、ムカつく。
 航は魔王の言を否定はしない。
「こっちで暮らすのもいいかなって」
「それって洗脳が解けてないだけじゃない? せめて一ヶ月くらいはあっちで生活して、それから決めるくらいしないと、フェアじゃないよ」
「多分、それでも答えは変わらなかったと思うから」
 どうしても見捨てられなかったんだろうな、この自己中変態クソ男を。航は優しいから。
「いっぱい心配させてごめんね。それで……」
 来たときから気になってはいたのだが、明らかにあちらの世界のものらしいキャリーケースを持ってきていた航は、引き寄せてファスナーを開けはじめる。
「あっちのお土産、たくさん買ってきたんだ。見てよ」
「うそ、僕に?」
 自分が大変な選択を迫られていたにもかかわらず、他人にお土産か。そうだった、この子は友達にも優しいんだった。
 航ががさごそするのをわくわくして見守っていたのだが、ラドトが口を挟んでくる。
「いや……いやいやいやいや、そうじゃない。そこじゃないよね、重要なのは!」
 珍しく興奮気味だ。お土産、早く見たいのに。
「異界に行ったというのは本当なのかい、ヨマ」
「ああ」
「術式は……」
「自分で書いた」
「複雑になりすぎて実質発動不可能なものしかできないという話だったのでは」
「ほら」
 魔王は懐から取り出した紙を手渡す。小難しそうなことがごちゃごちゃっと書かれたその紙を読み込むラドト。
 魔族二人がそれについて話し込み始めたので、放っておくことにして、人間二人はテーブルの上にお土産を広げる。
 食べ物が次々に出てくる。レトルト食品、缶詰、スナック菓子やクッキー。どれも見たことのある懐かしいもの。その中でも特に嬉しいのはこれだろう。
「カレーだ! ずっと食べたかったんだよなあ。こっちではスパイスが手に入らなくて」
「だよな。俺も昨日さっそく食べたんだ。滅茶苦茶美味しかった。志尾は料理するから、レトルトより固形ルーの方がよかったかな」
「いい、いい、食べられるだけで幸せ!」
「そっか。それから……」
「まだあるの?」
「じゃーん!」
 続いて航が取り出したのは漫画本。表紙の美少女は、かつて志尾の心を鷲掴みにしたエルフ女子。何年経っても忘れるはずはない。
「わあ、星瞬(せいしゅん)スペイディアだ!」
「なんと、完結してました。既刊も読みたいだろうと思って、全十二巻セットです」
「おおー、神! 航様、神!」
「後はね、ウノやトランプもあるよ。皆で楽しめるのもあるといいかなと思って」
「ありがとうー!」
 拝み倒したい。
 持ち運ぶのも重かっただろうし、金額もかなり掛かっていそうだ。こちらの通貨で返すことは出来るが、おそらく航はそんなこと望んでいないだろうから。
「お土産のお礼、したいな。野菜持って帰る? 甘い果物もあるよ。ああ、そうだ。うちの野菜使ってスープ作ってあげる。晩ご飯に食べられるでしょ」
「ありがと。うれしい」
「うちにはまた来れるんだよね? これきりにしたくないよ。僕たちは隔たりない同じ世界にいるんだもん」
「来れると思うよ。森は危険だから、ヨマか双子の付き添いがあれば」
「なるべくたくさん会おうよ。毎日でもいいよ。ね」
「うん」
 友達っていいな。生きてまた会えてよかった。想像していたよりずっと元気そうでよかった。
 
 
 航が魔王に連れられて帰っていったあと、もらった食料品をパントリーへ運び、ついでに、買い置き品の整理もする。高い棚はラドト任せだ。
「まさか彼らの方から訪ねてきてくれるなんてね。君が楽しそうで嬉しかったよ」
「……友達が同じ世界に残ってくれて、僕としては幸せだよ。でも、やっぱり複雑」
「どうしてだい」
「航にとっては、あっちの世界で生きた方が幸せだと思う」
「わかっているだろう、彼だって。でも、彼はこちらを選んだんだ」
「馬鹿だよ、ほんと」
 あんないい子なのに。あの性悪クソ男に捕まりさえしなければ。
「友人のことを庇うわけじゃないけど、ヨマはヨマなりに考えているんだと思うよ。元の性格があれだから、伝わりづらいっていうだけで」
「性格があれなのが問題なんでしょ。まあ、航がそれでいいって言うなら、外野がごちゃごちゃ言うことではないんだけど……」
 心配は心配である。
 そろそろ消費した方がいいシロップ漬け葡萄の瓶だけ持って、居間に戻る。テーブルの上には、ラドトが魔王から借りたという紙が残されていた。
 瓶を置き、紙を手に取って見てみる。こちらの世界からあちらの世界へ移動する方法が書かれているらしいが、内容はさっぱりわからない。魔術専用言語でもあるのだろうか。
 紙をひらひら振ってラドトに示す。
「ねえ、これ、やってよ。僕も行きたい。まだまだ欲しい本があるんだ」
「あのね……、あれはそう簡単なものじゃないんだ。激流の向きを力業で捻じ曲げるんだから。下手したら腕が千切れるよ。広い場所も必要だし。この家じゃまず無理」
「なんだ。つまんないの」
「簡単にできない方がいいんだよ。悪用されたら怖いんだから。まあ、ヨマはこの術式を世間に公開するつもりはないらしいけど」
「悪用……、人間を狩る気満々の魔族があっちに放り込まれたら、連続殺人事件が起きそうってこと?」
「それもあるし、異界の技術や品物をこちらに持ち込んで、悪意を持って利用すると、こちら側の秩序が乱れる可能性もある。例えば強力な兵器とか」
「なるほど」
 気軽に買い物に行くような場所ではないわけだ。志尾は故郷を捨てた身、それならそれで構わない。紙をまたテーブルに置く。
「これ、ちゃんと仕舞っときなよ。なくすよ」
「……志尾」
「ん、なに」
 妙に改まった顔で何を言うのかと思えば——。
「君は帰りたいのかい」
「え?」
「買い物に行きたいというだけじゃなくて、あちらの家に帰りたくなったのなら……、ヨマに頼んで場所を借りるよ。そして、僕の手で送り返す。たとえこの身体がどうなっても」
「……帰ってほしいの?」
「そんなことあるわけないだろう。このままずっと、一緒に暮らせたらと思っている。でも、君を無理矢理こちらに連れてきてきたのは僕だ。君が帰ることを望んでいて、その方法が見つかったのなら、僕は何としてでもそれを実行しなくちゃならない」
「……はあ」
 悲壮な覚悟は伝わってくるが、さりとてそう頓珍漢なことを言われても困る。なんだろうなあ、真面目は真面目なんだろうけど。
 志尾はもう何年も前に、ここで生きると腹を括った。片道切符で帰りたいなんて思わない。
 彼の真ん前に立ち、ずいっと距離を詰める。
「ラドト」
「あ、はい」
「あんたのそういうとこ、好きだよ。何でも僕を尊重してくれるところ。優しいところ。弱っちそうに見えて、外敵から狙われやすい僕のこと、ちゃんと守ってくれてるのも知ってる。けど、たまにはもっと強引になってもいいんじゃないかなあ」
 彼のシャツを掴んで思いきり背伸びをして、唇にキスをする。
「帰るなって、ここにいろって、言ってよ」
「……」
 彼は一時停止画面のように固まったあと、数秒遅れで真っ赤になった。面白いくらいに狼狽し始める。
「どういうこと。え、なに、なんで」
「嫌だったのならごめんね?」
 そんなわけないってわかっているけど。
「嫌じゃない、嫌じゃない。嬉しいけど……」
「けど、なに」
「僕にそんなことしたら駄目だよ。唾液くらいじゃ体液依存は起こらないって言われてるけど、でも危ないから」
「いいよ。体液依存になっても。だって、このままずっと一緒なら、問題ないよね?」
「……志尾」
 今日こそ逃がすものかというように、かたく抱きつく。
「なんで僕にここまで言わせるの? 意気地なしは嫌い。もうこんな家なんか出ていって、もっと広いお家に住ませてくれる人のとこ行こっかな」
「そ、それは駄目! 駄目……、絶対駄目!」
「だよね。いい加減あんたも腹括りなよ。どうすればいいかわかるよね?」
「……」
 頭を引き寄せられて、再度重なる唇。自分たちはこれでいいんだ。