2-(5)古巣の跡

【——航】

 暗がりの中で抱きあうのは、パンを食べるのと同じくらい必要な栄養摂取で。なくなるときっとおかしくなってしまう。
 雨上がりのような湿っぽい空気の中、広いベッドの上、吐息を混ぜあい交わす口づけ。
 唐突にヨマが笑い出すものだから、唇を離す。
「……?」
「ここのところずっとだ。そうしがみついて。赤子のようだな」
 上に被さっている彼を、航は両手足でがっちり押さえ込んでいた。ほぼ無意識での行動だ。
「ママ」
「やめろ。萎える」
「どこが……」
 尻に咥え込んだものは依然猛々しくて、中をいっぱいに埋めている。
「よく締まるな」
「あ……、ヨマぁ」
 動きに呼応して啼く。
 無茶苦茶にしてとねだる日もたまにはあるが、最近はゆっくり愛されることも増えた。繋がっている部分の柔らかな粘膜同士が擦れて、じわじわ気持ちよさが湧く。ずっとこうして酔っていたい。
 首を舐め上げる彼の長い犬歯が皮膚に当たり、生まれた微かな痛みも快感になる。甘噛みされるのが好きなのはばれているので、耳朶にも肩口にも歯形がつけられる。
「わ、あぁ……」
 隙間なく引っつきたくてどうしようもなくて、ぎゅうっとまた抱きつく。彼にしてみれば動きにくいことこの上ないと思うが、特に咎められることはない。
「甘えているのか」
「そうじゃない。けど……」
「何だ」
「ん……、またほっぽり出そうとするかもしれないから、捕まえとかなきゃって」
「こんな真っ最中に放り出すわけないだろう」
「そんなの、いつそうなるかなんてわかんない。あっちへ行くってなったときも、突然……。あんたは俺一人だけのつもりで」
「結局甘えてるんじゃないか」
「違う! 捕まえてるだけ」
「そうかそうか。そんなにしがみついていたいなら……」
 背中に両手が回され、抱き起こされる。座った彼の膝に乗せられて、腰を持って揺さぶられた。
 彼の頭を両腕で包み込んで、髪に顔をうずめる。さっきより近い。嬉しい。
「あ、あ、ヨマ……。奥、来る。来るぅ」
「奥を抜いてやろうか。どうする」
「あれ、だめ。滅茶苦茶になる日のやつだからぁ……」
「なれよ」
「だめ。今日はゆっくりの日」
「そんなの決まってるのか?」
「ひっ……、だめだってばぁ!」
 腰をぐっと引き寄せられてる。奥のはずの場所が最奥ではなく、その向こう側にペニスの先っぽが押し込まれる。ふわふわとした気持ちよさが、強烈な刺激に取って代わり、背を反りすぎて後ろに倒れかけた、……が、支えてもらえた。
「可愛いことを言われるといじめたくなるんだ。そろそろ覚えろ」
「憎まれ口でもいじめる! ……やだって、動くの、あっ」
「動かなくても焦れて泣くくせに」
 奥とその向こうの境を、太い箇所が何度も行き来する。
 まともな思考でいるのが難しくて、途中からしがみついていた記憶しかない。イヤイヤと言いながら、振り乱されるのを心から拒絶しないのは、満更でもない証拠なのだった。
 
 
 疲れ果てて眠り、どれくらい経ったか。空から薄明かりが差す頃。
「おい、航」
「……」
 呼びかけには気づいたが、夢うつつの状態で、応答は出来ない。
「しょうがないな。寝ていていいぞ」
 ガサガサバタバタ物音がして、何をやっているのかと頭の端で思っていたら、ヨマは裸の航に服を着せ始める。続いて靴。仕上げにすっぽり毛布にくるみ、抱え上げる。
 一体どこへ……、頬にひんやりした空気を感じたから、多分バルコニーに出た。直後、羽音がして、浮遊感に包まれる。飛び立ったのだ。
 まだ夜明けだというのに、何なの。ベッドで散々頑張って、ある程度回復させてもらったとは言えへとへとなのだから、ゆっくり寝かせてほしい。腰の方にまだびりびりが残っているような感覚もある。
 しかし、止めたって聞くような男じゃないし、やりたいようにやらせておくしかないというのは身に沁みてわかっている。すでに諦めの境地で、再び寝入るくらいの図太さは獲得していた。
 目を開けると、そこはまだ空の上だった。周囲は大分明るくなってきている。朝の冷たい風を切って飛んでいく。
「ヨマ」
「起きたか」
「うん」
「ちょうどいい。もうすぐ着くぞ」
「どこ行くの?」
「着いてからな」
 ミニチュア化した眼下の街は、小さな民家が並んだ普通の集落のように見受けられる。その先は森へと続く。
 移り変わっていく足下の景色。ジェットコースター系のアトラクションが好きな方でよかった。運ばれるときは空中移動がほとんどだから、苦手だと何度も寿命が縮む思いをさせられているところだ。
 便利だなあ、飛べるって。
「それ、羽、魔術で出してるの?」
「これは生まれつきだ」
「そうなんだ。一口に魔族って言っても色々いるんだな。双子は尻尾があるし、城には角っぽいの生えてるのも何人かいるし」
「怖いか」
「それが怖いとかは別に。声がでかくてオラついてんのが怖い」
「そうか。改めさせよう」
「いいって。親分が怖くて俺には何もしてこないもん。俺は虎の威を借りるか弱い狐」
「わんこじゃなかったのか?」
「そういう言い回しがあんの」
 どうでもいいような会話を交わしているうち、徐々に高度が下がってくる。目指しているのは、森の中の小高い丘になっている部分だろうか。丘の上には塀で囲まれた土地があり、大きな建造物が建っている。
 近づいてくるにつれ、その学校や研究所のようなな飾り気のない建物は、災害で半壊したのかのような、ぼろぼろの廃墟になっているのがわかった。
 ヨマは丘の上、錆と煤のついた鉄柵の門の前に着地する。航を下ろし、くるむのに使っていた毛布は丸めて脇に抱える。
 彼は特に何を言うでもなく、つまらなそうに門の中を眺めているだけなので、こちらから聞くしかない。
「なに、ここ」
「昔の家」
「あんたの?」
「ああ」
 家にしては規模が大きいように思う。上空から見た限り、塀で囲まれている範囲はかなり広かった。母校の高校の敷地よりもやや広いくらいか。
 それ以上に気になるのが、屋根が落ち、壁に穴が開き、一部黒焦げになった建物の惨状。
「地震とかあったの?」
「いや、私が壊した」
「は?」
「希少竜種の保護のためなんぞとうるさくて、ずっと鬱憤が溜まっていたんだ。壊して皆脱出させてやった。ああ、職員は攻撃していないから、物的被害だけだぞ」
 だからいいというわけではないと思うが。
 折れて外れた鉄柵の間を通り、彼は平然と敷地内に足を踏み入れる。
「……え、いいの?」
「見つかったら逃げればいい」
「それはよくないということでは?」
 都合の悪いことは聞き流された。ここで待つのも不安なのでついていく。これで航も共犯だ。
 正面の玄関らしきところから、建物の外周をぐるりと巡る。間近で見るとなおさらひどい。痛みの激しい箇所では、壁が一面なく、柱が真っ二つになっているところもある。風雨の影響はあるにしても、それ以外に余程の損傷を受けていないとここまでにはなるまい。
 これを一人でやったのか。共に決起した仲間がいたのだとしても、率いたのは彼なのだろう、おそらく。
 今まで彼が自ら過去を語ったことはない。聞きたいことはたくさんあるが、いきなり核心に迫られるのは嫌がりそうなので、当たり障りのない内容にしておく。
「保護されてたって言うけど、ここは孤児院ってこと?」
「いや、そのまま保護施設だ。珍しいから隔離して守る場所。でも、それが気に入らなかったから、力尽くで出てきてやった」
「あんた珍しいの?」
「血の半分がな」
「へえ……」
 親兄弟のことは聞いてもいいのかな。保護されていたくらいだから、すでに他界している可能性もあり、尋ねづらい。質問が途切れると会話がなくなり、静寂が訪れる。
 カツン、カツン、歩くのは石畳の道。未舗装の場所は雑草が生い茂っているのだが、その草叢には何本か果物のなった木があった。
 彼はそこから一つをもぐと、航に投げて寄越す。形は洋梨だが、色や香りは林檎に似ている果物。食欲をそそる見た目ではある。
「食え。朝飯だ」
「……どうも」
 いいのかと問うても、さっきと同じ答えが返ってくるだけだろうから、聞かずに食べる。どうせすでに航も共犯だ。
 かじると、白い果肉はシャリシャリして、少々酸味はきついが美味しい。
「いけるいける。あんたは食べないの?」
「それはいらん」
 彼は邪魔な荷物となった毛布を地べたに置き、紫の糸を振るって、上空を飛ぶ鳥型の魔獣をいとも容易く捕獲する。反撃する暇すら与えず、獣の首を掴んで即締めた。この獣は自分に何が起こったのかも理解できずに逝ったに違いない。
「これでいい」
「ああ、そう」
 城でもよく同じようなやり方でおやつを仕留めているため、もう慣れはしていたが。素手で捌くのはあまり見ないようにする。
 得体の知れない獣を口にしても何ともならないのだから、安全管理がしっかりした焼肉屋の肉の生食ぐらい、心配することなかったよな。
 果物のお替わりは自分で取りに行く。二個目も美味しい。
 立ったまま行儀の悪い朝食タイムとなった。
「結局、ここには何しに来たの?」
「見に来た」
「昔の家を?」
「ああ。この間お前の実家に行って、ふとここは今どうなっているのかと気になったんだ」
「これが実家かあ」
「ここを出た後は何年か住む家がなかったから、実家と呼べるのはここしかないな」
「なかなかハードな生い立ち……。殿下なんて呼ばれてるから、坊ちゃん育ちなんだと思ってた」
「あれはただのニックネームだ。お前の『わんこ』と同じ」
「殿下の方がかっこいいじゃん」
「そうか? ふんぞり返っているという意味だぞ」
「ぴったりですねー」
 配下はほぼ全員殿下呼びだから、皆から「ふんぞり返る偉そうな上司」と認識されているわけだ。尊敬されているんだか馬鹿にされているんだか、よくわからない呼び名だと思う。
 残った果物の芯を二本投げ上げて遊びながら、努めてさりげなく一番の疑問を口にする。
「で、なんで俺まで連れてきたの」
「なんとなく」
「なんとなくか」
「わんこの散歩だ、散歩」
「大して歩いてないし。俺にも見てほしかったんだと思った、ここ」
「さあな」
 さあなって何だよ。自分のことだろう。
 芯は迷った末、塀の外に向かって遠投する。そのうち自然に還るだろう。朝食は終わり。ヨマも食べ終わっていて、血のついた口周りも手もすっかり綺麗になっていた。
 彼は人差し指で航の顎を持ち上げ、上を向かせる。
「喉が渇いた」
「血の味するのやだよ」
「多少は我慢しろ」
 唇が重なり、舌が侵入してくる。思ったよりひどくはないが、少し鉄の味はした。
 彼は顔をしかめる。
「いつもと違う」
「あの実の味だろ。やる前にわかっただろ?」
「まあ、これはこれで」
 そこでやめるのかと思いきや、キスを再開させる。べろべろといつまでもしつこくて、彼の胸を押す。
「……いつまでやんの」
「ここにいたときは、こんなに美味いものがあるなど知らなかった。出てきてよかった」
「それだけ?」
「さっきから何を言わせようとしている」
「べっつにー」
 言いたくなければいいんだけど。渋々言わせることでもないし。
 ヨマは手で陽射し避けを作って、空を見上げる。
「さて、どうするか」
「帰らないの?」
「城に戻れば仕事だ」
「働きたくない気分ってわけね。じゃあ、近くの街にでも行ってさ」
「ここから一番近いのは魔族の街だぞ。人間も魔族もどちらも行き来している場所というのはとても少ない」
 毛布の使い道を思いついたようで、彼は広げて草叢に敷く。その上に横になって、手招いてくる。
「お前も来い」
「くつろいでいい場所じゃないだろ。自分がぶっ潰したとこでよくもまあ」
「嫌なら一人で帰れ」
「……」
 帰れないとわかっているくせに。航も隣にどさっと寝転ぶ。
 濃い青の空に雲が流れる。ぽかぽか陽気で、風は穏やかで優しい。太陽が眩しくて目を閉じる。多分、きっと、こんな人生もありなのだ。初めてそう思えた。
「……生きなきゃなあ」
 呟きに返事はない。横から微かな寝息が聞こえてくる。睡眠時間が短かった上に、長距離飛行して疲れたのかもしれない。意外とよく寝るのだ、この男は。
 もうしばらく、このまま。

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