(小ネタ4)あっためたい

【時期→かえでシロップ本編(3)と(4)の間】

 年の瀬も押し迫り、楓は亨宅で大掃除に励んでいた。寝室の窓と網戸、サッシまでピカピカに磨き上げる。適当に済まそうと思っていたのだが、やり始めると細かいところも気になってしまい、熱中してしまっていた。
「よし、完璧」
 バケツを持って洗面所まで行き、水を捨てる。窓掃除はこれで全部屋終了。なかなかの達成感だ。
 リビングに戻ると、亨がヒーターを付けているところだった。
「おう、ベランダ終わったぞ」
「俺も終わった。手が……。指冷たい。てか痛い」
「ヒーター当たれよ」
「まだ付けたとこじゃん」
 いいことを思いついた。亨の背に張り付き、セーターとシャツの下に勢いよく手を突っ込む。背中に両手の平をくっつけると、体温が凍えた皮膚にじんわり染み込んでくる。
「おいこら」
「ぬくいー」
「そりゃそうだろうよ。でも、ヒーターの方がもっとぬくいと思うぞ」
「こっちの方が即効性がある。他の場所は」
「わあ、脇腹やめて。腹壊しそう」
「じゃあこっちは?」
 脇の下に手を入れる。
「いいー。もっとぎゅっと締めて」
「こう?」
「ほかほかする」
 セーター越しに背中に頬をすりつける。
「湯たんぽ湯たんぽ」
「はいはい。もう好きにして」
「んー。あったまったからもういいや」
 いつまでも熱を奪い続けるのは可哀想なので、手を外に出す。
 亨がにやりと笑ったのに気づいたが、逃げ遅れた。
「今度は俺の番」
 後ろから抱きつかれ、パーカーとTシャツの下に手が潜り込んでくる。冷たさに身体がすくむ。
「わあ、やめろー!」
「やだよー」
「つめたいつめたい」
 しばらく足踏みして耐えていると、手の温度が体温に馴染んでくる。
「なあ、そろそろいいだろ?」
「もうちょっと」
 服の中でなにやらごそごそとやっている。
「どこ触ってんだ。そこはサービス対象外!」
「オプションで」
「だめ! 風邪引きたくない」
「じゃあ後の楽しみに取っとく」
 やっとのことで解放してもらえたので、逃げてリモコンをつかむ。
「エアコン入れる」
「ああ、いつまでも寒いと思ったらまだ窓開いてんな」
 彼が窓を閉めて回っている間、楓は高めの温度でエアコンをつけ、ヒーターの前を陣取ってテレビの電源を入れる。特番と再放送ばかりだ。
 初詣の作法について解説している番組があったので、何とはなしに見ていると、亨が温かいコーヒーの入ったカップを差し出してきた。
「ありがと。気が利くな」
「そうだろ」
 自分の分のカップを持って、彼はソファに掛ける。
「なあ、楓、正月のことだけど」
「初詣は嫌だぞ。混むから。行くなら三が日明けてからだな。ああ、旅行控えてるから無理か」
「実家には帰んないのか?」
「ちょこっと顔出しとこうかな。お前は?」
「うちはいいよ。正月だからって帰ったことないし。なあ、お前が帰るとき一緒に行こうか?」
「なんで?」
「なんでって、俺、お前の母さんに一回も挨拶したことないだろ」
「いいよ、別に。うちの母さん、そういうの気にする人じゃないもん」
「気にしないって言っても、うちの親には引き合わせてんのにさあ」
「来たいなら来てもいいよ。来る?」
「うん」
「じゃあ、話しとく」
 交際に反対するとすれば姉で、姉に認められている以上、母に反対されることはまずない。友達を家に呼ぶくらいの気軽な気持ちだった。
 
 
 年が明けて一月一日。実家で笑顔の母に迎えられた。亨は玄関で、母に型にはまった大人の新年の挨拶をしている。寒いので、楓は先に居間へ入った。
 当然、そこにいるのは姉だけだと思っていたが、先客がいた。
「……なんでお前がいるんだよ」
「あ、せんぱーい。あけましておめでとうございまーす。こっちこっち」
 藤谷がテレビの前のこたつに入り、桜と二人でくつろいでいた。
「こっちこっちじゃねえよ。俺んちだよ」
「先輩はお嫁に行ったんだから、もう自分ちじゃないでしょ」
「行ってねえわ。姉ちゃん、こいつ呼んだの?」
「だってお正月一人だって言うだもの。可哀想でしょ。あんたたちも来るし、ちょうどいいかなって」
「え、なに、もう付き合ってんの?」
「はい! 実は……」
「付き合ってはないけどね」
「えー。桜さーん、そうなんですか? 家に呼んでくれたぐらいだから、俺、てっきり……」
「めんどくせえなあ。もう付き合っちゃえよ」
「やあよ」
 喋りながら、こたつの空いている場所に潜り込む。芯まで冷えた身体が心地よく包まれる。
 ドアが開いて、母と、その後ろから亨が顔を出す。
「みんな、亨くんにお菓子もらったから後で食べましょうね」
「やっぱそうなっちゃいますよねー。お菓子が一番無難ですよね。伊崎さんは何にしたんですか? 俺はおかき詰め合わせです」
「栗もなか」
「ああ、なっちゃいますよねー。和菓子。正月ですからねー」
「……お前、すげえリラックスしてんのな。びっくりだわ」
「伊崎さん緊張してるんですか?」
「まあ多少は」
「俺はもうお母さんともすごく仲良しで、打ち解けちゃってますから。ね、菫さん」
「うふふ、そうね。和真くんも亨くんもいい子で、私、とってもうれしいわ」
「ねえねえ、和真くんと亨くんでは、今のところどっちがポイント高いですか?」
「調子乗ってんじゃねえよ。付き合ってもらってもいねえくせに」
 楓がこたつの中で蹴りを入れると、顔をしかめたのは桜だった。
「いた! あんた、それ私の足よ!」
「先輩ひどーい。大丈夫ですか? 桜さん」
「軽々しく触るんじゃないわよ!」
 足を触ったぐらいで怒られるのだから、まだまだ大した進展はないようだった。
 昼食はすき焼きが用意されていた。こたつの天板に電気コンロが置かれ、その上で鍋が煮えている。
 テレビのある側には誰も座らず、三辺に桜、藤谷、楓が陣取っている。母は忙しく動き回っていて、亨は母の手伝いを見つけて立っていることが多く、手伝うことがないときは後ろの方で座っていた。
 その様子を見た母に、さすがに咎められてしまった。
「ちょっともう楓ったら。自分ばっかり食べて。亨くんも仲間に入れてあげて」
「いいですいいです。俺は」
「ほら、こっち来て自分で取れよ。自分の分は自分で確保しろ。食卓は戦場だぞ」
「伊崎さんって一人っ子なんですか? 俺も弟いるから、食事時は取り合いだったなあ」
「こいつお坊ちゃまだから、こんなもろ庶民の争いとは無縁だったんじゃね?」
「お坊ちゃまだったんだ。へー」
「鍋囲むような和気あいあいとした家庭じゃなかっただけだよ」
「しょうがねえなあ。取って置きのをやろう」
 取り皿の中の肉をつまんで亨の口元へ持って行く。彼はそれにぱくりと食いついた。
「取って置きって、置き過ぎて冷めてんじゃねえか。うまいけど」
「うまいならいいじゃん」
 それをうらやましそうに見つめていた藤谷は、早速桜におねだりした。
「桜さん、俺も俺も」
「だーめ」
「えー。白菜でもいいですから」
「はい」
 桜は藤谷の皿の中に冷えていそうな白菜を入れてやっていた。
「やだー。あーんってして」
「ああいうことをするのは、他に色々やってからなのよ」
「何すればいいんですか? 俺も桜さんとラブラブになりたいですー」
「自分で考えなさい」
「うわーん。せんぱいー」
 泣きついてこようとする藤谷を押し返す。
「こっち来んな。ばーかばーか」
「みんな仲いいわねえ」
 追加の肉を持ってきた母は、賑やかでいいわね、と笑った。
 
 
 実家からの帰り道。駅からマンションまでの道のりはいっそう寒く、つらい。背を丸めて手をこすり合わせる。
「こたつが恋しい。凍える」
「あのまま泊まってくればよかったじゃん」
「いいよ。ちょっと食べさせただけでもニヤニヤされるもん」
「取って置きの肉のあれ? だから、俺だけ帰ってお前は泊まればさ」
「それも嫌。あっちに泊まるのなんて、別にいつでもいいし」
「そうか?」
「うん」
 そっと手を握ってきたので、彼の手ごと自分のコートのポケットに突っ込む。二人分の体温で、すぐに指先が熱を持つ。
「母さんと何喋ってたんだ? 昼ご飯手伝ってたとき」
「普通の世間話だよ。毎日寒くて嫌ですねとか、うちこたつ置いてないんですよとか、仕事はいつからですかとか」
「それだけ?」
「楓がご迷惑かけてませんかって聞かれたから、一緒に年末大掃除しましたとか、よく晩ご飯作ってくれますとは言った。あと、あんまり家に帰してないことと、これまで挨拶に来てなかったこと謝っといた」
「母さんはなんて?」
「末っ子で気ままな子だけどよろしくお願いしますって」
「……ふーん」
「今度来たら昔の写真見せてあげるって言ってたから、また行くわ」
「来なくていい。いや、来てもいいけど写真見るな」
「なんで? 他校から見学者が集まるほどの美少年だったんだろ」
「今が一番ハンサムだから!」
「はいはい、そうだな」
 ポケットの中の指が絡み合って、ぎゅっと力がこもる。
「なあ、帰ったらあったかくなることいっぱいしよっか」
「長風呂でもしてろよ」
「一緒に入る?」
「やだ」
「姫始めって知ってる? 寒い冬をあったかく過ごすための我が国古来の知恵だよ」
「嘘つけ」
 口では拒むようなことを言いながら、並んで歩く二人の距離は、くっつきそうなくらい近くなっていた。寒いのは嫌いだが、悪いことばかりではない。側にある熱の有り難みがわかるから。
 ドアの中に入ったら、もう片方のかじかんだ手も温めあおうと思った。