(小ネタ10)たのしいお花見

【時期→かえでシロップ番外編『ハロー、ベイビー』の少し前】

 春、四月に入ったばかりの日曜日。楓は亨、藤谷、桜というお馴染みのメンバーと一緒に、郊外の公園までお花見に来ていた。真宮一家も参加予定だったが、実人が風邪で熱を出したため来られなくなってしまった。
 この公園は藤谷が見つけてきた場所だ。自宅から電車で三十分ほどのところにある穴場スポットで、桜の木の本数はそう多くはないものの、お花見できる芝生のスペースが広い。アクセスが少々悪いせいか、花見客で隙間がないほどごった返しているという状況ではなく、近所の家族連れや老人会らしきグループが何組かいるだけだ。
 防寒具がないとまだまだつらいが、日中の日向は暖かいと感じられることも増えてきて、今日は絶好のお花見日和。レジャーシートを敷いて座り、桜は持参した重箱弁当を広げ始める。エビフライ、ちくわの磯辺揚げ、アスパラベーコン、ミートボール、厚焼き卵など、定番のおかずが詰まっている。姉の料理は久しぶりだ。
 楓もスーパーの袋からパック容器を取り出す。こんな時にも桜は口うるさい。
「楓、あんたも何か持ってきなさいって言ったでしょ」
「持ってきただろ、太巻きと唐揚げ」
「出来合いじゃないの」
「朝から作ってられるか。面倒くさい。このスーパーのやつ、なかなか美味しいんだぞ。太巻きはちゃんと切れてるやつ選んできたし」
「ほんとずぼらよね。そんなのでちゃんとやれてるの? 毎日店屋物になってんじゃない?」
「作ってくれてますよ。俺の方が帰ってくるの遅いんで、いつも任せちゃって悪いんですけど」
 さすが亨、きっちりフォローしてくれる。
 取り皿を準備していた藤谷は言う。
「先輩のご飯も食べてみたいですー」
「やなこった」
 料理は必要に迫られてやっているだけで、好きなわけではないのだ。日々の晩ご飯だけで手一杯で、客に振る舞うための料理など作りたくない。
 まずは缶ビールで乾杯。めいめい好きに飲んで食べて。楓は花より団子派なのだが、生意気にも藤谷は風に揺れる満開の花を見上げて溜息をつく。
「桜、綺麗ですね。あ、桜さんの方がずっと綺麗ですよ! 俺は花より桜さん派です」
「はいはい」
 また軽くあしらわれている。この二人の力関係は出会ったときから変わらないようだ。むしろ年々桜が強くなっている。藤谷はそのことを一切気にしていないようで、尻に敷かれることに幸せを感じている風でもある。
「ふふふ、楽しみだなあ、来月のパーティー」
「婚約記念パーティーって必要? 秋に結婚式挙げるんだろ?」
「それはですね、先輩。転勤やら何やらで式には来られない人が何人かいるからですよ。その人たちにも桜さんのこと紹介したいんです。個別に会わせてる時間はないから、まとめてやっちゃおう、どうせやるなら他の人も呼んじゃおうってことで」
「へえ」
「こいつが全部決めて、あっという間に段取りが終わっちゃってたの。こっちは楽でいいけど」
 桜はどこか他人事のようだ。
 結婚式の準備にしても、自営業で時間に余裕のある藤谷がほぼ一人でやっているらしい。あちこち見学に行って式場を決めたのも藤谷だという。結婚式というと、女性の方が楽しみにしているイメージだが、端から見ている限り、張り切っているのは藤谷だけで、桜はどうでもいい、勝手にやってくださいという態度。全くやる気がないように見える。
 結婚間近の恋人なのに、彼らからは仲睦まじさが伝わってこないのだ。普通はこの時期、恋心が最高潮に盛り上がっていて、目撃した他人が恥ずかしくなるくらいにお互いハートマークを飛ばしまくっているものではないのか?
「何かなあ、いまいちまだ信じられないんだよな。ほんとに結婚するのか?」
「しますよ! ね?」
「正直、早まったかなって」
「え、噓ですよね?」
「するわよ。するする。結婚はね」
 亨が缶ビールを片手にぼそっと口を挟む。
「そもそもいつから付き合ってたのかも謎……」
「そうなんだよな。だから、いきなり結婚って言われてびっくりした」
「俺が大学卒業してからですよね?」
「一応そうなるかしらね」
「付き合う前と後で雰囲気変わんねえな。今でも藤谷は敬語だし。なんかあれだよ、恋人っぽい雰囲気を感じない。姉と弟というか、女王様と召使いというか」
「ちゃんと恋人です! 今日だって朝からちゅーを」
「キスってあれだろ。ママが子供にやるみたいなやつだろ。エロいことしてる想像ができないんだよな」
「回数的にはあんまりあれですけど、でも愛はありますから!」
「やっぱあんまりやらせてもらえてねえの、かわいそー」
 桜の匂いが付いたマフラーを身につけているというだけで、楓に盛ってきたぐらいなのに、どれだけ我慢させられているのやら。ケラケラ笑ってやると、藤谷はむっとした顔つきをする。
「同居始めたらいくらでも……」
「がっつく気満々かよ。嫌われるぞ」
「だって、それはもう夫婦ですから。それなりにそういうことは期待しちゃうでしょ?」
「え、待って。お前、まだ童貞とかそういうことは」
「さすがにないです! でも、もっと、できれば毎日」
「うちの実家で同居だろ。母さんいるから、そんなに盛れないんじゃね」
「大丈夫です、そこは。菫さんには夫婦の時間を大事にしてねって言ってもらってるんで」
「それ、いつでも好きなときにやっていいよって意味じゃないんじゃないの」
「そうなんですか?」
 当たり前だ。できるのは母が出かけているときか、夜寝静まってからか。夜は好きに声も出せまい。「菫さんは俺の第二の母だから、むしろ俺から同居してくださいって頼みたいくらいです!」と藤谷は言っていたが、新婚夫婦にとっては不便なこともある。
 真っ昼間から下ネタを繰り広げていることについて、桜は当然黙っていなかった。
「おい、男ども。飲み過ぎ。調子に乗るな」
「全然飲んでねえよ」
 はて、これは何本目だったか。空き缶が溜まってきているが、楓だけの分ではないし、意識ははっきりしている。酔うほど飲んではいない。
 亨が身体を傾け、首筋に鼻を寄せてくる。
「いや、酔ってる」
「えー。お前は」
 くんくん返しをしてやる。匂いのわずかな差から相手の変化を感じ取ろうとするのは、もう習慣になっている。
「そっちだって酔ってる。あはは」
 藤谷は不思議そうだ。
「嗅ぐなら口じゃないんですか?」
「口よりこっちの方がわかりやすい」
「酔ってる匂いってあります?」
 楓が面倒そうな顔をしたためか、亨が説明してくれた。
「はっきりこれが酔ってるっていうのがあるわけじゃなくて、いつもとは違って、ちょっと浮ついた匂いがする。あとご機嫌な匂い」
「そうそう。わかる」
「なにそれ。嗅いでみたい」
「お前、俺の匂いわかんねえだろ。姉ちゃんの嗅げよ」
「運命の人の匂いの話ですか?」
「運命の人とかいう言い方は好きじゃないけど、あの匂いがわかるやつってことだよ」
「桜さん……」
「来ないで」
「俺も嗅ぎあいっこしたいですー」
「慶人も前にそんな風な話をしてたわね。体調とか機嫌とかが匂いで大体わかるって。でも、あんたの匂いはいつもそんなに変わらないわ」
「日常的に嗅いでないと身に付かない特殊スキルなんですかね?」
「さあ」
「いいなあ。俺も早く身につけたい! ねえねえ」
「やめて、酔っぱらい」
 近づこうとする藤谷を、桜はぐいっと押しやる。さきほどからつれなすぎて、藤谷が哀れに思えてくる。
「嗅ぐぐらいいいじゃん。ケチくさいなあ」
「あんたたちみたいに、ところ構わずいちゃつけるほど神経図太くないの」
「いちゃついてねえだろ。匂い嗅いでただけじゃん。いつからそんなに潔癖になったんだよ、三十路のくせに」
「年は関係ないでしょ!」
 ここでも間に入ったのは亨だ。
「まあまあ。匂いを確認するのがすっかり癖になっちゃってて。これからは外では気を付けますね」
「俺は嗅ぎに行く」
「さりげなくな、さりげなく」
 人目があろうがなかろうが、この習慣は今更やめられない。酔いのせいもあって大胆になった楓が腕にぴったり鼻をくっつけに来るものだから、亨は困っていたが、無理に引き離したりはしなかった。
 藤谷は羨ましそうにそれを見ていた。
「すごく番っぽい」
「番だもん。結婚するんなら、早くなれば?」
「だって、桜さんが」
「あんな目立つところに傷跡が残るのが嫌なのよ。男はスーツ着てれば隠れるでしょうけど、女はそういうわけにはいかないの」
「傷隠しのテープとかあるぞ。温泉とか行くときはそれ貼ったりしてる」
「そういうことじゃないのよ。ファンデーションで隠れるからって、自分の顔にシミがあるのは嫌でしょ。それと同じ」
「噛み跡とシミを一緒にしないでください。愛の証です!」
「やっぱりピンとこないなあ。ほんとに結婚する?」
「します! 絶対にします!」
 頑として言い張るのは藤谷だけで、桜の結婚に対する意欲は、結局伝わってこなかった。
 
 
 ビールと料理がなくなり、デザートのウサギリンゴを食べ終えると、そろそろお開きという雰囲気になる。
 駅から電車に乗り、途中乗り換えの時に藤谷、桜とは別れた。この後結婚式関係の買い出しがあるらしい。
 空いた電車の座席に座り、向かいの窓の外を眺めながら、楓は姉と後輩のことを考えていた。
「姉ちゃんは藤谷のことがほんとに好きになったのかな」
「じゃなきゃ結婚をオッケーしないだろ」
「でも、なんかよそよそしいっていうか」
「付き合ってまだ一年ってこともあるだろうし、弟の手前ってこともあるだろうし」
「でも、傷が残るのが嫌だから、番になりたくないっていうのはさあ」
 一対一の繋がりを求める本能的な欲求が満たされることに比べれば、噛み跡が残るというのは些細なことだろう。跡を隠すのが面倒だと思うことはあるが、楓はこれがあるのを嫌だと感じたことはない。嬉しいし、安心するし、番を持っているという証がその身に刻まれていることが、どこか誇らしくさえある。
「楓だって前はそうだったんじゃね? 番なんてメリットよりデメリットの方が多いだろって」
「そういやそうだったかな」
「桜さんさ、楓のこと、ミルクあげたりオムツ替えたりして面倒見てきて、弟っていうより息子みたいなとこがあるって前に言っていた。それより藤谷は年下なわけだよ。男として見られるようになるまで時間が必要だったんだ。今やっとそこまで来て、番になるかどうかは、まだその先の話」
「まだまだ男として見られてねえだろ」
「そりゃ大人のあれこれはあるみたいだし、一応見られてはいるんじゃない?」
「うーん……」
 納得できるようなできないような。
 姉のことを亨の方がよく理解している風なのも複雑だ。たまにランチを一緒に取るということだが、そのときにこんな話もするのだろうか。
「これからなんだよ、あの二人は。今はまだ徐々に関係を深めていっている最中。あと何年かしたら、番になることを受け入れられるようになるのかも」
「なら、番になってもいいって思えるようになってから結婚したって……」
「藤谷がぐいぐい来るから根負けしたとか? 結婚したいって初対面の時から言ってたじゃん」
「よく頑張ったよな、あいつも」
「なー」
「……あいつら上手くいくのかな」
「俺はそう思うよ」
 上手くいってもらわないと困る。ずっと苦労をかけてきた姉には幸せになってもらいたい。
 そろそろ目的の駅に着くとアナウンスが流れる。
「うちの近くの公園も、そろそろ満開じゃないか?」
「寄ってみる?」
「時間あるしな」
 来年は真宮一家も一緒に花見に来られたらいい。実人が風邪っ引きじゃないことを祈ろう。