(6)わすれられない

「先生しか聞く人がいないからです!」
「ああ、もう、とりあえず彼女でも作って穿いてもらえ。それで興奮したら、凛のことはお前の気のせいだ」
「そんな簡単に彼女なんかできません!」
「じゃあ、ネットでエロ画像でも検索しろよ! Tバックの女くらいいくらでも出てくるだろ!」
 自分では割と忍耐力はある方だと思うのだが、我慢の限界が来て、強制的に先生スイッチがオフになった。それでも机を叩いたり蹴ったりしなかった自分を褒めたい。相田の兄も凛太にちょっかいをかけてきたと言うし、どうなっているのだ、この兄弟は。
 怒鳴られた相田は勢いをそがれ、たどたどしく返す。
「……先生、ここ、学校」
「誰のせいだ、誰の。言っとくけど、あいつに手出したら、あらゆる汚い手を使って叩き潰すぞ」
「だから、ここ学校です……」
「俺はお前らみたいに育ち良くねえんだよ」
「別に俺、育ちが良いわけじゃ」
「中学校からずっと私立だと、いくらかかるか知ってるか? しかもお前んち三人もいるだろ。かなり経済力いるぞ。立派な富裕層だ、富裕層。……いや、そういう話がしたいんじゃなくてだな」
「俺は嫌がるやつにグイグイいくほど強くないです。そんな度胸あったら、とっくに彼女出来てますよ。凛太は友達だから何もしません。先生に言われたとおり、これまで通り普通に接していきます」
 是非そうしてほしい。ストレスの種は少ない方がいい。どうも脩は、付き合う相手に対して心配性になりすぎるきらいがあるらしい。自分でも自覚はある。
 相田は椅子に座り直す。
「凛太って天然というか、不思議ちゃんというか、時々すごい突飛な行動に走ることあるじゃないですか」
「まあな」
 たとえば、バレンタインデーの裸エプロンとか、去年のクリスマスのガーターストッキング装備のミニスカサンタ服とか。ハロウィンは確かゴスロリメイド服の魔女っ子という訳の分からないものだった。どこぞの漫画から情報を得ているらしいが、そもそも脩は女装が好きなわけではない。だが、妙に似合うだけに毎回対応に困る。脩のために健気に努力してくれるのは微笑ましい、と前向きに捉えることにしている。
 意識が別のところに飛びかけるが、相田の話に集中する。
「あいつ何やるかわかんないから、ほっとけなくて、俺がしっかり守ってやらなきゃって思ってたところがあって。でも俺の知らないとこで恋愛して彼氏作って、あんなパンツ穿くようになってたのかと思うと、なんか寂しいっていうか、信用されてないみたいで悲しいっていうか」
「パンツのことは早く忘れろ」
「がんばります」
「凛がお前に俺のこと喋ってなかったのは、別にお前が方々に言い触らすようなやつだとか思ってたからじゃないぞ。お前の態度が変わるのが怖かったり、俺のこと悪く言われるのが嫌だったりしたからだ。あいつは友達多くないから、今まで通り仲良くしてやってくれよ。頼むわ」
 今まで通り、を強調する。何とか先生スイッチを入れ直すことに成功した。
「……はい」
 相田はまだ何かを考え込んでいる様子だった。それから少し近況などを話し、相田は帰って行った。
 この件は凛太には黙っていた方が良さそうだ。彼らの友情を壊さないために。

 何とかやるべき事を終わらせ、いつもより三十分ほど遅れて帰宅する。今度こそ先生スイッチは完全オフ。今日は金曜日だから、月曜日の朝までオンにはしない。それにしても疲れた。
 重い足を引きずって、リビングに続くドアを開ける。凛太はキッチンにいて、コンロの前で土鍋の様子を見ていた。『今日の夕飯は任せて!』とメッセージが来ていたから、買い物はしてこなかった。
 最近料理に目覚めたようで、以前は横に立って手伝いを買って出るくらいだったのに、急に全て任せてほしがるようになった。今のところ挑戦したのは鍋料理だけで、今日も見たところ鍋のようだ。赤いからキムチ鍋か。いや、匂いからしてトマト?
 キッチンが散らかって後片づけが大変だし、お世辞にも美味しいとは言えない出来なので、「俺がやる」と毎回喉元まで出かかるが、そんなことをすると臍を曲げてしばらく不機嫌を引きずりそうなので言えない。
 じっと見守る脩の視線にやっと気づき、凛太はこちらを向いて、ぱっと顔をほころばせる。吹き出しの中に大好きという文字が見えるようだ。こんな風に笑われたら、やめろなんて言えるわけがない。生煮えの野菜だって煮すぎて固くなった肉だって原型のない豆腐だって喜んで食べよう。
 なんだろう、いつも思うのだが、妹が昔飼っていたハムスターに似ている。背丈が小さくてコンパクトにまとまっているところも、潤みがちな黒目で「あざとい」上目遣いをするのも、丸顔なのも、ちょこまか動くのも。一度言って怒られたので、もう本人には言わないが。
「脩ちゃん、おかえり。もうちょっとで出来るからね。手洗ってきて」
「ああ、うん」
 キッチンの様子は気になるものの、ずっと張り付いているわけにも行かないので、洗面所へ行く。
 朝顔を洗ったとき、鏡の中の自分は平日の疲れが溜まって五歳くらい老け込んで見えた。仕事帰りの今の方が若々しく見える、気がする。明日が休みという開放感からか、それともハムスターの癒やし効果か。
 手洗いうがいして戻ると、凛太はまだ鍋と睨み合っている。炊きすぎではないのか、大丈夫か。いや、駄目だ、口を出すまい、と自分に言い聞かせ、食器棚を開ける。付き合う前から凛太はよくここで食事を取っていたので、揃いの食器がずいぶん増えた。
「取り皿とか出しとくわ」
「うん、お願い」
 必要なものをいったんカウンターに並べつつ、さりげなく鍋をのぞく。この間のようにかき回しすぎてぐちゃぐちゃになってはいないようだし、まともそうではある。
 凛太はお玉を片手に得意げに言う。
「火の通りにくいものは先にレンチンしておいたら失敗しない、ってネットに書いてあったからそうしたんだよ。お鍋はもうマスターしたから、次はカレーかな」
「そうか。楽しみだよ」
 カレーに挑戦するとなったら、さらにキッチンが荒れそうだが、もちろん止めはしない。脩は黙って後片づけをするだけだ。
 箸を取るため、凛太の真後ろに立つ。彼の今日のエプロンは例のフリフリエプロンではなく、無地のシンプルなものだ。あれから一度もあのエプロンは見ていない。
 ふと相田との会話を思い出し、部屋着のスエットズボンのウェストを引っ張って中をのぞく。小ぶりの尻を覆っていたのはいつものボクサーパンツだった。
「今日は普通のなんだな」
「やめてよ、もう!」
 凛太は片手で尻を押さえて振り返る。わりとよくやるいたずらなのだが。
「なんで?」
「バレンタインの時はセクシー系を重視しすぎて失敗したから、これからは料理とか家事をバリバリこなして清純派を目指すことにしたの」
「もうセクシー系は頑張らないの?」
「清純派はあんまりそういうの頑張らないでしょ? はやく、それ並べて」
 カウンターに置かれた食器類を指され、脩はキッチンから追い出される。おとなしく食卓の準備をしつつ、説得を試みる。積極性は大事だ。ノリが良い方がお互い楽しい。
「それは違うぞ。夜にいろいろと一生懸命頑張ってこそ、昼の清純派が引き立つってもんだ」
「つまり脩ちゃんは頑張ってほしいんだね」
「うん」
「今日は衣装何にも持ってないよ」
「いいよいいよ。何なら俺が買ってくる」
 女装はいらない。重要なのはその内側だ。
「何を買うの?」
「パンツ、とか」
「またTバック? この間めちゃくちゃ恥ずかしかったんだけど」
 凛太は眉をひそめて、火を切り、土鍋の蓋を閉める。
 その気のない相田を惑わせるだけあって、あれはとてもよろしかった。コスプレ衣装に力を注ぐより、そちらを頑張っていただいた方がありがたい。
 カウンターに寄りかかって力説する。
「あのな、Tバックにもいろんな種類があるんだぞ。そんなに恥ずかしくないやつもある。Tバックだけじゃなく他にもいろいろあるけど、それはまあ、もうちょっと慣れてから」
「脩ちゃんってパンツマニアなの?」
「そういうわけじゃないけども。自分に一番合うパンツを探してみたくないか。若いうちにさ。可能性は無限大だぞ」
「進路相談みたいに言わないでよ。じゃあさ、脩ちゃんもお揃いの穿くんならいいよ。それなら変なの選べないでしょ」
「採用。さっそく明日さ……」
「先にご飯! お鍋持ってくよ」
「はいはい」
 二時間かかったという鍋は、野菜が煮崩れしすぎてドロドロで、肉は案の定固かったが、これまでで一番出来は良かった。
 食事の最中、明日パンツを買いに行こうと誘ってみたけれど、おそろいの下着を店先で選ぶなんて、いくらなんでも恥ずかしすぎると断られた。ネット通販は現物が見られないので避けるとして、一人で買いに行くしかなさそうだ。

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