(1)拾われ猫の日常

 からりと良く晴れた日の朝。
 朝食用のパンと牛乳が入った籠は少々重いが、リタの足取りは軽やかだ。お日様の光を存分に浴びながら、こじんまりとしたカラフルな家々が並ぶ、石畳の通りを歩く。
 このあたりの奥様方は、皆窓辺に飾る花をいかに美しく見せるかを競い合っているので、歩くだけで目を楽しませてもらえる。
 この通りの端っこにあるのが、他に比べて地味な——、長らく外壁が塗り直されておらず、くすんだ色の家。窓辺には控えめな小さな花が少しだけ。ここがリタの今の住まいだ。
 故郷から遠く離れた場所だが、生まれ育った家であるかのように落ち着く我が家。裏に回って台所に繋がる勝手口から入る。
 家の外側は少々くたびれているが、家の内側は清潔に掃除され、整理整頓が行き届いている。リタが日中最も長い時間を過ごす台所は、特にピカピカにしていた。
「ふんふーん」
 鼻歌は故郷でよく聞いた民謡だ。リズムに乗ってその場でくるりと回り、台所の真ん中にある作業台に、買い物した食品の入った籠を置く。
 家事に取りかかる前に、お出かけモードからお家モードに戻ることにする。被っていた帽子を取ると、猫のような三角の耳が現れる。次に、ズボンのお尻についたボタンを外し、膝裏まである長い尻尾を出す。耳も尻尾も髪と同じ毛色だ。小麦色に茶の毛束が混ざっている。
 もちろん、この耳も尻尾も作り物ではない。自分の意思で動かせる、リタの身体の一部だ。人間とは異なる種で、獣人、という。
 リタの故郷に獣人は多かったが、この国には少ないらしい。諸々の事情で目立てないので、外を歩くときは耳と尻尾を隠している。獣人にも色々なタイプがいるけれど、リタは割と人に近いタイプなので、耳と尻尾さえ見えなくすれば、人に混ざって上手く溶け込める。
 伸びをして、押し込められていた耳と尻尾も一緒に伸ばす。さて、今日の朝食にはチーズ入りオムレツを焼こう。ふわふわ卵の中からチーズがとろり。味には自信のある一品だ。
「アル、すぐに食べるかなあ」
 買い物に出かける前に書斎を覗いたら、リタの愛する旦那様は、机に顔を突っ伏して熟睡していた。昨日遅くまで仕事をしていて、そのまま眠ってしまったのだろう。今日が原稿の締め切りだと言っていたが、出来上がったのだろうか。
 足音を忍ばせ、二階の書斎まで様子を見に行く。そっとドアを開けると、アルは同じ体勢のまま、まだ夢の中だった。先ほど肩に掛けた毛布がずり下がってきていたため、掛け直す。ベッドに運んであげたいが、リタの力では無理だ。自分より上背のあるアルを持ち上げられない。
 まだ寝かせておいてあげたい。オムレツは作ってすぐに食べてほしいから、先に掃除をしよう。窓拭きなら、うるさくしてアルを起こすこともないだろう。
 もう一度耳と尻尾を隠し、共同水汲み場から桶に水を入れて戻ってくる。勝手口を開けると、すぐさまリタの目は、寝ぼけ眼できょろきょろと台所を見渡す男を捉えた。
 切るのが面倒で伸ばしているという黒髪が、寝起きでボサボサだったが、それでもハンサムに見えてしまうのは、惚れた欲目だろうか。
 リタは桶を置き、彼に駆け寄る。
「アル、起きたの?」
「おはよう……。朝からご苦労だね」
 アルは大きくあくびを漏らす。自分も忙しいのにリタをねぎらってくれるなんて、なんて優しい人なのだろう。この国の人間は獣人に冷たいという話だけれど、彼は別だ。
 感動を噛みしめつつ、リタは帽子を脱いで耳を出し、ズボンから尻尾を出す。耳が何かに覆われていると多少音が聞こえづらいし、尻尾を押し込めていると窮屈なので、なるべく出していたいのだ。一日に何度も出したり入れたりを繰り返している。
 尻尾をピンと立たせ、アルの腕を握る。
「ね、お仕事終わった?」
「ああ。何とかぎりぎり……」
「やったー!」
 喜びのあまりぎゅっと抱きつく。これでやっと構ってもらえる。このところアルは仕事が立て込んでいて、ずっと書斎にこもりきりだったのだ。
「しばらくゆっくりできるんでしょ?」
「そうだね」
「朝ご飯にオムレツ焼くよ。チーズ入りのやつ。アル好きだよね。一緒に食べよ」
「うん」
「それからね。今日は広場に大道芸の人が来て、出店の数もいつもより多いんだって。後で見に行こうよ」
「うん」
「僕、揚げパンが食べたくて……。砂糖まぶしたやつ」
「うん」
 微笑んで頷いてくれてはいたけれど、アルの顔つきには疲れの色が濃い。その表情をじっと見つめる。構ってほしいというのを前面に押し出しすぎてしまっただろうか。
「……ごめん。アル、休みたいよね」
「いいよ、大丈夫。行こう。僕も少し外で息抜きしたい」
「ほんと?」
「ああ。でも、今日は締め切りの日だからクリスが来るよ。行くのはそれからかな」
「そういえばそうだね。いつぐらいだろ」
 クリスというのは、アルの学生時代からの友達で、アルが書いた「原稿」を、多いときだと週に数回、少ないときだと月に数回、受け取りに来る。アルの仕事は物書きらしいから、おそらくクリスは版元の人なのだろうと思う。
「クリスなら午前中に来るって言ってた」
「じゃあ、早く朝ご飯食べないと」
「大丈夫。どうせいつもみたいに、正午の鐘ぎりぎりだよ」
「なら、もうちょっとこのままでいい?」
 抱きつく腕に力を込める。大好きなリタの旦那様。久しぶりの腕の中は温かくて、いい匂いがして、ふわふわした幸せが胸の内に溢れていっぱいになる。
 それと同時に、待ちに待った触れ合いに身体が勝手に期待して、脈が速くなってくる。気づかれない程度に足をもじもじさせながら、問う。
「ねえ、アル。今日はさ、夜一緒に寝れる?」
「うん」
「わーい」
 アルの肩口に頭を擦りつける。楽しみすぎてにやけてしまう。彼が忙しい間は自分で自分を慰めてばかりだったけれど、やっと愛してもらえるのだ。
 彼の手のひらがふんわりした柔らかい髪を撫でる。その指先から愛情が漏れ伝わってくる気がした。
「リタ」
「ん?」
「今でもいいよ。今する?」
「でも、朝ご飯……」
「その前にちょっとだけ。嫌?」
 なんて魅力的なお誘い。嫌なことなんてあるわけない。
「嫌じゃない! したい。だって、ずっとできてなくて」
「寂しかったよね。ごめんね。上行こう」
「うん!」
 リタの方から腕を引っ張って、寝室まで行った。

 寝室のドアを開ける。正確にはアルの寝室だ。リタ個人の寝室もあるにはあって、アルの仕事が立て込んでいるときには、そちらで寝るようにしている。
 ベッドや棚、チェスト、小さな机と椅子。最低限の家具が置かれているだけの、飾り気のない簡素な部屋だが、必要なものは全て揃っている。掃除がしにくくなるから、余計なものなんてなくていい。
 壁際のベッドに二人して座る。アルの耳を覆うようにして手を添え、リタから唇を合わせた。ねっとりと舌が絡む大人のキスだ。一人遊びではどんなに頑張ったってキスはできない。じっくり堪能するのを、アルはリタのしたいようにさせてくれていた。
 やり方はアルが教えてくれた。この国の言葉の読み書き、計算、この国の暮らしや成り立ち、世界の国々の事情、アルはいろいろなことを教えてくれるけれど、閨事の知識が一番刺激的だ。
 腰をぴったりと寄せて甘えかかる。
「アルー……」
「もうおっきくなっちゃった?」
「……うん。触って」
 彼の手を掴んで股ぐらまで持って行くと、布越しに軽く握ってきた。
「んっ……」
「元気だね。どんなになってるか見てあげるから、ズボン脱いで」
 頷いて、まず尻尾を抜いてから、ズボンと下着を一気に取り去る。キスだけですっかり上向き——、訂正、台所で抱きついたときから、すでに反応はしていた。
 青みがかった黒の瞳が、リタを映す。見られるのは恥ずかしい気持ちと、見てほしい気持ちと両方があり、ベッドの上で座り込んだまま静止してしまう。
 どうすればいいか問いかけるように、上目遣いで見ると、アルは視線の意味を読み取って指示をくれた。
「ちゃんと足開かないと見えないよ。膝立ててガバッと開く」
「でも、明るい……」
「朝だから当然だね」
「うぅ……」
「できるよね?」
 できる。リタができないことを、アルはそもそもやれとは言わない。
 両手を後ろにつき、言われた通り、膝を立てて足を大きく開く。ただ、尻尾を尻に敷いて前に回し、陰部を隠したままだ。
「横からはみ出て見えてる」
「だって……」
 なかなか角度が難しい。尻尾を動かして調節していると、ふわふわの毛で張り詰めた薄い皮膚が撫でられ、予想外の刺激に思わず腰が浮く。
「ひゃあっ」
「なるほど。それもいいおもちゃになる」
 アルはプッと吹き出し、半端に隠れたリタの恥部を興味深げに眺める。顔から火が出そうだ。この間、隠してあったおもちゃ——張型が見つかってしまったのを思い出したから。
 アルに構ってもらえないのが寂しくて、切なくて、木材から磨いて自作したのだ。故郷では木彫り人形を作って小銭稼ぎをしていた。それよりも簡単だった。
 まずい。ありとあらゆる手段を使って一人遊びに耽っていると思われてしまう。全くの間違いではないが、尻尾が「使える」というのは、今日が初めての発見だ。
「尻尾ではこんなことしたことなくて……」
「じゃあ、一度そのまま続けてみるといい。自分でしてみな」
「触ってくれないの?」
 自慰なら一人で散々やった。触ってほしいし触りたい。愛し合うのは、二人でしか出来ないことだ。
「手伝ってあげるよ。全部脱いで、おいで」
 アルは壁に寄りかかって座り、両手を広げる。抱っこされながら、ということか。それなら、体温を感じていられるし、完全な一人遊びにはならないか。
 上の着衣も脱いで全裸になり、彼に背を向ける形で腕の中に収まった。
「ほら、尻尾で気持ちいいってして」
 肩口から覗き込んでくるものだから、アルの長い髪が素肌に触れ、くすぐったい。
「……笑わない?」
「もう笑わない。リタのエッチなとこいっぱい見たい」
 その返事に安心して、再び尻尾を動かし始める。今度は自分自身を愛撫する目的で。
 左右にゆっくり細かく行き来させると、継ぎ目の部分も玉も竿も一気に刺激できる。なぜ今までこれを思いつかなかったのだろう。力の加減は難しいが、手でするより気持ちいいかもしれない。欲の強い身体は容易く快楽を追いかけ始め、アルの胸に体重を預けて、気怠い吐息を漏らす。
 アルはリタの髪にキスを落とす。
「先っぽは撫でなくていいの? ピンクのとこに露が浮かんできてるよ。すごく可愛い」
「ちんちん可愛いの……?」
「可愛いよ。よく見て」
「そうかなあ」
 可愛くはないし、ここを可愛いと言われるのは男としてどうなのだ。まあ、アルは誉めてくれているようだから、いいか。この人が喜ぶなら何でもいい。
 リタがすっかり没頭し始めてから、アルは「手伝い」を開始する。後ろからリタの獣の耳を唇で軽く噛んだり、内側の毛の薄い部分を舐めたり。ベッドの上でアルが与えてくれるものは、どれもこれも気持ちがいい。
 耳に加えて、指で乳首を摘まんだり捏ねたりされ、たまらず身を捩らせる。
「アルー……」
「いちいち耳が動いて可愛い」
「色んなとこいい……、いいよぉ」
 はあはあと荒い息をこぼす。股ぐらで勃ち上がったものは、だらだらと涎を垂らし、尻尾を濡らす。
「いっていいよ」
「でも……」
 尻に硬いものが当たっている。それをいつも受け入れている穴を意識して、尻尾を動かしてみる。口がきゅんきゅんと収縮して、切ない。
「入れないの……?」
「それは夜でもいいかなって。後片付け面倒だろう」
「アルのは?」
「リタが気持ちいいってしてるとこ見て抜くからいい」
「そんなのだめ。アルも気持ちよくなって」
 自分から彼の腕を抜け出て、四つん這いになる。ほっそりとしてしなやかな体躯をくねらせ、尻を突き出す。
「来てよ……」
「こうしてると、本物の猫みたい」
「人間じゃなくてやだ?」
「そういう意味じゃないよ。この耳も尻尾も、気持ちいいことに従順なところも、全部好き」

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