(2)拾われ猫の不安な夜

「へえ」
 魔術師が出てくる小説でも書いているのだろうか。髭のおじさんのところでも書く仕事をしていたらしいが、おじさんがあんなに必死に戻ってこさせようとしているところからして、結構な売れっ子作家に違いない。
 以前ちらりと目にしたことのある原稿は、文字がぎっしりで、とても難しそうだった。もっと文章を読むのに慣れたら、見せてもらおう。
 距離を詰めて、彼の腕に自分の腕を絡める。
「あのさ」
「なに」
「魔術のこと、なんで喋ってくれる気になったの? 内緒にしてたんでしょ?」
「まあ、内緒にしてたというか、あえて言わなかったというか……、同じことか。あの髭おじさんと僕の話、聞いてたんだろう? だったら、もう黙ってることもないかなって」
「聞いてたけど、早口すぎて、ほとんど意味はわからなかったよ」
「そうだったんだ」
「言わなきゃよかった?」
「まあ、いつかは言わなきゃって思ってたから、いい機会だったのかな」
「魔術が使えるっていうのは、普通は人に言わないもの?」
「人それぞれだよ。僕は言わない。この力で後ろ暗いこともいっぱいしてきたし」
 少しだけアルの緊張が増したのが、触れている部分から伝わってきた。多分、それ以上はまだ踏み込まれたくないのだろう。
「そっか」
「それについては聞かないの?」
「うん。話したくなさそうだから」
 知りたくないことはないけれど、彼が嫌がることはしたくない。きっといつかは話してくれる。その「いつか」は今じゃなくていい。秘密を一つ明かしてくれただけで充分だ。
 リタの獣の耳の付け根あたりを撫でながら、彼は言う。
「……ありがと」
 言葉の端に安堵の色を感じた。
 会話が途切れ、夜の静寂が流れる世界では、アルの規則的な息遣いさえ聞こえてきそうだ。そっと彼を窺う。その手には、まだリタの作った張型が握られている。本物と偽物が大接近しているというこの状況——。
 もしや、またとないチャンスでは。
「……お願いがあるんだけど」
「ん?」
「見比べてみていい?」
「何と何を?」
「それと実物」
 張型を指差し、次にアルのズボンの前を差す。
 彼はしばらくぽかんとしてリタを見つめていたが、重々しく息を吐き出す。
「……このしんみりした流れで言うこと?」
「二号を作るときの参考にしたいんだ。嫌?」
「エロスへの探究心がすごい」
「せっかく明るくしてくれたし、じっくり見たい。間近で食い入るように見たい」
「うーん。食い入られても困る……」
「お願いします!」
 もちろん、見たこと自体は何度もあるが、セックスは大概夜にランタンの薄明かりの中でするため、つぶさに観察したことはない。本物そっくりなものを作れれば、一人遊びの満足度が格段に上がるはず。
 好奇心で輝くキラキラ(まなこ)で訴えかける。リタが思っているより、威力はあったようだ。割と簡単に落ちた。
「……じゃあ、まあ、見る?」
「見る!」
 ではさっそく、とアルのズボンに手を掛ける。
「脱がせてあげるー」
「それは自分でやります。君も脱いで」
「はーい」
 元気よくお返事して、手早く全ての着衣を取り去る。アルは下を脱いだだけだったが、リタが当然のように全裸になったのを見て、それに合わせてくれた。
 ベッドに座ったアルの両足の間に入り、腹這いになって顔を近づける。通常モードでおとなしいそれを、指先でツンツンとつつく。
「まだふにふにー」
 これはこれで触り心地が良くて好きだ。
「真面目な話をした後だから、そりゃあね」
「どうやったらでっかくなる? 舐める?」
「できるの?」
「アルがしてくれるみたいにすればいいんでしょ?」
「無理しなくていいよ。君のやらしいとこ見てたら、勝手に興奮してくるから」
「今日は頑張ってみる」
 観察させてもらうのだから、そのくらい当たり前だ。それに、アルにしゃぶってもらうのは、蕩けそうになるくらい気持ちがいいので、アルにも同じようにしてあげたい。これまでもやろうとしたことはあったのだが、されるよりする方が好きだといつも遠慮されていた。
 アルから受け取った張型はいったん脇に置き、まだ柔らかいものに口づけてから、パクッと咥える。キャンディーのようにペロペロ舐めてみる。
「どお……?」
「続けて。歯は当てないように。唾液はたっぷり出してね」
「ふぁい……」
 言われたことを守るように気を付けながらやってみる。アルに舐めてもらったら、リタはすぐにシャキンと元気いっぱいになるのに、どうも反応がよくないように思う。口淫にだって上手い下手があるようだ。
 それでも諦めず、ぺろぺろちゅーちゅーを続ける。咥えて頭を上下させ、口に収まりきらない部分は手でしごく。そのうち、リタの方が興奮してきて、尻尾で股ぐらを触っていたのは無意識だ。
「……リタの、勃ってる」
「だって……。これ、早くほしくなってきて」
 何とか挿入可能な状態になっただろうか。口から彼のものを抜き、涎でベトベトになったものに頬ずりをする。いつもリタを満たしてくれる、大好きなもの。リタなりの愛情表現だ。
「見比べるんじゃなかったの?」
「やるもん。ちゃんとやる……。ねえ、これくらいでいい?」
「いいんじゃない」
「ふむ」
 すぐ側に顔を寄せ、じっと凝視する。
 この段差のところで中を引っかかれるのが好き。先っぽで奥を突かれるのが好き。血管が浮いているの、ドキドキする。知的好奇心というより、性欲の方が優先されて、鼻息が荒くなってしまう。
「……下のお口で食べたい」
「観察は終わりでいい?」
「うん」
「ここにおいで」
 アルは自分の膝を叩く。
「抱っこじゃなくて、横向きに寝てくれる?」
「こう?」
 彼の膝に腹を乗せ、うつ伏せになる。先に慣らすのだろう。指で、だと思っていたが、彼の手には張型が握られていた。すでにクリームを塗ってるようで、てかてかだ。いつの間に? リタがのんびりおしゃぶりしていた間か?
 張型が尻の割れ目をなぞる。
「安全かどうか試してみるね」
「それが? ちゃんと安全だよ。何回も使ってるもん」
「自分の目で見ないと心配だから」
「入れるの? 一人遊び用のやつなのに」
「いいからいいから」
 硬い人工の性器が窄まりに押し当てられる。小さめに作ってあるので、大した抵抗もなく入る。肉の壁がゆっくり拡げられていく。
「んっ……」
 中が侵入物の形に馴染んできたら、ゆるゆると出したり入れたり。徐々に早くなって、中がいやらしい水音を立てるくらいにされ、弱いところを重点的に攻められる。
 いやいやをするようにシーツに額を擦りつけ、ぎゅっと握り込む。同じものを使っていたって、自分でやるのと人にやってもらうのとでは、こんなに違うなんて。
「そこばっかりだめぇ……」
「おもちゃで気持ちよくなっちゃって……。僕のは要らないんじゃない?」
「要るもん。要る……」
 張型だって、アルにしてもらえばめろめろになってしまうけれど、やはりこれは生身で繋がり合うのとは別物だ。「満たされている」という感じがない。
 アルはいつもと違い、ひどく苛々していて意地悪だ。
「いくの我慢できなきゃ入れてあげない」
「そんな、ひどい。やっぱり僕がおもちゃ持ってるの嫌なんだ。それ捨てるし、二号ももう作らないから、ちゃんとエッチしよ? ……ひゃあっ、あっ」
 リタの言うことは聞き入れてもらえず、容赦なく追い詰められる。彼は快楽に弱いリタの身体を知り尽くしているから、絶頂に導くのは容易いこと。
「アル、ほんともうだめ……。やめ——」
 唐突に張型が引き抜かれる。
「……やっぱりいかないで。すごく入れたい」
 膝の上から下ろされ、腹這いの体勢で放り出される。尻たぶを掴まれ、丸い先端が穴に当たったかと思うと、ずんと奥まで突き入れられた。
「ひっ……」
 衝撃で息が詰まる。すでに限界ぎりぎりだった身体は、辛抱ならずに精を飛ばした。
 落ち着くのを待ってもらえず、繋がったまま両腕で抱え起こされる。両者とも膝立ちで、重なり合った匙のように、ぴったりと身体を沿わせた状態だ。
 彼の手がリタの首の角度を調節し、唇が重なる。激しく貪られながら、突き上げられ、揺さぶられるたび、リタのものがぶるんぶるんと弾んで残滓を散らす。
「アル、どうしたのぉ……?」
「リタが可愛いから……。僕の以外で可愛くなるの駄目」
「自分で突っ込んだのに焼きもち……」
「からかうつもりだったけど、なんか腹が立ってきて」
「……かわいー」
「うるさい」
 奥を突かれ、背をしならせる。
「あんっ……! もうおもちゃは使わないから……、アルのちんちんいっぱいちょうだい」
 アルの動きに合わせて腰を振る。耳の毛の薄い部分に歯が立てられ、乳首を掴む指先に力がこもる。
「いたいぃー」
「でも締まった」
 意地悪は継続中らしい。優しいアルはもちろん大好きだけれど、たまにはこういうのもいいかもしれない。
 無我夢中で彼についていくうち、いつも頭が真っ白になって、絶頂の瞬間のことしか考えられなくなる。
「またくる、きちゃう……っ、一緒にいこ……?」
「……うん」
 快感を溜め込み続けた器は、表面張力を超える一滴を注がれて溢れ出す。そこから()して待つこともなく、迸りが腹の内側に吐き出されるのを感じた。
 脱力した身体を力強い腕が支える。キスをして、そのまま二人でベッドに倒れ込む。中にいる彼のものがずるりと抜け出し、漏れ出てきた液がリタの太股とシーツを汚した。
 肩で息をしながら背を丸めると、下腹部で淡く光る文字が目に入った。
「あ、消えちゃう……」
 今日は文字を見て充足感に浸る余裕もなかった。
「これも魔術……?」
「うん……。この子は僕のだから、僕が守るよっていう誓いのサイン。術で僕たちを繋げて、離れていても、リタが僕を呼んだら伝わるようになってるんだ」
「すごく素敵」
「セックスしたら出てくるのは、元々パートナー同士が絆を深めるために使っていた術だからだよ。二人を結びつけるための術が、心身を結びつける行為に反応してる。術を掛けた時点では、まだ恋人になるなんて思っていなくて、使えそうな術を緊急手段として流用しただけだけど」
「いい。とってもいい。前に出なくすることができるって言ってたけど、絶対しないでよ」
「君がいいならいいんだ。縛られているみたいで嫌だったら、可哀想だと思って。この術を掛けたのは、マクシミリアンが君を連れ戻しにくるのを防ぐためだったけど、もうとっくに話はついているし……」
 マクシミリアンとは、奴隷商人からリタを買った男だ。この一帯の領主の息子だという。奴隷市から領主の屋敷へ馬車で連れ帰られる途中、隙を見て逃げ出し、必死で走っていたところを助けてくれたのがアルだった。
 術を掛けてもらったのは、彼が自宅に匿ってくれたその翌日のこと。自宅周辺をマクシミリアンの手下が探し回っているのを見かけたため、アルの留守中に連れ去られないよう対策を取ったのだ。
 後日、アルは領主の屋敷まで出向き、リタを自由にするよう話をつけてくれた。領主は息子のマクシミリアンとは違い、奴隷制度を良しとしない人格者で、息子を説得すると約束してくれたという。
 貴族社会において、たとえ継嗣であっても家長に逆らうことは難しいらしいから、マクシミリアンがリタを連れ戻しに来ることはないだろう、ということだった。
 さすがアル。リタにはない行動力。まだ恋人関係でも無いときにここまでしてくれたのだから、リタが全てを捧げてもいいと思うほど好きになってしまったのも、無理からぬことだろう。
 汗をかいた肌は急激に冷え、寒さを感じる。アルと向かい合わせになって、二人で毛布に包まる。
「僕はアルに縛られていたいよ。ずっと、ずーっと。それで、ずっと一緒にいたい」
「……そう」
「アルは? どう? 術を解いて、僕のこと手放したいって思ってる?」
「そんなことあるもんか。君はこんなに可愛いのに」
「……よかった」
 どうか、どうか、一生手放さずにいてくれますように。故郷の神様に祈りながら、目を閉じる。
「そのまま寝ちゃいな。後のことはやっといてあげる」
 髪を撫でる手のひらが心地よくて、すとんと眠りに落ちた。

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