(4)けんかするほど

 新入り二人が初めてミッシュ宅にやって来る日、ゼノも手伝いに入った。
 初日はまず、この家で暮らす上でのルールを説明してから、家の周辺を案内し、行っていい場所と絶対に行ってはいけない場所を教えた。その後は各々持ってきた荷物の片づけ。一気に言いすぎても忘れてしまうので、今日のところはこれぐらいでいい。二人とも素直な良い子でよかった。
 予定していたことがスムーズに終了し、まだ日が高いうちに帰宅できた。農場での仕事は朝のうちに終わらせてあるので、今日はもう外での用事はない。さて、これから何をしよう。
 掃除でも——、いや、その前に、ちょっと休憩。体力はある方だが、日々の畑仕事の疲れが溜まっている。たまにはいいだろう、昼寝くらい。ナジは今日も遅いだろうから、いない間に少しだけ。寝過ぎなければ問題ない。少しだけ、少しだけと念じながら、居間のソファでうとうとし始める。
 いつの間にか深く寝入ってしまっていたようだ。目が覚めたのは、身体に触れられている感覚があったから。目蓋を開けると、ナジと目があった。仰向けで寝るゼノの腹の上に跨がっている。
「え……」
「さすがに起きたか」
「なんで……?」
「お前らがよく集まってる食堂で、ミッシュがガキどもを連れてるところに出くわしてな。お前がもううちに帰ったって言ってたから」
「それで帰って来ちゃったんですか? まだ明るい時間なのに……」
「ちゃんとやるべき事は終わらせてきたぞ。何か不都合でも?」
「いいえ、滅相もない。……で、あの、これはどういうことで」
 ゼノは居間にいたはずだが、ここは寝室のベッドの上。それに、シャツの前が大きくはだけている。
 ナジの答えは簡潔だ。
「運んで脱がそうとしていた」
「……帰ってさっそく?」
「阿呆面で寝こけてるのが悪い。させろ」
「今日はお風呂がまだ」
「どうだっていいだろ、そんなの」
「よくはない——」
 ごねる口を唇で塞がれ、手が胸元をまさぐり始める。感じやすく変えられた乳首を摘まみ、先端を小刻みにくすぐる。こんなふうにされると、身体がすぐ色事モードに切り替わろうとするのは、彼の教育の賜物といったところか。
 ここは家だし、彼もゼノも外でやるべき事を終わらせた後だし、まあいいか。何だか顰め面でご機嫌斜めそうなのが気になったが、疲れているのだろう、多分。下着ごとズボンを脱がそうとしているので、腰を上げて協力した。
 脱がせた衣服をポイと床に放ったナジは、露わになったゼノの恥部を凝視する。そんなに珍しいものでもなかろうに。何百回と見ているはずだろう。
「……なに?」
「これ、最後に使ったのはいつだ?」
「は?」
「まさかこの年まで突っ込んだことがないわけじゃないだろう。食堂で、お前の元恋人って女を見たぞ」
「え、誰?」
 心当たりがないので聞いただけだが、ナジは明らかにむっとした顔になった。彼を怒らせるのは未だに心臓に悪いので、あからさまに表に出すのはやめてほしい。
「誰かわからないくらい数がいるのか。白黒模様のチビだよ」
「ああ、ユマかな? あの子とは別に」
「隠すことはないだろ。ミッシュがそう言っていた。あいつ、ゼノは他に貰い手がいくらでもあるんだから大事にしてやれ、だとさ。生意気なやつだ。本気で摘まみ出してやろうかな」
「やめてください。ミッシュは俺のこと心配してるだけで……」
 ゼノもだが、ミッシュもこの街でないと生きていけない一人だ。隣接する王都は、市民権を持っていないと足を踏み入れることさえ難しいし、他の貧民街も地方の村々も余所者には厳しい。レレシーから追放されたら食料調達さえままならず、行き倒れになりかねないだろう。
 幸い、ナジはそこまで冷酷な人ではない。
「冗談だ。……で?」
 半勃ちになりかけて、また平常時に戻ってしまったそれを二本の指で持ち、小さな丸を描くようにぐるぐる回す。
「……遊ばないでください」
「どうなんだよ」
「内緒です。ナジさんとこういうことするようになってからは誰とも……」
「なぜ言えない。あの女とはいつ頃付き合っていた?」
「内緒ですってば。過去のことなんてお互い言いっこなしでしょ。ナジさんだって言えないこといっぱいあるくせに」
 言い寄ってくるやつなんて掃いて捨てるほどいるのだから、さぞや派手に遊び回っていたことだろう。想像しただけで気分が悪くなる。
 肘をつき起き上がろうとすると、胸を押して止められる。
「俺には言えないことなんてないね。何が聞きたい? 初体験は——」
「聞きたくないです」
「俺は聞きたいから喋れ」
「嫌です」
 ぷいっとそっぽを向く。誰にだって他人に立ち入ってほしくない領域はある。どれだけ親しい間柄になったとしても、それは尊重されるべきだ。
 ナジはゼノの小さな反抗を鼻で笑う。
「そういう態度、俺には逆効果だって知ってるだろ」
 彼はゼノの両足を掴んだかと思うと、引っくり返して腹這いにさせる。
 もしかして、怒らせたか? 後ろを確認しようにも、首筋を押さえられていてできない。最近は些細な言い合いくらいでは、露骨に不機嫌になるようなことはなかったのに。
「なに……?」
「女の上で腰を振ってたときのこと、思い出させてやろうかと思ってね」
 首を放してもらえたのにはほっとしたが、許してもらえたわけではない。尻を高く上げた体勢にされ、背後から回ってきた手が性器を包み込んだ。両手を縦に重ねた筒のような形だ。潤滑クリームかオイルを塗ったのだろうか、ぬるぬるしていた。
 彼は尊大に命じる。
「ほら、動いてみろ」
「え、なに……」
「できるだろ。前に女とやっていたことと同じことをやればいい」
 『女の上で腰を振ってたとき』と同じこと、ということか? この手は女の穴の代わりで、過去を再現した疑似セックスをして見せろと? 信じられない。
「嫌……」
「尻に突っ込まれすぎて、やり方忘れたのか?」
「そんなことは」
「じゃあやれ」
 極めて不本意だが——。ナジは向きになったらなかなか引かない質だというのは知っている。加えて、悲しいことに、とりわけ性的な内容に関して、言いつけに背くべからずというのが身体に染みついてしまっていた。
 ぎこちなく腰を前後に動かす。恥ずかしい。なんでこんなこと。
「そんなんでほんとに抱けてたのか?」
「いきなりガツガツいくと嫌われますから」
「……あ?」
 ぎゅっと握られ、呻く。
「やっ……」
「ちょっとでっかくなってね? 痛いくらいの方が好きだよな、お前」
「ひどい」
「腰止まってんぞ。いくまでこのままだからな」
 尻を叩かれて動きを再開した。
 適度に摩擦があれば反応はする。でも、経験不足を嘲笑するためにやらされているようで、ひどく屈辱的だし、虚しい。
「こんなのやだ。気持ちよくない……」
「おっ立てといて何言ってんだ」
「好き同士でこんなことしないもん。意地悪でも強引でも愛してるってわかるようにしてくれなきゃやだ。前に戻ったみたいで不安になる」
 情けないやら悲しいやらで目頭が熱くなってきて、嗚咽が漏れた。
 股ぐらの締めつけが緩み、手が離れる。ナジの声に、ほんの少しだけ戸惑いの色が混じる。
「……これぐらいで泣くな。大したことしてないだろうが」
「気持ちがないのが嫌なんです。前に付き合ってた子がいたら、俺のこと嫌いになるんですか」
「そうじゃない。……嫌いになったわけじゃない」
 ナジは珍しく歯切れが悪い。
 自分で自分の尻尾を踏んづけないようにどけ、ゼノはシーツの上にぺたりと座る。相手に喋らせようと思えば、自分が先に言うべきか。
「ユマは薬草農園の娘で……、一緒に働いてるミッシュとかバロとか農園主の奥さんとかが、俺たちがお似合いだってくっつけようとしてた時期があったんです。恋人は欲しかったし、ユマはいい子だし、付き合ってみようとしたことはあったけど、でも、何かしっくりこなかった。好きってこんなんじゃないだろうって、ものすごく違和感があった。働きづらくなるの嫌だったから、早めに友達に戻りましたよ。他にいい雰囲気になった子も、全員同じような感じです。なんででしょうね。恋も出来ないほど子供だったのか、あの当時から男の方が好きだったのか。わかりません」
「それならそうとなぜ言わない。じゃあこんなことは」
「言いたくないですよ。経験ないなんて恥ずかしくて、ミッシュたちにも話してないのに。それに、あんな聞き方されれば、言う気があっても口をつぐみたくなります」
 ナジの横柄な態度には慣れているつもりだが、カチンと来るときは来る。
 彼の方を見てはやらなかったが、彼の視線がこちらを向いているのは感じた。
「……悪かったよ。ミッシュに生意気なことを言われて苛ついて、一回抱けば落ち着くかと思ったのに、あの女の顔がちらついて余計に苛々した。小さくて愛嬌があって、いかにもお前が好きそうな娘だったのが無性に腹立たしかったんだ」
「それ、やきもちってやつですよ、多分。俺だってナジさんが色っぽい美人に囲まれてるの、すごく不愉快だったし、憎らしかった」
「なるほど。だからあの時キレたのか。なかなか嫌な思いがするもんなんだな」
「やきもち焼いたことないんですか」
「自分のものに手を出されたら腹は立つだろうが、こんなどうしようもない気分になったことはないな」
 そうか。ナジも同じだったのか。だからと言ってこんなぶつけ方はどうかと思うけど。
 これはいい機会かもしれない。この先良好な関係を築いていくための。今度はしっかりと彼を見つめ返す。
「ナジさん、あの、俺たちはもっと自分の思いや考えを話し合うべきだと思うんです。ミッシュに言われたことが嫌だったとか、ユマの存在を知って嫌だったとか、はっきり伝えてくれた方がいいです」
「そういうの苦手なんだよ。知ってるだろ」
「出来る範囲でいいんです。頑張りましょうよ。俺も頑張るから。じゃないと、またお互い傷つけるし傷つくし、いつか取り返しのつかないことになるかも」
「それは困る」
「でしょ? 俺だって困ります。だから……」
「……わかった。努力する」
 頑固なナジから肯定的な返事が引き出せた。これだけでも大きな進歩だ。
「ありがとうございます。手始めに何か言っておきたいことはないですか」
「お前は?」

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