(四)冬——祝言

 祝言を挙げるなら早い方がいいとスイは張り切り、婚礼衣装が仕立て上がり次第、決行することになった。
 参列者は、今現在この屋敷に奉公に来ている蛇五名。彼らは裏方仕事もしてくれるらしいが、それでは手が足りないということで、かつて屋敷にいた蛇及び元蛇数名も呼ばれるという。完全に身内のみで執り行われるわけだ。
 神様同士の付き合いはないのだろうか。「人間に親切な者ばかりではないのだよ。安全な者だけを呼べばいいのだが、あいつは呼んだのになぜ俺は呼ばんのだと言い出すのもいて、ややこしいことになる。身内だけでこっそりとやるのが一番」とのことだ。
 着物を一から仕立てるのだから、早くても二月(ふたつき)、婚礼衣装だからもっとかかるかもしれない、とのんびり構えていたのだが、あっという間に仕上がってくる。ものの十日ほどだ。
 縫製だけでもそんな短期間では難しい思われるのに、白地の絹に白の糸で花の刺繍が全面に施されていて、とてつもなく手が込んでいる。職人の執念が籠もっていそうな細かさで、気が遠くなるほど時間がかかりそうだ。かなり前に作成を開始していたとしか思えないが、スイは「急かしたら頑張ってくれた」としか言わない。
 求婚を始めた頃から進めていたとか……。さすがにそれはないか。最初は求婚を断っていたわけだし。……ないよね?

 祝言の本番は衣装を受け取った二日後。蛇たちが慌ただしく準備をしてくれ、あっと言う間に当日を迎えた。
 一刻も早く夫婦になりたいという、スイの並々ならぬ熱意を感じる。求められて嫁に行くのは嬉しいのだけれど、そんなに急いでどうするのだという呆れも少しはある。
 式を控えて朝から緊張するレンを気にし、チョロは時々覗きに来てくれていたが、彼も彼で仕事があるようで、すぐに連れ戻されていた。何か壊したらしく、イチに怒られている様子も見かけた。
 レンも手伝いに行こうとするものの、何をすればいいのかさっぱりわからないし、聞いても教えてもらえない。「花嫁は何もしてはいけない決まり」なのだとスイは言うが、本当なのだろうか。
 夕方になって、純白の婚礼衣装に身を包み、いよいよ儀式に臨む。一つの盃で酒を飲み交わし、夫婦の契りを結んだ。
 終始そわそわしていたレンとは違い、スイはさすがに大人の威厳があるというか、落ち着いて堂々としていた。
 着崩した服装を見慣れているせいか、正装姿は知らない誰かのようだ。彼の主たる姿はこちらの方なのだ、おそらく。素晴らしく見栄えはするけれど、やっぱりいつものスイの方が好きだと思った。
 儀式自体は短く、あっという間に終了した。あとは宴会。無礼講というやつだ。参列者の蛇たちは浴びるように飲む。音楽に合わせて歌い、踊り、騒ぎ。
 スイはその中に入っていきはしなかったは、大分酒は進んでいるようだった。レンはこれまで酒を飲んだことはなく、儀式中わずかに口にしただけでも、頭がぽうっとしている。
 料理は美味しいけれど、帯がきつくてあまり入らないし、これ以上慣れない酒を飲んだらまずいことになりそうだし、酔っぱらいを見ているしかやることがない。楽しそうではあるが……、正直、あれに参加して彼らと同じように盛り上がれる自信がない。
 いつ終わるのだろうと考えながら欠伸をしていると、大口を開けているところをスイに見られてしまった。
「もう部屋に戻るか?」
「いいの? 一応僕たちのための集まりなんだし……」
「よいよい。式は終わったのだ。むしろ我らがおらん方が羽目を外せて楽しかろうて。行こう」
「うん」
 差し出された手を取って、静かに退室した。引き留められることはない。
 自室の前まで来て、彼は手を放す。そして、いきなり突拍子もない行動に出た。
 走り出して外廊下の欄干を掴むと、乗り上がり、衣装はそのまま池に飛び込んだのだ。
「スイ!?」
 酔っぱらいの転落か。誰か呼んでくるべき? 酔っぱらいだらけのこの屋敷に助けられる者はいるのか?
 突然の出来事に慌てていると、水面から頭が出てくる。平然と立ち泳ぎする彼に向かって叫ぶ。
「大丈夫!?」
「酔い覚ましに泳ぐだけだ」
「服のままは危ない……」
「何を言う。我は水神ぞ」
 そう言えばそうだった。溺れるはずなどない。まったく心臓に悪いな、もう。
 どっと疲れが襲ってきて、廊下に座り込む。
「……スイって、もしかして水神のスイから来ているのか?」
「いかにも」
「本当の名前はあるの?」
「長ったらしい名前はある。式の最中に言うておっただろう」
「緊張しすぎて覚えてない……」
「まあ、口頭で言うだけでは覚えづらいだろうから、今度紙に書いてやろう。そなたが私のことをたくさんスイと呼んでくれたおかげで、今はスイの方が気に入っている」
「スイはスイでいいの?」
「ああ」
 その方が助かる。彼を他の名で呼ぶ気にはなれない。
 欄干にもたれかかり、自在に泳ぐスイを眺める。月明かりが煌々と彼を照らし出す。水と戯れる彼はやはりとても綺麗。
「ねえ、スイ」
「ん?」
「チョロが蛇の姿になったように、スイも姿を変えるのか?」
「本来の姿はこれではないが、当然子蛇とは大きさが違うから、ものすごく嵩が張るのだ」
「見たい。駄目?」
「愛妻の望みなら叶えたいが……。まあ、そうだな。小さくしてもよいのなら」
「いいよ」
 彼は水に潜っていき、水面が凪ぐ。どんな風なのだろうとわくわくしながら待っていると、突如視界を真っ白に染まった。激しい勢いで水飛沫が上がって、大量の水が降ってくる。レンも廊下もびっしょりだ。
「衣裳が……!」
 職人の執念がこもった一張羅が大変なことに。どうしよう。絞れそうなくらいずぶ濡れだ。
「ああ、悪かった」
 頭上から声がして、肌にほのかな温かさを感じる。不思議なことに一瞬で乾いてしまった。
 声のする方を見上げる。宙を泳ぐ龍がいた。鱗に覆われた体躯は青白く光を放ち、天を向く左右一対の角は雄壮、風に靡くたてがみはふわりふわりと優美だ。
 現実の存在として目の前にいるのが信じられぬほど美しいが、こちらに向けられた穏やかな眼差しには、確かな面影を感じる。
「……綺麗」
「褒めてくれるのか」
「皆そう言うだろう。見惚れない者などあるのか」
「人はこれを見た途端、一様に怯えたような表情でひれ伏すから、さぞかし怖いのかと」
「怖くはないよ。スイは綺麗でかっこいい」
「そなたに褒められるのはよいものだな。我が花嫁は可憐で美しい。その衣装もよう似合うておる」
「……ありがとう。僕も実はスイに褒められるの好きだよ」
「なあ、もう少し泳いでよいか」
「うん。ここで見ているね」
 いつまでだって眺めていたい。
 眺めていたいのに、しばらくするとぼんやりしてきて、睡魔に襲われる。いつの間にやらレンは船を漕いでいた。

 目を覚ますと、そこは部屋の中で、布団の上にいた。上体を起こす。重たい婚礼衣装は脱がしてくれたらしく、緋色の襦袢姿だ。
 開け放った障子の前にスイがいて、池の方を向いている。いつものスイに戻っていて、彼も襦袢一枚。外はまだ暗く、遠くでまだ騒ぐ声と楽器の音がしている。おそらくあれからそう時間は経っていないのだろう。
 スイはこちらに(こうべ)を回らす。
「おや、起きたか」
「うん」
「疲れたのだろう。ゆっくりお休み」
「……本当にそうするのがいいと思っているなら、障子は閉めるし、灯も消すだろう。うるさいし随分明るい」
「ばれたか」
 彼の望みはわかっているつもりだ。
「一眠りしてすっきりした。できるよ、『初夜』」
「決して無理をさせたいわけでは」
「わかってる。でも、初夜が楽しみだと何度も言っていたから」
「何度も?」
「この十数日で十回は聞いた」
「……そうか。そんなに」
 この特別な日を、レンだって最後まで楽しみたい。
 しかし、その前にやっておかねばならないことがある。スイの前までにじり寄り、畳に両手をついて頭を下げる。
「これからどうぞよろしくお願いします」
「……こちらこそ」
「嫁いだからには良き妻になりたいと思っています。未熟者ですが、どうかご指導のほど……」
「突然どうした。そんな口上まで考えたのか」
「チョロと相談して……」
「何やらこそこそやっておったやつか。随分仲良くなったな。だが、あれは子供ゆえ、そういうことを相談するならイチの方がよい」
「イチさんはいつも忙しそうだから」
「確かに。ともあれ、そなたの気持ちは受け取ったよ。私も妻にしたからには幸せにすると約束しよう」
「もう幸せだから、別の約束にして」
「はは。そなたももう良き妻だ」
 スイは大きく腕を広げる。
「おいで」
 体当たりの勢いでぶつかっていったが、びくとも揺るがない。交わす口づけ。なぜか今日はとびきり甘い。桃や葡萄よりずっと。
 いつも彼に任せきりなので、たまには自分からしてみよう。さっそく四つん這いになって、頭を低くする。
「僕がする」
「はりきっておるな」
「だって初夜だから」
 彼の襦袢の裾をはだけさせる。いきなりのご対面だった。下帯がない。
「そっちの方がはりきってる……」
「否定はしないが、着けるのは元々好きではないのだ。人の世にいるときはあちらの習慣に倣っていただけ。ここに来てからは、昨日したときもその前も着けていなかっただろう」
「そう言えばそうか」
 早脱ぎしているのかと何となく思っていた。泳ぎたがりだから、着るものは少ない方が邪魔にならないのだろうな。
 まだおとなしいそれの、上についている方をそっとつかみ、竿全体を唇でついばむ。次に軽くぺろぺろと舐めた後は、口の中へ。大きくなってはきているから、収めきるのに苦労する。
「そんなに奥まで詰め込まんでいい。舐めるだけで気持ちいいから」
「んー」
「ここでくたびれられは困るよ」
 負けん気が出て頑張ってみる……が、苦しい。噛んでしまいそうで怖い。前に教えられたように、頬の裏に擦りつけながら、舌で愛撫することにした。夢中になって、口の端から唾液が零れる。
 スイはその様子を見ながら、ずっと頭を撫でてくれていた。
「そう、いいよ、上手」
 もっともっとよくなってほしい。口いっぱいに頬張って没頭していると、彼はレンの下帯に手を突っ込んで、股ぐらの割れ目に指を滑らせてくる。びくっとして歯を当ててしまうところだった。

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