(3)マフラーと横恋慕

 藤谷も情報収集だろうか、楓との出会いや彼の普段の様子などを聞いてきたので、適当に誤魔化して答えてやった。同じ会社の先輩が楓の知り合いだったとか、うちに来たときはテレビを見ながらごろごろしていることが多いとか、当たり障りのないことだけで、自慢になるようなことは何も言っていないが、それでも藤谷は落ち込んでいた。落ち込むぐらいなら聞かなければいいのに。よく晩ご飯を作って待ってくれているとか、夜は寒いから引っ付いて寝ているとか、そんなことを言ったらどうなるのだろう。
「俺だって、俺だってね。可愛い恋人とラブラブちゅっちゅ生活がしたいんですよお」
「すればいいじゃんか。お前ならできるよ」
 なぜなぐさめているのか自分でもよくわからなかったが、世話焼きが身についているため自然と口から出ていた。藤谷はぐずぐずと鼻をすする。泣き出すのはやめてほしい。そこまで面倒は見きれない。
「でも、先輩はー」
「それは諦めてね」
「悔しいなあ。だって伊崎さん、超いい人でかっこいいんだもん。俺、結構色々言ってんのに優しくしてくれるし。好きになったらどうしてくれるんですか」
「ずいぶん惚れっぽいんだな。もしもそうなったらお断りするしかないなあ」
「ひどい! また振られるんですか、俺」
「お前さあ、酒飲んでないのに酔っぱらいみたいになってるぞ。ほら、食べ終わったろ。出るぞ」
 いよいよ藤谷の目が潤んできたので、伝票を持って立ち上がる。そろそろ一時間少々経つし、解散の頃合いだろう。
「うわあーん。伊崎さーん」
「はいはい」
 抱きついてこようとするのを素早く避けてレジに向かう。もしかして懐かれてしまったのか。藤谷にとって亨はにっくき恋敵だったはずだろう。思い切り嫌な男を演じた方がよかったか。
 涙を拭うのに忙しい藤谷を待っているといつになるかわからないので、支払いは亨がまとめてした。大した金額ではないのでいいのだが、呼び出されたのはこちらなのに釈然としない。
 駅の改札の前まで送ってやり、ついでに口元のソースも拭ってやった。
 亨は彼とは別の路線の改札へと連絡通路を歩く。帰って楓に先ほどまでのことを話すと、どうしてそこまでするのかと呆れられてしまうかもしれない。どうしてと言われても、こういう性格なのだから仕方がない。
 今度の日曜日はいよいよ楓の誕生日だ。その日は一日お姫様、もとい王子様に傅いて、何でもお願い事をかなえる日にしようと決めていた。

「あー、バカバカ、亨のバカ!」
 誕生日当日の日曜日。楓は実家で苛々を持て余し、自室のベッドに枕を叩き付けていた。最大の原因は亨のドタキャンである。何やら仕事でトラブルがあったとかで、昨日も休日出勤だったのに、それでは片付かず、今日までつぶれるらしい。
 詳しくは聞かなかったが、他人のミスのとばっちりを自ら貰い受けに行っているような気がしてならない。「手伝うから一緒に頑張ろう」なんていかにも言いそうだ。今日は楓が存分に構ってもらう日だったのに。
 誰にでもいい顔をしすぎるのだ、あいつは。水曜日にだって、藤谷の呼び出しに応じてやって、相談に乗ってやったらしい。よりにもよって自分の恋人に横恋慕している男の恋愛相談。「人のものに手を出すな」と一発ぶん殴るぐらいすればいいのに、親身になってどうする。楓が持って行かれてもいいのだろうか。番になろうと約束したのは嘘だったのか。
 ちょっとは独占欲みたいなものを見せてほしい。縛られたい欲求が湧き上がってきて不満が止まらない。
 水曜日の時点でかなり腹が立っていたので、昨日電話でドタキャンを告げられたとき、爆発を起こしてしまった。「しばらく実家に帰らせてもらいます!」と宣言し、昨日から出戻っている。その後の電話もメッセージも全部スルーだ。
 こんなに気が立っているのは、発情期予定期間に入り、抑制剤を服用していることもある。年々改良されていっているとは言え、強い薬には違いないので、どうしても副作用が出る。人によって副作用の出方は様々で、楓の場合は精神的に不安定になりやすい。実琴は吐き気や頭痛がすると言うし、桜はいつもより少しだけ気分が悪くなるだけなのだと言う。
「ああ、駄目だ駄目だ」
 頭ではわかっている。少し冷静にならなければ。腹立ちを押し殺そうとするように枕を抱きしめる。
 このまま家にいても、色々考えてしまい恨み言ばかり吐き出してしまいそうなので、外に出ることにした。冬服の買い物でもしよう。ブーツもほしい。自分に似合うものを着て鏡を見ると心が晴れる。
 どんどん亨宅に荷物が移っているため、実家には着られるものが少なくなっているが、何とか探し出して着替え、居間に顔を出す。居間のテレビの前では、桜がすっぴんのジャージ姿でだらしなく横になっていた。彼女はあくびしながら楓に顔を向ける。
「あら、出掛けるの? お誕生日デート? いいわね」
「違うよ。あいつ、仕事」
「え、誕生日忘れられたの? かわいそう」
「覚えてたよ! でも、急な仕事なんだって」
「じゃあ仕方ないわね。お姉ちゃんとデートする?」
「しない。……ん?」
 桜の足にかかっている布に見覚えがあった。近寄って見てみると、楓の持っているマフラーの柄と同じだ。同じというか、マフラーそのものではないか?
「ババア、それ、俺のマフラーだろ」
「ああ、そうよ。これよく借りてるの。膝掛けにちょうどよくって」
「勝手に持ってくんじゃねえよ」
「何よケチ。使ってないときはいいじゃないのよ」
「化粧とか香水の匂いとか付くのが嫌なんだよ」
 マフラーを奪い返すと、桜はわざとらしく足をさすった。
「寒いわー」
「布団でもかぶってろ」
「持ってきてよ」
「やなこった」
 舌を突き出すと、マフラーを首に巻き、コートを羽織る。幸い、マフラーから大した匂いはしなかった。
 桜はカーペットの上で丸まったまま手を振る。
「いってらっしゃい。次はいつ帰ってくるの?」
 彼女は最近、楓の外泊にうるさく言わなくなった。泊まる先の住所もそこで誰といるのかもはっきりしているからだろう。だが、以前とは逆に連続で帰りづらくはなった。
「今日も帰る」
「なんで? 伊崎と喧嘩したの? あ、ドタキャンされたからってぶち切れたんでしょ。ダメよ、そんなことじゃ。すぐ振られるわよ」
「彼氏ころころ変えてるお前に言われたくねえよ!」
「モテちゃってごめんなさいね。あんたはモテないんだから今のを大事にするように」
「うっさい!」
 なぜこう毎回毎回人の気に障ることを言うのか。大事にしなければいけないなんて、楓の方がよくわかっている。あんなに誰かを好きになるなんて、きっとこの先一生ない。さっさと次を探せる桜とは違う。
 ニヤニヤと意地悪く笑う姉に向かって、拳を振り下ろす振りだけすると、足音荒く居間を出た。

 電車に揺られ、主要駅まで出る。いつもはここで乗り換えて亨宅まで行く。ついついそちらの改札の方に足が向きかけるが、今日の目的地はこの駅直結のファッションビルだ。
 いったん地下に降り、観光客がよく迷う複雑な道のりを進み、また地上に出る。そこで、またしてもあの男に出くわした。
「せーんぱーい!」
「……お前、なんで?」
 ピッカピカの一年生藤谷である。よく懐いた飼い犬のように駆け寄ってくる藤谷は、今日も今日とて元気そうだった。
「この間会ったとき、伊崎さん、この駅よく利用するって言ってたから、この辺うろうろしてたら、先輩や伊崎さんや先輩や先輩に会えるかなって。ほんとに会えてすっごくテンション上がってます!」
「ちょっと怖いんだけど」
 学外でまで待ち伏せか。すでにストーカーに足を突っ込みかけていないか。ストーカーなんて、どこかのエキセントリック馬鹿息子だけでお腹いっぱいだ。
 通行人が迷惑そうにしていたので、地下街出入り口の脇に避けると、藤谷もそれに続く。
「お久しぶりですね!」
「大学で会ったばっかだろ」
「最後に会ったの水曜日ですよ。めっちゃ前じゃないですか」
「そうか?」
 亨と藤谷が会ったのが水曜日だから、それ以降は顔を合わせていなかったわけか。とはいえ、一年生の藤谷とは違って楓は毎日講義を入れているわけではないので、よく会っている方だとは思う。
「今日はデートじゃないんですか?」
「俺だって一人で買い物することぐらいあるよ」
「はいはーい! 俺も一緒に買い物行きたいです! どこ行くんですか?」
「ここ」
 楓は歩道を挟んで真横のショーウィンドーを指す。煌びやかにクリスマスデコレーションされ、男女二体のマネキンが最新の冬物を着せられて並んでいた。
「服ですか? 邪魔しないんでついていっていいですか?」
「来んな」
「いいじゃないですか。デートじゃなくて友達と遊ぶってことでいいですから。ね?」
「……友達?」
「そうです。行くでしょ、友達と買い物。そんな感じで気軽に。俺、今日は求愛しませんから!」
 こちらを見つめる大きな眼はたいそう真剣だった。断るのは骨が折れそうだ。苛々がピークの精神状態で、怒鳴らずに追い払える自信がない。この男に楓をどこかに連れ込む度胸があるとも思えないし、誕生日を一人で過ごすという寂しさが紛れるから、荷物持ちくらいならさせてやってもいい。
「……好きにすれば」
 余計なことをするようなら、すぐ逃げればいい。藤谷は途端に瞳を輝かせた。
「はい!」
 宣言通り、彼は「友達」から逸脱するようなことは何もせず、ときどき口を挟みながら、いくつかの店を見て回る楓の後ろをおとなしくついて回った。
 それが済んだ後、藤谷が家具屋に行きたいと言うので、こちらに付き合わせておいて突っぱねるのも申し訳なくなり、一緒に行った。冬物の布団やこたつ、スリッパなどを買い、まとめて配送してもらっていた。一人暮らしをして初めての冬で、色々入り用なのだと言う。
 買い物は楽しかった。店を巡り、藤谷とくだらない話をするうち、苛立ちは徐々に薄らいでいった。彼は人懐こくて裏表がないので、求愛行動さえなければ、本当に友達にならなれるかもしれないとさえ、このときは思った。
 もう楓のことは諦めてくれたのかもしれない。諦めた上で、友達として仲良くなりたいと思っているのかも。もしかしたら、水曜日に亨が上手く言ってくれたのか? 文句を言ってごめん、と心の中で謝罪しておく。
 それぞれの買い物が終わった後、歩き回って疲れ、休憩がてらカラオケへ行くことになった。音痴なので一度は拒否したが、楓は歌わなくていいと言うし、藤谷の奢りらしいので了承した。
 部屋に入ってから、藤谷はマイクを離さず、ずっと歌っている。妙に上手い。
 料理も藤谷持ちだと言うので、楓は遠慮なく注文し、もりもり平らげた。朝起きるのが遅かったせいで胃が目覚めておらず、昼ご飯を食パン一枚で済ませたため、腹が減っていたのだ。

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