(小ネタ13)ハッピー・ウェディング

【時期→かえでシロップ番外編『ハロー、ベイビー』の後】

 梅雨が明けてすぐの七月、大安吉日。
 白とピンクを基調とした乙女チックな一室で、楓は着替えをしていた。普段着から白のタキシードへ。こんな気取ったものを着るのはもちろん今日が初めてだ。
 楓は大抵どんな服でも似合うから、もちろんこれも似合う。姿見の中の自分は、多少寝不足だろうととびきりハンサムで、お姫様を迎えに来た王子様のように見えた。そうだ。衣装自体はいい。問題は——。
「やっぱすごくいいじゃん」
 着替えを終えた亨は満足げに言って隣に並ぶ。姿見に映る、お揃いの衣装。タイ、ポケットチーフのみ色違いだ。
 こういうのを世間ではこう言う。
「うわあ、めっちゃペアルックじゃん。ダ……」
「ダサいは禁止。堂々とペアルックが着られるのは、こういう時かテーマパークに行った時だけだぞ」
「テーマパークでペアルックやってるバカップル嫌い。だいたいさあ。普通のスーツでよかったのに」
「そういうわけにも。それ、似合ってるよ、すごく」
「似合うのはわかってるよ。でも、ペアルック……」
「真宮さんたちもそうだったじゃん。あの時ダサいって思った?」
「思わなかった」
「だろ? せっかくだから楽しもうよ。もうこんな機会、一生ないんだし」
 亨は上機嫌で楓のタイの歪みを直す。
 お前も似合ってるよ、と言うべきか。タイミングを逃してしまった。彼は普段仕事に行くときでもノーネクタイだから、なんというか、ギャップがあって戸惑う。
 当初はこんなものを着る予定ではなかった。結婚のお披露目会として、皆で食事をしましょう、くらいのつもりだったから。それが変更になったのは藤谷のせいだ。
 楓たちが会場を探していると聞いた藤谷は、知人のレストランオーナーに話を通しおくと言い出した。本人がやる気なので任せたが、彼はこちらの説明をよく理解しておらず、「レストラン・ウェディング」を行うものとして、勝手に話を進めてしまっていた。そのレストランはウェディングも扱っているところで、結婚式も披露宴も行える施設を持っていたのだ。
 藤谷が送ってきたパンフレットと見積もり書から、幸い早々に彼の勘違いに気づいたが、やりたいのはただの食事会だという訂正はされなかった。「どうせなら式からちゃんとやりたい」と亨が乗り気になったから。
 安定期に入ってから腹が目立ち始めるまでの間に行いたい、となると、日が迫っていたこともあり、楓が面倒がって口を出さないでいる間に、どんどん決まっていってしまった。
 そして今日、式当日。どこがレストランだとツッコミを入れたくなるような立派な結婚式場にやってきた。スタッフと簡単な打ち合わせをした後、こうして新郎新婦控え室で着替えを済ませたわけだった。
 食事会から結婚式と披露宴になったせいで変更になったことは様々だが、そのうちの一つに招待客の人数が増えたことがある。たかだか三十人程度で、一般的に見れば小規模ではあるものの、会ったことのない亨の職場の同僚まで来る。結婚式、自分たちが主役、ということは、彼らの注目を一斉に集めることになるのだ。
「緊張する……。駄目だー。宣誓文、絶対噛む」
「気楽にいけばいいよ。噛んだら噛んだで、それも思い出」
「やだ。どうせならスマートにかっこよくやりたい」
「駄目だ駄目だと思ってたら、余計に失敗するぞ」
 それはそうだろうが。元々人前で喋るのは苦手だ。どうしたって構えてしまう。
 亨は特に緊張を感じている様子もない。昨日も目が冴えて眠れない楓の横でぐっすり寝ていたし。楓は繊細なのだ。まったく、呑気で羨ましい。
 態度も匂いも明らかに浮かれている彼は、目の前に左手を突き出す。
「なあ、久しぶりにあれやろう」
 自分の薬指を飾る指輪を外し、掌に載せた。あれ、の意味はわかる。
「今?」
「いいじゃんいいじゃん」
「……仕方ないなあ」
 楓も揃いの指輪を取って、彼の掌に置く。窓から入る光に翳しながら、亨は二つの指輪を重ねる。内側に浮かび上がったハートマークの刻印。番になった記念日に、彼は毎年これをやりたがる。あの日の気恥ずかしさや喜びを思い出そうとするように。
「うん、やっぱいいな」
「もうすぐスタッフの人に預けなきゃなんないんだっけ?」
 式中に指輪交換の演出がある。この指輪をもらった時すでにやったが、お決まりの流れに乗っかっておくようだ。
 日頃からずっと付けっぱなしでいるため、外しているのは落ち着かない。左手の薬指には指輪の型がついている。
「寂しいけど、離れてんのは少しの間だよ」
 さあ、本番はもうすぐ。
 
 
 式、披露宴は滞りなく終了した。今日一日で一生分くらいの「おめでとう」を聞いた気がする。
 二次会は行わず、披露宴後に解散。二次会無しの理由は「楓が妊娠中だから」で通してもらった。悪阻の時期が終わり、体調は万全なのだが、二次会をやっても来るのは亨の知り合いばかりだろう、体調が良かろうが悪かろうがあまり行きたくない。知らない人間に気を遣うのは苦手だ。
 招待客たちが帰り、精算が終わった後、会場をもう少し使わせてもらえるというので、しばらく居残りすることになった。記念写真撮影の続きをするためだ。式、披露宴中は、カメラマンを買って出た亨の同僚二人が撮影してくれていたのだが、亨は自分でも撮りたいらしい。カメラはその同僚の一人が使っていたものを借りた。
 他に残っているのは、藤谷と桜だけだ。母は昨夜急に夜勤の仕事が入り、疲れていたようなので、先に帰ってもらった。亨側の親族は仕事が忙しいと帰宅。いられても気まずいだけなので良かった。半分家族といってもいい真宮一家のことも、実人がお眠の様子だったため引き留めなかった。
 式を行った天井の高い真っ白な一室で、楓を被写体にして亨は黙々とシャッターを切る。カメラに写り込まない席でリラックスしている藤谷は、撮影は気にせず喋りかけてくる。
「先輩、渋ってましたけど、やっぱりちゃんと結婚式やってよかったですよ。俺もう感動しちゃって、開始十分で泣きました」
「何でお前が泣くんだよ……」
「あの先輩がお嫁に行くんだなって。幸せに、幸せになってください……、うぅ」
「また泣いてんのか。籍入れただけで特に何か変わるわけねえだろ。バーカバーカ」
「バカとか言わないでください。胎教に悪そうです。五ヶ月になったら、もう耳聞こえてるんですよね? 先輩に赤ちゃんが産まれたら、俺絶対また泣く」
「お前には見せてやんねえ」
「ひどい! 俺の甥っ子ちゃんか姪っ子ちゃんじゃないですかー」
 藤谷はハンカチ片手に鼻をすする。桜は呆れ顔だ。
「なんだかんだ言って仲良いわよね、あんたたち」
「桜さん、俺たちも早く可愛い赤ちゃんほしいですよね!」
「仕事との兼ね合いがあるから、すぐにとはいかないわ」
「先輩のとことイトコ同士仲良くできたらいいなあ。ふふふ」
 夢と希望に満ちあふれた藤谷は、今日も今日とて幸せそうだった。
 こうして無駄話をしている間も、亨は手を止めない。よく飽きないものだ。
「そんな何枚もバチバチバチバチ……」
「できるだけたくさん記録に残しておきたくて。そのまま自然にしてていいよ」
「俺も桜さんのこと撮りたいな。外に出て撮ってていいですかね。伊崎さーん、スタッフの人、何か言ってました?」
「いいんじゃないの。庭にも出ていいって言ってたぞ」
「行きましょうよ、桜さん」
「面倒くさい」
「ほら、ちょっとの間でも二人っきりにしてあげたいですし。ね?」
「……もう、はいはい」
 桜は重い腰を上げる。彼女を引っ張って、藤谷は出て行った。
 チッと舌打ちをする。
「俺らを出しに使うなっての」
「いいじゃん。ゆっくり撮ろ」
「お前は映んなくていいのか?」
「俺が入ってるのは磯川さんや三木ちゃんが撮ってくれてるから。個人的に楓の写真コレクションを増やしたいだけ」
「ほんと俺の写真好きだな。スマホの待受、ずっと俺だし」
「好きだよ。お腹大きくなったらさ、マタニティフォト撮らない?」
「やなこった」
 産むとは決めたが、自分の身体がこれから大きく変わっていくのにはまだ不安を感じる。記録に残すことには抵抗があった。
「いい思い出になると思うけどなあ。産んだ後に撮っときゃよかったと思うらしいよ」
「やなもんはやだ」
「無理強いはしないけどね。気が向いたらでいいよ」
 足が怠くなってきたのか、亨は手近な椅子に腰を下ろすと、カメラのデータのチェックを始める。
「なかなかいいな。磯川さんも綺麗に撮ってくれてる」
 カメラの液晶モニターを見せてくる。式、披露宴中の写真で、同じようなものが何枚もある。どれも良いと言えば良いが、よく見ると、半目になったり間の抜けた表情だったりするものが混じっていて、後から確認してきっちり削除する必要がありそうだ。こんな晴れの日の記念なのだから、自分がかっこよく見えない写真は残したくない。

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