(4)やきもち

 後期試験終わりで大学が長期休暇に入ってから、凛太は平日ほぼ毎日アルバイトをしていた。駅前の高層ビル二十五階にあるコールセンターで、ひたすら客からの電話注文に応じ続ける仕事だ。人手不足なので電話の鳴り止むときが少なく、ほぼ喋り通しで疲れると言えば疲れるが、座っていても立っていてもいいし、空調は効いているし、体力的には楽だった。
 長期休暇が終わるまでの短期で、土日に休めるところを探していて、友人の相田が自分のアルバイト先を紹介してくれた。土日もシフトを入れてほしいと社員から再三言われているが、これは絶対に譲れない。面接の時にちゃんと入れないと伝えているし、どうしても入れろと言われれば辞めるまでだ。脩と過ごせる週末を潰してまでお金は欲しくない。
 この日、相田とちょうど昼休みがかぶったので、一緒にランチを取ることになった。ビルの一階にあるコンビニで、相田は弁当、凛太はサンドウィッチを買ってきて、コールセンターの休憩室で客の愚痴を言い合いながら食べる。
 凛太は早々に食べ終わり、スマホを取り出す。先ほど撮影した本日のサンドウィッチの写真と『またコンビニだよ。脩ちゃんのお弁当食べたい!』というメッセージを送る。脩が暇なら返信が来る。十回送って三回返ってくればいい方だ。忙しいのはわかっているから、それでいちいち怒ったりはしない。ただメッセージを読む数秒だけでも、凛太のことを考える時間が増えれば、それで満足だ。
 メッセージの吹き出しが並んでいるのを見返していると、隣の相田が重々しくつぶやく。
「ああ、彼女ほしい……」
「へえー」
 スマホから目線を上げず、適当極まりない相槌を打つ。相田とは中学生からの付き合いで、これまで何百回と聞いた台詞だ。いい加減聞き飽きた。
 相田は声を尖らせる。
「聞いてんの?」
「聞いてる。彼女ほしいんでしょ」
「自分はほしくないみたいな顔しやがって」
「彼女ほしいってなんか違うと思う。好きな人と付き合いたいって言うのだったらわかるけど、単に誰でもいいから付き合いたいみたいに聞こえる」
 凛太は脩だから付き合いたかったのであって、他の男しか手に入らないのなら彼氏なんていらない。
 わかってないなと言いたげに、相田は大仰にため息をつく。
「そんなこと言ってたら、彼女いない歴を一生更新し続けることになるぞ。俺は高校の時彼女いたから、一回リセットされたけど」
「あれって一ヶ月で振られたやつでしょ。付き合ったってことになるの?」
「なるの! お前はいいのか、お前は。なんでそんな余裕かましてんだ」
 ラブラブの彼氏がいるから、と答えられればすっきりするだろうが、そんなことをしてしまえば、他に説明しなければならないことがぼろぼろ出てくるので、ぶっちゃける度胸はない。ただ投げやりに言うだけだ。
「いいよ、僕は別に」
「へえ、そんなこと言ってていいんだな。せっかく女子いっぱい来る飲み会に誘ってやろうと思ったのに」
「飲み会? 何の? 行かないよ、めんどくさい。そもそも僕たちまだお酒の飲める年じゃないよね」
「堅いこと言うなよ。ナオ兄のいるサークルの集まりだから、きっと可愛い女の子多いぞ」
 ナオ兄とは相田の兄で、同じ大学の三年生だ。大学だけではなく、中学校も高校も同じ。相田兄弟も凛太も、中学校から大学まで一貫の内部進学組なのだ。中学生の時に相田を通じて知り合ったナオには、勉強を教えてもらったり、観光地へ旅行に連れて行ってもらったり、何かと世話になっていた。
 この相田ナオという人は、中学校にいる時からとにかくよくモテた。勉強もスポーツもできて、少女漫画の世界の住人のようにハンサムで、おまけに皆に親切だし、意外とお茶目なところもある。これで女子が寄りつかないはずがない。学校で見かけても、ナオの周りにはいつも美人がたくさんいた。
 それは大学に入っても変わらず、ナオの所属する食べ歩きサークルには、あわよくば彼とお近づきになりたいという女子学生が大勢籍を置いているという話だ。
「ナオ兄のサークルの飲み会ねえ。みんなナオ兄目当ての女の子なんじゃないの? 絶対そんなとこ行かないって言ってたじゃん」
 相田は兄に対抗意識を燃やしており、いくら彼女がほしくても兄の手は借りない、と宣言していたのだが、どうやら方針転換するらしい。
「背に腹はかえられないんだよ!」
「ふーん、じゃあ頑張って来たら」
「凛太は行かないのか?」
「行かないってば。ナオ兄とは久々に喋りたいと思うけど、女の子群がってて無理だろうし」
 ナオには相田の家へ遊びに行けば会えるので、そちらの方が簡単だ。わざわざややこしい集まりに顔を出す必要はない。
 しかし、相田は引かない。
「来いよ」
「なんで?」
「味方がいないと心細いんだよ! 頼む。来てください」
 彼はテーブルに手をつき頭を下げる。協力してやりたい気持ちもあるが、凛太には他に圧倒的一位の最優先事項があるので、それに重ならない場合だけだ。
「えー。それっていつ? 週末はやだよ?」
「今週金曜日」
「金曜日は駄目。……ああ、いいか。あんまり遅くならないなら」
 スマホのカレンダーアプリを確認すると、この日は脩が遅いとある。大学の同期と飲み会らしい。晩ご飯を一人で済ませてから脩宅に行こうと思っていたが、相田兄弟(とよく知らないサークル仲間たち)と食べてもいい。
「お前の分の支払いは俺がするからさ。食べ歩きサークルの選んだ店だから、きっと美味しいぞ。な?」
 相田はおねだりするように上目遣いをしてくる。だが、全然なっていない。首の角度が甘いし、目はもっと潤んで見えるようにしないと可愛くならない。
 どうでもいいことが気になったが、相田が可愛くても可愛くなくても返事は変わらない。
「……うん、まあ、じゃあいいかな。でも、適当に帰るからね」
「うん、ありがとう!」
 お礼のつもりなのか何なのかわからないが、どすどすと背を叩かれて痛かった。
 
 
 金曜日。居酒屋の畳敷きの個室に集まったのは、十一人の男女だった。女性が五人、あとは男。この人数、女子のめかし込み具合、ナオと凛太をのぞく男の気合いの入り具合、まるで合コンだなと思った。ただのサークルの集まりというより、そちらの方がしっくりくる。相田は凛太が嫌がると思って、わざと説明しなかったに違いない。しかし、合コンにしろ何にしろ、料理上手で優しい素敵な彼氏のいる凛太には、全くもって関係がない。
 凛太をのぞけば男女比がちょうど半々になるし、ただの付き添いは頭数には入れられていないだろうと判断し、なるべく目立たないように隅っこに座った。会話には一切参加せず、盛り上げようと必死な相田のうるさい声を聞きながら、勝手に注文してひたすら食べまくった。海鮮系が売りの店で、カニの天ぷらが特に気に入って三皿オーダーした。どうせ支払いは相田と他の男性陣の割り勘だ。凛太の懐は痛まない。
 一人でいる凛太を可哀想に思ってか、三人の女の子が代わる代わる話しかけてきた。彼女たちは皆同じようなこと、たとえば学部はどこかとか、誰の紹介で来たのかとか、彼女はいるのかとか、なぜ合コンに来たのに一人で食べてばかりなのかとか、そういった内容のことを尋ねてきた。「ぼっちに話しかけてあげる優しい私」アピールかと内心思いながらも、それを表に出すほど子供ではないので、愛想笑いだけはしっかりして、表面上は丁寧に答えた。会話が途切れると、彼女たちは適当な理由を付けて、賑やかな輪の中に戻っていった。
「みんなと食べないの?」
 声をかけてきたのは四人目の女の子ではなく、ナオだった。女子たちに囲まれていたはずだが、抜け出せたらしい。カニクリームコロッケを掴んだ箸を置き、凛太は頷く。
「うん。相田が来てって言うから来ただけだもん」
「レオが無理言っちゃった感じ? ごめんねー」
「ううん。ただで美味しいもの食べられてラッキーだった。カニいいよ、カニ。カニあんかけかかった大根も、地味だけど美味しかった」
「そう? よかった」
 ナオは凛太のすぐ側に腰を下ろすと、耳元で声を潜めて言う。
「凛太くんって、今付き合ってる人いるでしょ」
「え、なんで?」
 思いがけない内容で、不自然なほどじっとナオを見返してしまう。
「ちょっと外で話そっか」
 にっこり笑って、彼は出入り口の襖を指差す。緊張を隠せずに顔を強張らせて頷き、凛太は促されるまま個室の外へ出た。
 廊下の壁にもたれかかり、ナオは切り出す。
「さっきから女の子にアプローチされても無反応だから、他にすごく好きな人がいるんだろうなって」
 なんだそんなことか、と胸を撫で下ろす。男と付き合っているとか、その相手が誰だとか、ひた隠しにしていることまでばれたわけではないらしい。ばれるような心当たりはないが、秘密なんてどこから漏れるかわからない。
 早鐘を打つ心臓をなだめながら、首を振る。
「アプローチとかじゃないよ。ぼっちに気を遣ってくれたんだよ」
「違う違う。ちょっと話聞こえてきたけど、あわよくばちょっかいかけてやろうとしてた感じだって。だけど、あんまりにもガードが堅すぎて諦めたんだよ」
「そうかなあ。僕、これまで女の子にモテたことないよ?」
「あれだけしっかりブロックされちゃ、踏み込みたくても踏み込めないよ。凛太くんの彼女はあの子たちより可愛い?」
「可愛いところもある」
「どんな子?」
「えっと……」
 どう言うのが一番適切か、考えあぐねていると、ナオはいきなり核心を突いてきた。
「違ってたらごめんね。彼女じゃなくて彼氏?」
「……え」
 ばれたわけではないと安心していたこともあって、とっさに言葉が出なかった。ナオは穏やかな表情のままで、その質問に含むものがあるのかは読み取れない。
「やっぱり。前から思ってたんだよね。君は昔から女の子に興味なさすぎ。かと思えば、僕のこと熱のこもった目で見てきたりして」
「そんなことしてない」
 即座に否定する。凛太は脩に出会ってからずっと彼一筋で、目移りなど絶対にない。
 眉根を寄せる凛太をなだめるように、ナオはいかにも育ちが良さそうな品のいい笑みを浮かべる。
「中学生の時の話だよ。高校生のいつ頃からだったかな、君が僕を見つめることがぱったりなくなって、ああ、これは好きな人ができたんだなって思った」
「……」
「正解でしょ。安心してよ。僕も同類だから。同類っていうか、両方大丈夫な人なの、僕は」
「……そうだったんだ」
 ナオに嘘をつくメリットなどないだろうし、おそらく本当のことなのだろう。以前脩は「同じやつは結構いる」と言っていたが、こんなに身近にいたとは。しかし、それで不安が消えるわけではない。ナオのことは信用に足る人間だと思っているが、脩とのことを他人に隠そうとするあまり、つい神経質になってしまう。
「あの、このことは」
「わかってる。皆には内緒にする。レオにもね。だから僕のことも内緒」
「うん、わかった。ありがと」
「お互い様だよ」
「それから、あの、僕はね、確かに『そう』なんだけど、ナオ兄への『好き』はそういう『好き』じゃなかったんだよ。かっこいいなって思って見てただけで」
 憧れ以上でも以下でもなかった。あの時は恋がどんなものかも知らない子供だったのだ。今だってまだ大人になりきれていないけれど、あの時よりはいろいろな感情を知ったし、経験も増えたからわかる。
「そうなの? 残念。凛太くんはもともとかわいかったけど、大学生になってすごく色っぽく見えることが増えたから、一回お相手願いたいなって思ってたんだけどな」
「冗談やめてよ、もう」
 いつも紳士なナオにしては下世話な物言いだと思った。
 ナオは軽く肩をすくめ、凛太の顔を覗き込んでくる。綺麗な容貌だと思うが、見つめられて胸がときめくことはない。
「彼氏、どんな人?」
「うーん、内緒。ねえ、そういえば相田は?」
 ナオから逃れ、襖の隙間から先ほどまでいた個室の中を確認すると、相田の姿が見えない。ナオは自分を指差す。
「ここにいるよ」
「ナオじゃなくてレオの方」
「トイレじゃない? 僕たちが出て行くちょっと前くらいからいなかったよ。あいつはほら、緊張するとお腹痛くなっちゃうから。ていうかさ、話逸らすならもっと上手くやってくれる?」
「ごめん」
 上手くやろうとしたつもりだが、露骨すぎたようだ。

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