放課後の密会とか逢瀬とか、もう字面だけでもいやらしいと思う。
多くの生徒が下校し、人がまばらになった教室で、宮野恵瑠は密会予定相手からのメッセージをチェックする。スマホの待機画面に通知はなし。
——まだ終わんないのかなあ、委員会……。
早く会いたい。二人で。
「なあ、恵瑠」
「……」
「恵瑠ってば」
この後のお楽しみにすっかり意識を持って行かれていたのだが、友人によって現実に引き戻される。前の席に座った丸川凌が、椅子の背に肘をついてこちらを見ていた。
「……え、なに、凌ちゃん」
「だからぁ、三年の理香先輩の話。この前皆で遊びに行ったとき、お前、告られたんだって?」
「告られた? 俺が?」
「違うの? 伊澤がそう言って……」
「ないよ、ない。今度二人きりで遊びに行こうよって言われただけ」
「それ、完全に気があるやつじゃね? 当然オッケーしたんだろ?」
「してないよ。行くならまた皆で行きましょうよって言った。だって皆で行った方が楽しいもん」
「うわあ、もったいない。なんで? 理香先輩めっちゃ可愛いし、巨乳だし、優しいし。それにさあ、Subって噂があるの、知ってる?」
「SubってDomとSubのSub?」
「そう。聞くところによるとSubってエロいらしいじゃん。一回してみたいな。意地悪プレイみたいなの。ちょっと虐めてやったら、すぐめろめろになっておねだりとかしてきそう」
この友人に他意はないのはわかっているが、こっそり溜息をつきたくなってしまう。満たされたプレイが成立するのは相手との信頼関係があればこそで、互いに関係を築く努力は必要だ。無条件で誰にでも簡単にそうなるわけではない。
「偏見……」
「だって、身近に第二性持ちなんかいないから、噂を頼りに想像するしかない」
「そうかもだけど」
第二性、その言葉だけはよく聞かれるようになってきた。
男女とは別の第二の性——支配を望むDom、そして、従属を望むSub。性的嗜好とはまた別の生まれつきの性質を持ち、程度の差はあれ、第二性を持つ者はその本能的にそなわった欲求が満たされないと、心身に異常を来すこともある。
この国で彼らの存在が確認され始めたのは、近代以降のこと。もともと、この国の住人の大多数を占めていた民族は、第二性の遺伝子を持っていなかったのだが、第二性が存在する他民族との婚姻が進んだことにより、第二性持ちの数は徐々に増えていった。
特にここ二、三十年の人口の伸びは顕著。とはいえ、いまだ圧倒的マイノリティであることに変わりはなく、全人口に占める割合は一割にも満たないという。
実のところ、恵瑠も曾祖母が移民であった関係で、第二性持ちのSubであった。偏見はそこかしこにあるため、到底オープンにできる環境ではないし、親しい友人にも話したことはない。
実際、Sub=虐げられるのが好きな人、だからひどい仕打ちをしてもいい、という誤解から、学校で虐めの対象となるケースもあるらしい。それはひとえに学校教育が不十分であるが故、とテレビでは言われていた。恵瑠もそう思う。
学校で第二性について教えることがカリキュラムに組み込まれ、皆「第二性」や「Dom」や「Sub」という言葉だけは知っているが、その理解は表面的だ。当事者以外に、下手をすると当事者にさえ正しく伝わっていないこともある。
カタッという音がして、ドアの方を見る。そこにはクラスメイト——メッセージの返事待ちの相手がいた。メーカーカタログ通りに乱れなく制服を着こなした彼は、手にした鍵を胸の前で揺らす。
「君たち、そろそろ施錠するぞ」
気づけば、教室に残ってたのは、恵瑠と凌の二人きり。恵瑠の前に凌が応じる。
「委員長じゃん。いっつも真っ先に教室から出てくのに、今日は遅いんだね」
「委員会だ」
「ご苦労様でーす」
「用がないなら出てくれないか?」
「鍵貸してよ。俺らで施錠して、職員室に鍵返しとくから」
「では、頼めるか」
「はいはーい」
ひらひらと手を振る凌に振り返しもせず、委員長は教卓の上に鍵を置き、きびきびと去っていった。
凌はこちらに身を乗り出し、声を潜める。
「……これも想像でしかないんだけど、ああいうタイプって彼女出来たことなさそう」
「ああいうって?」
「真面目な優等生。休み時間にまで勉強してるタイプ」
「でも、ああいう感じがいいっていう子もいるし」
「そうなの? まあインテリっぽいのが好きな子もいるかもだけどさあ。付き合ってもつまんねえって、絶対」
「そうなんかなあ」
あれはあれで熱狂的なファンがいるのだ。多分お前よりよっぽど経験積んでるぞ、なんて言ってやったら、どういう反応をするだろう。
——いや、こんなところで話し込んでいる場合じゃなかった……。
委員会が終わったのなら。
「悪いけど、俺、時間だから帰るわ」
立ち上がって、鞄を持つ。
「え、伊澤たちとカラオケは? あいつら待ってたんじゃねえの?」
「ごめん。また今度」
「なんだよ。お前、最近付き合い悪いぞ」
「ほんとごめんってば」
追いかけないと。
校門を出たところで、委員長——城谷聡司の姿が見えた。すっと伸びた綺麗な背中に声をかける。
「待ってよ、聡司くん」
「……学校では話しかけないんじゃなかったのか?」
「門を出たし、もう学校じゃないもん。誰もいないし、大丈夫だよ」
「君がいいならいいけど」
「うん」
駆けていって隣に並ぶ。一緒に帰るなんて初めてかもしれない。夕暮れ時、住宅街の中の緩やかな坂を下っていく。
学校ではあえて距離を置くようにしているが、恵瑠は彼と極めて親しい間柄だった。
切っ掛けは、第二性持ちという共通点があったこと。彼はSub性ではなくDom性だったが、同じマイノリティ同士で話が合うことも多く、仲良くなるのは早かった。
彼も第二性のことは学校で大っぴらに話してはいない。隠しておきたいことが何の拍子に表に出てしまうかわからないから、それを防ぐため、念には念を入れて学校での接触はできる限り避けている。
会うのは秘密。だからこれは密会——刺激的で楽しい言い方をすれば。
「聡司くん、聡司くん」
「なに」
「今日は家に行ってもいいんだよね?」
「ああ」
「コンビニでお菓子買っていこっか。この間言ってたバナナピザ味美味しかったよ。あと、飲み物、マンゴーココナツミルク、あれもよかった」
「へえ、そう」
「聡司くんは……」
「いらない。お茶は家にあるし」
「そっか……。じゃあ、俺もやめとこっかな。甘いのばっかり摂ってたら、太るよね」
「僕にあわせなくても、君の好きにすればいい」
「……」
「……」
恵瑠は浮かれてスキップでもしたい気分なのだが、聡司の態度はどうも素っ気ない。
「聡司くん、ねえ」
「なに」
「なんか怒ってるの?」
「別に怒っていない」
「嘘。怒ってる。そういえば、さっき教室で目を合わせてくれなかったし……」
「あの時は丸川と喋っていて、君と喋っていたわけではないから」
「そうだけど、じゃあ今もこっち見てくれないの、なんで?」
これからせっかく二人で過ごせる時間なのに。
知らないうちに何かしてしまったのだろうか。昨日の夜にメッセージのやり取りをしているときは普通だったが。
彼はちらりとこちらを見て、またすぐ逸らす。
「……聞いてない」
「なにを?」
「君が女に言い寄られていたって」
「ああ、理香先輩のこと? 聞いてたんだ。だから、言い寄られたわけじゃなくて、遊びに誘われただけだよ」
「同じことだ。いい? そういうことがあったときは僕に報告して。もしかして、他にもあるんじゃないだろうね」
「わりとよくあるよ。二人でお弁当食べたいとか、チケット余ってるから二人で行こうとか。全部断ってるけど」
チッと優等生らしからぬ舌打ちが聞こえる。
「今からでも報告。言われた相手、日時、内容」
「全部は覚えてない」
「覚えている範囲内でいいから」
「はい……」
しゅんと肩を落とす。こんなことで怒られるとは思わなかった。だって断っているのに。
「……俺には聡司くんが一番だよ」
「当然だ」
わかっているなら怒らないでよ、と小さく抗議してみたが、聞き流された。
学校から歩いて十分弱の楽々通学の場所、落ち着いた住宅街の一角に、聡司の住まいはある。豪邸というほどではないものの、それなりに立派な門構えで、広い庭もある。
両親は仕事で不在にしていることが多く、年の離れた兄二人は現在別に居を構えているらしい。つまり、聡司一人で家を好きに使い放題の羨ましい環境なのだ。そのおかげで、恵瑠も頻繁に呼んでもらえる。
結局、寄り道してコンビニに寄ってもらい、お目当てのバナナピザ味スナックを買ってから訪問した。二階の彼の部屋に通された恵瑠は、部屋のドア付近で立ったまま彼を窺う。
——今日はいったい何をするんだろう……。
恵瑠の顔に浮かんだ期待を読み取ったのであろう、彼は薄笑いを浮かべる。
「脱げ」
「……」
「……って言ってもらえると思った? 宿題が先」
まんまと引っかかって胸を高鳴らせてしまった恵瑠は、実に単純だ。
「もう!」
「一時間で片付けて。それを過ぎたら、今日のプレイはなし」
「え、無理だよ! いっぱいあるし」
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