(1)きっかけはおみくじ

「転校生っていうことより同い年ってことに驚いてるの? 俺、そんなに老けてるかなあ。傷つくー」
「そんなことないですけど……。浴衣姿がすごく大人っぽかったから、てっきり年上なんだと」
「タメだから。ということで、いい加減敬語は取るように。メッセージで何度も言ってるのにさあ」
「うん……」
 夏祭りで一度会っただけのかっこいいお兄さんから、同じ学校の同級生へ。それだけで一気に親近感が湧く。
 もの言いたげな視線を背後から感じる。羽島と千田がじっとこちらを窺っていた。授業中の質問のように、羽島が手を上げる。
「利都くん、そのイケメンは誰ですか?」
「えっと……」
「今日転校してきた大川稔実(おおかわとしざね)でーす」
 利都が答えるまでもなく、稔実が進んで自己紹介した。A組の学級委員長千田にも情報が回っていたようだ。
「そう言えば、B組に転校生が来るって先生が言ってたな。利都の知り合いだったのか」
「知り合いっていうか……」
 稔実は利都の腕を取って引き寄せる。悪い予感はしたが、止める間もなかった。
「利都の彼氏だよ。よろしくねー」
「……彼氏?」
「彼氏?」
 顔を見合わせる友人たち。周囲にいた生徒たちのざわめきも聞こえる。
 思わず非難めいた声を上げてしまう。
「ちょっと、稔実さん!」
「なあに?」
 彼は終始ご機嫌の様子だった。

 稔実が一緒に帰りたいと言い出し、是非どうぞと羽島、千田に送り出された。
 自転車置き場まで向かおうとして、利都も稔実も自転車通学だと判明。さらに二人とも家が北公園の近くでご近所らしい。偶然というのは重なるものだ。
 校門を出て、自転車を押しながら歩く。利都の口数が少ないのを、さすがにおかしいと察したのだろう。彼がこちらの顔色を気にしだしたのは感じた。
「……もしかして怒ってる? 駄目だった? 皆の前で彼氏って言っちゃったの」
「怒ってるというか……。俺たちは出会って日も浅いし、今日で会ったの二回目だし、全然恋人感ないのに、堂々と宣言されちゃったのにはちょっとびっくりした」
「ごめんね? また利都と会えたのが嬉しくて浮かれちゃってた」
 また利都と会えたのが嬉しくて——このセリフだけで許したくなる。何より、周囲にキラキラの幻覚が見えるようなこの顔で謝られると、文句を言い続けることは難しい。
「もう済んだことは仕方ない……、です、はい」
 ごにょごにょと返す。
 羽島はゴシップ好きのお喋りなので、明日には学年中に知れ渡っていることだろう。他にも廊下や教室で聞いていた生徒もいるだろうし。はあ、どうしよう。
 叫んで走り出したいくらいだが、そこは抑え、カラカラカラカラ、坂道を下る。
「稔実さんは本気? 俺と付き合うっていうの」
「本気じゃなかったら、交際申し込みも交際宣言もしないよ?」
「それもそう……か。でも、男でも女の子でも、俺よりスペック高いのといくらでも付き合えると思うよ、稔実さんなら」
「ん? なんで? 利都とは運命なんだから、他の人なんて」
「運命って、同じおみくじを引いたからでしょ? ただの偶然だって、あんなの」
「そんなことないって俺は信じてる。まあ、初めはそんなに真剣に考えないでさ。友達の延長くらいに思ってよ。気軽に気軽に、ね」
「はあ……」
 気軽にするものなのだろうか。恋人としての交際って。よく考えずに交際をオッケーしてしまった利都はどうなのかという話だが。
 喋っているうちに北公園の前まで来る。まだもう少し話したいと彼が言うので、寄っていくことにした。
 公園には同じく始業式帰りであろう小学生が何人かいた。この暑さの中、彼らのようにはしゃぐ元気はないので、木陰になっている隅のベンチに並んで座る。
 汗を拭っていると、稔実は自動販売機で冷たいスポーツドリンクを買ってきてくれた。この外見でこの気遣い、さぞかしおモテになることだろう。羨ましく思いながら缶を受け取る。
「あ、お金……」
「いいよいいよ。小銭、持ち歩きたくないんだ。また今度奢って」
「ありがとう」
 これくらいの奢りなら遠慮が勝つことなく受け取れる。缶を開けて一口、喉を下っていく冷たさが心地良い。
 缶を額に当てて体温を下げようとする利都とは違い、彼は涼しい顔だ。手にしているのはただの缶ジュースなのに、ティーカップで紅茶を飲んでいるような優雅さ。汗一つかいている様子がない。べたつくことを知らなそうな肌は、きっといつだってさらさらなんだろう。
 知らず、不躾に見つめてしまっていたらしい。彼が首を傾げると、明るい茶色の髪がさらりと流れた。
「どうしたの?」
「あ、いや……、何でも」
「そう? ならいいけど」
 さきほどの自分の目には健全でないものが含まれている気がして、何となく気まずい。誤魔化すための話題を探す。
「稔実さんは、なんで転校してきたの? やっぱり親の仕事の都合とか?」
「稔実さん……」
「なんかもう慣れちゃって。嫌?」
「いいよ。君の好きなように呼んで。……うん、転校してきたのは、父親が海外転勤になったから。母親もそれに付いて行くことになって、俺は祖父母の家に」
「そっかー。前の学校はどの辺?」
「ふふ」
「なに?」
「俺のこと知ろうとしてくれてるんだね。嬉しいな。親しくなる第一歩だね」
「そういうわけじゃ……、うん、でも、稔実さんのことは知りたいって思う」
「ほんと?」
「ほんと。だって、稔実さんみたいにかっこいい人、初めて会ったから。どんな人なのか興味がある」
「かっこいい? 君にはそう見える?」
「俺だけじゃなくて皆そう言うでしょ」
「皆じゃないよ。俺の周りはヘタレ扱いするやつばっかり。ふふ、そっか。かっこいいか」
 謙遜しているような風もなく、彼は純粋に喜んでいるように見えた。
 この人がヘタレ? 中身はどこか抜けていたりするのかな。かっこいいだけじゃないなら、仲良くなれる余地はあるかもしれない。知っていけるのかな。知れたらいいな。
 澄み渡った空の下、並んだ二人の距離を繋ぐように、風が駆ける。
「利都はずっとこの街?」
「うん、引っ越したことない」
「いい街だよね。利都とこの街で学校に通えて嬉しいな」
「そっか」
 なぜ利都と、というところにやはり疑問は残るが、幸せを噛み締めているような様子が、こちらの笑みも誘った。

 翌朝。稔実とは自宅マンションの玄関前で顔を合わせることになった。わざわざお迎えに来たという。昨日の帰り道、マンション前まで来たとき、ここに住んでいると話したから、場所は知っていて当然なのだが、予告なしの訪問に少々面食らった。
 訳を尋ねると、少しでも利都との時間を確保するためなのだと可愛いことを言う。朝っぱらから少女漫画的なときめき要素をぶっ込んでこられると心臓に悪い。こういうことに不慣れで免疫がなさすぎるのだ。
 慌てて支度を整えて、一緒に登校する。幸いなことに、校舎に入っても昨日の件で騒がれることはなかった。二人でいるのをちらちら見られる程度だ。
 別クラスなので教室前で別れる。次は放課後かな、また一緒に帰るという流れかな、と考えていると、昼休みにも彼は弁当を持って現れた。
 利都はいつも羽島、千田と三人で食べているので、今日は一人増えて四人。机を二つ引っつけて食卓とする。
「お邪魔しちゃってごめんね」
 申し訳なさそうにする稔実に、千田は委員長らしく返す。
「いえいえ、どうぞどうぞ」
 打ち解ける前の、居心地が悪くなるようなぎこちない空気。共通の知人である利都が仲良くなれるよう気を回すべきなのだが、そもそも利都と稔実も仲がいいというレベルまで達しておらず、ただただ緊張して皆の顔を見回すだけ。
 こんな時に頼りになるのが羽島だ。羽島は人と人の間の垣根を壊すのが上手い、というか、垣根があったことに気づかず、ずかずかと踏み込んでいくような所がある。
「なんか大川くんのお弁当、すごいな」
「これ? お腹空いちゃって……」
 稔実の前には、お節料理の重箱並に大きな弁当箱が二つ。利都と羽島も弁当だが、稔実の弁当箱一つでその二倍の大きさがある。ちなみに千田は毎日購買パンを食べている。
「量もすごいけど、色だよ、色。全部茶色じゃん」
「唐揚げと肉巻きおにぎりだよ。一日目だから張り切って作っちゃった」
「え、稔実さん、これ自分で作ったの?」
 箸箱を開ける手を止め、彼の大きな弁当をまじまじと見つめる。唐揚げも肉巻きおにぎりも食事処で出てきそうな立派な見た目だ。朝からこれだけのものをこれだけの量調理するなんて。料理好きの利都の母でさえ、毎日の弁当は大変だと言っているのに。
 彼は首肯する。
「うん。大人は仕事が忙しいから……。食べる?」
「いいの?」
「お一つどうぞ」
 差し出された弁当箱から唐揚げをもらう。俺も俺もと羽島が言い出し、羽島も千田ももらっていた。
「美味しい……」
 冷めているのに衣サクサクで肉は柔らかく、濃いめの味付けもいい。緑木橋ご当地唐揚げとして売り出せそうだ。
 料理の出来るイケメンは最強だと聞いたことがある。なぜ利都に懐いてくるのかますますわからない。
「お返しに俺のプチトマトをやろう」
 羽島が自分の弁当箱から取り出そうとしたのを、千田が止める。
「それはお前が嫌いなだけだろ。でも、大川くん、ちょっとは野菜も食べた方がいいかもなあ」
「野菜嫌い。俺は肉だけで生きていける」
「いや、無理だろ」
 その千田のツッコミには、利都も同意である。
 大口を開けず品良く食事をしているのに、大量の弁当箱の中身が素早くなくなっていく不思議な光景を、自分の食事も忘れて眺める。利都と同様、呆気に取られて見ていた羽島が問う。
「大川くんは肉食系なのね。あっちの方も? まあ、その顔なら当然か。うらやましい」
「あっち……? 基本肉食の雑食かな」
「雑食って何。誰でもオッケーってこと?」
「……?」
 稔実は首をひねっている。下ネタの意味が通じていないらしい。この人に下ネタなんて似合わない。すかさず助け船を出す。
「卵焼きなら食べられる? うちの母親のだし巻き美味しいよ」
「うん。もらう」
 彼は口を開け、自分の口元を指差す。これはもしや——。
「……食べさせろってこと?」
「あー」
 大きく頷く。期待に満ちた目に負け、自分の弁当箱からだし巻き卵をつまんで、稔実の口元へ持って行く。一気に一口でなくなった。
「んー、おいしー」
 それはよかった。よかったが、できればしたくなかった話のきっかけを、自ら与えてしまうことになった。ゴシップ好きの羽島がうずうずし出したのがわかる。
「……お前ら、昨日のやつ、やっぱり本当なの? 彼氏がどうとか」
「うん!」
「即答だな、大川くん。無邪気な笑顔が眩しいぜ。皆の代表として、聞かねばならん使命があるから聞くけど、いつから? 馴れ初めは?」
「そんなこと興味あるの? 稲荷神社の夏祭りで俺から声をかけたんだよ」
「要するにナンパね。さすが肉食」
 好奇心を剥き出しにさせているのは羽島だけかと思いきや、千田も口を挟む。
「先月の夏祭りからってことは、まだまだ付き合いたて?」
「そうそう。なんか照れるー」
 違う、照れている人はそんなに堂々としていない、と心の中だけで反論しておく。
 羽島は稔実と利都を交互に見比べる。……わかっている。見劣りするのは。これだけ差がありすぎると悔しい気持ちも湧かない。

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