(1)きっかけはおみくじ

「大川くんが料理の出来る肉食イケメンでも、男と付き合ってるってだけで全てが許せる不思議。なんで利都がナンパのターゲットになったさっぱりわからんが」
「可愛いじゃん。タンポポみたいで。ねえ」
 同意を求められても何と答えていいのやら。タンポポというのは果たして誉め言葉なのか? やや丸顔で細っこい体つきなのが似ているといえば似ている、のかな。
 安心して気が抜け、ほっと息をつく。
「……よかった」
「ん、何が?」
「昨日いきなりカミングアウトなんかするから、もうどうなることかと思ったけど、二人とも案外普通でよかった……」
 カミングアウトの失敗談を、母親たちやその友人から聞くこともあった。済んだことは仕方ないと彼に言いはしたものの、昨日の夜は母親たちの話を思い出してあまり眠れなかった。杞憂だったからよかったが。
 稔実はわかりやすく焦り出す。
「……え、あ、ごめん。ごめんね? あの時は言っちゃ駄目なことだなんて思ってなくて」
「悪気が全くないのはわかってるから、いいよ、もう」
「利都、優しい……!」
 唐突にぎゅっと抱きついてくる。頭に頬をぐりぐりと擦りつけられ、逃れようとするが意外なほど力が強い。
「うわあ」
「かわいいかわいい」
「やめてー」
 痛くはないが、恥ずかしくてハグを堪能するような心境にはとてもなれない。彼の背中を叩いてタップアウトをするも、通じていない。
 千田と羽島は助けてくれもせず、呑気にお喋りしていた。
「大川くんってなんていうか、天然の不思議系だったんだな」
「だなー、ちょっとギャップ萌え」
 俺もかも、と、これも心の中だけで言った。

 初対面の人間にいきなり求愛してきたこともあり、稔実は恋愛慣れしているものだとばかり思っていたのだが、彼の距離の詰め方は非常に高校生らしかった。
 登下校を一緒にする。昼ご飯を一緒に食べる。お互いがそれぞれの家にいるときはメッセージのやり取りをする。そして、休日に出かける。
 週末買い物に付き合ってほしいと誘われてから、利都はずっとそわそわしていた。引っ越し後に足りないものが出てきたため調達したいらしい。登下校や昼休みはわずかな間だが、何時間もずっと行動を共にするわけだ。上手く振る舞えるだろうか。
 約束の日の朝、寝不足で眠たい目を擦りながら、居間に顔を出す。キッチンで調理中の母と朝の挨拶を交わす。
美春(みはる)さん、おはよう」
「おはよー。もうすぐスープができるからね」
「うん」
「クロワッサン何個焼く?」
「二つ」
「オッケー」
 ハミングしながら、美春は鍋を覗き込む。小皿にスープを掬って、味見。ひとつ頷く。納得できる味になったのか、火を止める。稔実も料理上手だが、こんな感じでやっているのかな。
 土曜の朝のいつもの光景。だが、一人足りない。
政美(まさみ)さんは?」
「まだ寝てる。昨日遅かったからねえ。もうちょっと寝かしといてあげて」
「そだね」
「顔洗っておいで。その間に用意しとくから」
「はーい」
 顔と歯を洗ってから戻ってくると、食卓には朝食が並んでいた。野菜たっぷりミネストローネにクロワッサン、スクランブルエッグ、ソーセージ。朝から元気が出るメニュー。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
 美春は政美が起きるのを待つようで、食事は一人分だけだ。利都の前の座り、コーヒーを飲む。
「今日はお友達とお買い物だっけ? この頃毎朝迎えに来るハンサムな子。あの子、礼儀正しいし爽やかでいい子よね」
「彼は友達というか」
 彼女になら話してもいいだろう。こういうことに理解のある人だ。友人たちには喋りづらい諸々を誰かに聞いてもらいたい、という思いはずっとあった。
「実は付き合ってって言われて……、うっかりオッケーしちゃった」
「え、そうなの? わあ、利都って今まで全然そういう話なかったのに」
 それまでおっとり喋っていたのだが、語尾が跳ね上がって早口になる。いわゆる恋バナというものは、彼女の大好物なのだ。もう一人の母である政美は、その辺割とドライなのだが。
 話し始める前に、まずはミネストローネを一口。いつも通りの安心する味だ。
「こないだの夏祭りで声かけられてさ。これまで誰にもあんなこと言われたことないからびっくりしてる」
「えー、いいじゃない。青春だわぁ。私と政美ちゃんも出会ったのは高校の時だったのよ。あの頃からすごく綺麗だったから、憧れてる子が多くてねえ。私はずっと遠くから見てるだけだったんだけど、声かけてもらえたときはすごく嬉しかった」
「へえ。政美さんは高嶺の花って感じだったの?」
「ええ、そりゃあもう。モッテモテだったのよ。なんで私なんかって思ったけど、あまりに熱心に来てくれるものだから。うふふ、懐かしいなあ」
「ちょっと似てるかも。モテそうなのに俺なんかなんでって、今すっごく思ってる」
「利都は政美ちゃんと同じ血を引いてるんだから、とってもハンサムよ。頭いいし可愛いし、私たちの自慢の息子だわ」
 いつものことだが、手放しで褒められるのは照れを感じる。
 利都の実母は事故で早世した政美の妹だ。実母はシングルマザーだったため、引き取り手として姉の政美とその恋人である美春が手を挙げてくれた。事故があったのは利都が一歳にもならない頃だから、実母の記憶はない。利都の親は彼女たち二人で、愛情深く育ててくれたことには感謝しかない。
「……ありがとう」
「利都なら大丈夫! 『俺なんか』なんて思わずに、こっちからぐいぐい行くくらいでないと。頑張れ!」
「うん……」
「そうねえ、デートには服も大事よ。この間買ったシャツ、あったじゃない。あれ着ないの?」
「気合い入れすぎって思われるのもなって」
「なに言ってるの。好きな子がデートでお洒落してきてくれたら嬉しいに決まってるじゃない。食べ終わったら着替えて。コーディネート見てあげる」
「じゃあお願いしようかな」
 友人たちにはマザコンだと言われるかもしれないが、母親の励ましというのは誰より何より一番効果があるものだ。

 稔実は約束の時間通りに迎えに来た。
「いってらっしゃい。利都、がんばれ!」
 美春に送り出され、出発。駅へ向かう。駅へは稔実の家の方が近いから、こちらから迎えに行く方がよかったかもしれない。
 美春の指導の成果はすぐに出た。
「今日はもしかしておめかししてきてくれた?」
「まあ、ちょっとだけ……」
「似合ってる。可愛いね」
 可愛い、なんて同い年の男に言われて嬉しいものだとは思わなかった。朝からこんなにドキドキして、今日一日心臓はもつのだろうか。ただでさえ暑いのに、余計に体温が上がってくるし。汗臭くなったら困るな。
 稔実の方はシンプルなTシャツとパンツという気取らないものだったが、充分見栄えがしていた。モデルがいいとどんな服でも一流品に見える。
 駅で少し待って電車に乗り込む。始発駅に近いので、幸い席を確保できた。
 後から来る人のために詰めて座ったが、肩が触れ合う距離でどうにも落ち着かない。平然を装おうとしても目が泳ぐ。彼はあまり気にならないようで、ますます顔を近寄せて問う。
「利都はどっか行きたいとこある?」
「俺? 今日は稔実さんの買い物するんでしょ」
「それはすぐ終わるよ。特になければ、映画とかどう?」
「いいけど……」
「映画館の共通ギフトカード二枚もらったんだ。好きなの見れるよ。何か見たいのある?」
「うーん、あれ、なんだっけ。妖怪退治のやつ」
 タイトルが出てこない。スマホで検索するとすぐに見つかる。
「『雨間(あまあい)の晴明』だ。陰陽師の異能バトルもの」
「そんなのあるんだ。ならそれにしよっか。おもしろそう」
 スマホを操作して、彼はぱぱっと席を押さえてしまう。
「一時半の回、と……」
「千ちゃんが絶賛してたんだ。多分外さないと思う。はっしーは何でもかんでもおもしろいって言うから、あんまり信用できないんだけど」
「それは楽しみ。上映まで時間あるから、買い物して、ランチも済ませちゃおうか」
「うん」
 買い物にランチに映画、本当にデートみたい。デート、デート……、デートってことでいいんだよね? 胸が躍って、朝の美春のようにハミングしたいくらい。小さい頃、遊園地へ連れて行ってもらったとき以上かもしれない。
 時間にしてだいたい二十分。主要駅で下車し、十代にも入りやすい低価格帯の店が多いファッションビルに入る。まずは服を見たいらしい。
 普段着を適当に何着か、ということだったが、試着室から出てくる稔実を見るのは楽しく、ついついあれもこれもとすすめてしまい、店員と意気投合して着せ替え遊びを満喫した。
 それだけで午前中は過ぎてしまって、ランチは稔実の希望で同じビル内のステーキハウスへ。いつも母二人の量にあわせているためか、利都の胃は大きくない。レディースセットでも充分なくらいだ。大盛サイズをぺろりと平らげる彼の食べっぷりは見ていて気持ちがいい。
 付け合わせのサラダには口をつける気がないようで、利都が代わりに食べた。「野菜を食べないと、お肌が綺麗にならない」と美春は常日頃から言っているが、野菜嫌いの稔実はそばかすやニキビの影すらない玉の肌。一体どうなっているのだろう。隠れてこっそり食べて……はいないか。こっそりする必要がない。
 時間ぎりぎりまで居座り、十三分前に映画館へ到着した。映画館には付き物の、甘いキャラメルの香りが漂ってくる。ポップコーンの匂いだ。お腹がいっぱいで利都はいらなかったが、映画にポップコーンは絶対必要派もいるので、一応聞いておく。
「ポップコーン食べる?」
「美味しいの? 食べたことない」
「え、一回も? ポップコーンだよ?」
「だって野菜じゃん、あれ」
「原材料がトウモロコシだから、野菜と言えば野菜だけども。ただのお菓子だよ。じゃあ、イモが原材料のフライドポテトとかポテトチップスも食べないの?」
「バーベキュー味のポテチなら食べたことあるよ。でも、断然本物の肉の方がいい」
 野菜嫌いの肉好き。少々度を超しているように思う。それには彼なりの理由があるらしい。
「昔、食べるものがなくて、野菜というか草ばっかり食べてた時期があって、そのトラウマが……。食べれるならそりゃ肉食べるよね」
 まさかの極貧生活? 育ちがよさそうなのに。もっと聞きたかったが、上映十分前のアナウンスがあり、とりあえずドリンクだけ注文しに行った。
 『雨間の晴明』は千田の評する通り、とてもおもしろかった。エンドロールが流れている間も余韻に浸り、席を立とうとは思えなかった。会場が明るくなってから、急いで出る準備を始める。が、隣の稔実は一向に動こうとしない。
「稔実さん、早く……、て、え?」
「うぅ……」
「確かにいい話だったけど、泣くほど?」
「あの化け狸親子、再会できてよかったねえ」
「……そこ?」
 不幸な勘違いによって離れ離れになってしまった母と子が、エンディング曲が流れている最後の最後で再会できたのが映し出された。それはそれで感動的だったのだが、物語のメインは主人公である陰陽師の活躍で、化け狸親子の出番はトータルで十分もないほど短いものだ。泣くほど感情移入できるようなものではない。稔実はなんというか感覚が少しずれているのか。もしくは単に涙もろいのかも。
 涙を拭う端正な横顔。彼が泣いているのを見るのは初めてのはずなのに、その時なぜか既視感を覚えた。不思議には思ったが、引きずるほどのことでもないので、その後すぐに忘れてしまった。
 彼を急き立てて映画館を出て、次は食器などの日用品を見て回る。時間はあっという間に過ぎていった。
「今日は俺の買い物に付き合ってくれてありがとう。今度は利都の好きなとこ行こ」
 当たり前のように次の話をしてくれるのが嬉しい。
「うん。今日すごく楽しかったよ。稔実さん、喋ってて面白いもん。あと、着せ替えも楽しかった」
「今度は利都の着せ替えもしたいな。今日は全然着てくんなかったから」
「俺はいいの。稔実さんみたいに優秀なモデルじゃないし」
「俺より利都の方が優秀だと思う」
「それはない。絶対ない」
 家に着くぎりぎりまで、時間を惜しむように話をした。

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