(3)君の行方

 去年もそうだったが、文化祭が終わると、学校中が一気に中間テストモードに切り替わる。
 稔実宅でテスト勉強したり、息抜きと称していちゃいちゃしたり、いちゃいちゃしたり、で過ぎていき、無事終了した。
 成績はいつも通り「中の上」をキープした。このぐらいの位置がちょうどいい。怒られず、過度な期待もされず。意外なことに稔実は優等生で、学年五位に食い込んでいた。委員長千田は二位、羽島は文化祭に情熱を傾けすぎたのか、本人曰く「下の上」。追試は何とか免れたようだ。
 テスト期間が明けてしばらく。——騒動の始まりとなる出来事は、いつもの平和な昼休みに起こった。
 この日、稔実はA組の教室に十五分ほど遅れてやってきた。いつもはチャイムが鳴って三分後にはここにいるのに。
「お待たせー」
「やっと来た。どうしたの? めずらしいね」
「わあ、利都待っててくれてたの?」
「まあ一応」
 羽島と千田は先に食べ進めていたが、一人で食べるのは可哀想だと思って待っていた。
「優しい……。好き」
「ますます好意を隠さなくなってきたね、大川くん」
 今にも抱きつきそうな稔実に、千田が呆れたように言う。利都は抱擁をさりげなく避け、彼のために借りた椅子を引く。
「で、何かあった? 用事?」
「それがさ、聞いてよ!」
 机の上に、いつもの大きなお弁当箱と、それとは別の、背が低く底の広い水筒のような容器を置く。
「クラスの子に野菜スープもらっちゃった……」
「野菜スープ?」
「俺が野菜嫌いなの、どっかから聞いてきたみたいで、これなら食べやすいと思うからーって言うんだよ。何回も断ってるのにしつこくて、いつまでも解放してもらえないから、受け取ってきちゃった」
 羽島は訳知り顔で頷く。
「あの噂、本当みたいだな。文化祭の猫耳執事にやられた女の子が多いって。健康を気遣える献身的な女アピールってとこじゃね」
「でも、俺に彼氏いるの知れ渡ってるよ」
「駄目元で行っとこってとこ? もしくは本気の略奪狙い」
 略奪? 冗談じゃない。利都が唇を尖らせたのがわかったのか、稔実は必要以上の大声で宣言する。
「俺は利都一筋だからね!」
「だったら受け取っちゃいけなかったわなあ」
 羽島にしては珍しく冷静で的確な指摘だ。
「今から返してくる」
「時間ないから昼飯食ってからにすれば?」
「うん!」
 ハンバーグと肉巻きおにぎり、という今日も真っ茶色のお弁当の早食いが始まる。
 稔実弁当に肉巻きおにぎりはマストらしい。ほぼ毎日入っていて、おかずの肉料理が毎日変わる。
 ——身体のために野菜をすすめるのが良い恋人なのかな……。
 恐らくそうだ。食事はバランスよく、というのは常識だ。だが、「昔草ばかり食べていたトラウマ」という話を以前していたし、無理に改めさせようとするのはよくないとも思う。トラウマに寄り添いながら少しずつ食べられるようサポートしていく、というのが一番いいのだろう。
 その後、野菜スープは無事に返せたらしいが、翌日から、似たような贈り物が続々やって来る、という困った事態が起こり始めた。
「B組の子の作った野菜料理が大川くんの野菜嫌いの前に敗北した」という噂が広まり、「私の料理で野菜嫌いを治してあげたい!」という使命感に駆られた女子たちが、皆が皆、彼にとっては嫌がらせのように野菜料理ばかり持ってくるようになったのだ。
 羽島曰く、「これまで大川くんにアプローチしたくても出来なかった子たちの我慢が爆発したんじゃないか?」とのことだ。
 贈り物料理はバリエーション豊かで、野菜スープの他に、キッシュ、ピーマンの肉詰め、レンコンの挟み揚げ、アスパラベーコン、カボチャコロッケ、ポテトサラダなど、彼の持ってきている弁当の追加の一品になるもの、あとはニンジンケーキやホウレンソウクッキーなどのお菓子系もあったそうだ。贈り主も、初めは二年だけだったのが、一年や三年の女子にまで広がった。
 なんというか、プレゼントで気を引きたいというより、途中から「誰の料理が大川くんの野菜嫌いを克服させるか」という競争になりつつある。皆が本気で恋人に名乗りを上げているわけではないだろうし、稔実もきちんと断ってくれてはいるのだが、おもしろくないには違いなかった。
 食べ物の好き嫌い改善は大事なことだが、強引に押しつけるやり方はよくないし、それより何より恋人がいるのだから少しは遠慮してほしい。
 利都が男だから舐められているのか。男より女に世話を焼かれる方が嬉しいだろうって? そんなことはない。だってあんなに好きだって言ってくれて——。自分がなぜ彼からあんなに好意を寄せられているのか、未だによくわからないけれど。
 心が疲弊していく。こんな馬鹿げたブーム、早く終わってほしかった。

 利都の願いも虚しく、十月末から始まった野菜料理プレゼント合戦は終わる気配がなく、もうすぐ半月が経とうという頃。昼休みにA組へ逃げてきた稔実は、疲労困憊の様子だった。
「俺はもう駄目だ……」
 そう言いながらも、山盛りの豚の角煮をしっかり平らげているのはいつも通りだ。
 現実問題、生徒だけでどうしようもなければ、大人を頼るしかない。
「この状況は目に余るな。先生に相談して注意してもらうしかないんじゃないか?」
 千田の提案が最善だと思われた。
 校内での食べ物のプレゼントは慎むように、という禁止令が教師から各クラスへ回る。それでこの騒動はいったん収束した。きっと面白半分でやっていた者も多かったのだろう。利都は心の平穏を取りもどした、はずだったのだが。
 禁止令が出てから数日後の放課後。利都は教室で、稔実が来るのをやきもきしながら待っていた。すでに十分の遅刻である。いつもすぐ飛んできてくれるのに。
 もしかして、また絡まれてるのだろうか。それとも、授業が長引いているだけか。
 じっとしておられず、席を立つ。
「俺、ちょっと見てくる」
「俺も行くわ。もし絡まれてるんなら、利都が止めに入ったらややこしくなるかもだし」
「お前らだけじゃ心配だから僕も」
 羽島と千田もついてきてくれることになった。いい友達を得たものだ。
 お隣のB組へ偵察に行く。授業はもう終了していて、生徒が次々と教室から出てきていた。その流れの中に稔実はおらず、教室に残っている者の中にもいない。顔見知りのB組生徒を捕まえて尋ねると、「一年のやつが訪ねてきて、二人でどっか行ったよ。どうせあいつも大川ファンだろ」とのこと。
 いったいどこへ? 愛の告白のために別場所へ連れて行かれたとか? 『どこにいるの?』と稔実宛にメッセージを送るも、すぐには返信がない。
 羽島は相手に心当たりがあるらしい。
「もしかしてあいつかも」
「あいつって?」
「利都を不安がらせたくないから黙っててって、大川くんには言われてんだけど、禁止令が出た後も、一人しつこいのがいるみたい。……よし、探そう。俺の女、じゃなかった、男に手を出すなってガツンと言ってやらないと」
「……うん」
 告白場所として使われそうなスポットを手当たり次第回る。体育館裏、中庭のベンチ、滅多に使用されない空き教室、どこにもいない。
 千田が他の候補を捻り出す。
「……屋上は?」
「でも、あそこは鍵がかかってて」
「壊れかかってて、今は簡単に開くよ。近々修理予定になってる」
「行ってみよう」
 階段を一番上まで駆け上がる。すでに散々走り回っているのでへとへとだ。屋上への扉の鍵はかかっておらず、簡単にドアノブが回る。
 開けると、ビンゴ。稔実と見知らぬ男がいた。——男か。意外ではあるが、あり得る話だ。稔実が男と付き合えるということが知れ渡っている以上、自分にも可能性が、となるのは。スリッパの色から、B組生徒の証言通り一年生だとわかる。小動物系の可愛らしい雰囲気だ。
 こちらには気づいておらず、声に媚びを滲ませて、まさしく迫っている最中のよう。
「料理を持ってくのは、迷惑だってわかったからもうやめます。でも、一回だけ、遊びでも駄目ですか?」
「駄目に決まってる。笹野くんの気持ちは嬉しいけど、何度来られても答えは同じだから。今日君の言うままここに来たのは、いい加減諦めてもらうためで——」
「できません。男が大丈夫なんだったら僕でもって、どうしても諦めきれないんです。僕、待ってますから。別れたら僕のことも候補に」
 厚かましいというか図々しいというか。腹が立って飛び出していきそうになったが、続く稔実の言葉に足を止める。
「彼とは真剣なんだ」
「どのくらい?」
「結婚したいと思うくらい。祝言をどうするかも色々考えてる」
「……男同士でそんなの」
「うちは嫁取りに男とか女とか些細なことは気にしないんだ。とにかく——」
 そのとき、彼ははっとしてこちらを見る。たった今立ち聞きされていたことに気づいたらしい。みるみるうちに真っ赤になる。
「え、あ、あの……。聞いてた?」
 三人でシンクロして頷く。
「うわあ、こんな形で伝えるつもりじゃなかったんだ! 今のは忘れて。忘れてください!」
 見たことがないくらい狼狽している。彼が咄嗟に取った行動は、走って逃げ出すこと。利都たち三人の脇をすり抜けて、階段を駆け下りる。
「稔実さん!」
「今日はそっとしといて! 先に帰る!」
 バタバタバタ、と足音が響く。一つ下の階まで追いかけてみるも、すでに姿はなかった。早すぎる逃げ足だ。
「……何が起こったんだ?」
 羽島の疑問を、千田が端的に説明した。
「大川くんが結婚準備をしてるのが判明した。で、バレて逃げた」
「気が早すぎるぞ、大川くん。お前らがそこまで盛り上がってたとは驚きだ。さすがバカップル……」
「俺だって驚いてるよ」
 好きとは言われていたが、まさか結婚なんて。——いや、彼は『これから』の約束をしていた。あれはそういうことだったのか? 今もこれからも利都だけ、というのは。
 あれが彼の本心なら、ちゃんと話をしないといけない。
「……帰りに稔実さんちに寄ってみる」
「そっとしといてって言ってたから、そっとしとけば? 明日の方が落ち着いて話せるかもよ」
 気がはやっていたが、千田に言われて少し頭が冷えた。
「それもそうかな。メッセージだけ送っとく」
 迷った末、『明日話そうね』とだけメッセージを送る。しかし、結局既読は付かなかった。

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