(3)君の行方

 翌朝。緊張して稔実の迎えを待っていたのだが、彼は来なかった。電話にも出ず、送ったメッセージにも反応がない。ぎりぎりまで粘ったが、美春に急き立てられて一人で登校した。
 一限終わりでB組を訪ねていったところ、今日は無断欠席と知らされた。寝過ごして遅刻というわけではなかったようで、その日の最終授業が終わっても稔実は現れなかった。
「既読つかないし、電話に出ないし、おかしい。絶対何かあったんだ。熱出して倒れてるのかも……」
 彼は一人暮らしだから、もしそんなことになったら誰にも気づいてもらえない。
「俺、行ってくる!」
「え、どこへ?」
「おい」
 羽島と千田を残し、教室を飛び出した。
 自転車を立ち漕ぎし、いつもの半分以下の時間で稔実宅へ着く。チャイムを鳴らしたが、しばらく待っても応答がない。次は門の中へ入って玄関の戸を叩く。
「ごめんくださーい」
 これまた応答なし。スマホも見られないくらいだ。当然か。
 戸を引いてみると、開いた。鍵はかかってない。一瞬躊躇したが、入ることにした。倒れて意識がないのだとしたら、命に関わる。
 どうか無事でいてくれと願いながら、居間を覗く。いない。二階の稔実の部屋、いない。二階の扉を全て開けるもおらず。一階に戻って捜索。台所にも風呂場にもトイレにも——どこにもいない。もう一周するがやはりいない。
 学校を無断欠席、電話にもメッセージにも無反応、家にもいない。これは明らかな異常事態では?
 また自転車で学校に戻り、職員室へ直行する。B組の担任教師に今見てきたことを全て話した。
「よく知らせてくれたな。先生の方でも調べておくから、仲原はもう帰りなさい」
「……はい」
 その日はまんじりともせず夜を明かした。
 次の日も、その次の日も、稔実は学校に来なかった。連絡も一切取れない。教師が把握している保護者の連絡先も不通らしい。
 日に日に不安が強くなる。胸が重たくて食事も喉を通りづらく、母二人にも心配されてしまった。
「何か事件に巻き込まれたんじゃ……」
 放課後、消えた稔実対策会議がいつものメンバーで行われる。利都が口にした懸念は、この一件を知る他の生徒たちや教師たちも、共通して抱いているに違いなかった。千田もしかり。
「それはないって言ってやりたいけど、ここまで連絡つかないんじゃな。大好きな利都を放って自ら行方をくらますとは考えづらいし……。先生たちも警察に相談するって話をしているみたい」
「大人に任せとくしかないのかなあ。俺たちも……」
 自分たちも何かしたい。そう考えるのは羽島だけではない。利都も千田もそうだ。だが、自分たちでは大したことは何も出来ないのは事実としてある。
 全く進まない会議は、来客によって中断された。
「あの、いいですか?」
 二年A組の教室のドアの前に、一人の小柄な生徒が立っていた。スリッパの色からして一年生。羽島は彼を指差して言う。
「あ、玉砕した子」
 稔実が欠席し始めたのが水曜日。その前日の火曜日に、屋上で稔実に言い寄っていた生徒だ。彼はむっとしたように言い返す。
「笹野です!」
「なに? まあ、とりあえず入っといで」
 羽島は招き入れてしまったが、正直やめてほしかった。今は上級生らしい余裕を持って対応できそうにない。
 やって来た笹野は、利都の方だけをまっすぐに見て切り出す。
「僕、見ました、大川先輩のこと。それを言いに来たんです」
「え……、いつ? どこで!?」
「火曜日に……。フラれた腹立ちが収まんなくて、あの後いつものジョギングコースをぐるぐる回ってたんですけど、そのときに」
 確か連絡が取れなくなったのは、火曜日に稔実が逃げ帰って行った直後からだ。参考になるかもしれない。前言撤回、招き入れてよかった。
「神社で女の人と腕組んで歩いてましたよ。結婚なんて言ってたくせに、女と密会かよって呆れて見てました」
「女の人ってどんな?」
「美人です。すっごく色っぽい美人。薄紫色の着物姿で、年上っぽかった」
 美人、と言われてすぐ思い浮かんだ人物がいる。二度ほど顔を合わせた、稔実の身内で恩人だという女、藤。薄紫色の着物——薄紫色、藤色。あの人と決まったわけではないが、奇妙な確信のようなものがあった。
 彼らは何のために会い、何をしていたのだろう。
「神社は初川稲荷?」
「多分。学校から遠くなくて狐の像があるところ」
「……ありがと。知らせてくれて」
「お礼なんて変なの。彼氏の浮気情報突きつけられてんのに」
「相手が俺の思っている人なら、おそらく浮気じゃない。——よし」
 ガタン、と勢いをつけて立ち上がる。
「これから神社に行ってくる」
「行ってどうするんですか」
「わかんない。でも、何か手掛かりがあるかも知れないから」
「僕も行く」
「俺もー」
 千田と羽島もそれに続く。
「……ありがとう。二人とも」
 笹野はフンと鼻を鳴らす。
「勝手にすれば。結婚とかめんどくさいこと言う人、もう興味ないし。でも、一応早く見つかるようには祈っといてやりますよ」
 捨て台詞めいたものを残し、そそくさと走り去っていく。小生意気な印象だったが、悪い子ではないのかもしれない。わざわざ上級生の教室まで情報提供に来てくれたくらいだし。
 帰り支度をし、学校を出て、三人で初川稲荷神社を訪れる。だが、境内を見回ってみても特に手掛かりらしい手掛かりはなく、神社の掃除をしていた人に尋ねてみても、有力な目撃情報を得られなかった。暗くなってきたので、この日は解散する。
 自宅に帰る前に、また稔実宅へ寄った。誰もいない。住人が不在の薄暗い家は、ひどく不気味で知らない場所のように見えた。

 その次の日の土曜日にも神社へ行った。人数がいてどうにかなることでもなさそうなので、羽島も千田も誘わなかった。
 ここで張り込みをしている主な目的は、藤に会うためだ。彼女は稔実の身内だというし、失踪直前にも彼女(らしき人)が稔実と会っていたようだし、稔実が今どこで何をしているか知っているかもしれない。
 もちろん、ここに藤が来るという保障はない。彼女が出没したことがあるのは、稔実宅、学校、そしてこの神社。そのうちどこで待ち構えるかを選ぶとき、まず学校は却下、土曜日にクラブ活動などの理由もなく長居できない。「稔実の様子を見に来る」という彼女の役目から考えて、一番可能性が高そうなのは稔実宅だが、いつも楽しくわいわい過ごしていた彼の家で、長時間一人きりになるのはつらい。メモに「藤さんへ。これを見たら連絡をください」という一文と、名前、電話番号、メールアドレスを書き残して、居間の卓袱台に置き、神社で張ることを選んだ。
 秋が深まり、随分冷たくなった風を浴びながら、ベンチに座ってぼんやりする。もっと厚手の上着を着てくればよかった。いったん取りに帰ろうかな、などと考えていると、おばあさんが声をかけてきてくれる。
「あなた、どうかしたの? 朝からここにいるわよねえ」
 温厚そうなおばあさんだ。せっかく向こうから来てくれたのだから、事情を話して目撃情報を求めるいい機会だ。
「あ、いえ、その……。人を探してて。火曜日にここで女の人といるのを目撃されて以降、行方がわからないんです」
「あらまあ、大変じゃない」
「俺は彼の同級生で、皆心配してて……。この人なんですけど」
 スマホに保存されている写真を見せる。おばあさんは老眼鏡をかけて確認してくれたが、首を振る。
「この子、何度かここで見かけたことがあるけれど、でも、今週は見てないと思うわ」
「そう……ですか。もうずっと連絡がつかないんです。家にもいないし。どうしちゃったんだろう……」
「もしかしたら、神隠しにでもあったのかしらねえ」
「神隠し?」
 思ってもみなかった単語が飛び出した。
「狐が人を攫うという話は昔からちらほら聞くわ。犯人が狐の場合は、お稲荷様に言いつけると、すぐに解決して下さると聞くけれど」
「言いつけるってどうやって……」
「いつも参拝する時みたいに、拝殿の鈴を鳴らしてからお話しするのよ。一緒に頼みましょうか」
「……はい」
 この神社の狐はそんな悪事を働くとは思えないが、かつて利都を夏祭りで助けてくれた狐のようなものばかりではなく、大勢の中にはそういう狐もいるかも知れない。稔実も肝試しの時、「下手に手出しをしたら連れて行かれる」というようなことを言っていたし。できることはなんでもやりたい。
 おばあさんの隣で鈴を鳴らし、お賽銭、礼、拍手、手を合わせる。
 ——稔実さんが帰ってきません。もしも狐に攫われたようなら返してください。
 当然と言えば当然だが、何の返答もない。神様のお返事、神様のお告げ——。
「そうだ」
 おみくじだ。あれは神様のお告げなんだと稔実も言っていた。
 最後に一礼した後、授与所で引かせてもらう。書かれていたのは、『大吉 信じて待つべし。そうすれば万事上手くいく』。またしても聞きたい事柄に添った内容だ。
 それをおばあさんにも見せる。
「ほんとにお告げみたいねえ。でも、誘拐とかだったら大変だし、警察には……」
「先生たちが対応してくれてるみたいです」
「そう。先生たちや警察の方を信じて待ちなさいってことかもしれないわね。お友達のことは心配でしょうけど、あなたが一人で気負いすぎるのはよくないわ」
「はい。あの、親身に話を聞いてくださってありがとうございました」
「ええ。早く見つかるといいわね」
「はい」
 信じて待つ。それは簡単なようでとても難しい。
 ——稔実さん……。
 どこにいるの? お願い。早く帰ってきてよ。

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 一方、利都のいる初川稲荷神社、その裏側——数多ある同系列の稲荷神社の全てと繋がる、渡り廊下兼バックヤードのようなこの場所は、今大繁忙期の真っ只中だった。
 畳敷きの大広間、ずらりと並べられた机の前で、黙々と作業しているのは袴姿の白狐たち——すなわち稲荷神の眷属。
 稔実もその隅の隅で坦々とノルマをこなしていた。のたくったような汚い文字が並ぶメモを清書していく。一日中そればかり。仲間たちの中ではまだまだ若輩者だから仕方ないとは思う。仕事自体に不満はない。だが。
 ——外に出たい……。
 五分でいい。外に出て、スマホを使いたい。ここは人の世からは切り離された場所。通信機器は使用不可だ。外界と連絡が取りたいなら外に出るしかない。
 そもそも、年に一度訪れる眷属全員強制参加の大繁忙期を忘れていたのがまずかった。いつまでもやってこない稔実に痺れを切らして迎えに来た藤に捕まり、半ば引きずられ、何も言い残せないまま『実家』に戻ってきてしまった。

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