(2)メロンソーダは弾けて混ざる

 その日、宮貴悠宇は繁華街の一角にある小さなバーにいた。朝陽が大学同期との飲み会に行ってしまい、暇だったのだ。
 カウンターの一番端を陣取り、薄暗がりの中、流れる音楽に合わせて指先で拍子を取る。
 ちらちらと視線は感じるが、声をかけてくる者はない。悠宇は無表情で黙っていると、近寄りがたい雰囲気になるらしいから、おそらくそのせい。一人で飲みたいんですオーラを出すまでもない。——だが、何事にも例外はあり。
「よう」
 ドカッと隣に腰を下ろしたのは、古馴染みの天見(あまみ)という男。派手な開襟シャツから金ネックレスがちらついていて、相変わらずわかりやすく柄が悪い。
 まあ、いいか。こいつなら。色目は絶対に使ってこない奴だし。
「何してん。自分の顔なんか眺めて」
 カウンター上のスマホをインカメラにしていた悠宇を、天見は鼻で笑う。
「見とれとんのか。このナルシストが」
「んー、髪青くしてみよと思て。似合うかな」
「バイトいけるん」
「金髪がいけるんやから、そら青でもいけるんちゃうの」
「なんでまたそんな?」
「これ」
 とある青年のイラストをスマホ画面に表示させ、わずかに隣へ滑らせた。天見にとっては異文化の代物のようで、首をひねっている。
「なに、漫画のキャラ?」
「ゲームのキャラやで。アイドルのミシロくん」
「コスプレでもするんか」
「髪の色同じにするんはコスプレになんの? あーちゃんがさあ、好きやねん、このキャラ」
「あーちゃんて今のお気に入りの子? 女の子男の子どっち」
「男の子。可愛い」
「ほう」
 天見はいきなり背後を向くと、声を張り上げる。
「宮貴くんはー、可愛い男の子が好きー!」
「なんやねん、大きい声で」
「お前のこと狙ってる女の子に聞かせてんねん」
 あのちらちら見てきていた子たちのことか。別に彼女たちには特に関心はないけれど、面白そうなので真似してみることにした。マスターが睨んでいるので、声量は調節して。
「俺のあーちゃんはー、世界一かわいー!」
「お前もやんのかい」
「俺も聞かせたくて。もう世界中の人に」
「そんなに可愛いんやったら、いい加減紹介してや」
「あかん。あーちゃんは繊細やから、お前みたいな入れ墨坊主は絶対怖がる。あーちゃんは俺だけのあーちゃん」
「ニヤニヤしてキモ」
「でもなあ、俺がこんだけ可愛い可愛い好き好き言うてんのに、いまいち俺の愛が伝わってない気ぃする。どないしたらええんやろ」
「知らんわ。ああ、押し過ぎでうざいとか? 押して駄目なら引いてみろて言うやん。あれやったら」
「あーちゃん減らすのとか無理ぃ」
「それこそ知らんし」
 呆れきった様子で、彼は煙草に火を付ける。何とはなしに紫煙を目で追っていると、思考が他所に連れ出される。
 大人のくせに、自分はとても寂しがりなのだと思う。少し前までは一人で飲みに行くことすらほとんどしなかった。愛想よくへらへらしているだけで人が集まってきたから、わざわざ飲み相手を探す必要もなかったし、望めば慰めてくれる人は簡単に見つかった。得な性分というのだろう、こういうのは。
 しかし、その実、この世から家族と呼べる人がいなくなってからというもの、どれだけ人に囲まれていたって、心のどこかでいつもうっすら孤独を感じていた。たくさんの中にいるのに、常に肌寒い。塞いでも塞いでも、どこからか隙間風が吹き込んでくる。
 人生そういうもの、仕方がない、結局みんな一人。楽しくもないのに笑って、半分くらいは諦めて過ごしていたのだが、それが変わったのは朝陽と過ごすようになってからだ。
 程よい距離感で悠宇の生活に寄り添ってくれた朝陽は、今やすっかり日常に溶け込んでいる。彼といると寂しくない。不思議なほど満たされる。これまで誰もくれなかったものを彼がくれたのだ。
 それが何なのか、名前をつけることで、狭い箱に押し込めてしまえるようなものではないように思う。理屈などなしに、ただこの胸の内にあるのだ。隅々にまで行き渡って、あふれるくらいに。
「あーちゃんの話してたら会いたなってった。電話してみよ」
「そういうのがうざいねんで」
 心無いことを言う輩は無視することにする。
「あの子も今日は外でご飯食べてくるて言うとったから、もしかしたら一緒に帰れるかもしれん」
 うきうきしながら連絡先を呼び出してコール。一回、二回、しつこく呼び出し続ける——、が、出ない。
「……あーちゃん」
「そらそうやわ。友達同士で盛り上がってたら気づかんて。お互いのプライベートは大切にしいや」
「寂しくて寂しくて震える……」
「その辺にいる子、適当に誘ったら?」
「そういうことしたら、あーちゃん嫌がるもん」
「わからんようにうまいことしたらええやん」
「自分がされて嫌なことは人にしたらあかんねんで。先生が言うとったやろ」
「急にまじめー」
「……あ!」
 スマホが着信を知らせて唸る。早押し問題の勢いで応答する。
「あーちゃん!」
『あー、うん、わかってる、わかってる。あれやろ。トイレットペーパーやろ』
「へ?」
『なくなりかけとったやん。緊急事態やから、ティッシュ使わなしゃあないけど、トイレに流したらあかんで。袋にまとめてゴミ箱に入れときや』
「ちゃうよお。てか、トイレットペーパーなくなりかけとったんや。帰りに買お。あーちゃんもまだ外なん?」
『うん。もうそろそろ帰るとこ』
「どこにおるん? 俺、前に話したバーにおるんやけど、近かったら一緒に帰りたい」
『えー、あー、近くちゃう、近くちゃうから。先帰ってて、な』
「えー、ほんまに? 俺の第六感が、あーちゃんは近くにおるて囁いてんねんけどなあ」
『ベテラン刑事ちゃうんやから、そんなもんに頼らんといて。とにかく、先帰っててや。探さんでええで!』
「あーちゃん?」
 通話が切れる。隣で吹き出す男が憎い。
「振られよった。おもろー」
「俺は諦めへんで。後ろでドンキッキの歌流れとったから、あそこの店にいてるはず。こっからすぐや」
「ドンキッキいうても他にも店舗ようさんあるやろ」
「店内放送の声の感じがあそこの店舗っぽかった。まあ、行くだけ行ってみるわ」
「なんかなあ、お前そんなんやったっけ?」
「天見くん、愛は人を変えるんやで」
 出血大サービスでウィンクをお見舞いしてやる。天見は顔の前に手をかざして、大袈裟に眩しがった。
「わあ、かっこよー。せいぜいがんばり」
「おう」
 支払いをして、店を出る。朝陽が移動する前に乗り込まないと。


**********

 一方、悠宇の予想通り、巨大ディスカウントストア、ドンキッキにいる朝陽は、成瀬と買い物の最中であった。
 同専攻仲間との飲み会が早めに終了。二次会に行く人々と別れて駅へ向かう途中、この店に寄り道した。成瀬が家族から柔軟剤を買ってくるよう頼まれたとのことで、それに付き合うことにしたのだ。
 目的の柔軟剤を求め、やたらめったら物が多い店内を捜索中、悠宇から着信があったのに気づいて掛け直した。
 一緒に帰りたい、か。誘いを断ったの、かわいそうだったかな。でも、突然言われても困る。
 電話が切れたのを見計らって、成瀬が尋ねてくる。
「例のセフレくんから?」
「うん。なんか近くで飲んでたらしくて、一緒に帰ろとか言うから断った」
「えー、僕は見てみたかったのに」
「成瀬可愛いから粉かけに行きそうなんやもん。友達は俺が守る」
「とか言うて、その人が僕に言い寄ってんの見いたないだけやろ」
「別にそんなんちゃうし。慣れっこやし」
 虚勢はもはや癖だ。
 喋りながらも、足は止めず、柔軟剤捜索を続ける。ジャングルを自称するだけあって、何度か迷いそうになったが、散々歩き回って、やっとのことで洗剤コーナーに辿り着いた。
 ずらりと並ぶ商品は、同じようで少しずつ違う。成瀬は端から全ての商品名に目を通していき、指示通りのものを見つけ出す。カラフルな花びらが描かれたオレンジ色のパッケージの、詰替え用パック。
「これや、これ! やったー」
「あった?」
「あったあった。スパークルスパフラワーの香り。何のことかようわからんのに、なんとなく香りが想像できんのすごない?」
「プロの技術やな」
「なー。ごめんなあ、この店こんなに複雑やとは思わんかったわ」
「大丈夫や。言うてもまだ九時やし」
「はよレジ行こ行こ。もう帰ろ」
「せやね」
 案内表示に従って、急ぎレジに向かう。悠宇が家の前で待っていたら可哀想だし、早く帰ってあげるに越したことはない。
「……あ、これ」
 途中、派手なポップが目に入り、立ち止まる。積み上げられた特売トイレットペーパーのタワーがそびえ立っている。
「お買い得やな。見てこれ、成瀬、この値段。すご」
「買うん? これ持って電車乗るんはきつない?」
「でも、うちの近所のスーパーはもう閉まってるやろうし……。ゆーくんち、トイレットペーパーあとラスイチくらいやねん。帰りに買うてくる言うてたけど、あいつ絶対忘れる」
「セフレんちのトイレットペーパーの在庫まで把握してんの? それもうセフレなん?」
「だって、だらしないからつい」
「セフレの世話焼きすぎたらあかんで。どんどん都合のいい女化するって言うてた。お姉が」

1 2 3