(2)メロンソーダは弾けて混ざる

「うわあ、恐ろしい」
 もしかして自分もすでにそうなっているのでは? トイレットペーパーは買わずにおこう、そうしよう。甘やかし過ぎはよくない。相手ももういい大人なんだから。
 成瀬が会計した後、ジャングルから脱出する。ここは繁華街、おまけに今日は週末なので、店前は混雑していた。
 酔っぱらいのサラリーマンや学生、ギターを背負った夢追い人、家に帰りたくない少年少女など、雑多な人々の群れ。
 その中で目を吸い寄せられたもの。十代と思しきギャル二人を前に、何やら親しげに談笑している男の姿。
 ——最悪……。
「あいつ、こんなとこで何やっとんねん」
「ん、なに?」
「あれ」
「あ、ついこないだ朝陽のホーム画面で見た人やー」
「俺に断られたからって、代わり見繕ってんのか。ほんまクソやな。未成年に手ぇ出して警察に捕まったらええねん」
 トイレットペーパーなんて買わなくて本当によかった。もう知らない。あんなやつのために、もう何もしてやるものか。
 殺意を込めて睨んでいると、目線がかち合う。すると、満面の笑みで大きく手を振ってきた。
「あーちゃんやー! 迎えに来たでー!」
「は?」
 何をいけしゃあしゃあと。
「あんなん無視や、無視。行こ、成瀬」
「ほっといてええの?」
「ええよ」
 人混みに紛れ、大股で歩き出す。
「あーちゃん! なんで! 待ってー」
 後ろから追ってくる男のそのまた後ろから、高いギャルの声がした。
「あはは、がんばれ、おにーさん」
「髪の毛青にしたら見に行くわ」
「はいはーい、ありがとねー」
 仲良しのご様子。結構なことで。
 酔っ払いの間を縫って、早足でずんずん進んで——いたはずだったが、一分も経たずに追いつかれた。悲しいほどのリーチ差。
 お付きの従者のように、悠宇は半歩後ろをついてくる。
「あーちゃん、また怒ってんの? なに怒ってんの? なあー」
「ついてこんといて! さっきのギャルはええの?」
「えー、あの子らには、あーちゃんのこと見かけてないか聞いてただけやで。あとちょっと髪色の相談もした」
「へ、ああ……ふうん」
 そっか。ナンパしていたわけではなかったんだ。いや、しかし、あんなうら若き女子に尋ねる必要がどこに? その辺のおじさんでもいいはずだ。やっぱり下心を感じる。気に入らない。
 たまには悠宇も困ればいいんだ。朝陽は毎日困っているんだから。不機嫌な態度は崩さない。
「先帰っといてて言うたのに。あの場所どうやってわかったん」
「トントントンドンキッキーや」
 あのうるさい店内BGMか。うっかりしていた。
 めげない悠宇は、こちらの気を引こうと頑張る。
「あーちゃん、あーちゃん、一緒に帰ろー。手ぇ繋いで帰ろー」
「繋げへん」
「あーちゃん、こっち向いてー。今俺めっちゃおもろい顔してんで。な、な、見て!」
「見いひん」
「なんでよー。寂しいやんかー。あーちゃんのいけず。もう泣こ。泣いたろ。往来のど真ん中で、あーちゃんの名前叫びながら泣いたろ!」
「なんでそうなんねん!」
 思わず振り返ると、バチッと目が合った。
「やっとこっち見た。怒った顔も可愛いなあ」
 ——そんなに(わろ)て……。
 構ってもらえてそう嬉しがるなんて、そっちのほうがよっぽど可愛い——、などと浮かれたことを考えてキュンとするなんて、朝陽の心臓機能はいよいよおかしくなったに違いない。
 毒気を抜かれてしまった。
「……もー、余計なこと言わんと黙って歩くんやで」
「お喋りしょうや。あーちゃんと楽しくお喋りしたいよー」
「うっさいうっさい。……ごめんな、成瀬。こんなん付いてきて」
「ええよー。めーっちゃ興味深いから。なんか思てた感じと違うんよねえ。セフレやのになんか……、ねえ。セフレやのに」
 一部の単語が強調されているように聞こえたのは気のせいか。悠宇は眉根を寄せる。
「セフレ……?」
「ゆーくんさん、朝陽のセフレやて聞いてます、セフレて。けど、セフレにしては出しゃばりすぎっていうかー」
「ちょっと、成瀬、どないしたん……」
 服を掴んで制止しようとするも、成瀬は喋り続ける。
「一緒に帰るの断られたんですよね? やのに探し出して迎えにくるとか、おもんなさすぎ。めっちゃ迷惑ちゃいます? 朝陽はもっと僕と二人でいたかったのに。ね、朝陽、そうやんね?」
 朝陽に問いかけながらも、顔は悠宇の方を向いて、挑発的な視線を投げている。これはもう確信犯だ。どういうつもりなのかは知らないが、確実に成瀬は悠宇を煽っている。
 対する悠宇の声のトーンが、僅かに落ちる。
「……なに、喧嘩売っとるん」
「そう見えます? 本当のこと言うてるだけなんですけど。いい加減、僕の朝陽に付き纏わんといてくれますか。セフレのくせに」
 大袈裟にしなを作って、朝陽の腕に抱きついてくる成瀬。
 悠宇から表情が消える。真顔だが怒りは伝わってきた。
「手ぇ離し。ガキがイキんなや」
「ガキに煽られて本気でキレんなや、おっさん」
 一触即発の空気が漂う。両者立ち止まり、無言で睨み合うこと数秒。
 ——どないしょう……。
 ただただあたふたするだけの情けない自分。行き交う人々が迷惑そうにこちらを見ていく。
 焦る朝陽を視界の端に移し、ふと成瀬の目許が緩む。
「……と、まあ、元ヤンなもんで、こういうのは割と得意なんやけど、ほんまに喧嘩おっぱじめて警察呼ばれても困るしー」
 腕を離し、朝陽の肩をぽんと叩く。
「ええ機会やろ。この際、腹くくって話し合いしい。じれっとうて見てられへんかったから、僕なりの助太刀や」
「え……」
「では、僕は豚まんを買って帰るので、これにて失礼。じゃあ!」
「成瀬?」
 踵を返し、彼は颯爽と雑踏に分け入っていく。
「おい、こら、どういうことやねん!」
 通行人たちの中に消え、瞬く間に見えなくなってしまった。豚まんは駅構内でも買えるのに。あの方向、わざわざ本店に行くのか?
「……あーちゃん」
 呼びかけに、おそるおそる振り向く。声がかつてない暗さで、怖くて顔を上げられない。
「はい……」
「セフレてなに?」
「なにて言われても……。セフレみたいな人おるって成瀬に打ち明けただけで」
「俺以外に本命おるってこと? まさかほんまにあいつなん、あのクソ生意気なチビ!」
「ちゃうし! 成瀬は友達や」
 そこはきちんと否定しておかないと、成瀬が悪者になりかねない。
 成瀬は腹を割って話し合えと言った。つまりは、ああいった態度を取ることで悠宇を焚き付け、本音でぶつかる機会を与えたかったのだろう。うじうじして朝陽は動かないから、悠宇の方を動かそうとしたわけだ。荒療治すぎて困惑しかない。
 悠宇は苛立ちを隠さず、つま先で小刻みに地面を打つ。
「じゃあ誰や、本命。ミシロくんか!」
「ミシロくんは推しや言うたやろ! 何なん、なんで怒ってるん。ゆーくんこそ俺のことセフレやて……」
「そんなん一回も思たことない! あんなに可愛い好きて言うてるやん。セフレにそんなん言うわけないやろ」
「せやけど、よう女物の香水のにおいさせてるし、元カノのもん部屋にいっぱいあるし!」
「職場ににおいきつい女おって、よう絡まれんねん。やんわり引き剥がすけど、しつこいんや。じゃあ、もう辞める。どうせバイトやし、あの仕事もう辞める。それに、俺の部屋ん中のどれが元カノのもんやて思てんのか知らんけど、面倒くさいから一切合切ぜーんぶ捨てたるわ。スカンピンのスッカラカンやー!」
「阿呆か! 極端やねん!」
「でも、そのくらいせな、あーちゃん信じてくれへんやろ」
 おそらく、彼は本気で言っている。向こう見ずなところがある人だから、朝陽が止めなければ明日にでも実行するだろう。しかし——。
「……あんだけ色んな人連れ込んどいて、急に俺だけて、そんなん」
「あーちゃんのこと好きになったからやん。おかしいん、それが。俺があーちゃんのこと好きになったらあかんの?」
 首を振る。駄目なわけがない。
「……好きなん?」
「好き」
 彼の声色にも眼差しにも迷いがない。これまでだって、こんなふうにまっすぐに、何度も伝えられてきたはずなのに。
「……」
「あーちゃんはどうなん。セフレがええの?」
 大きく首を振る。
「ずっと……ずっと彼氏になりたかったぁ」
「よかった、おんなじで」
「うー……」
 溢れてくるものを止めることができず、彼の姿が霞む。
「なんや、泣いてんの」
「だって、だって、勝手に……。興奮しすぎて涙腺爆発した」
「それは大変や。もっと興奮さして止めたろ」
 彼の指がかかって顎が上がり、唇が触れ合う。抱き寄せる腕に抗うことなど不可能だった。
 好きだ。この人のこと、好きでいていいんだ。言葉が胸に馴染んでいって、じんわりと熱い。曖昧さを壊せば、待っているのは別れだけだって、ずっと思っていたのに。
 耳元に囁きが降る。
「好きやで、あーちゃん。あーちゃんだけ」
「ゆーくん……」
「大好き」
「うん……」
 再び交わされる口づけ。しかし、誓いのキスみたい、なんて夢みたいなことを考えていられたのは一瞬。
 突如沸き起こった拍手で、強制的に目を覚まさせられる。

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