(番外編)恭とレオ

 絶頂から熱が引いていくこの時間、ふと冷静になって考える。自分は何故こんなことをしているのかって。
 狭いベッドで、横たわったレオの上からどいた男は、まだ温かいであろうスキンの端を慣れた手つきで結ぶ。それをぼんやり眺めていたレオに彼が向けた笑みは、最中の色香を濃く残していた。
「大丈夫?」
「……うん」
「そう、よかった」
 彼は薄い唇にキスを落とし、再びぴったりと身体を寄り添わせる。日焼けではなく地黒だという肌は汗で湿っていて、生白いレオの肌にしっとりと吸い付く。
 ああ、ぞくぞくする。先ほどの残り火が簡単に大きくなってしまいそう。小さく震えたのがばれてしまったのだろう、彼は揶揄うように喉をくすぐる。
「どう、そろそろ俺と付き合う気になった?」
「んー」
「いいじゃん。恋人欲しかったんだろ?」
 恋人は欲しかったが、求めていたのは彼氏ではなく彼女だったはずだ。それが一体どうしてこんなことに? 事後に男から求愛されているというこの状況は何だ。
 頬や耳元にも口づけつつ、彼は頑ななレオの説得を続ける。
「今だって週二ペースで俺んち来てるしさ。付き合ったって上手くやれるよ、きっと。ね?」
 腰から尻にかけてを掌が這う。ただ労るだけが目的ではないのは、その手つきからわかる。
「……(きょう)さん」
「ん?」
「またするの?」
「しよ。まだ時間ある。好きだろ。気持ちいいの」
 好きは好きだ。もっともっと気持ちよくなりたいって、彼を前にすると無条件にその欲が強くなる。
 恥じらいながらも小さく頷くと、彼は髪をくしゃくしゃと撫でてきて、またキスをする。
「いいな、かわいい」
 かわいい、なんていつもは弟が言われている褒め言葉。ちなみに、かっこいい、は兄。真ん中っ子の自分は平々凡々で、いつもいつも見目麗しい兄弟の影にいた。
 彼——恭はそんなレオを構いたがる変わり者で、物好き。

 そもそもの始まりは、あの日。二年生になってしばらく経った時期、兄の友人で同じ大学の先輩、矢内(やない)恭に連れられ、飲み会という名の合コンへ行った日のこと。
 兄も含めた集団で恭と遊んだことはこれまでに何度かあるが、兄抜きで来たのはこの日が初めてだ。気さくで上下関係に厳しくない恭は、親しい先輩の一人、という認識だった。この時は。
 幹事の知り合いが経営しているという小さなバーで開かれたこの会。相手方は女子大のお嬢さんたちで、いつもならハイテンションではしゃいでいるところだが、今日はそんな気分になれず、カウンターの隅で一人、大人しくジンジャエールを飲んでいた。
 この頃のレオはおかしい。自分でも馬鹿馬鹿しいとは思うのだが、二ヶ月と少し前、バレンタインの日に見た、長年の友人、凛太のTバックの後ろ姿が未だ忘れられずにいるのだ。凛太の恋人である脩に怒られてしまったので、本人の前では態度にも口にも出しておらず、これまで通りの友人関係を続けているが。
 自分はもしや男に興味がある側の人間なのでは? 凛太や脩と同じように。そう思い、ネットで男性の下着姿の画像をあさってはみたものの、Tバックでも普通の下着でも特に感じるところはなかった。やはり女性の下着姿の方が好ましく思う。もしかしたら、あの時の状況が特殊だったせいで強く印象に残ってしまっただけなのか?
 もう一度あれを——出来れば生で見て確認したい。画面越しに見るのと目の前に実物があるのとではまた違うかもしれないし。改めて生で見て、それでも興奮するようなら、多分レオはそう。確認が必要だ。
 凛太に見せてもらうのはもう無理だろう。ちらっと見られただけであれだけ拒絶反応を起こしていたのだから、こんなことを頼もうものなら一瞬で友情がぶち壊れてしまいそうだ。代わりに誰かいないか。
 学内のトイレで他の男子学生のを……は怪しいか。じろじろ見ていれば、下手をしたら不審者だ。銭湯などに行けばいいのか? でも、銭湯はおじさんが多そう。おじさんのパンツは遠慮したい。
 ああ、高校の体育の授業の前後に戻りたい。見放題だったのに。あの時はクラスメイトの下着を見てどう思ったんだっけ。さすがにTバックはいなかったと思うけれど。
 溜息をつきながら、グラスの氷をストローで突いていると、皆のいるテーブルから恭がこちらへやってくる。
「レオ、どうかした? 気分悪い?」
「え、ううん。……ちょっと考え事してて」
「せっかく誘ってやったのに。彼女ほしいって言ってたから」
「でもさあ、俺なんかが頑張ってもさ」
 友達のパンツのことで悩んでいる情けないやつだし、兄や弟の比べて残念な顔だし。
「悩み事か? 話聞く?」
 隣に座ってきた恭は、レオの横顔を覗き込む。自分のことばかりに必死にならず、こうやって周りに気を配れるところが大人というか何というか、もてるんだろうな、とは思う。
 ちらりと後方のテーブルに目をやる。飲み会の他の参加者たちが何かゲームをして盛り上がっているようだ。
「皆のとこはいいの?」
「いいよ。どうせ数あわせだし」
「えー。さっきちょっと見た限りでは、恭さん狙いの子多そう」
「別に俺は彼女とかいらないから」
「なにそれ、イケメンの余裕?」
「イケメンってのはお前の兄貴みたいなののことだろ」
 凛太曰く「少女漫画の王子様みたい!」だという兄のナオは、子供の頃からもてにもてて、中高時代には校門前に他校女子による出待ちの群れができるほど、絶大な人気があった。
 恭には兄のようなわかりやすいアイドル的なキラキラ感はないけれど——。
「恭さんもイケメンだと思う。ワイルドで、こうフェロモンが……」
「はは、俺、フェロモン出てる?」
「出てる出てる。ナオ兄より出てる」
「そう? それは光栄だわ」
 彼はごついというほどではないが体格がよく、厚い胸板に飛び込みたい、と思わせるような不思議な色気があった。
 一方レオはキラキラもなくフェロモンも出せず誰からも求められず。いっそう悲しくなってきた。
 無意識にまた氷突きを始めていると、賑やかなテーブルから声がかかる。
「なあ、恭はどう思う?」
 この会の幹事で恭と同期の田上とかいう男だ。中高にはいなかったちゃらちゃらした雰囲気の金髪男で、どちらかと言えば苦手な人種だったが、ナオや恭とは仲がいいようだった。
 カウンターに肘をつき、恭は振り向く。
「何のこと?」
「Tバックを普段履きしてることについて」
 単語に反応してドキッとしたのは、多分この場でレオだけだろう。
「いいだろ。そんなの人の好き好きだ」
 恭の答えを受け、田上は女の子の一人に向かって言う。
「恭はオッケーだって。よかったね、アリナちゃん」
「慣れれば案外快適だぞ。今日も履いてるし」
「……ん? 誰がお前の話をしてるんだよ。アリナちゃんのことだよ。Tバックを普段履きしてる子は遊んでるっぽいって言われたことあるって……。てか、恭、Tバックなの? すげえな、エロスだな」
「は? 珍しくないだろ、別に」
「周りの男でそんなん聞いたことねえわ」
 レオもそうだった。聞いたことがなかった。この前のバレンタインの日までは。凛太に続き、これが二例目。
 そうか。恭もなのか。思わぬところから良い情報が得られた。
「ふふ、恭くんとお揃いだー。うれしいな」
 アリナが恭に向ける視線には「媚」が混じっている。彼女が恭狙いなのは間違いなさそうだ。
 爪も化粧も派手な美人。露出も多めだ。レオみたいなのがアプローチしたって鼻であしらわれて終わるだろう。
 あれだけの美人が気のある素振りを見せているにもかかわらず、恭は興味がないようで、あちらに戻る様子もなくレオの隣でグラスを傾けている。好みではないのだろうか。選べる立場、羨ましすぎる。
 しばらくこちらで飲むつもりなのだとしたら、今がチャンスだ。お願いしてみよう。恭のシャツの裾を引っ張り、小声で呼びかける。
「恭さん、恭さん」
「ん?」
「今日Tバックって本当?」
「本当だけど……」
「あの、お願いがあって」
「なに」
「パンツ見せてくれない?」
「……は?」
 彼が怪訝そうな顔をしたのも、まあ当然言えば当然だ。だが、この機会を逃したくない。
 生で男のTバック姿が見たいと思っていたところに、ぴったりの人が身近にいることが判明した。しかも彼は親しい先輩。これはもう何としてでも協力してもらいたい。
「ちらっとでいいからさ。ズボンの中のぞかせて」
「もしかして、ここでってこと?」
「ここでもトイレとかでも」
「いや……、なんで? 見たいの?」
「見たい! ちょっと事情があって、確認しなきゃなんないんだ」
「えー……。何の確認? ……とにかく、ここでは駄目。話聞いてやるから、そうだな、うちに来る?」
「いいの? 行きたい。けど、迷惑じゃない? トイレでは」
「いいから。おいで」
 恭はレオの手を取ると、皆のテーブルに向かって言う。
「俺とレオ、抜けるわ。こいつ、ちょっと気分悪いみたいだから、送ってく」
「えー、恭くん、帰っちゃうの?」
「ごめん。また今度な」
 アリナが恨みがましい目つきでレオを睨んでいたのは、見て見ぬ振りをすることにした。

 電車に乗り、恭が一人暮らしをしているワンルームマンションを初訪問。いいな、一人暮らし。ずっと実家でお世話になっている身なので憧れる。
 レオの実家部屋のように、本棚に入りきらない漫画本や捨てられない不要品でごちゃついているということはなく、飾り気のないすっきりした部屋だ。
 モノトーンでまとめられているということは、それ以外を置かないという選択が出来るということで、「決断力のある大人」という感じがしてかっこいい。何でもかんでも置いておくから、レオの部屋は散らかるのだ。
 きょろきょろしていると、座るように言われ、コーヒーを出してくれた。鞄を置いて、カーペットの上で向かい合う。
 ここなら誰にも会話を聞かれる心配がない。恭から尋ねてくれる。
「で、どういうこと?」
「……パンツを見せていただきたく」
 言っていてだんだん恥ずかしくなってきた。

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