(番外編2)バカンスで君とふたり

 大学生になって三回目の春を迎えるようになると、初めは戸惑うことばかりだったキャンパスライフにもさすがに慣れた。アルバイトにも、親元を離れた一人暮らしにも、恋人のいる生活にも。
 たまに喧嘩はするが、初めてできた彼氏との仲はすこぶる順調で、伊月は今日も陽介宅に泊まりに来ていた。山盛り唐揚げと山盛りキャベツの千切り、山盛りご飯という夕食を終え、後片づけも済ませ、時計を見ると、もうすぐ九時。
 風呂の準備をして戻ってきた陽介に、一応確認を取っておく。
「なあ、ラジオ聞いていい?」
「バニバニタイム? 録ってるんじゃないの?」
「予約はしてるけど……。冒頭だけ。冒頭だけだから。今日は久しぶりに三人の放送でさあ」
「はいはい。どうぞどうぞ」
 バニラ・バニー・スターズのメンバーがパーソナリティーを務める生放送のラジオ番組、メルティ・バニバニタイム。毎週欠かさず聞いている。
 付き合い始めの頃、陽介は伊月の推し活にやきもちじみたことを言うこともあったが、最近は滅多になくなり、それが元で喧嘩になることはもうほとんどない。言っても無駄だと諦めているのだろう。
 スマホのラジオアプリを起動し、カーペットの上で背筋を正し、正座する。陽介も聞くようで、隣で胡座をかいて寛いでいる。
 九時ちょうど。軽快な音楽が流れ、いつもの挨拶が終わってすぐ、勢い込んで夏穂が切り出す。
『今日はねえ、重大発表があります!』
 次に円莉の声が聞こえてくる。
『え、新曲の発表、ここでしちゃうの?』
『それは後から! あたし的にはそれより重大なことです。なんと……』
 口でドラムロールをしてから、夏穂が言うことには、
『結婚します!』
『……け、結婚?』
 おそらく、多くのリスナーが円莉と同じ反応をしたに違いない。だが、いつもクールな清香は驚いていないようだ。
『あんた、それ主語を言わないと大きな誤解を生むわよ』
『清香ちゃんは知ってたの?』
『夏穂ママから聞いたの』
『夏穂ちゃんが結婚なんて……』
『違う違う。ちゃんと説明しなさい、夏穂。円莉が戸惑ってる』
『実は結婚するのはうちのお兄ちゃんでーす。プチドッキリ! びっくりした? びっくりした?』
『……なんだ。驚かせないでよ、もうー。グループの存続を本気で心配しちゃった』
『あんたの兄貴の結婚に皆そこまで興味ないわよ。公共の電波で流すようなことじゃないわ』
『だってうちのお兄ちゃんだよ?』
『はいはい。ブラコンブラコン』
 ブラコンだのブラコンじゃないだのという、三人娘のいつものやり取りが流れる。
 夏穂のお兄ちゃんが結婚。夏穂のお兄ちゃん。
「おのれ、夏穂め……」
 真横から聞こえた陽介の苦々しげな呟き。わかりやすく頭を抱えて項垂れている。
「……なんで黙ってたんだ?」
「いや、近いうちに話そうと思ってたんだけど、その前に親に一応相談したら、内容が微妙に誤って夏穂と清香に伝わって……」
「夏穂ちゃんにもう一人お兄ちゃんがいたなんて!」
「……ねえ、その頓珍漢、わざと? わざとだよね?」
「え、ほんとにあんた結婚すんの? だ……」
「誰と、なんて言うのはやめてね。今喧嘩する元気ないから。正確には結婚じゃなくて、番になろうかなって話」
「つがい……、番。番?」
 お互いを唯一無二のパートナーにするという、アルファとオメガの契約。もうさすがに理解している。
 立てた膝に頬杖をつきつつ、陽介は頷く。
「番になるのって、いつもは止めている発情期を来させなきゃ駄目だから、二人とも時間に余裕があるときじゃなきゃ駄目なんだよ。僕、次卒業だろう? 社会人になるとなかなか難しいから、二人とも学生のうちに……、と思って。どう?」
「番か……」
 当然、答えはこうだ。
「いいよ。いつする?」
「え、いいの?」
「いいのって……。将来的に番になるとか結婚するとか、そういうことを踏まえた付き合いをしてほしいって、あんたが言ったんだろ」
「まあそうなんだけど。もっと迷うかと思った」
「なんで迷うんだよ。ずっとそのつもりだったし」
 彼以上にしっくりくる人がこの先現れるとは思えないし、それよりなにより、自分たちは「運命」なのだろう?
「あー」
 感極まったというように、大きく両腕を広げ、がばっと抱きしめてくる。少々どころではなく締め付けがきつい。
「うわあ」
「なんか今日は一際可愛いな!」
「ぐぅ……。やめ、くるし」
「ごめんごめん」
 強すぎる腕の力が緩められる。
「大丈夫?」
「……なんとか」
「んー、可愛い。そういうとこあるからね、伊月はね。不意打ちで来る」
 嬉しそうだな。頬に頬をぴったりくっつけて戯れ付いてきて、一段と甘ったるくて心地いい匂いをさせている。断るはずなんてないのに、変なの。
 腕に伊月を抱いたまま、上機嫌の陽介は片手でスマホを操作し、メモを見る。
「まずは番外来のあるオメガ専門クリニックで相談するのがいいんだって。そこで、先生に次の発情期予定日を正確に割り出してもらって、抑制剤の服用を計画的にやめていく。自己判断で抑制剤をやめると危険だから」
 確かにそうだろう。自分で想定していた予定日がもしも間違っていた場合、うっかり外出中に発情期が来てしまった、なんてことも起こりうる。そうなれば最悪見ず知らずの相手の番にされてしまうかもしれない。
 正確な予定日を知って、その間は安全な室内にいるようにしないといけないだろう。
 発情期が来ている間は、家に閉じこもりきりになるのは当然で——。
「学校は休まなきゃだよなあ」
「今からなら、上手くすれば夏休みに合わせられるんじゃないかな。それが時期的にはベストだよね」
「確かに」
 もう週半分ぐらいしか大学に行っていないとはいえ、まだ必修科目が取り切れていないし、休まずにすむに越したことはない。
 陽介は一人で色々と考えてくれていたようだ。
「でさ、調べたんだけど、発情期前後の一週間くらいをホテルで過ごすというのはどうだろう」
「ラブホ……?」
「じゃなくて。あそこは連泊するようなとこじゃないよね?」
「行ったことないから、正直なところ、どんな感じなのかちょっと興味があったんだよな」
「それはまた連れてってあげるから……。今は普通のホテルの話ね。で、ホテルによっては、発情期カップルプランってのを用意してあるところがあるんだ。どうぞここで充実した発情期を過ごしてくださいって歓迎してくれるやつ」
「へえ、そんなのあるの? 聞いたことない」
「海外では結構やっているらしくって、この国でも徐々に増えてきてるらしいよ。で、そのプランでは、必要なものを事前に揃えてくれてたり、発情期で身動きができない間、部屋に他の客を近寄らせないようにしてくれたり、食事なんかを運んでくれたり、他にも発情期カップル向けのサービスを色々提供してるんだって。雰囲気のあるリゾートホテルでもやってるとこあるから、バカンス感覚でそういうのを利用してもいいと思うんだ」
「わあ、いいな、それ!」
 これまで彼と泊まりの旅行に行ったことは何度かあるが、長くても二泊三日だった。いつも帰るのが名残惜しかったものだが、一週間もリゾート地でバカンス。なんて贅沢。楽しくないわけがない。
 スマホでホテル予約サイトを開いて候補の宿泊先を見せてくれたので、目を通す。どこもそれなりに高い、とはいえ今から二人でアルバイトを頑張ればどうにかなりそうな金額だ。——彼は溜息をついているけれど。
「大丈夫かな……」
「いけるいける。シフト詰めよう」
「お金の話じゃないよ。ほら、あれ、上手く言えるかなって」
「あれ?」
「息子さんを僕にください」
「え、うちに挨拶に来んの?」
「そりゃあ、そうするのが常識だろうね。番関係になるっていうのは、役所に届け出するかどうかの違いだけで、ほぼ結婚するのと同じようなものだから」
「いや、別に反対はされないと思うけど……、父さん、引っくり返りそうだな」
 たまに陽介を連れて実家に帰っても、いまだにおどおどした対応をしているのに。
「説得頑張るよ。いっぱいシミュレーションしとこう。ここは策を弄するより、正面からぶつかるべきだよね。まずは、そうだな……」
 間近にある真剣な横顔。こんなに熱心に——クリニックやホテルのことを調べて、親への挨拶のことまで悩んで。それもこれも全部伊月と一緒になるためなのだ。
「……なんか、いいな」
 彼の首元に頭を擦りつけて甘えかかり、腰に絡んだ手を握る。
「ん?」
「求められて繋がれるって嬉しい」
「僕もだよ」
 ちゅ、と唇を触れ合わせ、吸い込まれそうに深い瞳の奥を見つめる。陽介から向けられる視線は甘さと熱を多分に含んでいて、おそらく自分も彼を見つめることで同じものを返しているに違いなかった。
 唇が耳元まで近づいて、囁く。
「繋がりたい。肉体的に繋がるよりもっと深いところまで」
「……それって魂とか、そういうこと?」
「さあ、どうだろう。言葉としてはそれが近いのかな。伊月は?」
「もちろん俺も」
「よかった。……ん」
 軽くキスをしつつ、手で後頭部を庇いながらカーペットに寝かされる。説明されずともわかる。これはそういう流れ。
「すんの?」
「逆に、しないの?」
「……する」
「はは、オッケー」
 計画の詳細を詰めるのは、またあとで。

 陽介の卒業までに番になると決めてから、すぐクリニックで相談して説明を受け、その後両家の親への挨拶も済ませた。
 父が取り乱すことを心配していたのだが、前もって母に電話で伝えていたお陰か、特にトラブルが起きることもなく、その日の葛城家の食卓も平和だった。
 堂島家への挨拶も、もともと陽介の両親は交際を全面的に応援してくれていたため、非常にスムーズに終わった。夏穂も来たがっていたというけれど、仕事を抜けられなかったらしく、参加はなし。正直助かった。緊張でまともに喋れなくなるから。
 発情期予定期間は、狙い通りちょうど夏休み中に持ってくることができた。それまでに就活を終わらせる、と意気込んだ陽介は、諸々の準備と並行していくつかの内定を獲得し、その中から大手化粧品メーカーに決めたようだ。全く羨ましい。蹴った内定のうちの一つでもいいから、来年の伊月に分けてほしいものだ。
 身軽になった彼は嬉々として旅行計画を練り、話し合いの末、最終的にIZKグループのリゾートホテルを予約した。バイト代をかなり注ぎ込むことにはなるが、一生に一度の思い出にするためだ、致し方ない。
 出発は、余裕を持って発情期予定日二日前の朝。
 この頃にはもちろん発情抑制剤を完全にやめており、万が一発情期が早まってしまった場合を考えて公共交通機関を使うと危険、と陽介が言うので、移動にはレンタカーを利用することになった。伊月は免許を持っていないため、運転はお任せすることになる。
 寄り道はほとんどせず。途中、人気のサービスエリアに立ち寄りはしたものの、人の少ない場所を探して休憩しただけ。夏休みで混雑しているので危険、なのだそうだ。
 面白そうな店があったから覗きたかったのに。全然旅行気分を味わえない。いちいち口うるさいし。
「いい? 絶対に僕の目が届く範囲にいなきゃ駄目だからね!」
「へいへい。わかってるよー」
 体温が上がったり、怠さを感じたりという発情期の兆候はまだ出ていない。大丈夫だと言っているのに、心配でたまらないらしい。

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