(番外編2)バカンスで君とふたり

「見た感じは普通だけど……。曲げられる?」
 痛みは徐々に引きつつあったので、右足の指をグーパーグーパーと動かして見せる。
「ちゃんと動くから折れてはないね」
「大分痛くなくなってきた。小指ぶつけたら異常に痛いよな……。なんだろうな、あれ」
「かわいそう、痛いの……」
 足首を持って引き寄せると、陽介は何を思ったか、小指と薬指をぱくっと咥えた。口内で舌がぬるりと動き、指と指の間にまで入り込んできて、小指全体を舐る。痛みで忘れていた頬の熱さが一瞬にしてよみがえる。
「え、なに……。今日めっちゃ汗かいたから、汚い」
「伊月のだからいい」
「もう、こら」
 小指だけではなく、薬指、中指、と順々に舌を絡ませつつ辿っていく。くすぐったくて足を引っ込めたいはずなのに、赤い舌先がうごめくのをじっと見つめたまま動けなかった。
 興奮、あるいは期待、か? 触れ合っている箇所から甘い痺れが生まれ、腰、背筋へと広がる。
 気持ちいいけれど、そこばかりじゃなくて。
「なあ……」
 キスしたくなり、両手を差し向けて彼を呼ぶ。彼は足を放して伊月に乗り上がってくると、柔らかな唇同士をあわせる。
 もっともっとくっつきたくて、彼の首に腕を回して引き寄せる。
「……まだ、いっぱい」
「いくらでも」
 何度か口づけを繰り返す。舌を突き出して誘うと、彼の舌がそれに絡んだ。
 体温が急激に上昇していくのがわかる。もっと近く、もっと深く。
 ——繋がりたい……。
 もっと奥で。
 陽介がTシャツを脱ぎ始めたのを見て、伊月もそれに続き、着衣をぽんぽんと床に投げ捨てていく。
 空調が効いているはずなのに、暑くてたまらない。酩酊状態の時のようにくらくらする。欲しくて欲しくて、そればかりに支配されていく。
 抑えがたい性衝動を感じたのは、もちろん初めてではないが、これほどまでなのは——。きっと、伊月を魅惑する彼の甘ったるい匂いが、いつもより強いせい。
「匂い、すごい……。なんで? バスルームに行ったあとは元に戻ってたのに。急に、こんなの」
「君の匂いに当てられたんだ」
「俺の……? 俺があんたの、じゃなくて?」
「そう」
 情欲を滲ませた瞳が、こちらを見返す。一息ごとに濃くなる匂い——今度は確かに伊月に興奮しているのだ。
 嬉しい。嬉しくて胸がきゅんと締めつけられるようで、同時に下腹部の、甘く疼いて存在を主張している場所にも力がこもる。ここに欲しい。いっぱい、この人のが。
 汗ばんだ彼の身体が覆い被さって、共にベッドに沈む。ああ、奪って。全部、全部。
 耳殻を舐った舌が、首筋を這って甘噛みし、痛いくらい吸う。高まっていくばかりの情動をさらに煽り立てようとするような、荒っぽい愛撫。痕が付くなんて、今日は気にしなくていい。
「んっ……、やっぱりこれって……」
「多分そう。早く来たらいいって君が言ったから、ほんとに来ちゃったね」
 これが発情期。二年前に来たときはどうだったか。気が動転しすぎていて詳しく覚えていないが——。あの時と決定的に違うのは、どんなに熱が暴れたって、共に溺れてくれる人がいるということ。
「ひっ……ぅ」
 直接触れられていなくてもすっかり尖った乳首に歯が立てられ、きつく吸い上げられる。たまらず背を反らせたのを指摘するように、彼の掌が腰を撫でる。
「……すご。おもしろいくらい敏感」
「これ、ほんとに大丈夫……? なんかこわい。こわいっ……ぁ」
「いつもしてるのと同じことしてるだけだよ?」
「発情期来たなら、もう噛んで、早く……」
「だーめ。挿入している間じゃないと上手くいかないって言われたじゃん」
「じゃあ、早く入れて」
「せっかくだからもうちょっと楽しもう?」
「やだ。やだぁ」
 自分はバスルームで抜いてきたからって余裕だな。反撃しようとして起き上がろうとするが、軽く押しとどめられ、濡れた唇が焦らすように胸から臍の下までを辿る。
「んっ……ぁ、なあ……」
「まーだ」
 その先にある、勃ち上がって触れられるのを待つ箇所は避け、垂れ下がった奥の袋を唇で噛む。
 刺激が与えられるたび、身体はびくびくと跳ね、肉茎の先から蜜を滲ませた。舌先で継ぎ目をなぞる彼を蹴ってやると、股間に顔をうずめたまま愉快げな声が返ってくる。
「なあに」
「そういうのもういいってばぁ」
「トロトロになるまで煮込んでから食べたいなと思って」
「自分だって勃ってるくせに……」
「いきたいならいきな。ほら」
 彼の人差し指が性器の側面を滑る。たったそれだけのことで栓が外れ、先端の穴から白い精が飛ぶ。
「……いいね、上手。いっぱい出た」
「うぅ……」
 達しても治まるどころか、ますますひどくなるこの昂ぶりを、今すぐどうにかしてほしいのに。うまく口が回らず、ただ睨むことしかできない。多分それも彼にしてみれば「可愛らしいおねだり」くらいにしか見えないに違いない。
 足を持ち上げられ大きく開かされ、ひくつく秘部に視線が注がれる。
「愛液すごいね。舐めていい?」
「なんでそんなに余裕なんだよ……。入れてってばぁ。おかしくなるっ……」
「余裕なんてないよ。ただ、僕を欲しがって全身で哀願する君が可愛くて」
「ひどい! いじわるっ」
「ここだって、早く早くって僕を呼んで……。健気だなあ」
 縁を撫でてから、指先が穴に沈む。入り口が別々の指で左右にぐっと広げられるのが、感覚でわかった。
「ひっ……」
「入れられる準備をして緩んできてるんだ。さすが発情期」
「見世物じゃないぃ……っ」
 切羽詰まって涙腺まで緩み、ぼろぼろと涙が零れる。
 これはさすがに効いたのか、指が中から抜かれ、彼は目元をそっとキスで拭う。
「ごめん。いじめすぎたね」
「バーカバーカ。もうきらい!」
「許して。ごめん、大好き。嫌いなんて言わないで。ね?」
「……好きならぁ」
「うん、わかってる」
 弾力のある先端が尻の窄まりにあてがわれる。早くこれで中を満たして。苦しいくらいいっぱいにして。この狂おしい衝動を鎮めて。早く。ねえ、早く。
 段差の部分までゆっくり入ってきて、あとは一気に貫かれる。
「あぁっ……あ」
 衝撃でまた達してしまったのが、陽介にも中の締めつけでわかったらしい。
「中イキもうまくなったね」
「うっさい……」
「……かわいい、伊月」
「え、やっ……」
 勿体ぶって前戯をしていたのが嘘のように、抜き差しの動きは初っ端から遠慮がない。抗議しそうになったが、やれと言ったのは自分なので、文句をつけるのもおかしいだろう。
 なんにしろ、余裕の顔が剥がれたのには安心した。伊月だって見たい。彼が全身で伊月を欲しがるところ。
「伊月……」
「いいよぉ……、いい、もっと」
「……」
 息を乱して腰を振るのを観察できたのもわずかな間、すぐに何も考えられなくなり、与えられるものに溺れて鳴き声を上げるだけになった。
 いつ噛みつかれたのかも、正直よく覚えていない。気づけば、伊月の左肩に頭を置いたまま陽介の動きが止まっていて、腹の中で彼のものがどくどくと精を吐いていた。
 首の付け根辺りに歯が刺さっているのはわかるが、全く痛くはない。温泉に浸かったときのように、身体の芯がじわじわと温かく、とても心地いい。性的な快感とは違うふわふわとした気持ちよさが全身に行き渡る。
 体内で精を受け止めたことで幾分落ち着き、まだぼんやりとはしているが、少しばかり思考がクリアになってくる。
 しがみついていた腕を緩め、彼の項をくすぐって注意を引くと、伊月から口を離して気怠げな視線を寄越す。色っぽいな、やっぱり。こんなことをしている最中だから、当然だけど。
「……ん?」
「噛んだ?」
「うん」
「成功?」
「だね」
「……」
「……」
「……出てるなあ」
「出てるね。止まんない……」
 クリニックでもらったパンフレットによると、発情したアルファの精液量は通常に比べて多くなるという。スキンは役に立たないらしいから、今回はつけていない。
 そういえば中出しは初めてか? 事前に説明を受けていたため、もちろん避妊薬は服用済みで、妊娠の心配はない。
 子種を注がれることでこんなに満たされた気分になれるとは知らなかった。これは発情期のオメガの本能? それとも、愛とかそういうもの? 手足を使ってふわりと包み込むように、番になったばかりの男を抱きしめる。——うん、多分、両方。
「……さっき嫌いって言ったけど、取り消しとく」
「それはありがたい。君が可愛いからって意地悪してごめんね?」
「俺も……、むかついたからって無理矢理フェラしようとしてごめん」
「フェラは好きなんだよ? あのときは自分が情けなさ過ぎて嫌だっただけで。だから、まあ、またして。ね?」
「うん」
 仲直りのキスを交わす。
 重なった肌から彼の鼓動を感じつつ、改めて強く結ばれた喜びを噛み締めた。

 その後、緊急発情抑制剤を注射したのが、日付を跨いだ深夜のこと。翌日は昼過ぎまで寝て、一日中部屋でゆっくり過ごした。二人ともそう体力がある方ではないので、疲れすぎて動けなかったのだ。
 丸二日潰れたとはいえ、この部屋は一週間押さえてあるため、まだまだ時間はある。
 そのまた翌日。朝食は部屋の中ではなく、ホテル本館のレストランで取ることした。発情期が明けたため、もう自由に動き回ってバカンスを満喫できる。素晴らしい。
 テラス席の二人がけソファに座って、カラフルな朝食プレートをいただく。ここからも海が見え、バカンス感に浸るには理想的なロケーションだ。ホテルのレストランで、恋人と海を眺めながら朝食を取る、なんて映画みたい。
 急いで食べてしまうのはもったいなくて、少しずつ口に運ぶ。彼の視線が時折伊月の首元に向くのが、何だかくすぐったい。そこには彼の付けた噛み跡がはっきりと残されているのだ。
「ふふ、俺もついに既婚者か……」
「正式に結婚してはいないけどね。このこと、伊月は周りに言う?」
「大学でってこと?」
「うん」
「瀬上には言った。番になる計画を立て始めてすぐに。他の人はどうかな。言ってもいいし言わなくてもいいし」
 性別バレ事件から二年。あの頃気まずくなっていた元友人たちとも、今は会話するようになっていた。親しいというレベルではないけれど。
 彼らには特に報告する必要な感じないから、機会があれば言う、くらいでいいと思う。
「そっか。僕は言おうと思ってる。大学でも、就職先でも。いいかな」
「いいんじゃない。別に俺の許可を取らなくてもいいよ」
「ありがと。じゃあ言う。めっちゃ言う。すぐに別れるとか言ってた奴らに、真実の愛だったと証明してやるんだ」
「そんなん言う奴はほっとけって言ってたじゃん」
「でも悔しいから」

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