(番外編2)バカンスで君とふたり

「まあ、確かにな」
 言いたい奴らには言わせておけとは思うが、彼らの好き勝手な発言が間違いだったと突きつけてやれたら、きっとすっきりする。
 陽介はカトラリーを置き、こちらへ向き直る。
「それで、さ。ちょっと二点ほどご相談が」
「なに?」
「番になるって決めてからバタバタしてて、なかなか話せなかったんだけど、僕が卒業したら一緒に住まない?」
「同棲ってこと?」
「そう。今のマンションは学生向けで、卒業したら出ていくんだ。でも、君はまだ一年残ってる。通学通勤どっちもしやすいように、大学からも勤め先からも便利のいいところを探して……、って思ってるんだ。大学までは今のとこより遠くなっちゃうけど、四年生になったらあんまり行かなくてもいいし。どうだろう」
「うーん……。同棲自体は大歓迎なんだけど、別に俺も卒業してからでいいんじゃない?」
「よくない。仕事に慣れない新入社員の忙しさ、甘く見ないでよ。全然会う時間無くなっちゃう。そんなの一年も我慢できない。だめ?」
「だめ、ではない。家賃が高すぎないところなら、まあ」
「そう言ってくれると思った。実はもういくつか物件チェックしてて。帰ったら一緒に不動産屋さん行こっか」
「早すぎね? 何ヶ月前から契約する気だよ」
「もう今すぐ同棲したい」
「いや、今でも半同棲というか八割同棲くらいだろ。大学遠くなるだけ損じゃね?」
「まあそうなんだけどー。わかんないかなあ」
「わかりませーん」
「えー。そんな冷たいこと言う子にはこうだ」
 抱き寄せられて耳朶に噛みつかれる。痛みを与えるほどではなく、甘噛み程度だ。
 普段なら、人目のあるところでここまでのスキンシップはしないが、テラスのカップルシートにはいちゃいちゃしている二人連れが他にもいるので、止めないでおいた。バカンスだからいいんだ、多分。
 耳がじがじが邪魔で食事ができず、一口かじっただけのパンを置く。
「……はいはい。で、二つ目の相談って?」
「ああ、うん、相談っていうかお願いなんだけど……。プレゼントがあるんだ。ちょっとあっち向いてくれない?」
 陽介の右側に座った伊月の右を指す。つまり彼に背を向けろということだ。
「なんだよ」
「いいからいいから」
 よくわからないながら、プレゼントは嬉しいので言われたとおりにする。背後で何やらがさごそ音がして、両肩に手が添えられる。
「なに……?」
「……これ」
 首回りに冷たい感触があった。金属のような——、首回りにつける金属でプレゼント、というと。
「ネックレス?」
「じゃなくて……。こっち向いて。鏡持ってきたんだ」
 ポケットから取り出した手鏡を渡される。それを見ると、首の周囲にぴったりと、約二ミリ幅の銀色の輪っかが巻きついている。ネックレスにしては短いような気がするが。
「ほら、留め具の部分はこんな風になってて。どう?」
 陽介が輪っかを半回転させると、煌めく透明の一粒石が現れた。自分に似合うかどうかはともかくとして、とても綺麗だ。
「すごくいいものだとは思うけど……」
「こういうの、時代錯誤的だって言う人がいるのは知ってる。でも、小さい頃から憧れがあって……。もちろん、無理強いはしないけど、伊月が付けてくれたらとても嬉しい」
「なんでいきなりネックレスなんか」
「んー、わかんないか。伊月だもんなあ。というか、元ベータの感覚ではピンとこないってことかな」
「全然わかんない」
「それ、カラーだよ。首輪。番になったオメガにアルファからカラーを贈るっていのは、昔からの習慣でね」
「あ、それ、清香ちゃんの映画であった。けど、映画ではもっと首輪っぽい首輪だったような。犬みたいな」
「それだったら普段使いできないでしょ? 昔と違って今は色んな種類が出てるから、君に似合うのを選んだつもり。こういう習慣はアルファがオメガを庇護するものっていう価値観に基づいたもので、差別的だという人もいるけど……、お洒落なデザインが増えてきてからは、ペアリングの感覚で贈るカップルも増えてきてるんだって。だから、これは決して君を下に見てるということじゃなくて、ほら、僕が君に守られることだってあるんだし、結びつきの一つの表現としてっていうか」
「うん。そんなに必死に説明しなくてもさ。いいよ、別に、これつけるくらい。犬みたいな首輪は嫌だけど、これならあんまり目立たないし」
「……そう。うん、ありがとう」
「礼を言うのは俺の方だろ。ありがと」
「ううー。いつきー」
 腕の中に抱え込まれ、髪にキスを受ける。
 放っておくとエスカレートしそうだが、何やら感動しているらしい彼の邪魔をしたくなくて、結局されるがままになっていると、斜め後方から陽気な声が聞こえてくる。
「あ、いたー!」
 振り返ると、そこには見覚えのある男。ひどく機嫌がよさそうに手を振っている。
「その様子だと上手くいった感じ? よかったー」
「お前、あのときの……」
 あの派手で奇抜なオレンジ髪、そうだ、発情状態で陽介を誘拐したオメガだ。
 守るように陽介の頭を引き寄せる。鋭い目つきを作って威嚇してやるが、相手は引く様子がない。
「そんなに警戒しないでよ。あの時はさあ、ちょっと彼氏と喧嘩しちゃってさ。だって番になるためにここに来てるっていうのに、発情期の俺をほっぽって仕事の電話に出るんだぜ。ひどいと思わねえ? で、ぶちキレてヴィラを飛び出してうろうろしてたら、良さげなのが歩いてるからさあ」
「良さげなのって……」
「だってめっちゃタイプだったんだもん。顔が。まあ、でも、ちゃんと彼氏と仲直りして番にもなれたから。あの時はほんとごめんねー」
 喋り方までちゃらついてる。なんだこいつ、謝っているはずなのにへらへらしすぎだ。まずポケットから手を出せ。
 呆れて返す言葉もなく押し黙っていると、後ろからもう一人、男が歩いてくる。
 オレンジ頭はオーバーサイズのTシャツとハーフパンツというラフな出で立ちだが、それとは対照的に、こちらは生真面目な印象のビジネススーツ姿だ。
 スーツはオレンジに目を向け、言う。
「アキ、何をしているんだ」
「ああ、コウ、やっと来た。それがさ……。って、え、なにその格好」
「仕事に行く」
「は? ……はあ!? まだバカンス中だろ?」
「目的は達成したんだ。もうここにいる意味はないだろう。お前はゆっくりしていていいぞ。好きに楽しめ。請求はこちらに来るようにしていい」
「冗談だよな? だって俺たちやっと……」
「冗談など言ってどうする」
「……そうか。そうかよ。じゃあ好きにさせてもらう! 今日はビーチで何人か誘って、お前の金で乱交パーティーだ!」
「できもしないくせに、いつも口だけはでかいな」
「あぁ!?」
 オレンジは今にも掴みかからんばかりだ。つまりはこのスーツが仕事大事の彼氏というわけか。
 うんざり顔で陽介は呟く。
「……僕たち、カップルのいざこざに巻き込まれることが多すぎない?」
「なー。さっきまであいつにムカついてたけど、馬鹿らしくてどうでもよくなってきた」
「行こっか」
「うん」
 残ったパンを口に放り込み、席を立つ。
 すでにそこにスーツの姿はなく、オレンジだけだ。いい大人がべそべそ泣いている。本当に帰られてしまったらしい。可哀想になって声をかけてしまう。
「……大丈夫?」
「ひどい……。あいつはいっつもああなんだよ。仕事仕事って俺のことほったらかしで……。何度も別れようと思ったけど、でもいっつも許しちゃう。好きだからぁ」
「確かに、番になった後くらいは一緒に過ごしたいと思うよね」
「だよな!? わかってくれる? いいやつだなあ、少年」
 ぽんぽん肩を叩いてくる。偏見かもしれないけれど、ちゃらちゃらしている人は馴れ馴れしい。
「少年ではないかな……」
「なあ、お前らまだここに滞在するよな?」
「うん……、まあ」
 この流れはまずい、と思ったが、誤魔化し損ねた。続くオレンジの言葉は概ね予想通り。
「じゃあ、この後付き合え。なに、全部俺の、っていうかあのワーカホリックの奢りだ。気にするな」
「え? いや、遠慮……」
「結構です」
 断り切れない伊月の代わりに、陽介がきっぱり突っぱねる。だが、オレンジはまるでめげない。彼氏にすげなくされすぎて慣れているのかもしれない。
「なんでだよ。来いよ。実は船をチャーターしてあるんだ。クルーズしようぜ。食事はこの辺で一番高いレストランのケータリング、高い酒もいっぱい持ってこさせよう」
「あの」
「さあ、行こう行こう」
 強引に連れて行かれてしまう。
 気が進まないまま参加したが、クルーズはなんだかんだで楽しかった。野生のイルカも見られたし、豪華なランチが食べられたし、高いシャンパンが飲めたし、オレンジ、もといアキも初対面の印象ほど悪人ではなく、「ノリはうるさいが気のいい大学の先輩」という感じだったし。
 まだ滞在期間は残っていたようだが、翌日アキは帰っていった。やはり彼氏が恋しいようだ。
 残り四日は、海辺を散歩したり、プールで泳いだり、ショッピングをしたり、観光地を巡ったり、二人で目一杯バカンスを楽しんだ。
 最終日、チェックアウトのとき、フロントで宿泊費の精算が済んでいると聞かされた。「パートナーが迷惑をかけたお詫びと仰って、久原様よりいただいております」とのことだ。久原とはおそらくアキの恋人のことだろう。それくらいしか心当たりがない。
 クルーズで飲み食いした分も彼の財布から出ていたようだし、お詫びとしては貰いすぎだとは思うが、返す術も礼を言う術もない。有難くいただいておくしかないだろう。

 後日、メルティ・バニバニタイムで夏穂が今回の件について喋った。
『うちのお兄ちゃんの結婚話があたしの勘違いだったのは、前に報告したけど、あの後番にはなったそうです。おめでとー』
『はいはい、おめでとうおめでとう』
『おめでとうございます』
 清香と円莉も拍手をして祝福してくれる。
 またリアルタイムで聞いていて、マグカップを取り落としそうになってしまった。中身が空でよかった。
「推しに祝ってもらえるなんて……!」
「いや、なんでそんなに感動してんの? 今回の内容知ってたでしょ? ちゃんと事前に夏穂から電話があったんだから」
「知ってたけど、三人からおめでとうって言われると喜びもひとしおというか……。俺はもしかしたら世界一幸せなバニバニファンかもしれない」
「ぶれないねえ、君は」
「だろ」
 これで明日も元気に頑張れそうだ。
 こんなふうに毎日を、これからもずっと、君とふたりで。

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