(番外編2)バカンスで君とふたり

「他のアルファが襲いかかってきたときのために武装しとけばよかった」
「大袈裟だなあ。極悪モンスターやゾンビじゃないぞ」
「フェロモンに当てられて理性失った人間なんて何するかわかんないんだから、モンスターやゾンビと同じだよ。君のことは僕が守らないと。ピストルやナイフは刑務所行きになりそうだけど、スタンガンで反撃すんのはギリギリセーフだと思うんだよね」
「だからやめろって。そんなに心配なら早くホテル行こう。ホテルでバカンスしよう」
「うん」
 周囲を警戒してピリピリムードの陽介をどうにかしなければ、楽しいものも楽しめない。

 早々にホテルへ到着し、受付開始直後にチェックインした。
 広大な敷地に散らばったヴィラは全室一棟貸し切り。高い天井の開放的な室内、リビングルームからも浴室からも海が見え、用途不明の白い透けた布が垂れ下がったベッドも、花が飾られた丸いバスタブも、二人の利用ではもったいないほど広い。
 陽介のピリピリに影響されて落ちていた気分も、すぐに昂揚する。
「わあ、バカンスって感じ!」
「奮発してよかったね。思う存分いちゃいちゃするぞー」
「おー!」
「ノリノリだね」
「緊張をほぐすためにはしゃぎたいんだよ。俺だって上手くいくかちょっとはドキドキしてんの。発情期が来て、番になって、落ち着いたら緊急抑制剤を打って発情期を止めて……だっけ」
「そう。途中で止めないで一週間もやりっ放しだったら、さすがに体力が尽きるよね。まあ、どうにかなる、はず」
「おう」
 室内を一通り見て回った後は、遅めのランチタイム。発情期カップルプランは部屋食が基本なので、フロントに頼んで持ってきてもらった。空きっ腹に美味しい食事。腹が喜んでいる。
 食べ終わった皿を片付けに来てもらったあと、リビングルームのラタンソファにだらりと腰掛け、テーブルに置かれていた施設案内をめくる。
 大きなプール、いいな。思いっきり泳いだ後に、プールサイドでココナツジュースを飲みたい。これぞバカンス。過保護な彼氏様の許可が下りるわけはないが、駄目元でトライしてみる。
「この後どうする? 暇じゃね? プー……」
「行かないよ? 部屋でゆっくりすればいいじゃん。移動で疲れたでしょ」
「俺、座ってただけだもん。全然疲れてない。時間を持て余すことを見越してトランプとウノは持ってきてるんだけど」
「修学旅行に来たのかな?」
「バニバニのライブDVDもあるよ」
「置いとけって言ったのに、やっぱり持ってきてたんだ。うーん、カードゲームもアイドルDVDも雰囲気なさすぎるからなあ。まあ、まだ兆候はないみたいだし、ヴィラの周りを散歩するぐらいなら……」
「そう? じゃあ行こ!」
 せっかく来たのだ。閉じこもってばかりいるのはもったいない。
 財布とスマホだけ持って出かける。ヴィラの周囲に敷かれたテラコッタタイルの上を、手を繋いで歩く。まだ暑い時間帯だが、真夏ほどではなく、海風が爽やかで心地いい。部屋からも見える海。
「プールもだけど、海にも行きたいな。全部終わってから時間あるかな」
「予定通り発情期が来たら、一日くらいは余裕あるんじゃない?」
「早く来たらいいのに。今日の夜とか」
「発情期が来るの、怖くはない?」
「なんで? 上手く出来るかなっていう緊張はあるけど、発情期が怖いとかは別に。だって一人じゃないし」
「……そっか。ならいいんだ」
「あんたは怖いの?」
「ううん。全然」
 繋いだ手に力がこもり、軽く肩に肩、というか腕をぶつけてくる。ホテルへ向かう道中のピリピリムードはもうなかった。うん、よし、こっちの匂いの方が好き。
 円形の開けたスペースに差し掛かり、噴水の涼やかな音に引かれて、なんとはなしに足が止まる。
「……あ」
 きらきら輝くしぶき越しに、ゆったりとした時間の流れるリゾート地には馴染まないスピードで、誰かが走り抜けていくのが見えた。
 若い男か? 陸上経験者のように美しいフォームではあったが、角を曲がろうとしたところで、何かに躓いたのだろう、派手に転倒した。
「ああ、大変だ」
 あの様子なら頭を打っているかもしれない。咄嗟に助けに走ろうとするが、陽介に止められる。
「伊月はここにいて。僕が見てくる」
「俺も」
「ここにいて、お願い。あいつがアルファなら危ない。人手が必要そうなら呼ぶよ」
 ここで行く行かぬで揉める時間が惜しい。ひとまず彼一人に行ってもらうことにして、伊月はしばらく見守ることにする。
 手をついて顔を上げたその男に、陽介は少し離れた位置から声をかけている。伊月からは話している内容までは聞こえない。
「早く助け起こしてあげればいいのに。何やってんだよ」
 やきもきながら見ていると、男は自らよろよろと立ち上がる。やはり怪我をしたのだろうか、ふらふらしている。
 ——が、突如獲物を見つけた猫のように俊敏な動きで距離を詰め、陽介の手を掴む。陽介はその手を振り払おうとしているようだ。
 何か揉めているのか? 居ても立っても居られず、彼らの元へ走った。
 絵の具のチューブから絞り出したようなオレンジ色の髪の男が、陽介の腕にしがみついている。顔が赤く息が荒いところからして、酔っぱらいだろうか。
 陽介は男に向かって声を荒らげる。
「おい、放せって言ってるだろ! 発情状態でうろうろするな。相手のとこ戻れよ!」
「やなこった。あんなやつ、もう知るもんか……。誰でもいいんだ。あいつ以外なら、誰でも。お前、結構好みだからさ。もういいや、お前で」
「は? 冗談じゃない! 僕には相手がいるんだってば。くそ、力強いな。引っ張るな!」
「俺の力が強いんじゃなくて、お前の手に力が入んなくなってきてるんだ。強烈だろ、発情期のオメガフェロモン」
 つまり、にやりと笑って纏わりつくこの男は発情期のオメガで、陽介を誘惑していて、陽介はそのフェロモンの影響を受け始めている……?
 頭のてっぺんから足先まで、さっと血の気が引いていく思いがした。奪われてしまうかもしれない、という恐怖。渡すものか。誰でもいい、なんて言っている奴に。
「やめろー!」
 間に入って引き剥がしにかかる。だが、男は動かない。
 伊月を睨み、舌打ちをする。
「何だよ、邪魔すんな」
「お前がな! この人は俺のなの! 勝手に連れてこうとすんじゃねえよ」
「アルファが発情期のオメガフェロモンに抗えるとでも?」
「俺だってもうすぐ出す予定だ! 放せ、放せってば!」
 力任せにぐいぐい男の腕を引いても効かず。両手でぽかぽかパンチ攻撃に切り替えるも、殴り合いの喧嘩などこれまでしたことがないので、大したダメージは与えられず。
 こうなったら思い切り体当たりだ。勢いをつけようと一歩足を引いたところ、いきなり男の身体が後ろに傾く。そして、よろめいて尻餅をついた。
 伊月が押したのではない。とすると、突き飛ばしたのは陽介。中途半端に両手を前に出したまま止まっているから多分そう。この隙に……。
「走るぞ!」
 陽介の手を引き、自分たちのヴィラまで猛ダッシュした。

 ヴィラに走り込んでしっかりと鍵をかける。極悪モンスターやゾンビ——、想定していた状況とは違うが、まさしくそういったものに襲いかかられ、命からがら逃げてきた、というレベルの恐怖体験だった。ひどく鼓動が早い。
 苦しげに眉根を寄せる陽介を支えて寝室まで連れて行き、ベッドに座らせる。
「さて……」
 どうすべきか。面倒だが、あれをあのままというわけにもいくまい。
 いったん陽介から離れ、リビングルームからフロントに電話し、先ほど起きたトラブルとその場所を伝え、発情期のオメガを保護してほしいとお願いした。あいつを放っておけば、他のアルファが被害に遭うかもしれない。それは食い止めなければ。
 受話器を置いて寝室に戻る。陽介は背を丸めて座り、深呼吸をして息を整えている。まだつらそうだ。
 ——俺のなのに……。
 アルファとして仕方がないことではあるのだが、自分以外のフェロモンに反応するなんて、と複雑な思いもある。
「結局あんたの方が守られてんじゃんっていう……」
「……ごめんなさい」
「あんたは誰の?」
「伊月の」
「だよな」
 かがんでぎゅっと抱きしめ、髪に頬を寄せる。攫われることなく、ちゃんとここにいるんだ。
 彼の腕が背に回る。
「さっき伊月が来てくれて、伊月の匂い嗅いで……、突き飛ばす力が出た」
「あいつのフェロモンより、俺の匂いの方が好き?」
「当然」
「でも、まだ興奮してる」
「これは生理的なもので……。ごめん。すぐ治めるから」
「協力してやるよ」
 いつまでもあの男の影響を受け続けたままなのは悔しい。唇に口づけしてから、彼の足下に座り込む。
「いいよ。悪い。するなら自分で……」
「黙ってやられろ」
 ベルトを外し、ズボンの前をくつろげてから取り出す。今すぐ挿入可能なくらい元気だ。
 ——俺以外に勃てるな、バカ……。
 挨拶代わりに側面をべろりと舐め上げてやると、大袈裟なぐらいびくっと震えた。
 さっさといかせてやる。それで少しは落ち着くだろう。この二年で鍛えられて、随分上達したのだ。
 楽しませることが目的ではないので、さっさと咥えて、奥まで招き入れようとする——も、頭を押さえられる。
「伊月……、ほんとやめて」
 上目遣いで放せとを伝えるが、彼は首を振る。
「いつもだったら喜んでやってもらうけど、助けられた上にこんなの格好悪すぎる……。後々まで引きずりそうだから、やめて。お願い」
「……」
 嫌がっているのに強制的に続けるのは、強姦みたいでさすがに良心が痛む。口と手を離すと、彼はよたよたとバスルームの方へ向かった。
 一人になって、広々したベッドの上、大の字で寝転ぶ。ほんのちょっと前までは、あんなにうきうきした気分だったのに、あのオレンジ頭のせいで台無しだ。
 そう、悪いのはあの男だ。陽介のせいではないのに、苛立ちをぶつけるみたいに、あんなこと。拒絶されて当然だ。
 大きく深呼吸。怒りで頭に血が上ったからなのか、熱っぽくて少しぼんやりする。
 クールダウンするために目を閉じると、自分の心臓の音がやけに大きく感じた。彼のを咥えて興奮したのもあるのかな。多分そう。口の中にまだ彼の味が残っている気がして——。
「やば……」
 思い出したらむらむらしてきた。あまりにも正直というかふしだらというか、恥ずかしくて頬が熱くなる。水でも飲んで、伊月の方こそ落ち着こう。起きて立ち上がろうとしたとき。
「……うわっ!」
 足下がふらついてよろめき、ベッドサイドに置かれた空気清浄機を蹴っ飛ばしてしまう。幸い揺れただけで倒れることはなかったが。
「痛……」
 小指を強打しうずくまる。いったい何をやっているのだろう。泣きそうだ。
「伊月、どうしたの!?」
 悲鳴と物音を聞きつけたのであろう、扉を開けるのと同時に叫んだ陽介が駆け込んでくる。何とか笑みで答えようとするも、やや引きつってしまう。
「だ、大丈夫……、転びそうになって小指ぶつけただけ」
「大丈夫そうな顔してない。折れてたりしない? 見せてみて」
 彼は伊月をベッドに上がらせると、自分ものぼってくる。匂いは落ち着いているから、どうやらクールダウンには成功したらしい。
 伊月が押さえていた右足を掴み、素足の小指にそっと触れた。

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