(2)初恋

 休日は大抵、宮野家の朝は遅い。
 平日忙しい両親は、昼前まで寝ていることが多いし、恵瑠も妹も昔からの習慣で、同じような時間までベッドでごろごろし、なかなか起き出さない。特に用事がなければ、だが。
 今日の恵瑠は予定があるので早起きだ。予定というのは、何を隠そうデートである。カレンダーに書いてあると嬉しい予定第一位のあれだ。
 まだ就寝中の家族を起こさないよう、一人静かに食パンを焼き、粉末コーンスープにお湯を入れ、簡単な朝食を取る。
 食べ進めながら、今日行こうと誘ってみるつもりの施設について、スマホからウェブサイトを確認していると、居間のドアが開く。パジャマ姿の妹、天音(あまね)だった。
「あ、お兄ちゃん、おはよー」
「おはよう」
「今日はデートなの?」
 起き抜けから鋭い。予定を話してはいなかったのだが。
「服、絶対気合い入ってるもん。あたりでしょ」
「うん、まあそうなんだけど」
 天音はダイニングテーブルの向かいに座ると、頬杖を突いてにこにこと見つめてくる。
「いい。かっこいいと思う。なんたって元がいいからね。うちのクラスの子も騒いでたよ。二年の宮野先輩が王子系のイケメンだってさ」
「王子ねえ」
 ここでいちいち誤りの指摘はしないが、実際の自分は王子として人を従えるより、従い傅く方が好きな質である。王子だの爽やかだの何だのと持ち上げられるたび、申し訳ないような気持ちになる。
 彼女は恵瑠のマグカップを取り、一口ちょうだいと言って、返事も聞かずにお茶を飲む。
「多いんだよ、お兄ちゃんのファン。私も鼻が高いわ。でも、彼氏いるからアタックしても無駄だよって」
「言ったの!?」
「言うわけないでしょ。心の中で思っただけ。あ、そうそう。この間見たよ、彼氏」
「え、どこで」
「学校で、に決まってる」
 天音は同じ学校に通っていて、一学年下に在籍している。学校ですれ違う機会くらいあるだろうが、ときどき聡司の話こそすれ、写真を見せたこともないのに、それがその人だと判別できるものなのか?
「お兄ちゃんのクラスまで見に行ったの。で、その辺の人に聡司くんってどれですかって聞いて。名字わからんかったから困ってたけど、多分あれだって教えてくれた。あの頭良さそうで冷たそうな感じ、確かにお兄ちゃんが好きそうだった」
「……お前はどういうイメージを持ってるんだよ、兄に」
「挨拶したかったけど、時間なくてできなかったの」
「しなくていよ。聡司くん、初対面の人にぐいぐい来られるの苦手だから」
 興味津々の止めどないお喋りに聡司を付き合わせるのはかわいそうだ。最近天音は恋をしたいお年頃らしく、以前よりもそういった類いの話し相手をさせられることが多くなった。可愛い妹には違いないが、恵瑠でも勘弁してくれと思うことがある。
 兄の複雑な心境も知らず、天音はお喋りのギアを上げる。
「ねえ、ずーっと知りたかったんだけど、お付き合いすることになった切っ掛けって何?」
「……まあ、色々と」
「その色々の部分を聞きたいんだけどなー。恋バナしようよ!」
「朝から元気だね……。そういうのは友達としな」
「お兄ちゃんとしたいの。じゃあさ、質問変える。学校では二人とも第二性持ちだってことは隠してるんだよね? 付き合った後に、お互いの第二性のことを知った? それとも、知ってて付き合った?」
「一応、まあ、知ってて付き合った」
「それってどうやって知ったの?」
「質問攻め……」
「私だって彼氏ほしいんだもん! 私もプレイパートナーと彼氏は一緒がいい派だからさ。彼氏候補として、まずSubの子を見つけたいわけ。参考までに教えてよ。なんかこう、ピンとくるものがあった感じ?」
 天音の顔は真剣だ。ただの興味本位、というだけではない。
 彼女は第二性持ちでDom性だ。両親は第二性持ちではないし、学校で仲間を見つけようにも、第二性は隠すことが多いため出会いがなく、悩みを相談できる人は見つけづらいだろう。恵瑠もそうだったからよくわかる。できる話に限りはあるが、答えられることは答えてやるべきか。
「いや……、俺がやらかしちゃってバレた」
「何を? 詳しく」
 腰を浮かせて身を乗り出してくる。
「……そんな、参考にしてもらえるような大した話じゃないよ?」
「言い渋るじゃない。エッチな話?」
「違う! その、ほんとに大した話じゃないからね」
「はいはい。早く」
「河川敷の公園、あるじゃん。凌ちゃんたちと遊んだ帰りに一人であそこを通りかかったら、聡司くんがいて、犬と遊んでたんだ。そのときはあんまり親しくなかったけど、犬が可愛くて喋りかけた。で、その犬はお兄さんの飼い犬なんだけどね、とっても賢くて聡司くんにも芸をするっていうから、見せてってお願いして——」
「うんうん」
「聡司くんが『おすわり』って言った瞬間に座り込んじゃったんだよ。犬も俺も。なんか勝手に身体が動いて……。それで、Subなのかって聞かれて、実は第二性持ち同士だって判明して、試しに一回プレイしてみるかって誘われて、で、今に至る、みたいな?」
「端折りすぎ」
「端折るには端折る理由があるんだよ」
「エロい話だ!」
「興奮しないの」
 妹の口から、あまりエッチだとかエロいとかいう単語は聞きたくないし、こちらからその手の話はしたくない。それ以外の相談には乗らないでもないけれど。
 恋に恋する乙女の好奇心は止まらない。
「ねえねえ、今日はプレイとかするの? プレイってどんなことするの?」
「今日は普通に遊びに行くだけ」
「えー。ほんとに?」
「ほんとです!」
 多分、だが。相手の家に行けるのかどうかもまだ聞いていないし。
 ただ、デートのその後に期待していないと言ったら嘘になる。
 
 
 待ち合わせ場所は、隣町の主要駅の改札前。地元の駅だと、高確率で同じ学校の生徒に遭遇することになるから、二人で遊びに行くときは、最寄りからある程度離れた駅で現地集合が多いのだ。
 落ち着かず、足踏みしたいのを堪えながら電車に揺られる。恵瑠が到着したときには、すでに聡司がいた。
 惚れた欲目は多分にあるだろうが、凜として涼やかな横顔で、彼の周囲を取り巻く空気だけ他とは違って見える。これからの数時間、彼の時間は恵瑠のもの。幸せすぎる。
 改札を出たところで目が合ったため、手を振る。
「お待たせ、聡司くん。一本早い電車で来たのに……」
「ああ、ちょっと用があったから、早く来ていただけ」
「用事?」
「本屋に寄りたかったんだ。参考書、買いたくて」
「参考書……」
 さすが優等生。学校から出る課題だけで手一杯の恵瑠とはレベルが違う。
 聡司はスマホで時間を確認した後、案内板に目をやる。
「今日はどこに行くんだった? 買い物? 北ビルの方?」
「そのつもりだったんだけど、これ」
 鞄からチケットを取り出し、彼に見せる。
「よかったらどうかなって」
「恐竜展だ」
「うん。この近くの博物館でやってるやつ。聡司くん、前に話してたでしょう。新聞屋さんがくれて、家族は誰も行かないみたいだから、もらってきた」
「ありがとう。君は興味ないだろうし、一人で行こうと思っていたんだけど」
「俺とでもいい?」
「もちろん」
「よかった!」
 昨日、母に捨てられるところだったチケットを救出しておいて正解だった。
 初めて聞いたときは意外に思ったものだが、聡司は恐竜好きらしい。彼の家の彼の部屋には、恐竜の模型が飾られていたり、図鑑がたくさん並んでいたりして、小さな男の子みたいで可愛いと常々思っている。永遠に尽きない謎の数々に太古のロマンが詰まっているのだそうだ。
 映画、遊園地、買い物、フードフェス等々、共に出かけるときの行き先はこちらの希望がそのまま通ることが多いので、恵瑠もデートで何か彼の喜ぶことをしたいとずっと思っていた。
 目的地が決まったところで、博物館に近い出口へと歩き出す。今なら尋ねやすいかもしれない。この流れでずっとしたかった質問をしてみることにした。
「聡司くんはさ。将来そっち方面に進みたいの? 大学もそういう学部? 考古学とか……」
「考古学で扱うのは化石じゃなくて土器だよ」
「……そうなんだ。へえ」
 よくわからないまま頷く。考古学の何たるかは本題ではないので、とりあえず脇に置いておくことにする。
「大学はもちろん行くよね?」
「進学はするつもりだけど、学部は別方面にすると思う。恐竜好きはあくまで趣味の範囲だし、研究者はなかなか食べていくのが難しいから」
「そっか……。きっといい大学に行くんだろうね。自分で参考書とか買ってるくらいだし。俺がおんなじところに行くのは無理だろうなあ」
「君は君が行きたいところに行けばいいだろう。遠方に進学ということじゃなければいつでも会える」
 それはそうなのだが、彼のようにドライには割り切れないところがある。
「でも、今だったら、学校で喋りはしないにしてもさ、毎日顔は見られるわけじゃん。大学が別れちゃったら、それはできなくなるから、ちょっと寂しいなって」
「いや……、問題ないだろう。毎日顔を見たければ一緒に住むという方法もある」
「一緒に。……え、一緒に?」
「解決策はあるんだから、進学先まで僕に合わせることはない。自分の将来をよく考えて決めるべきだと思う。なるべく近くで、というのが理想だけど」
「……あ、うん、そうだよね。うん……。俺も考える」
「是非そうしてくれ」
 一緒に住むって、同棲ということだろうか。すごいことを言われた気がする。
 
 
 駅を出て、道なりにしばらく歩いたところにある公園、緑豊かなその敷地内に目的の博物館はある。
 人気の展覧会のため、入場まで数十分待たされたが、聡司が展示物についてのパンフレットを見ながら事前に解説してくれたので、そう長くも感じなかった。
 彼の話す内容が興味深かったというよりも、すらすらと淀みなく話す彼の声を聞くのが心地いいので退屈しなかった、というのが正直なところである。
 肝心の展示内容だが、子供の好奇心を刺激するようなコーナーも多くあって、知識がなくても充分楽しめた。国内初展示だというナントカザウルスだかナントカトプスだかの全身骨格標本を前に、めずらしくテンションが上がる聡司も見られたし、大満足だ。
 グッズ売り場では、お揃いのものが欲しくて、色違いのボールペンを買った。常にペンケースに入れておいて、時々眺めてはニヤニヤすることにしよう。聡司は分厚い図録も購入していた。
 その後は、すっかり遅くなったが、ランチタイム。数軒の候補は出たものの、結局馴染みのレストランでいいかということになり、また駅の方に戻ることにする。
 公園を出たところで、呼びかける声があった。
「ああ、聡司、聡司じゃないか」
 そちらを向くと、前の道路を横断してきた人々の中に、笑って手を上げている男がいた。女連れの三十前くらいの男だ。
 恵瑠には見覚えがない。聡司が中学生の時の教師とか……、教師にしては派手な雰囲気だから、なんだろう、近所の人? 親戚? 恐竜趣味仲間?
 聡司は露骨に顔をしかめる。
「……彰彦(あきひこ)
「どうしたんだい。もしかしてデート?」
「見たらわかるだろ。邪魔するな」
「そんなつもりはないよ。お前の可愛い子に挨拶させてもらえたらすぐに行くさ。えっと、恵瑠くん、だよね? こんにちはー」 
「……はい。あの、こんにちは」
 こちらの名前は知られているようだが、いったい誰なんだろう。とりあえず愛想笑いをしてみると、相手はそれ以上の笑みで返してきた。
「はじめまして。聡司の兄です。二番目のね。お噂はかねがね。でも、実際こんなに可愛いとは思ってなかったな。聡司が話を盛ってるだけだと思ってた」
「うるさい。邪魔しないんじゃなかったのか」
「はいはい、もう行くってば。じゃあ、恵瑠くん。また今度ゆっくり」
「はい、また」
「またねー」
 聡司の兄だという彰彦氏はこちらに背を向け、立ち去る、と思いきや、またすぐ振り返る。
「聡司が気に入らなくなったら、俺のとこに来てもいいんだよ」
 一瞬意味が理解できなくて返事に困ったのだが、ちゃんと助け船は出撃してきた。
「おい!」
「冗談じゃないか。怒らないでってば。じゃあね」

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