(二)夏——初蜜

 緑がいよいよ濃くなり、蝉の声が聞こえ始める。夏の陽射しが肌を刺す。
 この日もやって来たスイと共に、滝の方へ向かう。余程暑かったのか、スイは川を見るなり、着物を脱いで下帯だけになり、勢いよく川に飛び込んでしまった。
 水飛沫から顔を庇うレンに、彼は声を張り上げる。
「気持ちいいぞ! そなたもどうだ」
「僕はいいよ」
 そうしたいのは山々だが、彼の前では無理だ。裸を見られて、奇形の身体だと知られるのは絶対に避けたい。下帯を着けていれば大丈夫だろうけど、何かの拍子に外れてしまうかもしれない。
「泳げないのか? 教えてやろうか」
「いいってば」
「まあそう言わず」
「嫌」
 断固として突っぱね、洞窟に逃げる。いつものように祠の掃除して、今日は胡瓜を供える。
 出て行くと、スイは滝壺で仰向けになってぷかぷか浮きながら、水面でくるくる回っていた。よく流されないものだ。
「そなたは……」
「なに」
 滝の音がうるさくて聞こえないので、すぐ側まで近寄る。
「何か言った?」
「そなたは熱心だなあと思うてな」
「何が」
「そこの祠の神が好きか」
「好きとか嫌いとかじゃなくて、ずっと昔からこの辺りの神様なんだから」
「しかし、麓の村の社は取り壊されて、別の神の祭殿が建っているぞ」
「……え、なにそれ。別の神様?」
暮々是(ぼぼぜ)神とかいう異国の神だ。家々の戸には黒い面が掛けてあってな。信徒の印らしいが、何だか異様な光景だった」
「罰当たりな……。龍神様がきっとお怒りになる」
 神は人を守ってくれもするが、非礼を働くと祟りがあるという。だから祀る。心を込めて。
 だが、彼の考えは違うようだ。
「そんなことで怒らんと思うがなあ。あの祠の神は全国色々なところで祀られておるから、一つ減ったところでどうということもあるまい」
「そういうものなの? 詳しいね」
「色んな場所を旅したことがあるのだよ。旅で得た知識は多いな」
「羨ましいよ。僕はこの山を出たことはないから」
「私と来るか。どこにでも連れて行ってやるぞ」
「……考えておく」
 外は怖い。すごく気になるけれど。あの村人たちのようにレンを追い出そうとする人たちがたくさんいるかもしれない。あの人たちみたいな——。あれ、スイが村の状況に詳しいということは、村の誰かに接触したということ?
「一つ確認だけど」
「どうした」
「村で何か聞いた? 僕のこととか……」
「何のことだ」
「いや、何もないならいいんだ」
 バレてはいないみたい。あの山にはふたなりが住んでいるんだって、噂話を聞かされていなくてよかった。
 涼を得られて満足したのか、スイは岸へ泳いできて岩場に上がってくる。濡れて艶めいた肌が水面からあらわれ、日の光に晒される。
 引き締まった肢体は、成熟した大人の雄のもので、薄っぺらなレンの身体とは全く違って……。恥ずかしさが込み上げてきて目を逸らす。自分の貧弱さが情けないのもあるけれど、それだけではないような。心臓がうるさいのはどうして。
 髪の水気を絞る彼を、もう一度ちらっと見てみる。とても魅力的なのだと気づく。
 ——ほんとになんでこの人、こんな山奥に頻繁に通ってくるんだろ……。
 なぜレンなんかに冗談でも嫁になれと言うのだろう。もしも本当にそうなれたら、別れなど気にせず一緒にいられるのにな。でも、隠し事があるままじゃ……。
 みたび視線をやろうとして、目があった。彼はにやりと笑う。
「レン!」
 大きく腕を広げ、がばっと抱きついてくる。素早すぎて咄嗟に避けられなかった。
「わあ、やだ、なに」
「捕まえた。そなたも川に入ろう。さあ」
「やだよ! やめてって。入らない」
「まあそう言わず」
 逃れようとじたばたするが、動かない。決して締めつけはきつくないのに。
「やだー!」
「怖くない、怖くない。泳ぎなら教えてやろう」
「泳げるよ! 泳げるけど、今日は……」
 近い、近すぎる。肌がべったりくっついている。今レンはあの大きな身体に抱きしめられて……。
「……ん? そなた」
 スイの目線が下がり、腕の力が緩む。レンもつられてそちらを見ると、袴の股部分が盛り上がっているのに気づいた。
「なにこれ……」
「抱擁に反応したのか? 可愛いなあ」
 スイは暢気に頬ずりをしてくるが、この不測の事態に構っていられない。
「刺された……? 虫……? こんなとこ?」
「虫? そなた、勃起を知らんのか。ここがこうなったのは初めてか?」
「手足しか噛まれたことない。服の中に入ってきて……? む、向こうで脱いでくる」
 近くの樫の影へと駆け出そうとするのを、腕を引いて止められる。
「落ち着け。虫の仕業ではない。触れ合いで男子がこうなるのは自然なことなのだ」
「でも、今までこんなこと……」
「一つ大人になったということだ。そなた、今年いくつになった?」
「十六。どうしよう。どうしたら……。薬? 確か塗り薬が」
「私がやってやろうな。脱いでそこに座ろうか」
「脱ぐ? 脱がなきゃ駄目?」
「ひとまず腫れているところを出してもらわないと」
「やだ……。見せたくない。脱ぎたくない」
「下帯の端からそこだけ出すのは?」
「やだ!」
 布がずれて、患部のその奥に余計なものがついているのが見えたら、一巻の終わりだ。
 意思が堅いのが伝わったのか、スイはそれ以上無理強いしようとはしなかった。
「しょうがないなあ。では布の上からするか」
「する? 何を?」
「いいから任せておけ」
 スイは治し方を知っているようだ。見せなくてもいいならやってもらってもいいかな。
 着物を軽く羽織った彼は地面に胡座をかき、膝を叩く。
「おいで」
「抱っこ? 小さい子みたい」
「いいから」
「……はーい」
 背中を向けて、遠慮がちに膝に座る。すっぽり収まって居心地がいいかも。小さい頃もよくやってもらったっけな。温もりと独特の清涼な香りに包まれるのが好きだった。
 しかし、あの頃には決してしなかったことを彼はやり出した。手が股ぐらに伸び、腫れた茎を布越しに柔らかく握る。驚いた小動物のように、身体がびくりと跳ねる。
「わっ! え、触った!」
「触らねばできぬ」
「ここは誰かに触らせるとこじゃないって母さんが……、あっ」
 ほんの少しだけ握る力が強くなる。それだけでひどくぞくぞくした。耳元で囁く声が鼓膜を揺らす。
「治すためだ。私の手に集中して」
 ゆっくりと手が動いて陰茎を擦る。ぞくぞくするのが止まらない。
「あ、あ、すご、なに……、スイ」
「気持ちよかろう。出してもよいぞ」
「出す……?」
「精を吐いたら元に戻る」
 全身から血が集まってくるようだ。それにつれ、腹の底から上がってくる何か。スイの動きが徐々に速くなる。
「あぁっ……」
 快いと言うには強すぎる感覚が極まって、陰茎がどくどくと何かを吐き出す。下帯の中に生温かいドロドロしたものが広がった。尿ではない、おそらく。
「出た……、なんか出た」
「それでいい、それでいい。大人になるとな、溜まると出してやらんと駄目になるのだ」
「皆そうなの? スイも?」
「私はまあなあ、昔はそうだったかもしれんが今はなあ。しかし、先ほど気持ちよさそうなそなたを見て、その手の欲というものを思い出しかけたような」
「変なことではないんだよね……?」
「健康な証拠だよ」
「……ならよかった」
 スイは冗談が好きだけれど、レンが真剣に悩んでいるようなときに冗談も嘘も言う人ではない。なんとも奇妙なことが我が身に起こったわけだが、これは普通のことで、安心してよいということだろう。
 ひどく疲れて、彼に胸に体重を掛ける。
「……また腫れてくることがあるだろうか」
「あるだろうが、さきほどのように擦って出せばよい。なに、米を炊くよりずっと簡単なことだ」
「大人というのは面倒なものなのだな……」
 面倒だし、あんなところをたくさん弄らないといけないなんて、何だか恥ずかしい。恥ずかしい……、我に返ると、こうやってくっついて抱っこされているのも。またどきどきしてきた。
 なるべくさりげなくなるように意識して、立ち上がる。
「濡れて気持ち悪い……」
「着替えに帰ろう。今日はいい天気だ。洗って干しておけばすぐ乾く」
「うん」
 釣りはできなかったが、また出直せばいい。

 そこからレンの身体はおかしくなり始めた。一人で農作業や家事を黙々とやっているときはいいのだが、ふとスイのことを思い出したときなどはもう駄目だ。勃ってしまう。ぴょこぴょこと飽きもせず何度も。
 いい加減にしろと自分の身体を叱りたくなる。放っておけば治まることも多かったが、出るまで擦らないと萎まないことが日に何度かあった。
 本人が真横にいるとさらに状況は悪くなる。来てくれるのは嬉しいし、何なら毎日来てくれてもいいくらいだけれど、ばれないようにするのが大変で困る。楽しいはずの時間も楽しめなくなっているのが悲しい。
 縁側で、スイが持ってきた西瓜を食べながらくつろいでいるときも、レンはずっとそわそわしていた。美味しい西瓜なのにな。
 彼は母のために小さい西瓜も持ってきてくれて、先ほど墓前に供え、共に手を合わせた。優しいな。そういえば、ありがとうって言ったっけ。
 蝉の声と風鈴の音が、耳を通り過ぎていく。さすがにレンの様子がいつもと違うのに気づいたのか、彼は気遣わしげに問う。
「どうした。具合でも悪いのか?」
「やっぱり変だ。あまりにもしょっちゅうで……。病気かもしれない」
「どこか痛むのか?」
「痛くなるときもある」
「どこが?」
「……」
 問いには答えず、彼に抱きつく。

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