(番外編)似た者同士の十年ちょっと

 今はそれよりもう眠い。元々睡眠時間は短くていい方なのだが、子ができてからというもの、やたらめったら眠くなる。
 目蓋の落ちかけている薫とは違い、充はまだまだ元気だ。
「明日さっそく届け出しに行こうよ。休みでしょ」
「何で私の休日を把握してるんですか」
「調べようはいくらでもあるよ」
「戸籍謄本を取り寄せないといけないから、明日は無理ですよ」
「僕の分は取り寄せたから、薫の本籍地の役所まで行って出せばいいでしょ」
 馬鹿のくせにこういうところは要領がいいのはどういうわけだ。
 本籍地は薫の生まれ故郷になっている。ここから新幹線を使って一時間半。充分日帰りできる。長らく両親の墓参りもしていない。いい機会だ。充をどこかに待たせておいて、行ってこよう。彼らが生きていれば、結婚のことを何と言うだろう。おそらく反対はされない。「薫の決めたことなら」と言うと思う。そういう人たちだったから。
 話が途切れたので、薫は目をつぶるも、充は喋り続けている。どうでもいいことなら無視したが、また勝手に進められると厄介なことだ。
「式はどうする?」
「するわけないでしょう」
 即座に却下する。バージンロードを歩くのか? 四捨五入で四十の男が? コメディーにしかならない。そもそもバージンじゃないのにバージンロードって何だ。この国にバージンのままバージンロードを歩く人間が何人いることやら。
「僕、一応跡取り息子なわけだし、お披露目的なことは必要だと思うよ」
 充の主張になど耳を貸さない。
「では結婚の話はなしです」
「便利な言葉だね、それ。じゃあ、せめて写真は撮ろう」
「写真館で撮るあれですか? それもお断りです。恥ずかしすぎる」
「ちょっと撮るだけ」
 充はベッド脇の自分のスマホを取り、寝転がったまま手を天に伸ばし、インカメラをこちらに向ける。
「はーい、可愛い顔して」
 シャッターが切られる。
 画面の中の薫は不機嫌な顔のままだ。眠くてそれどころではない。対して充は満面の笑みだった。
「それが記念写真? 裸ですけど」
「肩までしか映ってないよ」
「やった直後なのが丸わかりですがね」
「将来子供に見せて、これがプロポーズしたときのパパとママだよって」
「見せませんよ。教育上悪そうだ」
「僕たちだけの秘密ってこと? うふふ」
「ものは言い様ですね」
 その後もずっと、充はうれしそうに話しかけてきたが、限界を迎え、薫は眠気に身を委ねた。
 薫を苦しめた魔物のような孤独感は、きれいさっぱり消えていた。

 早速、次の日に入籍した。結局姓は薫が変えた。伊崎の名前は利用価値があるので、ありがたく使わせてもらおう。
 帰りに両親の墓参りに寄った。充も付いてくると言ったので好きにさせた。神妙に手を合わせていたが、どういう心境だったのやら。
 誠一と時子への報告はいつにすべきか。また大騒ぎになるだろうが、あんなヒステリー女は怖くない。子供もできたし名前も変えた。開き直って戦うしかない。
 指輪を買いに行くだの何だのとうるさい充を引っ張り、帰路についた。

【おまけ】
 その日も楓は亨のマンションにいた。休日の昼下がり。どこかに出かけるのもいいが、楓は元々インドア派なので、おうちでゆっくり過ごすのが好きだ。
 カーペットの上、亨の胸に背を預けて抱っこされ、くつろいでテレビを見ていた。少し狭いが、あったかくていい匂いのする楓の特等席だ。めぼしい番組がなくて録画一覧を確認していると、亨のスマホが着信を知らせた。
「……母さんからだ」
「おお、来たか! 今度は何だろうなあ」
 最近、亨の母からの電話を心待ちにしているところがある。わくわくしてテレビの音量を下げる。
 亨のため息が髪にかかる。
「お前、楽しんでるだろ」
「え、だっておもしろいじゃん。お前んちリアル昼ドラ状態で」
「まあ、確かにな」
 彼は母からの電話を取る。たぶん、いつもの愚痴電話だろう。
 最初の愚痴電話は、亨の兄の充が海外出向中に番を持った、というものだった。相手は充とその父親を二股していたあばずれで、しかも年増で性悪、というのもそのとき伊崎母が言っていた。わざと発情期を来させて番になった、財産目当てだとも。あのエキセントリック馬鹿息子はどうやらとんでもない女に引っかかったらしい。ひとんちの不幸を笑うなよ、と言いながら、亨も笑っていた。
 その後伊崎母から、あのあばずれを追い払ってやったわ!と勝利宣言があり、内心つまらなく思っていたのだが、充から亨にメールが来たことで、事態が変わった。番の相手から、結婚したいのであれば桜に土下座して謝ってこいと課題を出された、協力してほしい、というのである。結婚したがっているくらいだから、充はひどい女と番になったことを嫌がってはいないらしい。
 桜を巻き込めないと亨は断り続けていたが、充は何ヶ月にも亘ってしつこく毎日メールを送り続け、亨がアドレスを変えても、どういった方法でか突き止めてくる。しまいにはこのマンションまで直談判しに来たらしい。楓はいなかったので直接見ていないが、亨から話を聞いた。さすが元ストーカー。狂気じみたしつこさ。
 謝るだけならと桜が了承してくれたため、亨立ち会いの下、充の働くホテルの一室で謝罪の場が持たれたのだった。「自分と結婚したければ前に好きだった女に土下座してこいって、えげつない女ね」と桜は言っていたが、まったくその通り。充は能天気に「これで結婚してもらえる」と喜んでいたらしいが、「やっぱりあいつ頭おかしい」と亨は呆れていた。
 それからしばらくして、また伊崎母から電話がかかってきた。充と例の女が勝手に入籍し、さらに堕胎すると言っておきながらしておらず、もうすぐ妊娠六ヶ月になるという。
 充の嫁はあの伊崎母の威圧感に負けず、対等にやり合っているらしく、一度泣きそうな声の伊崎父から電話がかかってきたこともあった。充は嫁姑の喧嘩を止めるどころかおもしろがっているらしく、止めるのは伊崎父の役目で、それがものすごくつらいらしい。息子の嫁兼元愛人が妻と喧嘩。伊崎父は元愛人と妻の板挟み。可哀想は可哀想だが、自業自得という気はする。
 伊崎母は嫁とやり合うたびに愚痴の電話を亨にかけてくる。現実離れしていて、テレビの中の出来事のように思えて、楓は楽しんでしまっていた。父と息子を手玉に取るなんて、充の嫁はきっとものすごく美人で、とんでもなくセクシーに違いない。今期のドラマで悪女役を演じている女優のように。
 亨はスマホを耳から数センチ離しながら母の話を聞いている。よほどの大声らしい。小さく「スピーカーにして」と頼むと、亨は切り替えてくれた。
『それで、あいつは何て言ったと思う?』
 相当ご立腹らしいのは、音声の音割れ具合ですぐにわかった。
「さあ」
『伊崎家を乗っ取ってやるって! やっぱり財産目当てだったんだわ。あんなやつと十年以上一緒に暮らしてたなんて!』
「え、一緒に暮らしてた?」
 初耳だ。期待を裏切らない昼ドラ展開。
『そうよ。知ってるでしょ? あんたがまだこっちにいたころからだもの』
「知らねえって。なに、相手は家政婦さんなの?」
『ああ、あいつの名前を口に出すのも汚らわしかったから、まだ言ってなかったかしら。家政婦じゃないわ。誠一さんの秘書だった、ほら、あいつ……』
「秘書? 竹司?」
『そう! 私がその名前で呼ぶと、もう伊崎ですが、なんていちいち訂正するのよ。こっちはわざと言ってるの!』
「竹司ってあの? あいつオメガだったの?」
『妊娠してんだからそうなんでしょうね。ああ、もっと早くに気づいて追い出しておけば!』
「えー、竹司? えー……」
 楓の記憶によると、秘書の竹司氏はセクシー美人とはほど遠い、神経質で潔癖そうな男だった。不器量ではなかったと思うが、記憶に残るような美男でもなかった。彼が男二人を手玉に? ドラマの主演女優で想像していたから昼ドラ状態も様になっていたものの、キャスト交代でよくわからないことになってきた。
『ねえ、亨。なんでアルファ男はオメガの尻ばかり追いかけ回すのかしら』
「俺に聞かれてもなー」
『あなただってその一人でしょう』
「俺は別にオメガだからってわけじゃ……」
『私もアルファだけどオメガに魅力を感じた事なんてないわ。ほんと、男なんて性欲に支配された浅ましい生き物なんだから!』
「いや、だから俺は……」
『あんたもよく考える事ね。ああ、もう時間だから切るわ』
 いつも一方的に喋って一方的に切られる。今回もそうだった。
 亨は静かになったスマホを置いて、楓の頭に顎を乗せる
「俺は別にオメガの尻ばかり追いかけ回してきたわけじゃ」
 責められたわけでもないのに、いちいち律儀に弁解してくる。他のことが気になりすぎて、楓はそこに引っかかっているわけではない。
「わかってるよ」
「ならいいんだけど」
「なあ、竹司サンってほんとなのかな」
「母さんが嘘つく理由ないから、ほんとなんじゃね? でも、あいつかあ。俺があっちにいた頃にもう二股ドロドロが始まってたなんて。全然気づかなかった」
「親父さんはさ、愛人を自宅に囲って仕事でも連れ回してたってことだろ。あの人もすげえな。あの奥さんにバレるの怖くなかったのかな」
「やっぱおかしいよなあ。うちの家族。俺も実は気づいてないだけでおかしかったりする?」
「亨は普通だよ。大丈夫」
「よかった。おかしくなりかけてたら言ってくれよ。あいつらに染まんの怖い」
 父親の愛人と付き合いながら、よその女にストーカーしていた兄、家庭内で二股をかけていた兄嫁に、愛人を自宅に囲う父。母が一番まともなのか? 息子を過剰に溺愛しているというのは、まだ理解しやすい。長男ばかりを優先して次男を蔑ろにする神経はやはり分からないが。
 後ろから楓を抱える腕に力がこもる。
「俺らはおもしろくなくていいから、普通の家族になろうなー」
「うん。……うん」
 今プロポーズらしきことを言われた気がする。でも、あまりにさらっと言うものだから、楓も流してしまった。あらためて問いただすのも照れくさい。
 ふわふわとした綿雲のような幸せに包まれながら、溜まった録画を消化していくことにした。

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