(3)初めてのデート

「謝ることじゃないと思う」
「そうなの? あの、良ければもう一回触ってもらっても……、いやいや、調子に乗りました。忘れてください」
「触るくらいならいいよ。俺も触ってみたいって思ったし」
「え、本当?」
「うん……」
 自分でも大胆なことを言っていると思う。でも、彼も智咲もそれを望んでいるなら、拒否する理由なんて無いだろう。
 彼は誕生日プレゼントをもらった子供のように目を輝かせる。
「なら触りっこしよ。触りっこ、触りっこ」
「……え、俺のも触るの?」
「俺も触りたい。嶋野くんに触りたい」
 触らせてもらうのだから、触らせてあげるのは当然か。おかしな要求ではない。
「じゃあ、うん」
「……」
「……」
 どちらも手を出せずに、しばし顔を見合わせる。どちらが先に触る? どんな風に? 相手も多分、同じことを考えている。
「……えっと、高塚くん」
「とりあえずパンツ脱ぐ?」
「直接いくってこと?」
「だって、汚れても替えが無いでしょ?」
「そっか」
「見せるの嫌?」
「でも、前に見たもんね」
「うん。がっつり見てがっつり触ったし」
 前に見たならいい。いいはず。智咲だって見たいし触りたい。
「よし、脱ごっか」
「脱ごう」
 彼が躊躇いなくズボンと下着を下ろしていたので、智咲も踏ん切りをつけ、ベルトをはずす。まだ恥ずかしさが勝ち、脱ぐときは背中を向けた。
 カーペットに腰を下ろした彼の前に、シャツの裾を引っ張りながら智咲も座る。両者の間には、人がもう一人座れるほどの距離があった。案の定、指摘される。
「遠い。もうちょっとこっち来て」
「これくらい?」
「もっと。それから、三角座りして、足ガバッと開いて」
「……こう?」
「もっと」
「えー」
 四十五度ほど開けば充分触れると思ったのだが、オーケーが出ず、思い切って自分の身体の柔軟さが許す限り開いた。小刻みに角度を広げていく方が羞恥を煽られる気がしたから。もちろん、丸見えにならないようシャツの裾で隠してはいる。
「そう、いいよ」
 文紀はその真ん前、足と足の間に座り、智咲の両太股に自分の足をまたがせる。向かい合った二人の足が交差している状態だ。ここからさらに間隔を狭めてくる。
 近い。ほんの少し傾けば抱きつく恰好になってしまう。しかも文紀の元気いっぱいのものがシャツの裾から入ってきて、先端が下腹部に当たっている。
 触りあうだけなら、お互い手が届けばいいし、ここまで近づく必要があるのか? 智咲が知らないだけで、これが普通なのか? 急に現実感が出てきて、心臓がバクバクと騒ぎ始める。
 彼は智咲のシャツをつまんで持ち上げる。
「おお、結構威勢がいい」
「み、見ちゃ……」
「だめ?」
「あんまりじっと見ないで。ちらちら見るだけ」
「難しいなあ」
「そこは頑張って」
「じゃあ、まあ頑張る。では、失礼します」
 手のひらでやんわり握りこまれる。他人に触られるのなんて久しぶりで、というか、あの日以来まだ二度目のことなので、思わず腰が浮きそうになる、
「あっ……」
「びくっとした。可愛い」
 彼の手が上下し始める。初めはごく緩くだ。
「強さこのくらいでいい?」
「もっと強くても……」
「嶋野くんも早く」
「うん」
 智咲もおずおずと握る。もう堅いそれは、しっとりと皮膚に馴染むように感じる。
 彼の真似をして上下させ、時々段差にかすめさせる。擦りながら先端の口をぐりぐりと撫で回すと、露が漏れてくるのが感じられて楽しい。接触している智咲の手のひらも汗ばんできて、脈が意識される。
 彼は智咲の肩口に肩をうずめ、しきりに匂いを嗅いでいる。なるほど。くんくんするための近さか。これも真似をして、いやらしさの増す甘い匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「嶋野くん……」
 後頭部に手が添えられる。ゆっくりと顔を上げると、唇で唇を噛むようにしてキスをされた。くっついて離れて、何度も、何度も。
 智咲の右手の中で、大きさと堅さを増すもの。尻の窄まりがきゅうきゅうと締まる。前はこれがこの中にいたのだ。気持ちよかった。奥を何度も突かれて、中でどくどく脈打って、いっぱい浴びせられて。半年前の記憶を辿っていると、急に射精感が高まる。
「あ……」
 気づけば吐精してしまっていた。文紀のTシャツにも飛ぶ。
「うわあ、ごめん」
「いいよ。拭けばいい。気持ち良かったんだ?」
「……うん」
「俺まだだから、もうちょっとだけ付き合って」
 彼は智咲の右手の上に自分の手を重ねる。このまま達する方がいいのだろうか。それより——。
「だったら、中にする?」
「ん……?」
「これ、前みたいに入れる?」
「え、いいの……? でも、それってエッチするってことだよ」
「前もした。入れるの嫌? お尻うずうずしてる」
「入れたい。入れたいよ、そりゃあ、好きなんだもん。当たり前じゃん。今日会って顔見たときから、ずっとしたかった。でも、紳士でいるって言っちゃったし」
 そんなことがあったかと考え、このマンションに来る前に「普段は紳士だから大丈夫」と言っていたのを思いだした。あれはそういう意味だったのか。
 入れないのが紳士なら、欲しいものをくれないのが紳士なら、紳士でなくたって構わない。
「そんなのどうでもいい。俺がいいって言ってるんだよ。濡れてきてるの、自分でわかる。触ってみる?」
「……うん。うーん」
 文紀の中で多少の葛藤はあったようだが、そう待たされず、またいだ足がどかされる。智咲は彼の肩の手を突いて腰を上げた。尻の穴に伸びた中指が、先だけするりと沈む。期待で締めつけてしまうのは無意識だ。
 指が浅い箇所をゆっくりと行き来する。
「発情期じゃなくても濡れてくるんだ……」
「……する?」
「したい」
「なら、しよ」
「寝室行かない? 兄ちゃんがスキン隠してあるの、そっちだと思う」
「ベッド使われたらさすがに怒らない?」
「カーペット汚されるよりマシだろ。後でシーツ替えとく。さあ」
 今更逃げないのに、抱きかかえるようにして寝室へ連れて行かれた。
 心も身体も満足するまで愛してもらって、これまで味わったことのない幸福感に包まれたまま、しばらくベッドでごろごろしていた。
 母親の帰宅時間が迫ってきたころ、渋々帰ることにし、シャワーを浴びてから二人で部屋を出た。駅で別れる前こっそりキスして、週末にまた会う約束をした。
 タッチの差で先に仕事から帰ってきていた母親には、図書館で勉強していたと言い訳した。蛍光灯が切れていたことは、真っ暗な居間に足を踏み入れるまで忘れていた。

 恋の始まりの、こそばゆくて甘酸っぱい思い出。初めてのデートの日からは一年半、番になってからは二年が経った。
 発情期明けの土曜日、智咲と文紀は住まいからほど近い「SEA遊パーク」という水族館に来ていた。こちらに越してきてからずっと来たいと思っていたのだが、新生活に慣れるまでなかなか時間が取れなかったのだ。
 大水槽の前で、二人隣り合ってたたずむ。四階から六階までひと続きになった水槽には、大スターの二匹のジンベイザメ、その他数種類のサメやエイなどが自由に泳ぎ回っていていて、イワシの群れもキラキラと美しい。ガラスの前にでんと座って動かないナポレオンフィッシュの顔は、なんだか間が抜けていて、愛嬌がある。さすが国内最大級、都会はやはりスケールが違う、と感心してしまう。
 思い出に浸りながら、神秘性さえ感じる悠然とした青の空間に見とれていると、いつの間にか現実世界の音から遠ざかっていたようだ。
「チサ、チサってば」
 文紀に呼ばれ、戻ってくる。
「え、なに?」
「だから、このジンベイザメはまだ子供なんだよって話。完全に他のこと考えてただろ。心ここにあらずって感じだった」
 せっかく久しぶりのデートなのに、と彼はむくれている。智咲が考えていたのは、過去の、ではあるが彼のことには違いないので、勘弁してもらえないだろうか。
「ああ、ごめん。初めてのデート、楽しかったなって思い出してたんだよ。あの時話してたコウテイペンギン、今日見られてよかった」
「コツメカワウソもね」
「覚えてるんだ。そんなことまで」
「当然だろ。めっちゃ楽しかったもん」
 くらげの森水族館で交わした、他愛ないたくさんの会話。日々積み重なっていく思い出の中にただ埋もれるのではなく、控え目だが確かな光を放って存在し続けている。
「そうだよね。楽しかったよねえ。いきなりデートしようって言われたときは、ちょっとびっくりしたけど」
「次に会えたら、絶対デートに誘うって決めてたんだ。すんなりいきすぎてこっちがびっくり。その上、その日のうちに連れこめるなんて、妄想のネタでしかなかったのに」
「妄想はしてたんだね」
「半年長かったから、色んな再会パターンがあったよ」
「それって全部良い内容?」
「そりゃあ、妄想の中くらいはね。こう、自分を元気づける感じのやつをね」
「そういうところ、フミのいいところだと思う。俺は悪い想像ばっかりして落ち込んでたのにさ」
「そう? そうかな。なんか褒められちゃった」
「フミといると前向きになれる気がするんだ。いつもありがとう」
 発情期前や期間中にネガティブになったときも、プラスの方向に根気強く引き戻してくれる。文紀でなければとっくに愛想を尽かされてしまっていただろう。ホルモンや抑制剤の影響で後ろ向きになった智咲は、かなり面倒くさいから。
 半歩近寄って手の甲同士を触れあわせると、意図を察して手を握ってくれた。
「……いいよね、これくらい」
「みんな自分たちの世界に入っているから大丈夫。気にしないよ」
 久しぶりのデートも大成功で、ここにはまた来ようと約束した。

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