(3)拾われ猫と誓いの契約

「……アル」
「ん?」
「アル、あのね」
「うん」
「大好き。いっぱい好き」
 リタから交わしたキス。
 腰辺りにあったアルの手が下りてきて、尻の肉を掴む。そういえば、前戯らしき行為の途中だったか。ここで続きをするのだろうか。
 右足と尻尾を彼の足に絡め、頭を首筋に擦りつける。
「……ねえ」
「ここがいい? ベッドがいい?」
「ベッドまで待てない」
「そう言うと思った」
「クリームは……」
「ここに」
 アルの手のひらには潤滑クリームの丸いケースが乗っている。いつの間に?
「こうなることを想定して用意してたんだよ。さあ、お尻出して」
「うん」
 彼に背を向け、ひんやりした壁のタイルに手をつき、尻を突き出す。尻尾は邪魔にならないようしっかり前にやっておく。
 片手でリタの腰を支えながら、彼の指が窄まりを開き、中を軽く慣らす。
「リタのここはいつも素直でいいね」
「ん……、そう?」
「じっくりいじめてあげたいところだけど、湯冷めしそうだから、さっさとやっちゃうよ。ごめんね」
 ほどよくほぐれた穴を、指に代わって大きく硬くそそった彼のものが埋める。それだけでリタの身体は悦び、鼻にかかった鳴き声を漏らす。浴室なのでよく響き、自分のあられもない声がさらなる熱を煽る。
 与えられる刺激に酔いながらも、この交わりと直接関係の無いことがふと頭の端に浮かび、笑ってしまう。それがアルにも伝わったようだ。
「……なに?」
「大したことじゃないんだけど……、新婚初夜?だなって思って……ぁ」
 新婚初夜だけこの国の言葉だ。今日から本当の夫婦ということなら、使い方は間違っていないはず。
 抜き差しの動きは止めないまま、アルもつられて笑う。
「難しい言葉を覚えたねえ」
「小説読んだ。ちょっとエッチなの……」
「そんなの図書館にあった?」
「あったよ。隅の方に。ドキドキしちゃった。今の方がもっとドキドキしてるけど……。あっ……、ん」
「じゃあ、初夜、楽しもうね」
 そこからは余計なことを考える余裕もなく、愛しい男との蜜月に溺れた。

 翌日起き出したのは、日が大分高くなってからだ。台所の隣のスペースで、朝食を取る。
 アルの膝に横向きで座り、できたてのオムレツを、一口ずつスプーンで食べさせてもらう。いつもの自分の味のはずだが、アルからもらうと特別に美味しく感じるのはなぜだろう。
 また彼が忙しくなると、構ってもらえなくなるから、今のうちに甘えられるだけ甘えておこう。
「お日様の光みたいに幸せが降り注いでくる……」
「詩人だね」
「幸せいっぱいで口から溢れてきそう」
「それはちょっと詩にはならないかなあ。吐き出してるみたいで」
「アルー。大好きだー」
 寝癖のついている彼の髪に頬ずりをする。彼はオムレツをすくったスプーンを、リタの口の前まで持ってくる。
「知ってる。ほら、どうぞ」
「んー」
 大きく口を開けて、オムレツにぱくつく。
 ゆったりした時間を過ごし、二人の皿がほぼ空になってきたころ、玄関のドアを叩く音がした。リタの耳は敏感に反応する。
「誰だろ」
「あの遠慮のない叩き方はクリスっぽいな。昨日も会ったのに……。ああ、もしかしてあれかな」
「クリスか」
 リタはひょいと自ら膝を下りる。いかにも面倒だという風に溜息をつき、アルは玄関へ見に行った。
 挨拶をするクリスの声が聞こえてきたのを確認してから、リタも出ていく。クリス以外の訪問者だと、耳と尻尾を隠さないといけないから、念の為用心してのことである。
 クリスはこちらに向かって、いつものように親しみやすい笑みを浮かべる。
「やあ、リタ。君の旦那様が大切な忘れ物をしたから、届けに来たよ」
 クリスの手には革鞄。一昨日アルが王都へと出かけるときに持っていたものだ。昨日、リタに呼ばれたアルは、取るものも取りあえず、荷物を置き去りにして帰ってきてしまったという。
「わざわざありがとう、クリス。温かいお茶でも入れますね」
「お願いするよ」
 リタは台所に引っ込み、まずはお湯を沸かす。茶葉を入れたポットにお湯を注ぎ、トレイにポットとカップを乗せて、居間へ戻る。
 三つのカップにお茶を注ぎ分けていると、クリスはリタを待ち構えていたかのように喋り出す。
「もうね、突然帰ると言い出したもんだから、びっくりしたんだよ。懇親会には絶対に参加しておくべきだったと思うね」
「え、やっぱり途中で帰ってきちゃったんですか? あとは帰るだけだったから大丈夫って……」
「大丈夫。懇親会になんか、最初から行くつもりはなかった。リタのピンチに駆けつけられてよかったよ」
 昨日リタの身に起こったこととその顛末を、アルはクリスに説明する。
 クリスはリタがテーブルに置いたお茶を、早速一口飲む。
「でもね、アル。今回はのっぴきならない事情があったから仕方なかったにしても、次からはちゃんと出た方がいい。ちょっとは周りに馴染む努力をしないといけないよ」
「仕事さえきっちりやっていたら、文句はないだろう」
 アルは素っ気なく返す。その隣に腰を下ろし、リタは彼らの話に耳を傾ける。
「うちの正式な所属となった以上、そういうわけにはいかないんだ。変なところで頑固なのは、職人気質というやつかね。リタもこんなのと一緒に暮らすのは大変だろう。こいつはいったん集中したら部屋にこもりきりになって、心配して様子を見に行けば仕事の邪魔をしたと不機嫌になるし、秘密主義だし、偏屈で扱いづらいことがあるし」
「……そうなんですか? 僕には全然……。いつもすごく優しいですよ。お仕事が忙しいのは寂しいこともあるけど良いことではあるし、言えないことには言えない理由があるんだろうし」
 クリスは驚いたような顔をして、それから微笑ましげにリタを見つめる。
「よくできた嫁だねえ」
 よくできているのだろうか。アルのために上手くやりたいとは、いつも思っているけれど。
 アルは得意げに頷く。
「そうだろう、そうだろう」
「それより、クリス、えーっと……」
「なんだい」
「アルの所属ってどこなんですか? って、聞いてもいいのかな」
「アル、話してないのか?」
「まあ、他に話すことが色々あって、別に重要じゃないから後回しにしてた」
「話しても?」
「どうぞ」
「魔術医療院っていう、魔術師のお医者さんの団体だよ」
「アルがお医者さん……?」
 お医者さんにしては患者らしき人に会っているのを見たことがない。患者に会わずに病気を治せるのか? クリスによると、こうである。
「お医者さんじゃなくて、お医者さんが使う術式を書いてもらっているんだ。彼は魔術創作のプロだからね。我々魔術医がこういうものを作ってくれとオーダーして、その通りのものを書いてもらう。我々はその術式に沿って、患者に術を施す。術式は患者ごとに違うし、我々の元まで来る患者は重症であることが多いから、術式作家はそれだけ高度なものを求められる」
「クリスってお医者さんだったんですね」
「下っ端だけどね。作家に術式オーダーの書類を届けたり、できた原稿を取りに来たりするくらいだから」
「他に来たがる者がいないせいだろう。軍出身者は煙たがられる」
 拗ねたようにアルは言う。リタにとって、アルは普段とても大人に見えるが、クリスといるときのアルは時々子供っぽい。クリスの方が二つ三つ年嵩であるからだろう。
「アル、君は色々と気にしすぎだね。戦場で魔術を使うと被害が拡大するから、軍人魔術師の存在を良しとしない人々がいるのは事実だが、他国だってどんどん魔術師を投入してきている。魔術には魔術をぶつけないと勝てない。軍人魔術師の必要性は、皆わかっているさ。私がここに来るのは、友人の様子見をするためと、休息時間確保のためだよ」
「要はサボりというやつだ」
「フォローしてあげているのに、まったく可愛くないねえ。リタを見てみたまえ。いつ見てもこんなに愛くるしい」
「君に言われるまでもなく、毎日見てるよ」
「そりゃそうだ」
 クリスは肩をすくめ、ここで年長者らしく上手くまとめた。
「まあ、その可愛いお嫁さんのためにも頑張りたまえよ。自由契約の気楽さを捨てて、再び組織に所属することを選んだのは、彼のためだろう。軍時代に結構貯め込んでいたようだけど、金は有限だ。安定的に収入があった方がいいからね。組織の一員になるということは、多少の窮屈さを伴うもの。それを選んだのは君だよね。ということで、次の懇親会には来なさいね」
「……はいはい。わかった。わかりました!」
 極度のアル贔屓のリタが聞いていても、クリスの方に理があるように思う。言い負かされてしまったアルは、しばらくむすっと黙り込んでいた。

 クリスはお茶を飲んで、しっかりくつろいでから帰っていった。クリスを見送った後、アルに近寄っていって、顔を覗き込む。もう不機嫌なわけではないらしい。表情がいつも通りだ。
「ありがとね、アル」
「何が?」
「僕のためにナントカ院に入ってくれたって」
「魔術医療院ね。前職を辞めてから、自由気ままやってきたけど、いつまでもフラフラしてちゃいけないなと思ってさ」
 それは、リタのためなのだろう? 貧しさには慣れているから、リタは決して金銭的に裕福な暮らしは望まない。アルと二人、この家で細々と生活していければ、それはもう充分な贅沢だ。
「無理してない? アルのやりたいようにやってくれたら、僕はそれについていくよ。あまり喋らなくていい仕事なら、僕だってできると思うし、外に働きに出ることもできるかなって、最近は思ってて」
「無理はしてないよ。大丈夫。働きに出ることに反対はしないけど、仕事選びは慎重にね。この国では獣人であることは隠しておいた方が安全だ。バレずにすむようなところがいいね」
「難しいなあ」
「ゆっくり考えればいい。この家の家事だけでも大変だろう。あれも立派な仕事だよ」
「うん。ありがと」
 今日アルは取り急ぎの仕事はないらしい。この機会に出来そうなことをあれやこれやと考えるのは楽しかった。

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