(1)仲間を探して

 毎日規則正しく鳴り響く朝の鐘。異国の地で、ゼノは目を覚ます。また新しい一日の始まり。
 隣で眠る男を起こさないよう、絡みついた手足を慎重にどかし、ベッドから抜け出る。彼は——ナジは朝に弱いから、ご機嫌を損ねたくない。ナジが雇い主でゼノは仕事をいただいている立場。気は遣って然るべきだ。
 裸の身体に素早く服を纏う。早く店の準備に行かないと。ゼノたちは行商でこの国に来ていて、市場に場所を借りて商売している。今日も頑張って働こう。
 朝部屋を出る前の習慣で、ベッドの側まで寄って、未だ夢の中の男をじっと見つめた。
 真っ白で艶のある毛並み。髪も、睫毛も、側頭部から突き出た猫のような三角の耳も、毛布からはみ出た長い尻尾も、不純物の混じらない純白。ゼノの地味な灰色の毛並みと比べると、神々しいくらいに美しい。清らかな朝の光の下だと、よりいっそう輝いて見える。この国には獣人嫌いが多いと言うけれど、彼らだってきっと魅了されるはず。
 ゼノたちの故郷ユリスでは獣人は珍しい存在ではない。地域によって割合に差はあるが、ゼノの育った地区の住人は九割以上が獣人で、ゼノ自身もそうだ。ゼノもナジと似た形の獣の耳と尻尾を持っている。
 しかし、この国ゲオルトには獣人はほとんどおらず、差別対象であるらしい。獣の耳と尻尾があって、少し運動能力が高いくらいで、獣人も人間とそう変わらないのに。
 うっとりと見とれるゼノの視線に気づいたのだろうか、ナジが身じろぐ。ゆっくり目蓋が上がる。
「ゼノ……?」
「ああ、ごめんなさい。寝ててください。俺、準備しに行きますから」
「こっち」
 手招かれたのでさらに近くまで行くと、ナジはゼノの手を掴み、ベッドに引きずり込もうとする。彼の上に倒れ込みそうになり、踏ん張って堪えた。
「わあ、何ですか!」
「まだ早いだろ。付き合え」
「駄目ですよ。開店準備が……」
「ウィンスにやらせとけ」
「俺が一番若輩なんだから、動かないと。ねえ、ナジさん」
「うるさい。つべこべ言うな。やる」
 問答無用で頭を引き寄せられ、唇が重なる。舌を入れてこようとするので、唇を引き結んで耐えていたが、そっちに気を取られている隙に、空いた手が着たばかりの服のボタンを外しにかかってくる。
 天の御使いのように気高い姿をしているのに、振る舞いは随分強引だ。
「駄目ですってば! 口でするから許して」
「お前下手くそだろ」
「頑張りますから……」
「嫌」
 結局、体格の面で不利なゼノが力負けして、獲物の鼠か何かのようにベッドに組み敷かれる。腹の上に跨がったナジはにやりと笑い、再び唇を塞いできた。本当に食べられてしまうみたい。ゼノの理性もろとも。
 こうなったらもう駄目だ。したいようにさせるしかない。
 聞いてもらえるかどうかわからないけれど、お願いだけしておく。
「……一日立ち仕事だから、お手柔らかに……」
「わかった」
 そうは言っているが、恐らく好き勝手やるだろうなと思った。そういう人だから。
 強引なところも不思議と嫌いではない。彼とのセックスもしかり。行商として雇ってもらう条件として、半ば強制されて始めた関係だが、今ではすっかり嵌まってしまった。彼はゼノの身体に男を教え、それを喜ぶように変えてしまったのだ。
「ナジさん……」
 昨夜も彼を咥え込んだ穴は、容易く彼の形に開かれていく。突き上げる動きに乱されながら、大好きな毛並みに間近で触れられることを密かに楽しんだ。
 ——幸い、朝は一回で許してもらえた。二度寝に入ったナジに、また起こしに来ると告げ、部屋を出た。
 宿の共同水汲み場で顔を洗っていると、同じ行商チームの一員のウィンスがやって来る。彼はあからさまな侮蔑の眼差しをこちらに向ける。
「朝っぱらから盛ってんだな。雄くさい匂いがプンプンする」
「おはよう。さあ、何のこと……」
「この宿の壁の薄さ知らないのか? 毎日毎日ご苦労なこった」
「……」
「まあ、下っ端がナジさんのやることに文句なんか言えないけど。この国じゃ獣人だってことは隠さないといけないから、女が買えない。いろいろ都合がいいんだろうさ。お前みたいなのは」
 ゼノの尻をぎゅっと鷲掴みにする。反射的に手で払いのけた。
「やめろ!」
「そんなにいいもんかねえ」
 メスを品定めする下品な目つき。睨みつけ、拳を握りしめたが、振り上げるのは堪えた。揉め事を起こせば行商をクビにされてしまうかもしれない。ただ無言で歩き去った。

 ゼノが行商を始めたのは二年前だ。それまでは薬草を育てる農園で働いていた。
 職を変える切っ掛けとなったは、親友が人攫いにあったと聞いたことだった。彼が連れて行かれた先として有力な候補が、この国ゲオルトだったのだ。ゲオルトに行くための手段が行商だった。
 ——リタ……。無事でいるかな。
 ゼノの後ろに隠れてばかりいた泣き虫のあの子は、今どうしているだろう。
 リタと出会ったのは、まだ物心つかない頃。大陸の小国ユリスの貧民街、レレシー地区、その片隅にある孤児院だった。ゼノが二歳の時、赤ちゃんのリタがそこに連れて来られた。戦争で親を亡くしたらしい。レレシーでは珍しいことではない。
 外の世界はどうであれ、街の自治組織の保護を受け、孤児院の中はおおむね平和だった。年上の子供が小さい子供の面倒を見ながら、敷地内で野菜を育てたり、簡単な内職をしたりして、貧しいながらも全員で助け合って暮らしていた。皆家族で、友達。ゼノも例外ではなく、共に育った仲間のことは皆大好きだ。
 その中でも、年の近いリタとは特に仲が良かった。いつもちょこちょことゼノの後をついてきて、嬉しいことがあれば何でも報告してきたし、お菓子は必ず半分こしたがったし、夜は隣で寝たがった。「ゼノのことが一番好き」、そう言って懐いてくる弟分が、とてもとても可愛かった。
 ゼノが孤児院を出る年齢になったとき、リタは目が腫れるまで泣きじゃくった。
「やだよ、行かないでよ!」
「駄目だよ。それが決まりだから。ここを出ていっても、全く会えなくなるわけじゃない。また来るよ」
「……ほんと?」
「ああ。リタが困ったときはすぐ助けに行く。これまでみたいに」
 その後、リタが孤児院を出てからも途切れず交流は続き、貧民街レレシーで生き残っていくため、手に手を取って協力し合ってきた。
 リタが突然姿を消したのは、今から二年ほど前のこと。人攫いにあったという噂だ。本当に突然のことだった。朝の挨拶をして別れた、目撃情報はその直後のこと。自分が救い出さねば。困ったときは助けると約束したのだから。
「必ず見つけ出すから……」
 開店準備を着々と進めながら、ゼノは決意を新たにする。気合いを入れるために、帽子をしっかり被り直した。行商を始めてからずっと愛用しているお気に入りだ。
 人目のあるところでは、必ず帽子を着用して獣の耳を隠し、尻尾はズボンの中に収めている。ナジもウィンスもそうだ。この国には獣人嫌いが多いので、商売のためには人間の振りをしていた方が利口なのだ。
 商売の場所を借りているのは、王都がそう遠くない割に素朴で小さなこの街の、屋根付き常設市。狭い小屋が複数の列を作って立ち並び、巨大な屋根の下に収まっている雑多な市場。日用品、玩具、家具、服飾、絵画、専門道具、食料品、薬、ありとあらゆる店がある。
 ゼノたちが取り扱うのは木彫り人形、木製食器、木彫り細工の首飾り、織物、などなど、ユリスの名産品だ。
 そういえば、リタも木彫り人形をよく作っていたな。手先の器用なやつだった。小さい背を丸めて、木くずだらけになりながら製作に没頭する姿を思い出す。
 早くあの頃に戻りたい。——リタを助け出すために、ゼノが最初にしたこと、それは人攫いについての情報を集めること。その中で、最近、隣国ゲオルトの奴隷商人がユリスで獣人を攫い、自国で売りさばくという事件が多発している、という話を聞いた。
 リタが連れて行かれたのはゲオルトか? 何としてでもゲオルトに行きたい。だが、どんな方法で? 金はどうする? 悩んで悩んで、一つの策を捻り出す。行商としてゲオルトに行く、これなら道を知らずとも連れて行ってもらえるし、金はかからない。
 行商の枠は少ないと聞いたことはあるが、当てがないわけではなかった。同じ孤児院出身のナジという男を頼ればいい。彼はレレシー地区の若者をまとめるリーダー的存在で、地区内で彼を知らぬ者はなかった。
 レレシーの治安維持のため自警団を率いている他、住人の生活向上にも力を入れており、住人たちに名産品を作らせて買い取り、隣国で売り歩いているという。その行き先にゲオルトも含まれているらしい。
 孤児院で彼と一緒だった時期もあるのだが、年が五歳上だったこともあるし、彼は他人と一線を引いて付き合いたがる性格だったので、共に院にいたときでもそう親しいわけではなかった。
 ゼノが院を出る頃には、すでにナジは行商で成功して住人たちの尊敬を集める存在になっており、さらに近寄りがたくなっていた。また、取り巻きには厳つい連中が多かったし、本人も喧嘩っ早いという噂があって、とにかく「逆らってはいけない人」という印象だった。しかし、同じ孤児院出身の仲間、頼みを聞いてくれるはずだと信じたい。
 行商チームに加えてほしいと直談判しに行ったゼノに、ナジは言った。「女になるなら連れてってやってもいい」と。
 意味がわからず、ゼノは首をひねる。身の回りの世話をしろということか。
「寝床でってことだ。女みたいに股を開いて、俺がしたいって言ったときに突っ込ませろってこと」
 頷くしかなかった。他にゲオルトに行く方法なんか知らない。
 ナジ、そうだ、ナジだ。起こしに行かないと。開店準備中に物思いに沈みかけていたが、我に返り、いったん市場の近くに借りている宿へ戻る。
 五回呼びかけて、やっとナジは起き出した。欠伸をしながら、昨日ゼノが用意したシャツに腕を通す。その様子を見守りながら、尋ねる。
「商品、少なくなってきてますけど、もうすぐユリスに帰るんですか?」
「そうだな。ここにはあと五日ほどってとこかな」
「五日ですか……」
 ナジの下には複数の行商チームがあるが、どのチームも旅の流れはだいたい同じ。馬車に商品を積み込んで割り当てられた地域に行って商売し、商品がなくなればユリスに戻る。そして、しばらくレレシー地区に滞在し、また仕入れをした後、次の行き先へ。その繰り返し。
 ナジに連れられて二年弱、ゲオルトの各地を巡った。店に立っていないわずかな時間を使って、行く先々でリタを探したが、まだ見つからない。この街でも。
 自分のやっていることは無駄なのか——、いや、諦めてはいけない。まさしく今、リタは苦しんでいて助けを求めているかもしれない。ゼノが諦めたら、彼は永遠にそこから逃れることができない。リタを助けられるのは、ゼノしかいないのだ。
 リタと孤児院で一緒だった仲間たちも心配している。彼らは——ゼノも含め——ほとんど皆食べていくのがやっとの生活で、いくら気懸かりだろうが、リタを探しに出るのは難しい。運良く行商にしてもらえたゼノは、彼らの思いも背負ってここにいる。
 用意を始めるとスムーズで、ナジは手早く靴紐を結び終える。
「帰ったら帰ったでまた忙しい……」
「大変ですね、ナジさんは」
「そう思うなら手伝え」
「俺には荷が重すぎますよ」
 ナジの役目は行商として商品を売りさばきに行くだけではない。故郷に帰ればゼノは一息付けるが、レレシーにいるときのナジはいつも忙しなくあちこち動き回っていた。
 住人同士の揉め事を解決したり、行商で取り扱う名産品を作る職人を育成したり、行商たちの売り上げを管理して旅先を割り振ったり、他にもゼノの知らない色々なことがあるのだろう。もちろん全て一人でこなしているわけではないが、それでも仕事の分量としては多い。
 ナジは帰った後のことが憂鬱であるようだったが、ゼノは帰るまでが気懸かりだった。この街を出立するまでの数日間で、少ない空き時間を使って片付けも進めていかないと。毎度慌ただしくなる。
「そろそろ帰る準備始めますね」
「まだ早えよ」
「だって、ナジさんの服とか結構増えてるし……」
「この前も、焦って早くから帰り支度して、いるもんまで仕舞っちまってただろ。どこに入れたか見つけるの大変だった」
「そうですけど……」
「前日でいい」
「せめて三日前」
「前日」
「二日前は?」
「まあいいか。それで手を打つ。うるさくすんなよ」

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