「ここで囲われ者をしているというのは本当か?」
こちらがひやりとするほどズバッと切り込む。
「え、あ、どうして……。囲われ者というか、伴侶だって言ってくれてますけど、どこで」
「ここの来る前、青空市場で聞いて回ってたら、この通りに住んでるっていうおばさん連中が教えてくれた。あそこは男夫婦だって」
「はい、その、間違ってはいないです」
リタは多少戸惑ってはいたが、答えに迷うことはなかった。
ナジはまったく躊躇なく、ゼノが聞きにくいことも尋ねていく。
「この国の人間は獣人嫌いだろう。どうして人間と?」
「アルは僕のこと対等に扱ってくれますよ。対等以上かも。宝物みたいに大事にしてくれる。獣人とか人間とか関係なく、僕はあの人が好きだし、あの人も僕のこと愛してくれてて……」
「お前がいいならいいんだ、別に。だいたい答えはわかるが、一応聞いておく。ユリスに帰りたいか? こいつは帰ってきてほしいようだ」
ナジは親指でゼノを差す。ゼノが会話に入ってこないので、話す機会を与えてくれたのだろう。ありがたく乗らせていただく。
「あのな、リタ」
「……うん」
「皆お前のこと心配してる。皆お前のこと待ってる。仲間を代表して俺がここに来たのは、リタに帰ってきてもらうためだよ。寂しくないのか? 耳を隠して自分を偽らなきゃ生きていけないこんな国で、友達なんかできないだろ」
「……気持ちは嬉しいよ、とても、言葉では言い表せないくらい。でも、ごめん。僕はもうここでアルと生きていくって決めたんだ」
すでに腹は決まっているということか。レレシーの仲間たちより、ほんの小さいときから側にいて、手に手を取り合ってきたゼノより、リタは恋人を選んだのだ。予想はしていたが、本人から直接聞くとショックが大きい。
口をつぐんでしまったゼノのせいで、また沈黙が降りる。またしてもそれをナジが埋めた。
「そのアルとやらは? いるんだろ。なぜ来ない」
「久しぶりに友達だけで喋りたいだろうって」
「呼んでもらえるか」
「じゃあ、声かけてみます」
リタは居間を出ていく。
うつむいて、手元で自分の尻尾の先を弄くっていると、襟足の辺りをくすぐられる。びくっとしてナジの方に目をやる。
「ふられたな。せっかくこんなとこまで来たのに」
「ふられるとかじゃないです……」
「もう諦めろ。あれは無理だ」
「わかってますよ」
リタの意思は硬い。どんなに言葉を尽くして説得したところで、彼の気持ちを変えることはできないだろう。わかっている。わかってやらないといけない。リタを大事に思っているなら、今の彼の生活を壊すべきじゃない。
元気なく折りたたまれた耳を撫でてくるナジの手つきが、いつもより優しいと感じるのは、ゼノが傷心中からだろうか。
ずっと触っていてほしいくらい心地良かったが、リタが恋人を連れて戻ってきたので、手は引っ込んでしまった。
昨日リタといた黒髪の男は、こちらに向かってごく軽い会釈をした。
「ああ、いらっしゃい」
どことなく無愛想な印象だ。あまり歓迎されていないのか、社交的なタイプでないだけなのか、今の時点では不明だ。リタは彼の腕を取る。
「ナジさん、ゼノ、話してたアルです。アル、えっと、こっちが市場でも会ったよね、ゼノと、それから行商のリーダーのナジさん」
「どうも」
ナジがまっすぐに伸ばした手を、アルは拒否せず握った。その流れで、ゼノとも握手を交わす。
四人がソファに座ると、やはりナジが真っ先に喋りだした。
「さっそくだが、仕事は何を?」
「ナジさん、いきなりそれは……」
初対面の相手とまずする会話としてふさわしいとは思えない。シャツを引っ張って訴えると、尻尾で手の甲を叩かれた。
「俺は世間話をしに来たわけじゃない。で?」
「物書きだよ。隠さなきゃいけないことじゃない」
「本は売れてる? 安定した収入は?」
「ナジさん、失礼ですってば」
「お前だって聞きたいくせに。代わりに質問してやってんだよ」
「本は出してない。でも、途切れずに依頼は来るから安定的に収入はあるし、それなりに貯金もある。リタ一人なら充分養える。他に質問は?」
「添い遂げる覚悟は」
「ある」
「結構。俺からは以上。ゼノは? 可愛い弟分を取られて悔しいんだろ。何か言ってやったらどうだ」
話を振られたって困る。ナジのように言いたいことをがポンポン口から出てくるわけではない。なんとか言葉にできたのはこんなことぐらいだ。
「別に悔しいわけじゃ……。ただ、もう昔みたいに暮らせないんだって思ったら、寂しいだけです」
「……ごめん、ゼノ。ゼノには感謝してる。小っちゃいときからいっぱい助けてくれたし、励ましてくれたし、守ってくれた。今回のことだって……。会えたのは嬉しいし、また会えなくなると思うと苦しい。でも、あのね、やっぱり僕は」
「いいんだ。リタがそれで幸せなら。遠く離れることになったって、俺はずっとリタの幸せを祈ってる」
商品が底をつくあと数日で、またユリスに戻ることになる。それはイコール二度目の別れだ。この街には次いつ来るかわからない。何年も先か、あるいは二度と来ないかも。
「ゼノ」
リタは感極まったのか、奇行に走った。向かいの席から大きく高くジャンプし、そのままテーブルを飛び越えて、こちらに落ちてくる。咄嗟に腕を広げて受け止めた。体重は変わらないくらいなので、結構な衝撃だ。
「あっぶな……」
「ゼノー、ごめん、ごめんね!」
首に腕を回して抱きついてくる。大きな丸い眼からぼろぼろ涙がこぼれる。
「……お前が泣くなよ」
「だって、親不孝者ってこんな感じなのかなってぇ。今までお世話になったのにごめんねぇー」
「俺はお前の親じゃないだろ。友達」
柔らかいリタの髪を撫でる。泣き虫なのは小さい頃と変わらない。
噛みしめるようにして懐かしい匂いと温もりを感じていると、ナジが一つ咳払いをする。
「伝え忘れていたことがある」
「はい」
「もうしばらくこの街での滞在を延ばすことにした」
「え、けど、もう商品が……」
「ユリスにいる他の仲間に持ってこさせればいい。ウィンスは疲れ切ってるから帰らせて、持ってきた奴と入れ替わり」
「どうして急に」
「この街の連中は金払いがいいからな。まだまだ絞り取れるはず」
「……ほんとに? ありがとうございます!」
ということは、まだしばらくリタと一緒に過ごせるのだ。顔を見合わせて両手を握り合う。リタも嬉しそうだ。
「ゼノ、やったね! ありがとうございます、ナジさん。ハグしていいですか?」
「やめろ、来るな、暑苦しい。別にお前らのためじゃない。商売のためだ」
ナジは素っ気なく言った。
午後から店を開ける。ゼノが担当している方の店舗にはナジもいて、端の方で帳簿と睨み合っていた。
鼻歌を口ずさみながら、商品の埃を布で拭っていると、ナジの舌打ちが聞こえる。
「なんだ、ニタニタして気持ち悪い」
「嬉しいんです。リタとすぐに別れずに済んだこと」
「あのチビがそんなにいいのか」
「可愛い弟分ですから。ナジさんだって心配して質問攻めにしてたじゃないですか。やっぱり同じ孤児院出身の仲間ですもんね」
「お前に喋らせたら、いらない話ばかりして本題に入らないのが目に見えていたからだ」
「はは、ですね」
「ここにはずっといるってわけじゃないぞ。半月ぐらいで移動する」
「わかってます」
「残りたいか」
「いえ……。リタを助けたい一心だったけど、その必要がないみたいなんで、もういいです」
「寂しいんだろ」
「そりゃね。でも、仕方ないことですよ」
「そうか」
あの後、しばらくリタと話をして、自分なりに納得したつもりだ。どこにいたって自分たちが友達であることには変わりないし、別れ別れになっても一生会えなくなるわけではない。生きてさえいれば、きっと再会できる。そのためにも行商は続けよう、と覚悟を決めた。ナジもそう望んでくれていることだし。
行商をやめるなとゼノを引き留めたり、急に滞在予定を延ばすと言い出したり、昨日と今日のナジはなんだかナジらしくない。それに——。
「なんか……、ナジさんが俺の気持ちを聞くなんて、変な感じ」
「なぜ?」
「つべこべ言わず俺に従え、って皆をぐいぐい引っ張っていくのがナジさんだから」
「そうでもしなきゃ、レレシーの連中は言うこと聞かねえんだよ。今は落ち着いてきたとはいえ、血の気が多い奴が多かったから」
「ですね」
ナジは帳簿を置くと、つかつかとゼノのいる店先までやって来る。
「つべこべ言うなよ。行商はやめさせないぞ」
「昨日も聞きましたよ。そのつもりです。ナジさんに逆らった、なんて噂が広まったら、レレシーのコミュニティーで爪弾きにされて、二度と帰れなくなる」
「そうだ。お前は黙って俺についてくるしかない」
大袈裟に言ったつもりだったが、肯定されてしまった。ナジには、雇ってもらってリタと再会する機会を作ってもらった大きな恩があることだし、ついてこいと言われればついていくことにしよう。とりあえず彼がいいと言うまでは。
「はい」の返事の代わりにナジを見上げて頷くと、彼はゼノの顎に指を添え、ちゅ、とキスをする。人前で何をするのだ。
「わあ、駄目ですよ。こんなとこで」
「じゃあ、ちょっと来い」
ぐいぐい引っ張られて、衝立の奥のバックヤードへ。抱き寄せられて顔が近づいてくる。
「ナジさん、店番……」
「大丈夫。責任者は俺」
唇が重なる。ゼノを翻弄して楽しんでいるようなキスだった。まあ、責任者がいいと言っているならいいか。いつものように背中に手を回す。
腰の辺りをまさぐり始めたナジを止めたのは、強く壁を叩く音。——裏口にウィンスがいた。感情を消した表情をしている。
「お釣りが足りなくなってきたから借りに来たんですけど?」
「これは、あの、その……」
咄嗟に言い訳を探すも、思いつかない。昨日ウィンスに覗かれているだの何だのという話をしていたら、本当に見られてしまった。
ナジは何が悪いんだという態度で、ゼノを放そうとしない。
「適当に持っていけ。ちょろまかすなよ」
「しませんよ、そんなこと」
わざとらしく溜息をついて、ウィンスは二人の脇を通って衝立の向こうへ出ていく。
動揺が鎮まらないうちにお呼びがかかった。
「客来てますよ、戻ってください!」
「はい、はーい!」
胸を押してナジの腕から逃れる。彼は明らかに不満げだ。
「また夜までお預けだな」
「当然ですよ! 昼間からあんな……」
「のってきてたくせに」
「のってません! もう、ナジさんはいつも」
「戻れ! 仕事しろ!」
「はい!」
我慢の限界を超えたウィンスに一喝され、店頭へ駆けもどる。
入れ替わりですれ違うとき、ウィンスから物理的に刺さってきそうなほど強く睨まれた。後で謝っておかなければ。始めたのはナジだけれど、ゼノにも彼を止めなかった責任がある。
客の対応をするゼノの後ろで、またナジは帳簿を捲り出す。さあ、午前を休みにした分、しっかり稼がねば。
故郷の青空のように晴れやかな気分で、客の呼び込みを始めた。