(4)嘘と秘密とプロポーズ

 稔実が失踪して一週間以上が経過し、翌週木曜日になった。
 手掛かりを求め、神社でお参りをするついでに藤を待ってみてはいるものの、彼女にはまだ巡り会えてはいない。その帰りに彼の家にも寄っているが、戻ってきている形跡はない。卓袱台に置いた藤宛のメモもそのまま。連絡はない。
 十一月も後半に入り、一段と肌寒さが増した夕暮れ時、利都一人でとぼとぼ下校していると、ネガティブな考えに囚われそうになる。
 もう帰ってこなかったらどうしよう。もう二度と、一緒に自転車を押してこの道を帰ることができなかったら。滲んできた涙を乱暴に拭う。泣いては駄目だ。彼が帰らないことを認めたみたい。おみくじにだって「信じて待つべし」と書いてあった。信じないと。ちゃんと帰ってくるって。
 この日も神社へ寄る。「困ったときの神頼み」はもう毎日の習慣になりつつある。所定の位置に自転車を止めてから、参拝する。
 ——どうか無事に稔実さんが戻ってきますように。
 他に参拝客はいないようだから、時間を気にしなくてもいい。何度も同じ祈りを繰り返す。気休めかもしれないが、誰かに縋らずにはいられなかった。
 あれからよく眠れていないし、疲労が溜まっている。今日はもう藤を待たずに帰った方がいいかな。祈りを終え、重い足を引きずりながら歩いていると、視界に二つの影が映り込む。
 二人の若い男だ。神社の神職と同じような袴姿だから、神社の関係者だろうか。神社勤めのイメージにそぐわない体格がよすぎる男と、長い髪を高く結い上げた痩身の男。
 体格がよい男の方が先に口を開く。
「お坊ちゃん、誰かをお探しかね。我々が一緒に探してあげようか」
「こちらの神社の方ですか?」
「いかにも。探しているのはどのような? 吊り目の色男かね」
「嫁にならんかと誘ったくせに、突然行方知れずになるような薄情な男かね」
 もう一人の長髪の男の方も重ねて尋ねてくる。
 彼らがじりじりと近寄ってくるものだから、無意識に後ずさる。二人とも変な迫力があり、眼差しに射られると身体が強張ったようになる。
「え、あの……」
「我々はその男を知っているよ。おいで、共に来るといい」
「さあさあ、こちらへ」
 両側から腕を掴まれた。そう強い力を掛けられているような感覚はないのに、なぜか動かせない。
 ——怖い……。
「やめてください! 何なんですか、あなたたちは」
「お前の男の知り合いだと言っているだろう。そう警戒してくれるな」
「我らとも遊ぼう」
「やめて、やだ、行かない!」
 新手の誘拐か? 誰か助けて。
 心の声に応えるかのように、そのとき獣がひらりと地を駆ける。目の前に一匹の白い犬が現れ、袴姿の男たちへ襲いかかる。彼らは利都から手を離し、軽々とした身にこなしでそれをよけた。
 白い犬は男たちと利都の間に立つと、彼らに向かって唸り、威嚇する。——いや、犬ではない。狐だ。利都を守ってくれようとしている? もしかして、小さい頃に利都を助けてくれた、あの狐?
 突然狐に襲いかかられても、男たちに驚いた様子はない。
「なんだ、見つかってしまったか」
「ところで、なぜその姿なのだ。喋ったところで人には声が聞こえまい」
「足の速さで選んだのでは? この坊ちゃんの前で派手な術を使うわけにはいかんしな」
「なるほどなるほど」
 笑って狐を見下ろす二人。さらに唸る狐。
 話の内容はよくわからないが、狐が人であるかのように彼らが喋るのは、この狐が神の使いだからか? 神職だから、神の使いの存在に慣れている? いや、神職が神の使いと対立しているのはおかしいから、神職ではないのか。
「お前の許嫁に挨拶したいだけさ。何も取って食おうなどという気はない」
「嫉妬深い男は重たがられて嫌われるぞ」
 狐は少し怯んだように見えた。だが、すぐに気を取り直したようで、利都のズボンの裾を咥えて軽く引っ張る。鳥居の方向——、どうやら帰れと言いたいらしい。ここは自分に任せてお前は逃げろ、ということか。でも、まだあの時にお礼も言えていないのに。
 そのとき、状況を変化させるもう一人が加わる。
「こらこら、また揉めているの?」
 拝殿の裏の方から歩いてきた女は、藤。笹野の目撃証言と一致する、薄藤色の小袖姿だ。和装は一段とあでやかだった。
 藤は腕を組み、男たちに言い放つ。
「大繁忙期は今日で終わりと言っても、まだやることは残ってるんですからね。小休憩だって言ってるのに外にまで出て。とっとと戻りなさい」
 どうやら彼らは藤の知り合いらしい。
 大柄な男は未だ臨戦態勢の狐の方をちらりと横目で見る。
「稔実がやればいい。ああいう地味な作業は得意だろう」
 ——稔実……?
 稔実と言ったか? 会話の流れが速くて口を挟めない。
 ごねられても、藤は一歩も引かない様子だ。
「稔実は真面目にこなして、期間中あんたたちの倍の量をこなしてたんだから、居残りするのは雅彦、久長、お前たちです」
「やだ、ジムに行く!」
「SNS用の写真を撮りに行く! もう限界だ!」
「よくもまあ、毎年毎年そんなに駄々をこねられるもんね。縄つけて引っ張って行かれたいかしら?」
「やだー」
「やだー」
「なら来るの」
 ぴしゃりと言い切り、今度は狐の方を向く。
「あんたはいいわよ。頑張ったからね。どうせあと少しでお戻りだし、行きなさい」
「稔実だけずるいぞ!」
「依怙贔屓だ!」
「黙んなさい!」
 子供のような大人二人を叱りつけ、藤は彼らを拝殿の裏の方へ連れていく。口々に文句を言いながらも、なんだかんだで彼女についてはいくようだ。
 三人の後ろ姿が見えなくなる前に尋ねる。
「あの、あなたたちは……」
「ああ、あれだよ」
 長髪の男が指し示した先には、狐の像があった。神様の使いである稲荷の狐。
 藤もそれを否定しなかった。
「また近いうちにね」
 ウィンクして去って行く。あの現実離れした美貌を思うと、彼女が『人でないもの』なのだという事実が、妙にしっくりきた。
 残されたのは白い狐と利都。藤とその仲間たちは、この狐を利都にとって馴染み深い名で呼んでいた気がするが。
「あの、狐さん」
「……」
「狐さんは、前に迷子の俺を助けてくれた狐さんですか?」
 返事の代わりに頭を足に擦りつけてくる。
「やっぱり! あの時はありがとうございました。俺の知っている人と同じ名前で呼ばれていた気がするんですけど、あれは偶然ですか」
「……」
 すっと身を引いてしまう。答えづらいのか? でも、聞きたい。本当のことを。
「俺、その人を探してるんです。もう一週間以上も連絡が取れなくて……。何か事件か事故に巻き込まれちゃったんじゃないかと心配で心配で。あなたは神様のお使いなんでしょう? 何か知ってたら教えてください。お願いします」
 頼み事をしているのに、見下ろしていてはいけないか。狐の目線にあわせてしゃがみ込む。
「お願いします……。大事な人なんです。いなくなったままじゃ困るんです。聞きたいことも言いたいこともしたいことも、まだまだいっぱいあるんです。だから……」
 泣かないと決めていたのに、涙がぼろぼろ溢れてくる。下を向いて拭う。
 不意にふわりと何かに包み込まれる。気づけば誰かの腕の中。見覚えのあるTシャツと——この匂いは。
「稔実さん……?」
 顔を上げる。そこにいたのはまさしく探し求めていた人。
「……ごめん、利都。ごめんね」
「稔実さん!」
 ぎゅっと彼に抱きつく。ちゃんと触れる。あったかい。ここにいる。
「なんで、なんで、今までどこに……」
「全て話すよ。嘘も秘密も、全部」
「稔実さん、稔実さんっ……」
 しがみついてわんわん泣く。彼は背中を撫でながら、落ち着くまで待ってくれていた。

 鼻を啜りながら、稔実宅へ辿り着く。目を離せばまたどこかへ行ってしまう気がして、お茶を入れる間も一人で待てず、後ろをついて回る。
 居間で一服し、稔実はおもむろに口を開いた。
「まずはいきなり行方不明になってごめんなさい。一年に一回、一週間ぐらいの大繁忙期があって、皆総出で仕事しなきゃならない、っていうのをすっかり忘れてたんだ。高校生活に夢中で……。旧暦と新暦でずれるからわかりにくいっていうのもあるし。いや、こんな言い訳はいいよね、ごめん。で、前日から集合するんだけど、俺がなかなか来ないもんだから藤が迎えに来て、誰にも何も連絡できないまま連れてかれて……。向こうに籠もったらスマホ使えないし、忙しすぎて全然外に出してもらえないし、焦りまくった。ほんとにほんとにごめんなさい」
 深々と頭を下げる。
 のっぴきならない事情があったのはわかった。だが、それで笑って許せるほど、利都は人格者ではない。
「……心配したんだからね」
「うん、ごめん」
「高校生が一週間以上も連絡取れない状態になるなんて、普通あり得ない。事件か事故だって思うじゃん。もし取り返しのつかないことになってたらって、考えちゃいけないのに考えちゃって、テレビのニュースを見るのも怖くて」
「……うん」
「それなのに、仕事あるの忘れちゃってた、なんてそんな……。そんなおっちょこちょいで、神様のお使いって大丈夫なの?」
「……怒ってる? 怒ってるよね? ごめんなさい。許してくれるまで何度でも謝るから……」
 すっかりかしこまってちんまり座っている。可愛いなんて思ってやるものか。
 もっと恨み言を言ってやりたい気持ちもあるが、そういう抜けている面を含めて好きになったのも事実。それに、聞かねばならぬのはこれだけではない。
 卓袱台を人差し指でこつこつ叩く。
「それはまたおいおいでいいよ。他にも説明しなきゃいかないことあるよね」
「えっと、黙ってたけど狐です。人間じゃないです」
 狐、人ならざるもの。神社で白い狐の姿を見ていていたから、驚きはない。言葉で確認が取れて、ああそうかという感じだ。だいたい、彼には不思議が多すぎたのだ。不思議の背後にあった秘密がこれだった、というだけのこと。
「あの白い狐が本来の姿?」
「そう。でも、獣の姿じゃ筆も持てなくて何かと不便だから、あっちでは半獣……人型の狐でいることが多い」
「人型の狐……」
 浮かんだのは、ご当地キャラクターの着ぐるみのような頭身の高い狐。
 正解は実演してくれた。
「こういう感じで……」
 手品のように稔実の髪が白くなり、側頭部が盛り上がったかと思うと、またすぐ元に戻る。一瞬すぎて何が何だかわからない。
「もっと!」
「だって、気持ち悪いかもしれない。神様の使いとはいえ妖だし」
「いいから。嘘も秘密も全部、でしょ?」
「……はい」
 再度姿が変わる。葉っぱも使わなければ煙も出ないらしい。
 純白の髪、側頭部には白く尖った大きな獣の耳。ズボンから引っ張り出されたふさふさの白い尾。肌も白くなっているか。瞳は煌めく金。顔立ち自体はそう変わらないけれど、少し年齢が上がって見える。
 確実に人でないとわかる姿だが、恐ろしいとは思えない。これが彼にとっての自然なのだとすんなり受け止められた。
「君の前でずっと見せていたのは人に化けた姿。常に術を使った状態だとお腹減っちゃってさ。それであんなに食べて……。本来、生きていく上で食事の必要はないんだけど」
「案外、なんというか普通なんだね。妖っぽいおどろおどろしさがない。綺麗だと思う」
 近くに寄ってじっと見つめる。金の瞳がきらきらと利都を映している。
「うん、綺麗」
「……近い」
「今更?」
 思わず笑ってしまう。近づいてしかできないあんなこともこんなことも、利都に教えたのは彼だ。
 彼は気まずそうにもじもじしながら、手にした湯呑みを無意味に回す。
「……もう戻していい?」
「こっちの方が戻した姿なんでしょ? こっちが楽ならこっちでいいよ」
「ん……、じゃあそうする」
 視線で続きを促すと、湯呑みを置いて彼は頷く。
「それから、その、これが嘘の一つ目で、あと三つ、あります」
「聞かせて」
「二つ目は、利都と俺が同い年だと言ったこと。本当はすごくすごく年上。正確なところはわからないけど、利都のおばあさんのおばあさんのおばあさんのおばあさんの、そのまたおばあさんより、ずっとずっと前から生きてる」
「そんなに?」

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