(4)嘘と秘密とプロポーズ

 三人からほぼ即答。皆このやり取りを気にして見守っていたらしい。稔実にもいい仲間がいるようだ。
「あいつら、基本夜型なのに起きてたのか……。しかも下界に出てきてるし」
「稔実さんの学校のことが心配なんでしょ」
「そうなのかなあ」
 過去に一人でつらい経験をしたのだとしても、稔実は彼らと出会って助けられてきたのだろう。昨日の話しぶりからして、彼の傷は完全に癒えたわけではないようだ。仲間の代わりに支えたいなんて大それたことは言えないが、利都も少しずつそれに寄り添っていけるようになりたい。今はまだまだ子供だけれど、そうできる大人になれたらいい。そんな風に強く思った。
 すでに何度も読み返した大吉のおみくじに、また目を通す。
「お友達の仕業じゃなかったのだとしたら、このおみくじだけは神様のお告げだったってことでいいの?」
「そうだね。神様がお留守の期間、といっても、お社から神様のお力が無くなってしまうわけじゃないから」
「そっか。うん、ならお礼参りに行かないと」
「そうするといいよ」
 引き続き食事をしながら、計画の詳細を詰めていった。

 打ち合わせの通り、いったん自宅に帰った利都は一人で登校した。
 予定としては、稔実も一人でこっそり登校し、B組の担任教師を捕まえて、久長作の「行方知れずになった理由」を話す。担任を信じさせ、必要な話が終わり次第授業へ、という流れだ。「こっそり登校」の方法は「狐のやり方」らしい。具体的に何をするのか聞いている時間はなかった。
 上手くいくかどうかはらはらしていたのだが、二限の終わりには、稔実が登校してきたという話がこのA組まで伝わってきた。二限の途中から授業に参加したようだ。三限目が始まるぎりぎりに、『成功したよー』というメッセージが来た。ほっと胸を撫で下ろす。
 昼休みには、久しぶりに四人での食事となった。稔実の昼食は、行きに弁当屋で買ったらしいお惣菜の豚カツとメンチカツ。ご飯はなし。肉巻きおにぎりとカレーライス以外で米は食べたくないと言う。利都は自宅に戻ったときに美春が弁当を持たせてくれたので、外で買わずに済んだ。
 稔実から休んでいた理由の説明(久長作のでっち上げ)と心配をかけたことへの謝罪があり、羽島も千田も真剣に聞いていた。あまりに堂々と淀みなく嘘をつくため、事情を知っている利都さえ信じてしまいそうになる。狐に化かされるとはこういうことなんだろうか。
 真実を話すとなると、彼の素性まで明かすことになる。無闇に正体を打ち明けることは藤に禁止されているらしいので、これは仕方のない嘘なのだ。利都に対する彼の言葉には、もう嘘がないと信じたい。
 羽島は、お疲れ、と言って、稔実に弁当の唐揚げをプレゼントしていた。いつぞやのお返しだそうである。
「まあ食え」
「どうも」
「それにしても災難だったよなあ。父ちゃん母ちゃんはもう大丈夫なの?」
「一時危なかったけど、命に別状はないよ。祖父母がついているし、大丈夫だと思う」
「そっかー。けど心配だよな」
「まあね。でも、自分たちのことより学問に励めっていうのが両親の希望だから」
 黒板横に掲示されているカレンダーにちらりと目をやり、千田は言う。
「もうすぐ期末試験だが……」
「だよねえ。一週間以上も休んじゃったからなあ。追いつけるかどうか」
「ノートなら貸してやろう」
「わあ、千ちゃん、ありがとー!」
「あ、俺も俺も。優等生のノート!」
 それに羽島も便乗しようとするが、千田はにべもない。
「はっしーは駄目だ。授業に出てたくせに」
「えー。ケチ!」
 わいわいと盛り上がる会話。一時は大きな騒ぎになっていた学校にも、また溶け込むことができそうで安心した。
 貸す貸さないの小競り合いを、粘りに粘って「貸す」で決着させた羽島は、思い出したように稔実に問いかける。
「で、あれはどうなったんだ?」
「あれ?」
「大川くん、利都にプロポーズするんだろ?」
「ごほっ」
 思わぬところから球が飛んできて、水を飲んでいる最中だった稔実は咽せ、ハンカチを取り出す。
「いや、あれはその……、ちゃんと改まっては言ってないけど、その意思は伝えているというか」
「利都はなんて答えたんだ?」
 ゴシップ好きの血が騒ぐのか、ぐいぐいと迫ってくる。
 利都は何と答えていたか——、過去の自分を振り返ってみる。
「そう言えばまだ答えてない……?」
「いい機会だから今答えろ。さあさあ」
「えっと……」
 ちらりと稔実の方を見る。期待と不安が入り混じった目がこちらを見返した。
「あの、お嫁に来てほしいくらい好きです。お願いします」
 改まって言われてしまった。もう答えざるを得ない流れだ。今の利都の正直な気持ちはこうである。
「結婚ってなるとピンとこないけど、まあ、うん、ずっと一緒にいられたらいいな、とは思うよ」
 羽島は逃げを許さず、箸箱をマイクのようにこちらへ向ける。
「それはイエスということでしょうか」
「イエスかノーかで言えばイエス?」
 結婚のイメージはふわふわしているが、自分の両親を見ていると、同じ家に住んで一緒に生活するってことでいいのだろう、多分。それなら、休日に彼の家で過ごすような日がずっと続く感じだろうし、大丈夫、だと思う。
「わー、おめでとー!」
 羽島の大きすぎる歓声と大きすぎる拍手。続いて千田も拍手に加わる。話を聞いていたらしい、教室内の他の生徒からも聞こえてきた。
「は、恥ずかしいからやめて……」
「利都、一生大事にするからねえ」
 稔実は涙ぐみ、昼休みが終わるまでハンカチを手放せずにいた。

 その日の放課後、長い影を追いながら、稔実とともに下校する。日暮れの道も二人で歩けば寂しくない。
 彼の家に行く前に、善は急げということで、今朝話していたお礼参りを実行するため、神社へ寄ることにする。
 石階段を上っているとき、鳥居から出てきたおばあさんとすれ違う。先週土曜日、親身になって話を聞いてくれた人だ。心配してくれていたら申し訳ないので、報告しておかなければ。
「あの、おばあさん」
「ああ、あなた……。あのときの」
 覚えていてくれたようだ。立ち止まって微笑みかけてくれる。
「こんばんは。今からお参りに行くの?」
「はい。こんばんは。無事見つかったので……、お礼参りに」
「まあ、そう、よかったわねえ。見つかったの」
 誰の話をしているのか察したようで、稔実はぺこりと頭を下げる。
「もしかしてその子が?」
「はい、昨日帰ってきてくれて」
「そう。本当によかった。お礼参りの心がけは素晴らしいわ。ちゃんと神様に感謝を伝えてらっしゃいね」
「はい」
 おばあさんと別れ、鳥居をくぐった。
 彼女の姿が見えなくなってから、稔実は言う。
「あの人、大川さんだね。直接顔を合わせたのは初めてだな」
「大川さん?」
「俺が今住んでいる家の持ち主。ここの氏子で、藤が何年か前に話をつけて貸りていた空き家を、又貸ししてもらっている状態。表札が『大川』だから、俺の名字も大川にした。本当は狐に名字はないんだ」
「すごい偶然だなあ。あのおばあさんに、いなくなった稔実さんのことを相談してたんだよ」
「そっか……。大川さんはなんて?」
「狐の神隠しじゃないかって」
「神隠し……。まあ、あながち間違いでもないね。藤という狐に連れて行かれて軟禁状態だったんだから」
「ははは」
 彼が帰ってきた今となっては、笑い話にもなる。そう、帰ってきてくれた。今日の目的はそのお礼。
 拝殿の前に立つ。
 ——無事帰ってきてくれました。ありがとうございます。そちらの稔実さんにはいつもお世話になっています。
 どうかこのお礼が神様の元に届きますように。
 稔実もその隣で手を合わせ、何やらぶつぶつと呟いていた。持ち帰っていたおみくじの紙をおみくじかけに結んでから、神社を後にする。
 その後、夕飯の材料の買い出しのため、駅前の商店街の方へ行く。日没後はどんどん暗くなっていく一方だが、この辺りは街灯が多いので、さして困らない。
 さきほど気になったことを尋ねてみた。
「熱心に何を祈ってたの?」
「結婚しますって報告」
「気が早い……。てか、神様に直接言えばいいのに」
「俺は下っ端だから、直接お話ししたりはできないよ。時々お見かけするくらい」
「へえ、そうなんだ」
「結婚するならもっと高位の狐の方がいい? 神様と親しくお話できるレベルの」
「それは別に……。俺は稔実さんを好きになったわけで、狐さんたちの高位下位についてはよくわかんない」
「そっか。よかった……」
 狐社会にもヒエラルキーのようなものがあるようだ。利都は彼らの世界についてほとんど何も知らない。きっと学ばねばならないことがたくさんあるのだろう。
「もしも疑問に思ったり不安に思ったりすることがあったら、遠慮せず言ってね」
「うん……。結婚って、すぐでなくてもいいんだよね?」
「もちろん。利都の方の準備が整うまで待つよ」
「大学出てからとかでも?」
「利都がそうしたいと言うなら。結婚した後もあっちとこっちの行き来はできるから、学校行ったり働いたりは可能。守秘義務さえ守ってれば割と自由だよ」
 それなら人間同士のカップルとあまり変わらないのでは? 稔実と一緒にいられる方法がそれならそうしたい。彼とはこの先も離れず共にありたいと、彼の不在を経験して、切実にそう思った。彼が何者でもそれは変わらない。
 結婚に関して、どうにかなるだろうと割と楽観的に捉えかけていたのだが、続く言葉に引っかかった。
「俺と同じ時間を生きるかは、利都が決めていいからね」
「……?」
 はて、どういう意味だろう。結婚して一緒に生きるなら同じ時間を生きるのは当然では? 尋ねる前に商店街のスーパーに到着する。
 買い物の間、ずっと考えていた。稔実の言い方では、同じ時間を生きない選択肢もあるようだ。
 ……そうか。利都と稔実はそもそも同じ時の流れの中では生きていないのだ。利都のおばあさんのおばあさんのおばあさんの……より長く生きる稔実は、きっとずっと変わらぬ姿でこの先も生きていくのだろう。
 吸血鬼の映画でそういうのがあった。どれだけ時代が変わっても若く美しい姿で旅を続ける主人公たち。神様の使いと吸血鬼を一緒にしては怒られてしまうかもしれないけれど。
 ゆっくり話せる方がいいと思い、疑問をぶつけたのは夕飯の最中。
 今日は焼肉。煙を一切気にせず、居間にホットプレートを出して豪快に肉を焼く稔実は、利都の取り皿をみるみるうちに山盛りにしていく。
「いったんそのくらいで……」
「それだけでいいの? 遠慮しないで自分でも取っていいからね。お肉いっぱい買ったから」
「うん。……あのさ、さっきの話に関連して、なんだけど、稔実さんは寿命ってあるの?」
「んー、ないよ。紀元前から存在している妖狐もいるし、よっぽどのことがない限り死なないはず。神様の眷属なら陰陽師やその他霊能者に退治されるようなこともないしね」
「紀元前……」
「ほんとにいるんだよ? で、まあ、寿命がないから、子供作って世代を繋ぐ必要がないし、結婚相手の性別は大して気にされないんだ」
 こうやって共に食事しているとわからなくなるが、彼と利都は生の根本が違うのだ。それを同じにするかそのままにするか、ということ? 同じにすることなんて出来るのかは知らないが、稔実が言うからには方法があるのだろう。
 二者択一なら、当然こちら。
「同じにするのでいいよ。結婚するならその方がいいでしょ」
「そう気軽に言えるのは、重い選択だっていう認識がないからだよ。俺と同じになるということは、人でなくなるということで、妖に近い存在になるということだ。その意味をこれから少しずつ知っていってほしい。知った上で決めてほしいんだ」
「……うん」
「酷なことを選ばせて、ごめんね」
「何が酷なのかさえよくわかんないけど、稔実さんがそう言うならそうする」
「お願いします。さあ、気を取り直してどんどん食べて」
「はーい」
 まずは取り皿に盛られた分から片付け始める。
 彼が焼くのは肉ばかりだから、キャベツは自分で焼かねばなるまい。ホットプレートの空いた場所に何を置くかで、しばし攻防を繰り広げた。

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