(4)嘘と秘密とプロポーズ

 あれだけもくもくと煙が出ていれば、数日は臭いが取れないだろう、と思っていたが、夕飯の後片付けと入浴、歯磨き等々が終わってから居間に入ると、すっかり臭いは消えていた。ろくに換気もしていないのに不思議だ。
 稔実曰く、「こうやってふーって息を吐くと空気が綺麗になるだよ」だそうだ。不可解でも、人智の及ばぬ現象なのだと思っておくしかない。
 居間で二人、いつものようにテレビを見ながらのんびり寛いでいたところ、なにやら違和感があった。理由はすぐに思い当たった。いつもであれば、抱き寄せてきたり、手を繋いできたり、膝枕を要求してきたり、稔実は利都のどこかしらに触れていたがる。二階の彼の部屋に行く前にここで裸になることも多い。でも、今日はそれがない。
 キスだって、朝したきりしていない。こちらから肩にもたれかかって甘えてみても、適当によしよししてくるだけ。
 おかしい。焼肉のたれにニンニクが入っていたから、口臭でも気にしているのか? いや、息で空気清浄できるのに、その息が臭くなることなんてないんじゃないのか。では、臭いのは利都?
「……稔実さん、俺、臭い?」
「臭いって?」
「ほら、ニンニク食べたから、息とか」
「全然。いつも通りだよ」
 じゃあ、なんで? 久しぶりだし、朝のこともあるし、こっちはそういうつもりで来ているのに。
 もっとはっきり誘った方がいいのかな。彼の手を握って指を絡ませる。
「ね、もう二階行こ。早く布団に入りたい」
「ああ……、うん、そうだね」
 なんだか煮え切らない返事だ。
 もしかしたら、今日は「したくない日」とか? 大繁忙期とやらの疲れもあるだろうし。それならそう言ってもらえれば、無理強いなんてするつもりはない。でも、おやすみのキスくらいはしたいな。
 布団を敷くのに協力しつつ、単刀直入に聞く。
「今日はするの? しないの?」
「……直球だね」
「だって全然来ようとしないから。したくないならいいよ。ちゅーだけして寝よ」
「そうじゃなくて、うーん……、マリッジブルーで気分が」
「いくらなんでも気が早いよ!」
「というのは冗談ですが。化かす騙す誑かすは狐の性分だけど、君相手には誠実でいなきゃなーって反省したわけです。あっちで真面目にお仕事してる間にさ」
「嘘つかれてたからなあ。四つも」
「ごめんなさい。もうしません」
「すぐにエッチなことしたがらない、イコール誠実?」
「そうじゃないの?」
「俺だってやなことはやだって言うよ。稔実さんに欲しがられるのはやじゃない」
「……ほんと?」
「うん」
「うー、したい。いっぱいしたい。していい?」
「いっぱいじゃなければ……。ん」
 敷きたての布団の上で、ちゅ、と音を立てて口づけられる。
「利都、可愛い。ずっと触りたかった」
 繰り返し幾度となく唇を合わせる。キスの雨あられ。
 どうしよう。急に盛り出してしまった。利都から誘ったくせに、いつもより性急な様子に驚いてしまい、拒否と取られない程度に胸を押す。
「落ち着いて……」
「まだしたい」
 舌で繋がり、重なり、絡み、吸い。頭がぼんやりしてくる、甘ったるい陶酔感。身体が期待している。とろとろに蕩かす快感を。なんだろう、いつも以上に昂るのが早い。
 パジャマのシャツに稔実の手がかかり、器用にボタンを外していく。利都も下から外して協力する。明かりがついたままだったが気にしてなどいられず、自らシャツを脱ぎ捨て、布団に横たわって彼の腕を引いた。彼は引かれた手をそっと利都の左胸に置く。
「すごいドキドキしてる。緊張してる?」
「わくわくしてる」
「はは。期待に応えられるように頑張らないと」
 胸元にキスが落ちる。細かく場所を変えて、何度も、何度も。欲しいところにもらえなくて焦れてきた頃、乳輪を一周べろりと舌が這う。
「ひゃあっ……」
「触ってないのに、ツンッておっきしてきてるよ。利都のおっぱい、どうしてほしい?」
「ん……、ちゅうーってしてから、ぺろぺろって」
「ちゅーってしてぺろぺろ?」
「うん……」
「素直に言えていい子。いっぱい可愛い可愛いってしてあげるね」
 乳首を吸い上げるのと、舌先を小刻みに動かして先っぽを刺激するのとを繰り返す。もう片方の乳首も放ったらかしにはせず、指でくりくりと捏ねる。しばらくして舌と指、左右交替。
「あっ……ん……」
「きもちいー?」
「んー」
 足をもじもじ擦り合わせる。まずい。これだけでいきそう。もったいない。今日はじっくり味わいたいのに。
「稔実さん、もう……。次は俺がするから」
「俺はいいの。心配させたお詫びも兼ねてるから。利都が気持ちよくなって白いのぴゅっぴゅってするとこ見たいな。ああ、下着が邪魔か」
 こくりと頷く。汚したくない。風呂上がりで穿いたばかりなのに。
「じゃあ脱いどこうねー」
 ズボンと下着を一気に足から引き抜く。
 パンツの中がどうなっているのかわかっていたから、あえて目を向けないようにしたのに、さざわざ指摘されてしまう。
「元気なおちんちん、こんにちはだねー。あ、こんばんは?」
 温かい息がふうっとかかると、びくんと腰が跳ねる。小さな動作で大きな反応を引き出せたことが、稔実は心底嬉しそうだった。
「かーわいー。かわいいしやらしい。先っぽのお口ぱくぱくして涎だらだらで……。早く早くって言ってるみたい」
「いちいちそういうこと……」
「好きなくせにー」
 性器には触れずに観察するだけして、乳首への愛撫に戻る。
 目を閉じて彼の与える感覚を追っていると、腹の底から馴染み深い感覚が上ってくる。快感の波に抵抗せず、ものの数分であっけなく吐精した。——早かったのは、久々だったからで。
「よくできました。いい子」
 荒い息を整える利都へ見せつけるように、彼は自分の指についた汚れを舐め取る。赤い舌がねっとりした白い液を掬い、艶めかしく濡れた唇の隙間に引き込まれていく様は、ひどく卑猥だった。ああ、なんて美しくて淫らな生き物なんだろう。
「利都の美味しいよ」
「すごく変態っぽい……」
「これまで何度も舐めてるし飲んでる。可愛い恋人の出したものを味わうのは普通のことです。当然の権利であります」
「そんな権利聞いたことないです」
「ね、いい? もっといい?」
 内腿を緩く撫でられると、こそばゆくて勝手に腰が動く。
「いちいち聞かないで。まだ足りない。もっと……」
 二人で迎える絶頂は、もっと高いところにあるって、もう知っているから。
「結婚も承諾してもらえたし、利都のこと全部俺のにしていいかな」
「前からいいって言ってたつもり」
「だね。素性を明かすまでは、君の処女をもらっちゃ卑怯な気がして」
「あれだけ色んなことしといて、変な遠慮」
「確かに。ちょっと待って。今日はね、いいものがあるんだ」
 稔実はいったん布団から離れて、箪笥の方へ行き、中をごそごそ漁る。彼の体温を失った素肌が急速に冷えていく。嫌だ。寂しい。
「はやく」
「ごめんごめん。これ」
 引き出しの中から、彼は透明のボトルを取って、振ってみせる。とろっとした液体が詰まっている。
「これは何でしょう」
「ローションでしょ。それくらい知ってるもん」
「ふふふ、ただのローションと侮るなかれ。これまで使ってたのとは違って、狐印の妙薬入りです」
 目の前に突き出されたそれをよく見てみると、狐のシルエットが描かれたステッカーが貼ってある。商品名や製造元、成分に関する表記は一切ない。市販されているものではないようだ。
「めちゃくちゃ怪しい……」
「怪しくない、全然怪しくない。あっちじゃ普通に手に入るものだから」
「あっちって……。狐さん用じゃないの? 人間が使っても大丈夫なやつ?」
「人間と楽しむ時用に作ったやつだから問題なし。大丈夫。効果としてはちょっとだけ緩みやすくなって、ちょっとだけ気持ちいいのが強まる感じだよ。ちょっとだけ、ちょっとだけ」
 ちょっとだけ、か。前にも調子よくそんなことを言っていて、ちょっとだけで済まなかった記憶がある。
「最近わかってきた。稔実さんの『ちょっとだけ』はあんまり信用できない……」
「心外だなあ。ちょっとだけでも楽な方がいいでしょ? ほら、うつ伏せになって」
「うつ伏せ多くない? エッチなことは顔見てしたいのに」
「じゃあ、うーん、どうしようかな。ああ、そうだ。いいものがあった」
 稔実はまた布団を離れると、部屋の隅に置いてあった大きな板のようなものを持ってくる。それを枕元に立て、板にかかっていた布を取る。現れたのは姿見。そういうことか、と彼の意図を理解した。
「これならうつ伏せでも顔見ながらできるっていう……?」
「そうそう。別の部屋にあったんだけどね。いつか何かに使えるかなと思って持ってきてたんだ」
 何かって、絶対エッチなことに決まっている。
「自分の顔まで見たいわけじゃ……」
「どうしても嫌ならまた布をかけるよ。とりあえず試そ」
「約束だからね? ねえ、稔実は脱がないの? 俺だけ裸やだ」
「はいはい」
 彼は相変わらずの脱ぎっぷりの良さで、ぱっぱと全裸になった。
「ね、利都。子猫がソファの下を覗き込む感じてお尻上げて」
 ものは言い様である。指示通り、姿見の前で、四つん這いになって尻を高く上げる。鏡の中の自分は子猫なんて可愛いものではなく、ひどく間抜けな姿をしていた。
 なるべく自分とは目を合わせないようにしながら、稔実の方へ集中する。彼はローションを手に取ると、掌でくちゃくちゃと混ぜてから、利都の尻に塗っていく。
「リラックスして。少しずつ進めてくからね」
 背中にキス。
「あっ……」
 不意打ちだったので、思わず声が漏れる。こんなところ、感じるなんて知らなかった。
 彼は背中への口づけを続けながら、尻たぶを撫で、指で尻の割れ目をたどる。きゅっと閉じた穴に行きつき、表面を軽くマッサージ。今のところ、特別変な感じはない。
 指先が穴に沈む。くるくると円を描くようにして動かし、狭いそこをゆっくりとほぐしていく。そのうち、ごくごく浅い箇所を出し入れする動きが加わる。先は長そうだ。こんなことでは夜が明けてしまうのでは?
「……うぅ」
「どう? いけそう?」
「平気……」
「ゆっくり中入れてくね」
 指が徐々に奥へ。痛みはないが、異物感が気になる。枕を抱き寄せて踏ん張る。繋がりたい、と利都が言ったのだ。こんなところで根を上げてどうする。
「一本入った。動かしても?」
「どうぞ」
 抜いて、入れて、抜いて、入れて、全てがゆっくり。何とか大丈夫そうだ。妙薬とやらのおかげだろうか。
 腰や背を撫でながら、たっぷり時間をかけて、二本、それ以上と指が増えていく。
「いい子いい子、よく頑張ってるねえ」
「ほんと……? ちゃんとできてる?」
「すごくいい調子だよ」
「なんかじんじんする……」
「それでいいんだよ。大丈夫。利都はここも好きかな」
 腹側のとある箇所を内側から押されると、他のどことも違う強烈な刺激が走った。
「わぁ、な、なに……? なに?」
「男の子の気持ちいいとこ」
「それってちんこ……」
「ここもだよ」
 同じ箇所をまた押す。
「ひっ……」
「たくさん弄ったげる」
「怖い、怖いからぁ……」
「わけわかんないくらい感じてよ。目合(まぐわ)いってそういうもんでしょ?」
 宥めるように、また背中にキスをして。キスは優しいのに、中の指は容赦ない。集中的にそこばかり。
 性器まで一緒に擦られると、何もかも吹き飛んで、頭の中が真っ白になっていく。素股や擦りっこでも充分気持ちいいと思っていたのに、何というか次元が違う。
「どうしよ。またいっちゃう……!」
「いいよ。またぴゅっぴゅってして。白いの飛ばして見せて」
「稔実さんっ……」
 射精する直前になって、彼は中から指を抜き、利都の脇の下に手を入れて身体を起こさせる。限界まで勃ち上がったものの先端から精液が飛び、鏡にかかる。
 吐精の始まりから終わりまで、はっきりじっくり見てしまった。愉悦に浸る姿はふしだらで、清らかさの欠片もなくて。こんな自分は知りたくなかったと思うのに、それに興奮する自分もいて。

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