(4)嘘と秘密とプロポーズ

「うん。これでも仲間たちの中じゃ若手なんだ。で、三つ目、海外転勤になった両親がいるってこと。実の親はとっくの昔に亡くなってる。四つ目、祖父母と同居してるってこと。これはもうバレてたか、一人暮らしです。人間の社会にスムーズに溶け込むためにはこういう設定がいいかなって、仲間と一緒に考えた」
「仲間って、さっきの人たち?」
 神社で声をかけてきて利都をどこかに連れて行こうとした、袴姿の男たち。
「ああ。あの二人、びっくりしただろう。変に絡んでごめんね。ちょっと休憩しようってだけだったのに、勢い余って外に飛び出しちゃったみたい。気づいて追いかけていったところで、君に絡んでいるのが見えて、慌てて……ってわけ。俺を揶揄う延長で利都のこと揶揄いたいみたいで、でも、根は悪いやつらじゃないんだよ。ほんと、ほんとに」
「それはいいよ。稔実さんが助けてくれたから、もう」
「ごめん……」
 実害が出たわけでもなし、彼らを責めようとは思わない。それより気になることがある。
「あの人たち、なんか変なこと言ってた。嫁とか許嫁とか」
「ああ、それはその……。俺は利都のこと、お嫁に来てもらえないか誘うつもりで下界に来たから。それをあいつらも知ってて……」
「お嫁にって、再会する前からそんなこと考えてたの?」
「うん。一目惚れだったのは嘘じゃない」
「その辺り詳しく聞いても……」
 一目惚れしたのは、小さい頃に夏祭りで会った時だと以前言っていたが、それは白い狐に道案内してもらったのと同じ年の夏祭りだろうか。それとも別の?
 稔実は利都の右手を取って、愛おしむように撫で、頬に当てる。
「この手に俺は救われたんだ。全部話すよ。でも、俺の生い立ちから話すことになって、すごく長くなるから……。あんまり遅いと家の人心配するんじゃない?」
「今日は帰りたくない。稔実さんを見張ってる」
「見張らなくても、もう突然行方不明になったりしないよ」
「やだ。帰らない」
 自宅に戻っても、きっとまた眠れないだろう。彼も頑なに拒否したりはしなかった。
「うん……、なら、先に連絡しといて。泊まってくるって。それから、夕飯をどうするかだなあ。材料全然ないし、何か取るか」
「ピザがいい、ピザ。サイドメニューで肉もあるよ」
「いいね、そうしよう」
 その夜、暖かな布団の中で、彼の話を聞いた。一匹の悲しい狐の物語。時に涙を流しながら聞き入っているうち、心地のいい声に誘われ、聞き終わるか終わらないかのところで眠りに落ちた。

 翌朝、稔実の声に起こされた。
「利都、そろそろ時間だよ」
「……今何時?」
「六時半。いったん家に戻って教科書の入れ替えとかしなきゃいけないだろう」
「うん……」
 目を開く。朝の光に包まれて、まだ白いままの稔実がそこにいる。よかった。ちゃんといた。
「おはよ」
 身体を起こし、お泊まりした日の習慣で、利都から朝一番のキスをする。この後お返しのキスが恒例だが、彼はきょとんとして動かない。
「……」
「どうしたの?」
「またキスしてくれた、と思って」
「なんで?」
「昨日怒ってたから」
「そりゃあ怒るよ。でも、せっかく稔実さんが戻ってきたのにさ。ずっと怒っているより、こうやって引っついてる方がいい」
 彼の肩に頰を寄せる。眼差しで誘いをかけてみると、お返しのキスをやっとくれた。何度か軽く唇を合わせる。こういうのは久しぶりだな。やっぱり彼とのキスは好きだ。
 中まで味わいたくて、舌で彼の唇をつついて催促するも、彼はさっと身体を離した。
「駄目。これ以上は止められなくなるやつ」
「もう少しだけ……」
「駄目だってば。学校行かなきゃ。今日は金曜日で明日休みだし、放課後またうちに来ればいいよ」
 口寂しいけれど、彼の言うことは正しい。キスは諦めて準備をするとして、彼はどうするのだろう。
「稔実さんは行くの? 学校では結構な騒ぎになってるけど」
「どうしようかなあ……。何か上手い言い訳を」
 まだ行く気はあるようだ。利都との繋がりを作るために同じ高校へ通い出したと昨日言っていたから、もう必要ないと思われるのだが。
「稔実さん、いつまで高校に通うつもり?」
「とりあえず卒業はしようかな。随分引きこもっちゃってたから、人の世リハビリも兼ねて」
「神社の仕事はいいの?」
「人の世について知るのも仕事の内です。神使は神様と人とを繋ぐものだから、人の世には詳しくないと。——というのは表向きで、大繁忙期以外は結構暇なことが多いんだよね。やろうと思えばいくらでもやることは見つかるけど、絶対にやらなきゃならないことは少ない。皆人間たちに混じって好き勝手やってるよ」
「へえ、そういうもんなんだ」
「そういうもんなの」
「……うーん、じゃあここは一気に神様的な力で解決? 一週間以上の無断欠席を綺麗さっぱりなかったことに、とか」
「俺は神様じゃないし……」
「ほら、神通力っていうのがあるじゃん」
「神通力はそんなに都合のいいものじゃないから。だいたい、自分の失敗の穴埋めのために大きな力を使うのは誉められたことじゃない。……なにかいい案来てるかな」
 彼は枕元のスマホを取ってチェックを始める。
「あ、いっぱい来てる」
「誰から?」
 行方不明中のメッセージや着信履歴は昨日チェック済みのようなので、昨夜から今朝にかけて届いたものだろう。
「神社にいたあの三人と俺でグループチャットやってるんだけど、昨日利都が寝てから助けを求めたんだよ。学校への言い訳どうしようって」
「グループチャットするの? 稲荷の狐が?」
「下界にいるときは、これが一番便利だもん。ほうほう……」
 胡座をかいて熱心にメッセージを読み込んでいる。無意識だろうか、大きな白い尻尾が微かに揺れている。
 ——触ってみたい……。
 思いきりもふもふしたい。絶対気持ちいいに決まっている。うずうずして止められなくて、先の方をむんずと掴む。
 彼はびくっとしてスマホを取り落とす。
「いった! なに?」
「やっぱり痛いんだ……」
「痛いよ。当たり前じゃない。ああ、メッセージのチェックより君の朝ご飯の準備が先だったね」
「いや、それより」
 今度はもっと優しく尻尾を掴む。想像以上に滑らかで柔らかく、ふわふわしている。掌が幸せになる極上の触り心地。
「おおー」
「……何なの?」
「フォックスファー」
「襟巻きにする気……?」
「生え始めを見たい。ちょっと立って」
「えー、もう」
 しぶしぶながら立ち上がってくれる。
 尻尾の根元は尻の割れ目のすぐ上にある。尻尾を外に出すためにズボンのウェスト位置が下がっているため、脱がさなくても確認できた。
「わあ、ほんとに皮膚から生えてる」
 ふさふさの毛に覆われた部分とつるつるの皮膚の境を撫でてみる。
 稔実はその場で足踏みをする。
「うわあ、ぞわぞわする。やめてー」
「もうちょっとだけ」
 感触が面白く、さらに境目をなでなでしていると、いきなり尻尾が消えた。獣の耳も消え、髪も薄茶色になる。人に化けたのだ。
「もうおしまい」
「えー。ワンモアタイム! フォックスファー!」
「毟り取られそうだからやめてってば。君はなんというか、変わらないねえ」
「何が?」
「態度が。怖くないの?」
「全然。稔実さんのフォックスファー気持ちいいよ」
「……ならいい。ありがとね」
 利都の髪を撫で、額にキスをした。
 それから、てきぱきと制服に着替えた稔実は、朝ご飯のための食材がないため、コンビニまで走ってパンを買ってきてくれた。申し訳ないから家に帰って食べると言ったのだが、相談したいことがあるので一緒に食べたいのだと言う。
 彼が出かけている間に、利都も着替えを済ませた。制服は昨日のものをまた着て、下着は前にお泊まりしたとき置いて帰ったものを使っている。顔を洗い終え、タオルで拭いていたとき、ちょうど彼が戻ってくる。
 朝ご飯を食べながら、作戦会議開始。ちなみに、稔実の朝ご飯はコンビニチキンである。これまでほぼ肉のみ野菜なしの彼の食生活を密かに心配していたが、元々の生態が「基本肉食の雑食」なのであれば、肉しか食べなくても問題あるまい。そもそも何も食べなくても平気と言っていたか。
 彼はこちらにスマホ画面を見せ、油のついていない小指でグループチャット内のメッセージの一つを指す。
「俺としては久長のこの案がいいと思うんだよね」
 そこにはこうあった。『海外滞在中の両親が事故に遭ったため、祖父母と共に取るものも取りあえず現地に駆けつけた。手術の付き添いやら警察への対応やらでバタバタし、また精神的にも追い詰められた状態で、連絡できなかった。両親の病状が落ち着いたため、自分だけ帰国してきた。』
 神社での彼の振る舞いからは想像できないくらいまともな回答である。他にも、三名であわせて五通りの案があったが、どれも真っ当な内容だ。
「結構真面目に考えてくれたんだね」
「悪戯好きでも根っこの性質は善なんだよ、神使だから」
 通知音が鳴って、メッセージが届く。新しい案だろうか。利都も画面を覗き込む。雅彦氏からだ。
『仲直りしたか?』
 稔実が利都と、ということだろう。仲直りしなければならないような状態だった、ということは知っているらしい。
 おしぼりで指を拭いてから、彼は返信する。
『した』
『我らが橋渡ししてやったんだからな。簡単に別れられても困る。』
『橋渡し?』
『神籤のことだよ。わかっているだろう。』
『神籤がどうかしたのか?』
『同じ内容の神籤を引いたなんて、話の切っ掛けとしては最高だろう。あれが切っ掛けで付き合えたんじゃないのか。もっと感謝しろよ。』
 いったいどういうことだろう。二個目のパンを食べる手を止め、稔実と顔を見合わせる。
 彼は何やら考え込んでから、まさしく利都も知りたい疑問を投げる。
『あれはお前らの仕業だったのか?』
『まさか気づいてなかったのか? あんな内容の神籤、あるわけないだろう。他にもやったぞ。中吉、選んだ道は間違っていない、突き進むべし、のやつ。我ながらナイスアシスト。』
 一度ならず二度までも。付き合うきっかけとなったおみくじだけではなく、遊園地視察が中止になった日に引いたものまで、とは。
 稔実は天を仰ぐ。
「……信じられない」
「神様のお告げじゃなかったってこと?」
「ただの狐の悪戯だった。うわあ、神様のお告げだから付き合おう、みたいなこと俺あの時言っちゃったよね? 俺が利都を騙したみたいになってるじゃん」
「ここまで付き合い続けてるのは、神様のお告げがあったからってわけじゃないし、それは別に……。稔実さんはどうなの? 僕たち、運命じゃなかったみたいだけど」
「俺の正体を知っても、利都はまだここにいてくれるから、それはもう運命ってことでいいの。そういうことにしときます」
「そういうもの?」
「そういうもの。ああ、もう、あいつら、今度会ったら絶対文句言ってやる!」
 やけ食いのように三個目のチキンにかぶり付く。袋の中にはまだ残りがあるようだが、何個買ってきたのだろう。
 利都も玉子サンドを食べながら考える。二度あることは三度ある。先週親切なおばあさんに相談に乗ってもらった時にもおみくじを引いたが、もしかしたら。
「ということは、これもかな」
 鞄から財布を取り、そこからおみくじの紙を出す。『大吉 信じて待つべし。そうすれば万事上手くいく。』この言葉に縋る思いで彼の帰りを待っていた。
「稔実さんが行方不明になっているときに引いたやつだよ」
「うーん……。繁忙期中はこんな悪戯をしてる余裕はないと思うな。一応聞いとこうか」
 写真を撮って送信する。
『これもお前ら?』
 すぐに雅彦から返信があった。
『知らん。』
 続けて、久長、藤から数秒空けてメッセージが届く。
『知らん。』
『私も違うわよ。念のため。』

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