(番外編)ハロー、ベイビー

「純種純種って、跡取りがオメガと子供を持ってる時点で、もう意味ないだろ。他の血が入ってる」
『それに関しては策を考えているわ。ご心配なく。純種のアルファ女性の愛人を持って、子供を産んでもらえばいい』
「やめろよ。竹司と殺し合いになるぞ。ただでさえ嫁姑仲が険悪なのに」
 享の兄充は、父親の秘書兼愛人をしていた竹司薫と番になり、結婚した。今から五年弱前のことだ。夫の元愛人が息子と結婚するという異常事態に、母の時子は激怒し大暴れ。息子の嫁はそれに怯むことなく全力で喧嘩を買ったため、嫁姑戦争は年々泥沼化しているらしい。
『今はその話はいいのよ。とにかく一度顔を見せに来なさい。いえ、そんな事じゃ駄目ね。両家顔合わせするわ』
「……は? なに言い出すんだ。充がしたこと覚えてるか? 楓のお姉さんにストーカーしてたんだぞ。会わせられるわけないだろ」
『要は充を連れて行かなきゃいいんでしょ。結婚前に普通はやるの。順番が逆になっちゃったけど、まあいいわ』
「充の時はやってなかったじゃないか」
『それは相手に親がいなかったからよ』
「親がいてもいなくても、あんなに喧嘩してちゃ、やれるような状況じゃなかっただろ。とにかく、挨拶に行くなら俺ら二人だけで行くよ。楓の家族まで巻き込むな」
『結婚した時点で巻き込んでるわよ。場所はこちらで用意するわ。軽い食事会みたいな感じで、近いうちに』
「だから、やらないっつってんだろ!」
 享が声を荒らげても、時子を退かせる力はない。電話の向こうからわざとらしい溜息が聞こえてきた。
 自分も大いに関係のある話題なので、楓もだんまりを続けているわけにはいかないだろう。
「いいですよ。話しておきます」
「楓……、無視すればいいって。菫さんも桜さんも、絶対に嫌な思いをするに決まってる」
「結婚のこと話したとき、顔合わせはしないのかって聞いてきたから、多分やるつもりはあると思う」
『そう。なら話は早いわ。向こう一ヶ月でどうしても駄目な日程を教えてちょうだい。調整するわ』
「待って。そんなに急がなくても」
『新しいホテルのオープン予定があるから忙しいの。じゃあ、よろしくね』
「ちょっと、母さん!」
 返事も聞かず、電話が切れてしまう。
 静かになったスマホを放り出し、亨はソファに深く腰掛ける。
「……なんであんなこと」
「お前の親だろ。大丈夫だよ。おっかない人だけど、うちの母さんにまで敵意向けてくることないだろ」
 ソファの隣に座り、宥めるように膝をたたく。肩を抱き寄せてきたので、素直に寄りかかっておく。
「敵意というか、あの人たちはアルファ以外を人と思ってないとこがあるから」
「そんな感じだよなあ。でも、無視して拗れたら後々までぐちぐち言われそうだし、一回食事するくらいいいじゃん」
「菫さんも桜さんもいい人だから、俺の親のせいで傷つくのは嫌なんだよ」
「母さんも姉ちゃんもそんなにヤワじゃないよ。オメガとして生きるっていうのは、そういう連中との戦いなんだから。まあ、あんまりひどいこと言われたら、俺が喧嘩を買うけどな。アルファとの喧嘩は慣れてる」
「俺も喧嘩する」
「ママに手は上げるなよ、元ヤン」
「ヤンキーじゃないってば……」
 彼に素行が悪かった時代があるというのは、揶揄いのネタの定番になっている。
 にやにや笑って鼻を摘まんでやると、腕を引っ張られ、仕返しのキスをされた。

 両家顔合わせの当日。伊崎邸のある隣県まで出向かされるのかと思いきや、会場はこちらに近い場所を選んでくれた。主要駅に隣接した、IZKグループのホテル。母と姉は直接会場に行くと言う。
 この日は朝からバタバタしていた。昨夜は緊張であまり眠れず、二人して寝過ごしてしまったのだ。
 何とか間に合う電車には乗れたが、困ったことに車内で気分が悪くなってきた。
 悪阻の症状は普段そうひどくはない。気持ち悪くなったり胸焼けがしたりして食欲がないときはあるが、全く食べられないわけではないし、仕事には支障ない程度のものだ。だから、今日の顔合わせも問題なくこなせると考えていた。
 だが、自分で思っているよりずっと気を張っているからなのか、今日は特に吐き気がひどい。
 混雑した車内で、立ったまま享にもたれかかっていたので、ちらちらと好奇の視線を感じた。見ていないでもっと妊婦を気遣ってほしい。——とは思ったが、席を譲れと言い出す度胸はない。
 主要駅で下車すると、混雑から解放され、多少は吐き気が治まる。やっぱり帰ろうとうるさい亨に大丈夫だと繰り返しながら、会場のホテルに向かう。
 こんなぎりぎりの時間にドタキャンなどしようものなら、また伊崎時子の機嫌を損ねてしまうだろう。ネチネチ嫁虐めされる事態は避けたい。兄嫁と時子のバトルは、部外者として話を聞くだけなら面白いが、自分があそこに放り込まれるのは真っ平御免だ。
 途中、地下街の広場で、享は立ち止まる。
「そこ、座ってて」
 円形の広場を囲うようにして置かれたベンチを指す。大丈夫だと何度も言っているのに。
「いい。急がないと遅刻するぞ」
「そんな青い顔して大丈夫なもんか。日を変えてもらおう。二時間も座ってられないだろ。無理して何かあったらどうするの?」
「でも、向こうももう着いてるだろうし、母さんと姉ちゃんも……。いける。気合いでどうにかなる」
「気合いで治まるもんじゃないよ。うちの親には、俺の方に急な仕事が入って都合が悪くなったって言うから。心配しないで」
 楓の手を引き、ベンチまで連れて行く。それを振り払う元気もなく、両肩を押され、座らされる。
「飲み物でも買ってくる。少し落ち着いたら、タクシーで帰ろう。ちょっと待ってて」
「おい、いいって」
 制止を聞かず、亨は行ってしまう。まったく過保護っぷりに拍車がかかっている。
 これも「大事にする」ということを実践してくれているのだろう。それを思うと、これ以上抵抗する気も起きなくなる。
 時間潰しがてら、スマホを使って「悪阻 今すぐ治す」を検索している最中、ふと視線を感じた。
 顔を上げると、子供二人がじっとこちらを見ている。幼稚園児くらいの男の子と、実人と変わらない年の女の子。二人とも発表会のようなよそ行きの服を着ている。似ているから兄妹だろうか。
「……なんだ、どうした?」
「だいじょうぶ?」
「ああ、うん」
「これ」
 男の子がハンカチを差し出してくる。子供にまで心配されるとは。そんなにひどい顔をしているのだろうか。子供の心遣いを無駄にしたくなくて、何とか笑顔を作り、ハンカチを受け取る。
「ありがと。お前、紳士だな」
「しんし?」
「優しくてかっこいい男のことだよ」
「ぼく、かっこいい?」
「ああ。こういうことができる男はかっこいい」
「えへへ」
 人懐こい子供のようで、妹と手を繋いでさらに近づいてきた。
 借りたハンカチを使わないわけにもいかず、広げてみると、見慣れたウサギのキャラクターの柄だった。このウサギは楓の勤め先である江野玩具の稼ぎ頭で、このハンカチは先月出たばかりの新商品だったはず。
「うさのすけじゃん。好きなのか?」
「うん。好き。いっぱい持ってる」
「へえ、いいな。俺も好きだぞ」
「おんなじだね」
「そうだな」
 ハンカチで汗を拭う振りをしてから、礼を言って返す。男の子はにこにこして満足そうだった。
 さて、この身なりのいい幼子二人、どこから来た? 周囲を見渡してみても、親らしき人物はいない。
「その子、妹?」
「うん」
「母ちゃんは? はぐれたのか?」
「二人で探検してる」
「母ちゃん心配してんじゃね?」
「さあ。でも見つかったら怒られる」
「駄目じゃん。母ちゃんを心配させる男は紳士じゃないぞ」
「そうなの?」
「そうだよ。キッズケータイとか持ってないのか? 電話できるもの」
「置いてきちゃった」
「じゃあ迷子センターにでも行くか。館内放送かけてくれるかな。……う」
 吐き気の波が襲ってきて、口元を手で押さえる。男の子は慌てて楓の顔を覗き込んでくる。
「だいじょうぶ? かぜ?」
「……大丈夫」
 子供の前で吐くまいとどうにかこうにか波を押さえ込む。亨のやつ、飲み物はいいから、早く帰ってきてほしい。
 心の中でそう呼んだのが伝わったからなのかどうかは不明だが。
「楓?」
 コンビニの袋を下げた亨が戻ってきた。彼は楓にくっつく幼い兄妹に気づき、戸惑い気味に問う。
「……誰? 迷子?」
「迷子じゃない。探検してるだけ」
 むっとしたように言い返す兄。
 妹はさきほどから危なかったが、ついにぐずり始める。
「おかあしゃん……」
「ほら、妹が寂しがってるぞ。早く母ちゃんのとこに行かないと」
「ぼくのおかあさん、どこ?」
「俺が聞きたいんだけどなあ。この辺で別れた?」
「んー」
「結構いっぱい探検した?」
「うん」
 ということは、別れた地点から離れてしまっている可能性が高い。
 亨はスマホを操作し始める。
「地下街の案内所で迷子の面倒も見てくれるみたい。俺が連れて行くよ。楓はもうちょっとここで……」
「いいよ。俺も行く」
 ベンチから立ち上がる。この兄妹のことは乗りかかった船だし、このまま帰るにしても、会場まで行って一言詫びてからの方がいいだろう。ずっとここにはいられない。亨は極力動かせたくないようだが。
「でも」
「おかあしゃん! おかあしゃん! だっこ!」
 ついに妹が泣き出す。亨は要求通り彼女を抱き上げる。
「はいはい。抱っこ抱っこ」
 男の子は妹を気にしながらも、楓の足に寄り添う。
「しんどいなら、ぼくにつかまるといいよ」
「ん?」
「しんし?」
「紳士は紳士だけど、まだちょっとお前には早いかな」
「かえでっていうの?」
「おう。お前は?」
「ミカ」
「ミカ?」
 ミカという男の子の名前、どこかで聞いたような。
「イザキミカだよ」
「伊崎……」

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