(1)出会い

 間近で甘い匂いを嗅ぎ続けたせいで、使い古されたぬいぐるみみたいに、くったりと力が抜けてきた。ややこしい思考が先に眠りにつく。どうなったっていい。どうされたって構わない。そんな危険な思いが湧く。
「気持ちいいの好きだよね?」
 うん、好き。
「男の子は感じてるのが目で見てはっきりわかるのがいいよね」
 下着の前の盛り上がりを指先で突かれる。突然のことで、四肢がびくりと強張る。
「あっ……」
「ここはまだ嫌?」
 嫌ではない。
「触ってほしい?」
 身体中を触ってくれたみたいに、ここにも触れられたら、きっとすごく気持ちいい。
「おねだりは目じゃなくて口でするんだよ」
「むり」
「無理じゃない。ここでやめていいの?」
「……やだ」
 発情期の熱を呼び戻したのは陽介なのに、責任を取ってもらわないと困る。涙目になって、彼のシャツを握る。
「触って」
「どこを?」
「パンツの中」
「もっと具体的に」
「……全部だよ、全部」
「全部か。気持ちいいとこ全部?」
「……うん」
「まあ、とりあえず脱ごっか。腰上げて」
 わざとゆっくりとした動作で下着を脱がされる。すでに大分勃ち上がってきているのが自分でも想定外で、隠すようにごろんと横を向いた。
 彼は研究対象のように、じっくりと下着を観察する。
「パンツ濡れちゃってるね。これってどっちかな。ついてる場所からして先走りっていうより愛液かな」
「あい? ……わぁっ」
 前を隠したかわりに剥き出しになった尻が、不意打ちでするりと撫で上げられた。
「いい反応。んー、どうしようかな。体勢変えよっか」
 陽介は語尾を弾ませ、上機嫌で伊月の両腕を取り、抱き起こす。そして、座った自分の膝に伊月を跨がせた。
 目線は伊月の方が上になる、心臓の音が聞こえそうなくらい近く、しかも伊月は靴下を穿いているだけでほぼ全裸の状態だ。恥ずかしい。恥ずかしいが、今更やめられない。
 無意識のうちに自分のものに手を伸ばそうとしていたのを、陽介に止められる。彼は何の躊躇いもなく握り、ゆるゆると扱き始めた。
「どこが好き?」
「どこって……?」
「自分で触ると気持ちいいとこ」
「わかんない。あんまりしないし……」
「オナニーしないの?」
「するけど、出るまで擦るだけ。普通はそうじゃないの?」
「そっか。仕込み甲斐があっていいね」
 ちゅ、と口づけられる。もっと欲しくて、今度は自分から首に腕を回してキスをする。
 ついたり離れたりしながらキスを繰り返しつつ、彼の左手は伊月の股ぐらのものを追い詰める。全体を扱かれつつ、人差し指で先端の口を撫で回されると、思わず声が漏れそうになる。
「これいいよね。僕も好き。遠慮せず声出していいよ」
「……やだ」
「なんで?」
「女の子みたい……」
「これからもっと女の子みたくなるんだよ」
 彼の右手はしばらく尻を大きく撫でているだけだったが、伊月が前への愛撫に夢中になっているのがわかると、そっと尻の割れ目の奥を探り始めた。
 普段は隠れた穴の上を指の腹で撫でたり押したり、軽く叩いたり。なぜそんなところを、という違和感はあった。
「……なあ」
「垂れてきてる。身体はちゃんと準備してるんだ」
「なんのこと……?」
「気持ちいいとこ全部、だっけ。じゃあここもだね」
 指先が穴に沈む。
「え……?」
「よくしたげるから、大丈夫」
 伊月の頭を軽く撫でてから、浅い箇所に指がゆっくりと出し入れされる。痛くはないが、異物感がすごい。
「くちゅくちゅいってるの聞こえる? こんな風に濡れるのはオメガだからなんだよ」
「……ん」
「オメガの子はさすが柔らかくなるの早いな。これじゃ足りないよね」
 二本に増えた指が徐々に奥へ奥へと道を開く。抗議の意味を込めて、彼の髪を掴む。
「……やだ、これ。もっとちゃんと前触って」
「すぐにこっちの方がよくなるよ。伊月はすごくエッチな子みたいだから」
「エッチじゃない!」
「エッチだよ。こうしてる間にもやらしい匂い垂れ流して、僕の指を締め付けて誘ってる」
「誘ってなんか……、あぁっ」
 指が腹側のある場所をかすめるたとき、背筋に甘い震えが走った。腹の奥が収縮する感じがあり、一瞬息が詰まる。
 彼はいっそう愉快そうに笑う。
「ここだね。ここ、何かわかる?」
「知らな……」
「子宮への道の入り口。消化器官とここから分かれてるんだよ。この辺りを撫でてあげるとね」
 あの箇所を指が一往復する。これまで受けたことのない刺激に、腕が勝手に彼の首にしがみつく。
「はぁっ……や、なに? なにこれ」
「あくまでもそっと優しく、こうやって」
「すごい……。やだ、怖い」
「怖くないよ。気持ちいいのは悪いことじゃないんだから、ただ感じてればいいの」
 さらに指を増やして出し入れしながら、感じる箇所を執拗に攻められる。往復したり、円を描いたり、軽く押したりを繰り返しされると、声を抑えることなど考えられなくなった。射精感が限界まで達するのに、そう時間はかからなかった。
「なあ、もう俺……」
 いきたい。
 だが、そう伊月が訴える前に、いきなり中から指を抜かれ、張りつめた茎の根元を握り込まれる。
「……え?」
「確かさっき眠いとか言ってたよね。いったら寝るね、多分」
「でも、でも、もうすぐだったのに」
「駄目ったら駄目。ああ、ハンカチ持ってる?」
「あるけど」
「貸して」
「なんで今……」
「いいから。どこに入ってる?」
「ズボンのポケット」
 陽介は脱ぎ捨てられた伊月のズボンを引き寄せ、ポケットからハンカチを取り出す。それで器用に根元を縛ってしまう。これではいけない。いきたい。出したい。気持ちよくなりたい。
 またしても半泣き状態で、恨みがましく彼を睨む。
「……なんで?」
「こんなチャンス、次いつ来るのかわかんないのに、絶対逃したくないんだよ。寝られてお預けなんか嫌なんだ」
「寝ないよ。寝ないから外して」
「経験上、九割方寝るね。いい子にしてたらすぐ外してあげる。心配しなくても、ちゃんとスキンはつけるから。ちょっとどいてて」
 彼は伊月を上からどかせ、テレビ台の引き出しから小さな箱を取ってくる。ドラッグストアやコンビニで見たことがあるだけで、実際に使ったことはおろか、手に取ったこともない代物だ。
 どうやって使うものなのかは知っている。保健の授業で習ったから。突っ込む前にかぶせるのだ。妊娠や病気の感染を防ぐために。——突っ込む? どこに何を?
 さっと血の気が引いていく。大分遅ればせながら、ベータとして生きてきた男の自分が、男とセックスしているのだという事実が、現実として迫ってくる。
「……ほんとにやるの?」
「する」
 陽介はズボンから自分のものを取り出して、手早くスキンを装着する。じっとそれを凝視する伊月に、彼は揶揄うように言う。
「そんな物欲しそうな目で見なくても、すぐ入れたげるから」
「……アルファはでかいって本当だったんだ」
「伊月の中でもっと大きくして」
 肌触りの良いさらりとした質感のカーペットの上に押し倒される。その状態から身体をひねろうとしてみても動かない。そう強い力を掛けられているような感じはないのに。
 どうしよう。せめてもう少し待ってもらいたい。伊月が急に焦り始めたのを、彼は見逃さなかった。
「……ちょっと我に返った? 難しいこと考えないでって言っただろ。こういうのって勢いだよ。いけいけどんどーん」
「でも、俺、初めてで」
「知ってる。処女卒業おめでとう」
 うつ伏せにされて尻を抱え上げられ、硬いものが穴にあてがわれる。あれを入れるつもりなのだ。あんな体積が収まるはずはない。
「ま、待って」
「なに。正常位がいいの? 初めてじゃつらいんじゃない」
「そういうことじゃなく、もうちょっとお互いによく知ってから」
「よく知らない男に尻穴までがっつり弄られといて、それこそ今更だね。これ以上焦らすようなら、朝までヤリ倒してやる」
「それはどうか……」
「お喋り終わり。せいぜい可愛くアンアン言ってね」
 指とは比べものにならない質量が体内に押し入ってくる。息ができなくなるような圧迫感。ただ、苦しかったのはほんの数分で、真っ白だったはずの身体は、どろどろした蜜の中ですぐに溺れた。
 湿った吐息と共に、つぶやきが聞こえる。
「ほんとすごい匂い……。酔いそう」
「ひっ……あ、なあ、そこいい。いいよ。もっと……なあってばぁ」
「うん、気持ちいいね」
 ハンカチを外されたときの解放感は、暴力的なまでに甘かった。

 朝。芳しい匂いに包まれて目を覚ます。知らない天井、知らないベッド、知らない部屋。隣には知らない男——もとい、昨日までほぼ接触のなかった大学の先輩。二人で包まっている布団をめくってみる。自分も彼も裸だった。
 記憶を無くすほどのアルコールは摂取していなかったので、ばっちり覚えている。隅から隅まで詳細に。結局一回では終わらず、その後結局寝室でもう一回した。我ながら馬鹿なことをしたものだ。
 最中は「気持ちいい」を追いかけることしか考えられなかった。きっと偏差値は十くらいだっただろう。動物並みだ。動物の偏差値を測れるのかは不明だが。
 甘えて縋って、猫なで声で「もっと」と鳴いた。あれは現実なのか。——夢だったと言うには無理がある。あれが夢なら、横で眠るこの裸の男は何なのだ。
 じっと彼の顔を見つめる。すっと通った鼻のラインも、すっきりした輪郭も、整えられた濃い眉も、涼しい目元も、形の良い唇も、単純に美しい造形だとは思う。
 ——どこかで見たことがあるような……。
 昨日より前に大学で見かけたか。いや、それよりもっと前——。
 起き上がろうとしたが、思った以上に身体が重く、特に腰がつらくて、またシーツに頭を沈ませる。上に乗っかられて、あれだけ出したり入れたりされれば当然だろう。なぜあんなことがあんなに気持ちよかったのだ。
「どうしよう……」
「何が?」
「うわっ」
 独り言に返事をされ、飛び上がりそうになる。隣の男の目はぱっちりと開いている。朝から笑顔が無駄に爽やかなのが腹立たしい。
「起きてたのかよ」
「君がごそごそし始めたからね」
 陽介は横向きに寝返りを打ち、自分の唇を指す。
「んー」
「何だよ」
「おはようのキス」
「するかよ」
「冷たいなあ。昨日あんなに愛し合った仲なのに」
「愛し合ったって、あれは無理やり押し切られたようなもので、俺は……」
「無理やりねえ。大した抵抗もしなかったくせに」
 拗ねたように言われ、思い返してみる。
 確かにそうだ。試してみないかと誘われ、伊月は「いいよ」と言った。入れられる前は焦って逃れようとしたが、それも本気で暴れたわけではなく、与えられたものにすぐ飛びついて夢中になった。自分という姿形がなくなりそうなほどドロドロに溶かされるのは、これまで想像すらしたことのない経験だった。
「……うん、そうだな。違うな。昨日は無茶苦茶なことされたかったんだ。傷つけられたかった」
「ドMの人なの? 物足りなかった感じ?」

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