(2)文化祭

 稔実の言葉通り、昼過ぎに雨が止んだ。羽島からは今日の視察の中止を知らせる連絡がすでに入っている。
 昼食にはカツサンドを作ってくれた。期待を裏切らず美味しく、気づけば皿が空になっていた。さて、この後どうするか。
「よかったら神社に行かない?」
 そう彼は提案する。
「ん、なんで?」
「またおみくじ引いてみようよ。恋人が出来たんだから、お告げの内容が変わってるかも」
「……確かに」
 ——年末までに恋人あるいは伴侶がいないと、大きな災いが降りかかるだろう。
 恋人がいない者が引くことを前提としたような内容だから、そうでなくなれば、また新しいアドバイスがもらえる。
 彼はこういうスピリチュアルな物事を信じる質らしいので、そういう考えに行き着くのは理解できる。しかし、言葉に出来ないもやもやが湧き、鬱屈とした思いをもたらす。なんだろう、この感じ。
 もやもやは消えないままであったが、特に断る理由もなく、スマホと財布だけ持って出かける。北公園と敷地が接する初川稲荷神社は、稔実宅からはコンビニに行くより近い。地元密着型で観光客はほとんど来ないため、お祭りの日以外はいつも静かな場所だ。
 両側に緑が迫った石階段を上がって、鋭い目つきながらどこか愛嬌のある狐の像を過ぎ、朱塗りの鳥居をくぐる。おみくじの前に参拝した方がいいと稔実が言うので、先に拝殿へ。お願い事は何も考えていなかったため、「これからおみくじを引きます」とだけ報告した。
 続いて、授与所で声をかけておみくじを引かせてもらう。結果、『中吉』。前回の小吉よりランクアップしている。添えられたアドバイスは、『選んだ道は間違っていない。突き進むべし。災いは遠ざかった。』
「……え」
 誰かがどこかで見ていたのか問いかけたくなるほどぴったりな内容だ。稔実は両手を打ち合わせる。
「すごい。また俺のとそっくりそのまま同じだ! それにこのアドバイス……。よかったね、神様が俺たちのこと応援してくれてるみたい」
「……」
 二度も二人同じ内容のおみくじが出たことも、稔実が知りたがっていたであろうことにどんぴしゃりの答えをくれたことも、どちらも驚きだ。
 彼はそのことを無邪気に喜んでいたが、利都の胸にはまたもやもやが溢れる。苦しくて悲しい。それは多分——。
「……稔実さんは、おみくじがあったから俺と付き合ったんだよね。キスしたのもそう。あのとき同じ内容のおみくじを引いてなかったら、俺なんかと付き合ってなかったし、キスもしなかった。それってなんか……」
 不思議そうに見つめ返してくる稔実。どう言ったらこの違和感が伝わるだろう。
「稔実さん、俺自身のことはどう思ってる? 神様のお告げだとか運命の人だとかは置いといて……」
「好きだよ? 好きだから、あの夏祭りの時のおみくじから君との運命が感じられて嬉しかった」
「……?」
 彼のそのセリフの何かが引っかかった。好きだからあの夏祭りの時のおみくじが嬉しかった、ということは、利都を好きになったのは、夏祭りでおみくじを引く前のようだ。あの夏祭りが初対面だったはずだが。
 彼は首を振り、声にすまなさを滲ませる。
「そっか。ごめん。不安にさせてたんだね。実は、あの日が初対面じゃないんだ、俺たち。その前から好きだった」
「そうなの……?」
「ああ。君はもう覚えていないかもしれないけど、小さい頃に出会ってる。あの日も夏祭りだったな。嫌なことを思い出すような出来事があって、怖くて震えていたんだけど、そんな俺に気づいて、傍で慰めてくれて……。すごく優しくしてくれた。他の誰もそんなことしてくれなかったから、感動しちゃってさ。多分一目惚れだったと思う」
「……うーん」
「覚えてなくても仕方ない。君にとっては随分前の出来事だろうし」
「それ、ほんとに俺? 稔実さんみたいな子に会ってたら、簡単には忘れないと思うんだけど」
 小さな稔実は、さぞかし美少年だったことだろうと思う。
「間違いなく君だよ。あの時君が帰っていった家と今の君の家、全く同じ場所だから。あれから、この街に来るたびに君の家を見に行ったりしてた。声をかける勇気はなかなか出なかったけど」
「……」
「先月の夏祭りでおみくじを引こうと思い立ったのは、君への気持ちをどうすべきかずっと悩んでて、一度神様に聞いてみようと思ったから。それが君と同じ内容だったときは舞い上がるほど嬉しかったよ。きっと運命なんだって思った。今日引いたのも、これから君との付き合いを続けるにあたって、神様の後押しが欲しかっただけ」
 思いがけない打ち明け話。情報量が多くて混乱するが、つまり、端的に言うと。
「俺と付き合っているのは、好きだからってことでいいの?」
「そう、そうだよ! おみくじには、行動を起こす勇気をもらっただけなんだ。ちゃんと初めに言えばよかったな。でも、家にまで行くなんてストーカーっぽいことをしてた手前、言い出しにくかったんだ」
「ストーカーっぽいなんて思わないよ。嬉しい……」
「好きだよ、利都。大好き」
 直球ど真ん中の愛の告白の後、頬にさっと口づけられる。
「わあ」
「大丈夫。見ている人はいない」
「でも、神社でこんな……」
「これ以上はしないさ。ねえ、利都の気持ちは俺ほど大きくないってわかってるけど、キスを許してくれるってことは、ちょっとは期待してもいいよね?」
「……うん」
「ありがと、大好き」
 好きって言われるの、いいな。特別に素敵なものにでもなった気分。ついさっきまでのもやもやはどこへやら、心が浮き立つのを止められなかった。恋の始まりってこんな感じなのかな。

 週が明けて月曜日。昼休みの最中、羽島は箸を片手にまた新たな提案をしてきた。
「肝試しをやろう」
 思いつきで喋る羽島に慣れた千田は、適当にあしらおうとする。
「なに言ってんだよ。まだまだ暑いけど、一応もう秋だぞ。肝試しは夏のものだろ」
「俺、思ったんだよ。偽物のお化け屋敷より、本物の方がリアリティーを追及出来るって。利都んちの近所の神社、『出る』って噂があるんだよ。週末の夜に行ってみようぜ」
「へえ、あそこ、そうなんだ」
「え、利都、近所なのに知らなかったのかよ。割と有名みたいだぞ」
 噂を聞いたことはなかったが、ありえるだろう。神社という場所になら、人の世に属さないものが住み着いていても不思議ではない。あそこで不思議な白い犬に助けられたこともあるし。
 稔実はお化け屋敷視察には乗り気だったのに、この件に関しては難色を示した。
「本気? 肝試しなんて危ない……」
 彼の危惧を羽島は笑い飛ばす。
「ビビリだなあ、大川くん。大丈夫だって。危ないと思ったら全力ダッシュだ」
「走って逃げられるようなもんじゃないよ! 駄目、絶対駄目。俺、見えるから……。ほんとにあそこにはいるんだって。駄目、危ない」
 そうか、稔実は『見える』のか。だからあんなに神様やそのお告げであるおみくじのことを信じているのか。妙に納得してしまった。
「とにかくやめておいたほうがいい。下手に手出ししたら連れていかれるかも」
「手出ししなきゃいいじゃん。通り過ぎるだけ」
「それでも駄目! 行くなら昼間にすれば? 夜は特に悪戯されやすいんだよ」
「昼間じゃ肝試しになんないじゃん。じゃあ、大川くんは行かなくていいよ。そもそもA組の出し物のためにやるんだし」
「もう、駄目だってば。利都は行かないよね? 危ないことしないよね?」
 即答はしない。果たして危ないのだろうか。
 人の世に属さないものの存在を信じてはいる。幼い頃に神社で利都を助けてくれた白い犬が、人の世のものではないということを、当時の自分は感覚で理解していた。
 あの神社は昔からよく知っている場所。夏祭りや初詣などで、夜に何度もあそこに行っているが、危ない目に遭ったことは一回もない。きちんと管理されている神社には邪悪なものは棲み着かないという。出るとしても、あの白い犬のようなものたちで、こちらに害をなすようなものではないと思う。
「大丈夫だよ。あそこは危なくない。万が一危ないことがあっても、あの白い犬が助けてくれるでしょ、多分」
「狐ね、狐。そんな都合よく来られるとは限らないから!」
「なにそれ、白い犬って?」
「それがね……」
 口を挟んできた羽島に説明しようとするのを、稔実に遮られる。
「とにかく駄目。利都は絶対駄目。行くならはっしーと千ちゃんで行って。利都はお家でいるんです」
「そこまで言われたら逆に行きたくなる……。鬼火くらい見れたりして」
「おお、本物見てみたい!」
「青白いって本当なのかな。きっと綺麗だよ」
「なー」
 困った顔も見てみたいという悪戯心が湧いて、羽島とついつい悪ノリしてしまう。稔実は必死に味方の確保に走る。
「そこ、意気投合しないで。千ちゃん、止めてよ。学級委員長でしょ」
「僕は別に……、心霊現象とか信じてないから、危ないとは思わない。あの辺は治安もいいし、ちょっと行ってすぐ帰ってくるだけなら大丈夫だろ」
「千ちゃん……」
「ああなったら、はっしーは止められないぞ」
 残念ながら味方は得られなかったようだ。これで三対一。稔実にとっては圧倒的に分が悪い。
 多数派羽島は決断を迫った。
「大川くん、どうする? 利都は行くってよ」
「ああ、もう、行くよ。行けばいいんだろ。ただし、俺が危険だって言ったらすぐに撤退だよ。あと、あの神社のは鬼火じゃなくて狐火だから!」
 こうして、雨天中止になった遊園地視察の代わりに、肝試しが決行されることになった。

 肝試し当日。日没後、いつものように稔実が家まで迎えに来てくれた。他の二人とは現地で合流する。
 参加者の四人全員が揃ってから、石階段へと足を踏み出す。街灯の明かりが遠く薄暗い中、稔実以外は各自持ってきた懐中電灯で足下を照らしながら上る。怖がっていたくせに稔実は明かりを忘れてきたらしい。迎えに来たときから利都の手を離そうとしない彼を可愛く思いながら、彼の分も広く照らす。
 鳥居をくぐったとき、背筋に寒気が走ったのは、『出る』という話を聞いていたからか。繋いだ手から稔実の怖がりがうつったのかもしれない。
 邪悪な気配は感じないが、夜の神社が醸し出す雰囲気だけで恐怖心が煽られる。今は無人の境内の至る所に配置された狐の像も、今日ばかりは不気味に感じた。
 羽島には怯えも恐れもないようで、文化祭の出し物を決めるときと変わらない調子で肝試しを仕切り出す。
「とりあえず、境内をぐるっと一周して木立の方へ入る?」
「やっぱりいる……。待ち構えてる。まずいよ。めっちゃこっち見てる」
 対照的に、稔実は身を低くし、いっそう強く利都の手を握りしめた。羽島は好奇心が勝つのか、彼の訴えをまともに取り合わない。
「幽霊さーん、お邪魔しまーす」
「亡霊もいるにはいるけど、こっちに何かしてこられるほど強くないよ。めっちゃ見てきてるのはまた別の……。うわあ、もう帰ろうよー」
「来たばっかじゃん。置いてくぞ」
「利都、絶対に俺から離れちゃ駄目だからね! 連れてかれちゃうからね!」
「……うん」
 稔実の「まずい」という言葉は真実なのかもしれない。その思いを強くしたのは、何者かの——ここにいる三人以外の視線を感じたから。見られている。じっと、舐めるように。
 身体に絡みつくような生温かい風は冷や汗を乾かしてはくれず、木々のざわめきは群集の呻きのよう。月が、貴重な光源が翳る。
『…………のよめ』
『これはまあ、なんと……』
 空耳か? 何か聞こえたような。
 耳を澄ませてみようとしたが、集中は羽島によって途切れさせられた。
「……あ、あれ!」
 羽島の指した方向、木立の方、ちょうど目線の高さに青白く丸い光がぽつぽつと浮かび、ゆらゆら揺れている。
 千田は驚きを込めてつぶやく。
「嘘だろ……」
「わあ、ほんとに出た! すごい!」
「はっしー、馬鹿、はしゃぐな。鬼火が出るのはお墓か山の中のはずじゃ……」
「……ああ、もう。だから言ったのに。さあ、もう帰るよ!」
 稔実が堪り兼ねたように指示を出すも、羽島は悠長にスマホを取り出す。
「ちょっと待って。写真を」

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