(2)文化祭

 この日も稔実と下校する。そして、最近毎日そうしているように、彼の家に寄る。今日も今日とて祖父母はおらず、二人きりだ。
 誰の目も気にせずくっついていられるここでは、触れあいたい欲が真っ先に立ち、たいてい肌と肌を晒し合う戯れが始まる。彼の部屋の布団の上、彼の手と舌に身体は反応していたが、心はふわふわと宙を漂い、これまでの彼の様々な言動をぼんやり回想していた。
 稔実は胸元にあった顔を上げる。
「……どうかした? 気持ちよくない?」
「ん……、いい。ちゃんといいよ。文化祭準備でちょっと疲れてるのかも」
「そうだったんだ。じゃあ、今日はもうやめとく?」
「ううん。半端なまま終わる方がやだ。しよ」
 手をついて身体を起こし、お誘いのキスをする。
 彼は多少強引な面を出すことはあるが、いつも利都を気遣ってくれる。本当に無理なことを押し通したりはしない。
「そうだな……。じゃあ、ね、利都。寝そべったまま擦りっこしよっか。楽ちん」
「あれがいい。入れないエッチ」
「素股?」
「うん」
 彼の股ぐらに手を伸ばし、軽く握って上下させる。大きくするためというより、状態の確認のためだ。
「今日も元気」
「おかげさまで」
「別に入れるエッチでもいいけどね」
「無理することないよ。今してるのでも充分気持ちいいじゃん。……俺のはいいから、うつ伏せになって」
 無理はしていない。彼とこういうことをするようになった肝試しの夜以降、気になってやり方を調べてはいるのだ。もう腹を括っているつもりなのに、彼は今以上を求めてくれない。
 不満げに膨れた頬をつつかれる。
「ほら。しないの? やっぱりやになった?」
「するもん」
 腹這いになって両足を密着させる。尻にローションがたらたらかかる。刺激を敏感に受け止めようとする肌はそれだけでもぞくぞくと期待に震えた。
「玉まで可愛いよね」
 隙間から指先でつんつんと触れる。
「人によってそんなに違わないでしょ、そこは……」
「全然違うよ。利都のは形も色も触り心地も可愛い。癒しを感じる」
「癒しって」
 そういえば、終わった後も無意味に揉んでいるな、と思ったことが何度かあるような。癒しを求めていたのか、あれは。
 尻と両足の間に出来た小さなスペースに、彼のものが入ってくる。剥き出しの性器に直接感じる熱と脈動。抽挿で擦れ、高まる。
 性感が強くなればなるほど、心の奥底に隠した願望を抑えがたくなる。
「つながりたい……」
「ん?」
「繋がりたいって、本能、だと思う」
「繋がってるよ」
「……わかってるくせに。あっ……ん」
「そのうちね」
「そのうちっていつ?」
「そのうちはそのうち」
 こんなことまではぐらかすの? 背中に感じる吐息はこんなにも熱いのに。
「稔実さん、ね、好き……?」
「好きだよ、好き、大好き、利都」
「俺もすき……」
 だから、君の秘密を見せてよ。お願い。

 準備に追われていたら、文化祭当日を迎えるまであっという間だった。お化け屋敷は何とか完成。結局、肝試し経験が役に立ったのかは不明だ。
 当日の利都の役目は、入り口で看板を持って客を迎える案内係。白い布で雑に作ったお化けのコスプレをしていた。中のお化け役に力を入れすぎて、案内係の衣装にまで手が回らなかったのだ。客の入りは上々。出てくる客の反応を見るに、お化け屋敷はなかなか好評のようだった。
 午前が終わり、交替の時間。稔実とはシフトを同じにして、一緒に回れるようにしてある。お化け衣裳と看板を次の案内係へ渡してから、すぐさまB組に駆けつける。
 コスプレ喫茶はお化け屋敷を優に超える大変な混雑だった。教室奥の窓際にいた稔実は、声をかけてくる客を何とか躱し、数分かけて出てきた。スリーピースのタイトなスーツに、なぜか猫耳と猫尻尾、という出で立ち。彼に何の衣装を着せるかでクラス内投票が行われたらしいが、選ばれたのがこれというわけか。
「お待たせしました!」
「もう行けるの?」
「もちろん。行こ行こー」
 教室を出て歩く。宣伝のためこの衣装のまま行くらしい。ただでさえ目立つのに衣装のせいで余計に目立っていたが、本人は気にならないようだ。普段から注目され慣れている故か。
 まずは腹ごしらえをしよう、ということになり、食べ物系の店が集まる屋外へ向かうことにする。
「これ、猫耳執事なんだって。流行ってるのかな、猫。俺は犬の方がいいって言ったんだけど、犬耳カチューシャは売ってなかったみたい。ごめんね、利都」
「それって、俺が猫より犬派だって言ったから?」
「うん。どうかな。やっぱり猫じゃ駄目?」
「いや、すごく似合ってる。元から生えてるみたいに違和感ない」
「え、そ、そう?」
「そう。二次元から飛び出してきたみたい」
「それ、お客さんにも結構言われた。漫画キャラにいそうって意味?」
「うん。少女漫画系のやつ」
「少女漫画の執事は化け猫なんだね。妖怪執事」
「それは違うと……。執事萌えと猫耳萌えを一度に味わいたかっただけだと思う」
「うーん……」
 わかっていなさそうな顔だ。稔実に萌えの概念はないらしい。
 午前中の混雑状況について報告し合っているうち、校舎を出てすぐ広がっている、食べ物の模擬店ゾーンに突入する。
 何かと人目につく彼は、「タダであげるから宣伝してくれ!」と色々もらっていた。差し出されたものを全て受け取るわけではなく、肉系だけ受け取って後はほとんど断るあたり、いつもながら徹底している。
 最初の店でもらったレジ袋に入りきらなくなったため、食べ物ゾーンを離脱し、中庭へ。芝生の上では食事中の人が多くいる。
 隅っこの方の、ちょうど日陰になっているあたりに空きを見つけ、スペースを確保する。レジ袋の中身を出して並べてみると、なかなかの量だ。
「ケバブ、タンドリーチキン、唐揚げ、焼き鳥、豚串……。あとは俺用のたこ焼きと焼きそば。いっぱいもらっちゃったね。稔実さんのおかげで全然お金払ってないや。なんか申し訳ない」
「せっかくもらったんだから美味しくいただこう」
 一つ一つ片付けていく。稔実はいつもの食べっぷりで、順調に空パックを増やしていった。
 彼は利都の口元についたソースを手で拭ってくれた後、その指をぺろりと舐める。
「おいしー。……なんか、もう一回夏祭りが来たみたい。あの時はすぐにバイバイしちゃったから、一緒にお祭りを楽しめなかったけど」
「だね。嬉しい」
「あ、そうだ。写真撮ろ、写真。クラスの人たちにはめっちゃ撮られたけどさあ。一番撮りたいのは利都と」
「いいよ」
 彼のスマホで自撮りをする。画面を覗き込み、写真を確認。
「あはは。執事が屋台グルメ広げてるって面白い」
「いいじゃんいいじゃん。やったー。ツーショット写真ゲット」
「俺にも送って」
「はーい。お化けの利都も撮りたかったな」
「はっしーが撮ってたからもらえば?」
「ナイスはっしー。帰りに頼もう」
 平らげた分のパックを重ねてレジ袋に詰めていると、彼は不意にびくっとして周囲を見渡した。
「どうしたの?」
「今、不穏な気配が……」
「不穏とは何よ」
 背後の倉庫の影から女が現れる。彼女のことはよく覚えている。稔実の家に初めてお泊まりした翌朝に見た——。彼の母か姉のような存在だという美女。
 稔実はあからさまに眉根を寄せる。
「藤、何の用? 学校にまで押しかけてくるなんて」
「今日は参観日でしょ」
「文化祭!」
「同じようなもんだわ。保護者が来ていい日」
「文化祭には普通来ないらしいよ」
「うるっさいわねえ。ちょっと冷やかしたらすぐ帰るわよ。ところであんた、なにその耳と尻尾。化け猫?」
「猫耳執事……」
「妖怪執事ってこと? 流行ってるの、それ」
「知らない」
 稔実の発想はズレていると思っていたが、同じことを考える人がいるとは。
 藤は雅やかに長い袖で口元を抑え、笑みをこぼす。
「ふふふ、猫の仮装だなんて……」
「わ、笑うな! うちのクラスの給仕係は皆やってる」
「狸や犬じゃないだけマシかしら。でも、猫……。プライドあるわけ? ふふ、ははは」
「笑いすぎ! こら、撮るな!」
 制止を聞かず、藤は稔実にスマホを構えて連写する。スマホを取り上げようとする稔実を華麗に避けながら、さらに撮る。
「皆に見せちゃお。手始めに雅彦(まさひこ)久長(ひさなが)に……」
「あいつらは絶対にやめて!」
「どうしよっかなー」
 古馴染みにしか出せない親しげな雰囲気。利都には入り込めない世界。もやもやが胸を覆って、とても不愉快だった。思いをそのまま口に出すことは憚られて、稔実の腕を掴む。
「……利都?」
 こっちを見て。他の人と楽しそうにしないで。利都の視線に込められた思いを、藤の方が先に感じ取ったようだった。
「ああ、ごめんなさいね。誤解のないように言っておくわ。あなたたちの仲を邪魔するつもりは、私には毛頭ございません。むしろ応援してるのよ」
「応援してるようには見えないね!」
 噛みついてくる稔実を彼女は軽くあしらう。
「何を言うの。あんたの一人暮らしも賛成してあげたじゃない。ヘタレてないで、さっさとやることやるのよ」
「わかってる!」
「まったく、あんたを揶揄うのは楽しすぎるわ。でも、そこの坊ちゃんに悪いから、そろそろ消えるとするわね」
「はいはい、さようなら。もう当分来ないで」
「私だって来たかないわよ、めんどくさい。じゃあね」
 前回と同じく、颯爽と藤は去って行く。
 一人暮らし、と彼女は言っていた。やっぱりそうだったんだ。別の人からは聞きたくなかったな。
 大騒ぎしたので周囲の注目を集めてしまったらしい。小さくなって座り直す。
「……利都、ごめんね。うるさくて」
「ううん。仲良いんだね、あの人と。妖怪執事って、そんな発想するの稔実さんだけかと思った」
「ん? 化け猫は妖怪でしょ」
「まあそうなんだけど」
 多分、長い間同じ環境にいて、同じ影響を受けて、同じような思考回路が出来上がったのだ。寂しい。羨ましい。妬ましい。彼の腕にしがみつく。
「……藤はただの身内だよ?」
「わかってる。稔実さんは俺の知らない世界を持ってて、それは当たり前で、仕方のないことで。でも、やだって思っちゃったんだもん。俺のじゃない稔実さんがいるってこと……」
「利都……、あのね」
 このとき、彼は確かに何かを言いかけていた。——だが。
「いたいた、利都、大川くん!」
 羽島の声がする。こちらへばたばたと駆けてくる。千田も遅れて後ろから来ていた。
「もうすぐ演劇の時間だぞ。見に行くって言ってたろ」
「あ、うん」
「早く来いよ。体育館だぞ」
「はーい」
 言うだけ言って彼らは走って行く。稔実はレジ袋を持って立ち上がる。
「行こっか」
「いいの? 何か言いたいことがあったんじゃ」
「また落ち着いたときに話すよ」
「……約束だからね」
 待つと決めたから。問いただしたい気持ちを押し殺した。

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