(4)君の指輪とホットケーキ

「見えないのに凝ってどうすんだよ」
「自分たちだけわかる仕掛けって楽しくない?」
「ふーん。まあ、どっちでもいいや。見せて」
 亨の手のひらから指輪をさらって、自分で重ねてみる。人には見せない内側に隠した、二人だけの秘密か。いかにも女の子が好きそうだが、まあ、悪くはない。
「割り印みたい」
「契約書か。ムードねえな」
「契約は契約じゃね」
 一緒に生きるという契約。病める時も健やかなる時も? ——やっぱりマリッジリングみたい。
「ありがと。気に入った」
「ほんとに?」
「うん」
「まあ、これからもよろしくってことで」
 亨がまた指輪をつけてくれたので、楓も彼の分をつけた。お遊びの結婚式ごっこ。誓いのキスごっこまでして、早朝から真っ裸で何をやっているのかと思うと笑えてきた。
 ごっこ遊びの余韻も空腹には勝てず、さっさと朝ご飯、といきたいところだったが、身体のベタベタが気になり、先にお風呂へ行った。もちろん入るのは別々である。ごっこ遊びの時も裸を晒していたし、一緒に風呂くらいいいと言えばいいのだが、これまで拒み続けてきたので、もう少し焦らしてやるつもりだった。
 それから朝ご飯を食べ、午前中はだらだらして過ごし、午後から散らかった服の片付けと洗濯を二人でした。
 壁に投げつけたスマホは運良く無事だった。藤谷から『生きてますか!?』とメッセージが来ていたので、『生きてるから安心しろ。ただし、火曜日までメールも電話もして来んなよ。』と返信する。二人で過ごせる貴重な休みを邪魔されたくなかったから。

 亨の休みは月曜日までで、楓は火曜日まで。急に体力は戻らないので、日曜日は近所に買い物に行く以外ほとんど部屋で過ごした。
 月曜日の朝。ホットプレートを出してきて、食卓に設置する。これは楓の誕生日におうち焼肉すると言って買ってもらったものだ。誕生日には使わなかったが、あれから家で焼肉やお好み焼き、焼きそばなどをするとき活躍している。
 今朝はこれでホットケーキを焼く。ホットケーキミックスでお手軽に作った生地をホットプレートに流し入れると、ジュワッと音がなる。
 作業の最中、自分の指で光る指輪がちらちらと目に入り、にやにやが押さえられない。
「おーい」
 もう出来上がりという頃合で、リビングで仕事のメールをチェックしていた亨に声をかける。彼は楓の前で仕事の話をあまりしないが、年度末はどこも忙しいというし、色々と立て込んでいるのかもしれない。
 亨がいつもの席に着くと、一番大きな一枚を皿に乗せるやる。
「いい匂い。懐かしいなあ」
「バターとメープルシロップつけて食べろ。どんどん焼くからな」
「ありがと。いただきます」
 律儀に手を合わせてから、彼は食べ始める。
 一枚を自分の皿に入れ、出来上がった残りを他の皿に移してから、すぐに第二弾に取りかかる。薄く油を引いて、生地を注ぐ。
 焼けるのを待つ間、楓も食べることにする。
「太りそうだけど、じゅくじゅくになるくらいシロップかけるのが好き」
「わかる。小っちゃいころやって怒られたわ」
「お坊ちゃんなのに、こんな庶民的なもん食ってたのか?」
「清子さん……、家政婦さんが時々焼いてくれた。皆さんには内緒ねって」
「あの母ちゃんはこんなことしそうにないもんな」
「あの人が料理してるのなんて見たことないよ。キッチンに行くのは、来客があって指示出しが必要なときくらいだ」
 ものすごく自然に亨の実家の話が出てきた。今がチャンスかもしれない。ずっと気になっていたことを、今なら言える。
 ホットケーキの焼け具合を見ながら、なるべく深刻にならないよう、努めて何気ない風を装う。
「なあ、ほんとに報告しなくていいのか? もう番になっちゃった後だし、邪魔しようと思ってもできないだろ」
「いいよ。またややこしいことになったら嫌だ」
 拒まれることぐらい想定済みだ。その上で言うのだ。
 ほどよく焦げ目のついたホットケーキをひっくり返していく。
「前にお前の実家に行ったとき、これからは好きにさせてくれるって約束しただろ。なら、好きに番作ったってややこしいことになんてならないんじゃないの」
「常識が通用しない人たちなんだ。また楓が巻き込まれるの、嫌なんだよ」
「親の前で交際宣言しといて、今更じゃね? お前が言えないなら俺が言ってやるよ。番になりましたって一言伝えときゃ、義理は果たしたことになるだろ」
「なんでそこまで……」
「俺にだって生物学上の父親はいるけど、一度も姿を見せたこともない上に、身重の母さんを捨てたクズのこと、親だなんて思ったことない。でも、お前はそうじゃないんだろ。本気で縁切りしたいと思ってるんなら俺も言わないけど、お前、電話には毎回ちゃんと出て、母ちゃんの愚痴聞いてやってるじゃん。それくらいの情はあるんだろ。だったら、ちゃんと報告しといた方がいいと思う。大事なことなんだからさ。それに……。言うこと言ってすっきりしてから、新生活始めたいじゃん。もやもやしたままって嫌だ。教えて、電話番号。それかスマホごと貸して」
 一気に言って、目の前に手のひらを突き出すが、亨は首を縦に振らない。
「でも」
「お前だって俺んちに挨拶に来てくれたろ。それと同じことを電話でするだけ。貸さねえと二枚目ないぞ」
 なかなか強情なので、焼き上がり直前のホットケーキをダシにしてみる。決してそれに釣られたわけではないだろうが、彼はぼそっと言った。
「……スピーカーにして喋って。それが条件」
「わかった」
 出来上がったホットケーキを各々の皿に入れてから、亨のスマホで伊崎母の番号にかける。だが、出ない。この時間なら仕事だろう。無理もない。また後で架けよう。第三弾を焼く作業と食事を再開する。
 着信があったのは十五分後。伊崎母からだ。取ってスピーカーにする。
『亨? めずらしいわね。何かあったの?』
「すみません。亨じゃないです。玉木です」
『…………玉木さん。ああ、久しぶりね。お元気かしら』
 名乗った途端、彼女の声のトーンが下がった。舌打ちでも聞こえてきそうだ。しかし、たったこれだけのことで怯むわけにはいかない。自分が彼女によく思われていないのはわかっていたことだ。
「すごく元気です。今日は大事な報告があって架けました」
『悪いけど、仕事中で時間がないの。また後にしてもらえるかしら』
「一分で済みます。俺たち、先週の木曜日に番になりました。言っておいた方がいいと思って」
『へえ……、そう。あの子は言わなくていいと言ったんでしょう。あの子が言うべきと判断したなら、自分で架けてくるはずだもの』
「そうです。けど、ちょっとは言わなきゃって思ってたはずです。そうじゃなきゃ、このスマホ、貸してくれなかったはずだから」
 顔は見えていないのに、声だけでも威圧感がある。やり手の経営者で、大勢の人間の上に立っているらしいから、か弱くては務まらないのだろう。だが、負けない。楓は言うべきことを言うだけだ。
 電話の向こうで、あからさまなため息が聞こえる。
『番ねえ。オメガは便利な手段をお持ちでうらやましいわ』
「そうですね。オメガでいいことなんてないと思ってましたけど、今はこの性別でよかったんだと思います」
『生意気な子ね。うちの息子たちは、どちらも気が強いのがお好みのようね。私に懐いてくれる可愛いお嫁さんがほしかったんだけど。私と同じアルファの』
「もうこの人は俺がもらいましたから、他の人にはあげられません。すみません」
『前にお会いしたときに、好きにしていいという話になったはずよ。私は自分の言ったことには責任を持ちます。納得はしていませんけどね。それと……、亨。どうせ聞いているんでしょう?』
 突然名指しされ、亨はびくりと反応する。よほど怖いらしい。気持ちはよくわかる。
「ああ……、うん」
『報告ぐらい自分でしなさい。情けないわね』
「うるさい。切るぞ」
『おめでとうなんて、死んでも言わないからね。まったく、なんで男って若いのが好きなのかしら。若くて可愛い時期なんて一瞬で終わるのに。何かあっても泣きついてこないでよ。わかったわね』
「元からそのつもりだよ。このこと、充には……」
『私から言わなくたって、どうせ嗅ぎつけるわよ。でも、今はあんたのこと構ってられないんじゃない。赤ちゃんにメロメロだからなんだから』
「あいつにそんな人間らしい感情が……?」
『そりゃそうでしょ。我が子は可愛いものだわ』
「我が子ねえ」
『じゃあ、忙しいから切るわよ』
「はいはい」
 潔く何の余韻も残さず電話が切れる。
 疲労感に襲われ、二人して椅子の背に体重を預けてうなだれる。
「……なんというか、あの母ちゃんらしいな」
「ほら、架けない方がよかったろ?」
「いや、架けてよかったよ。前に会ったときはまともに言い返せなかったけど、今日は言いたいこと言えたから。すっきりした」
 久しぶりに男らしいことをした気がする。我ながら堂々としていて格好よかった。
 亨はじっとこちらの表情を観察している。
「無理してない?」
「してない。これでさ、ばれないかびくびくして過ごさなくてよくなったろ。よかったじゃん」
「まあ、そうか。そうだよな」
「一応父ちゃんにも架けといたほうがいい? お前んちの父ちゃんって影薄いけど、父ちゃんは父ちゃんだし」
「いいよ。今頃あの人が電話してるだろ。『亨がね! まったくもう信じらんない!』って」
「あはは。似てるー」
 手を叩いて笑って見せる。母親のものまねを披露するくらいだから、きつい物言いをされて落ち込んではいないようだ。彼女は普段からあんな感じらしいので、慣れてはいるのか。
 余計なことをしたわけではなさそうで、安心した。
「ありがとな。助かった。……ああ、これ、ついてる」
 手が伸びてきて、楓の口元を拭う。彼にしては行儀悪く、汚れた指を舐め取る。
「うん、やっぱりシロップ多めはいいな」
「熱いうちに食べよう」
「おう」
 大量に出来上がっていくホットケーキを平らげる作業に集中する。
 いつまでもこんな穏やかな休日が続けばいいと思うが、亨は明日から、楓は明後日から、現実に戻らねばならない。平日フルタイム勤務の他、三月中に引っ越しも済ませてしまわなければ。就職したら完全同居する約束なのだ。もうほとんどここに住み着いている状態ではあるのだが、まだ実家に荷物は残っている。
 早く家賃ぐらい折半できるぐらい稼げるようになろう。いつぞや借りた弁護士費用も返したい。フライ返しを片手に決意を新たにした。

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