(1)君と出会ってからの僕

 あめ左衛門の着流しにキャンディー柄を書き込む。こういうちまちました作業は嫌いじゃない。あめ左衛門の魅力はいまいちよくわからないけど。
『……あのさ』
「苦情は受け付けてません」
『違うよ。なあ、一回会って話さない?』
「なんで?」
『メモにも書いたろ。謝りたいって』
「謝る、ねえ……」
 何を謝ってくれるのだか。
 ふと、同じオメガの姉が繰り返し楓に言い聞かせてきた言葉を思い出す。「アルファに利用されちゃ駄目。アルファを利用する知恵と力を身につけなさい」。利用するとするか。この件に関して、自分の浅はかな行動に腹が立っているだけで、彼に対しては大きな怒りもないのだが、ヤラれ損というのも癪に障る。
「……いいよ。会っても」
『そうか。ありがとう』
 日時についてはまたメッセージを送るということで、通話を切った。

 その週の土曜日に会う約束をした。待ち合わせの駅は楓が指定した。目的地は決まっているから、その最寄り駅だ。
 待ち合わせ時間の前ではあったが、楓より五分ほど遅れて伊崎はやって来た。改札から出てくるところから見ていたが、背はそう低い方ではない楓よりも高くて、それなりに見映えはする。顔は確実に楓の方がハンサムだけど。
 伊崎は楓の姿を認めると走ってくる。先手必勝だ。こちらから攻撃を仕掛ける。
「遅い」
「え? いや、まだ時間は」
「こういうのって時間に余裕をもって来るもんじゃないの。謝りたいんじゃなかったのかよ」
 生意気すぎる態度だというのは自分でもわかっている。しかし、彼は苛立ちを見せることなく、ごめんねとだけ言った。実琴から聞いていたいじめっ子のイメージと大分印象が違うが、外面くらいどうとでもなるのかもしれない。
「行くよ」
 楓はさっさと出口の一つに向かって歩き出す。
「どこへ?」
「ヨドジマデンキ」
「……なんで? 買い物?」
「いいからいいから」
 目的地は駅直結の複合ビルだ。迷うことなくヨドジマデンキ地下二階へ直行し、店内放送と店員の掛け声でうるさい店内をずんずん進む。一度も背後を確認していなかったが、ゲームコーナーで足を止めたとき、まだ逃亡せずに伊崎はついてきていた。
 ゲームコーナーの一番目立つ場所に、大型のテレビモニターが掲げられ、その下に新発売された据置型ゲーム機が鎮座している。ご自由にお試しください、というポップが貼ってあり、高校生ぐらいの少年たちが占領していた。
 楓はそちらを指差す。
「あれがいい」
「……え?」
「あれ買って。ゲムステ5。知ってんだよ。うちの姉ちゃんや慶人と同じ会社なら、給料結構もらってんだろ」
「いやいや、部署も職種も違うし……。てか、買うの?」
 彼の顔には困惑の二文字が張り付いていたが、ここは勢いで押しきろう。続いてソフトの棚を物色し、素早く選び出す。
「謝りたいんだったら誠意を見せろよ。はい、これ」
 ソフト二本と追加のコントローラーを伊崎に突き出す。
「あともちろんゲムステ本体もだから。今日いくら持ってる? まだいけそう?」
「おいおいおい。とっくに財布の中身越えてるわ。今日食事だけのつもりだったし」
「食事だけ、ねえ」
 大仰に溜め息をついて見せる。
「俺さ、処女だったんだよね」
「いや、そりゃ、まあね、そうじゃないかなとは思いましたけど」
「発情期をちゃんとコントロールしてなかった俺の責任はあるよ、確かにね。あんたもさ、がんばって薬貰いに行こうとしてくれたし。そこは印象いい。でも、処女だったんだよね。あんたにいくら謝ってもらっても、俺の処女は返ってこないんだよね。せめてこれくらいしようって気はないの?」
 自分から誘ったことを棚にあげて、よくこれだけいけしゃあしゃあと並べ立てられるものだと自分でも思うが、途中から楽しくなってきて止められなかった。
 伊崎は楓から商品の箱を引ったくる。
「わかったよ! あと何がほしいんだよ。全部買ってやるよ!」
「じゃあゲムステ本体もう一個。うちに置いて、ミコちゃんちにも置いて」
「それはどうか勘弁……」
「えー。まあいいや。それじゃソフトもう一本追加でいいよ」
 棚から適当にソフトを取り、伊崎の持つ箱の上に置く。彼はげんなりとした様子だった。無理もない。総額いくらだろう。
「ソフト三本も一気に買ってどうするんだよ。いいなあ、学生、時間あって」
「本当に買ってくれるつもり?」
「お前が買えって言ったんだろ。いいよ。いいですよ。謝りたくても謝れないことあるし、謝らせていただけるだけいいよな、……て思うことにする。さよなら、俺のパソコン貯金」
 もう少しごねると思っていたのだが、案外すんなりいってしまった。このまま買ってもらってもいい。バイト代を貯めて自分で買うとなると、手に入るのはいつになるかわからない。でも、なんだか可哀想になってきた。彼一人を悪者にしているみたいで。
 伊崎から商品の箱を取り上げる。
「やっぱりいいや」
 一つ一つ元あった場所に戻していく。
「え、いいの?」
「いいよ。充分ビビらせてやったし、溜飲下がったから」
「なんだよそれ。ドッキリ?」
「そんなもんかな。なあ、かわりと言っちゃなんだけど」
 明らかな安堵の表情を浮かべていた彼は、再び顔を強張らせる。思わず笑ってしまった。
「あんな高価なもんは言わねえよ。昼飯奢って。このビルの上に飲食店街あったろ」
「そんなものでよろしいんですか」
「よろしいよろしい」
 時刻は午前十一時前というところ。もう少ししたら飲食店が開く。混雑するエレベーターを避けて、エスカレーターで八階まで上ることにする。
 エスカレーターに乗ってから気づいた。満員電車ほどではないものの、前後に人がいると距離をとりづらい。地下二階に降りるときもエレベーターを使ったが、楓が先に先にと歩いて下ったため、気にならなかった。
 すぐ前に立つ彼の匂いをうっかり吸い込んでしまい、あの夜のことをやけに鮮明に思い出す。叫びだしたくなるのをこらえ、慌てて脳内の映像をかき消した。

 食事のジャンルにこだわりはなかったが、空きっ腹が焼肉の文字に引き寄せられ、焼肉食べ放題の店に入る。
 適当に注文して待っている間、スマホをチェックする。一件メッセージが届いていた。
「ミコちゃんからだ」
 実琴の趣味の一つであるジグソーパズルが完成したと、写真が添えられていた。三千ピースの大作らしい。楓もインドア派だが、実琴もそうだった。そういう面でも気が合うのかもしれない。
 伊崎はどんどんやって来る皿をテーブルの端に寄せて並べていく。彼はトングを一回持ち上げてまた戻す。
「こういうの焼きたい人?」
「適当でいいんだよ。仕切りたいなら仕切っていいぞ」
「いや、あんまりやったことないから。大人数で行くと誰かがやってくれるじゃん」
 アルファ狙いの肉食女子がか。どうせ甲斐甲斐しく世話好きを頑張るんだろう、ああいうやつらは。
 してもらえて当たり前というのがむかついたので、楓は顎で皿をしゃくった。
「これも人生経験だろ。やって」
「いちいち偉そうだなあ。まあいいけど」
 伊崎は皿を取る。楓はふんぞり返って焼き加減にいちいち文句をつけながら、焼けるなりどんどん口に運ぶ。
「伊崎、早く次。そこ空いてる」
「伊崎ってお前さあ」
「名前違ってたか?」
「あってますけどね。俺、泉田と同い年よ。二十七。普通伊崎さんだろ」
「俺はミコちゃんのことミコちゃんって呼んでるし。ミコちゃんそれで怒んないし。なんだよ。心狭い。伊崎、心狭い」
「二回も言ったな」
 肉を並べ終わった伊崎は、野菜の皿に手を伸ばしたが、楓は制止する。
「まだいい。ところで伊崎の下の名前は?」
(とおる)だけど」
「じゃあ亨でもいいわ。亨。とーるー」
「さん付けの選択肢ねえのな」
 聞こえない振りをして、脇に置いたスマホに目をやる。さきほど送った返信に、また返信が来ていた。今度は手作りオムライスの画像つきだ。今ごろ二人で食べているんだろう。世間ではああいうのをバカップルというのだ。
「誰? 泉田?」
「うん。とってもナチュラルにのろけられた」
「泉田と仲いいんだな。どういう繋がり?」
「俺の姉ちゃんと慶人が大学生のとき付き合ってて、俺と慶人も面識あったの。で、同じ性別の友達がほしいって言ったら、慶人がミコちゃんと引き合わせてくれた。ミコちゃんめっちゃ優しくてかわいくて大好き」
「そうなんだ」
「聞いたよ。ミコちゃんのこと、昔いじめてたんだってね。ひどい。サイテー」
 突然矢を放ってやると、焦げかけた肉を回収していた伊崎は箸を止め、視線を落とした。
「……そうだな。自分でもそう思うよ」
「自覚あるんだ。いじめっ子って反省とかしないんだって思ってた」
「謝りたいってずっと思ってた。でも、そう思ったときには、もう泉田は学校に来なくなってた。家に行っても追い返されるし。この間やっと会えたと思ったら、あんな怯えた様子で……」
「ミコちゃん、今慶人とめちゃくちゃ幸せそうだから、過去のトラウマは周りをうろちょろしないのが一番だと思うよ。でも、同じマンションなのか。なるべく時間ずらしてバッティングしないように気を付ければ?」
「……そうだな」
 それから何とはなしに二人とも黙ったまま、ひたすら肉を平らげた。
 腹が張って苦しいぐらいになってきたころ、伊崎は神妙な面持ちで切り出す。
「肝心なこと、忘れるとこだった」
「ん?」
「……ごめんな」
「何が?」
「この前のことだよ。謝りたいから会いたいって、今日はそういうことだったろ」
 もちろん覚えてはいるが、ゲムステ5を買う買わないのやり取りの中で、もうその話は済んだものだと思っていた。謝ってもらう必要は感じなかったが、話したそうなので聞くことにした。
「発情にあてられて発情すんのは理性じゃどうしようもないことでもあるけど、あともう少しふんばってもう一回ドア閉めてればあんなことにならなかっただろ。ああ何度も何度もしつこくせずに早めに解放してやれなかったのかとも思うし。俺も発情にあてられるのなんて初めてで、あんなに頭ぶっとんだ状態になるなんて知らなかった……」
 閉められたドアをもう一度開いて誘ったのは楓だし、しつこかったのはお互い様。それなのに一切楓を責めることをしないなんて、いじめっ子だったくせに律儀なやつだ。
「もういいよ。今日のところは。ドッキリ付き合ってくれたし、肉がんばって焼いてくれたし。……あくまでも、今日のところは、だけど」
 どうやって話すのが一番自然か考えて、結局こんな風にしか言えないのだった。
「また飯奢ってくれたら、許すかどうか考えてやってもいい」
 ただ単にタダで美味しいものが食べたいだけ。そのためにほんの少し彼を利用するだけだ。それ以外なんて存在しない。
 伊崎はプッと吹き出す。
「……いいよ。何食べたいか考えといて」
「フカヒレと燕の巣とアワビ」
「もっとサラリーマンの財布に優しいものをお願い」
「ラーメンと餃子とチャーハン」
「優しい! それでいこう。なんしか中華がいいわけね」
 二人とも完全に箸は止まっていたが、しばらくそんなふうにくだらないことをぐだぐだ言い合って、昼時の混雑した店に居座っていた。

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